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夜会 5

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「おい、不敬にもほどがあろう。貴様、名を名乗れ!」

 肩を掴まれ、無理やり身体を引っ張られたが、俺はその手を払い除ける。
 鍛錬などでも、サヤがよくやっている動作。肩を掴む手は、真下から上へと跳ね上げれば、簡単に外れる。力一杯引こうとしていた人物は、思い切り後ろに仰け反った。……体幹悪いな。あまり武には秀でていないらしい。

 振り返ると、伯爵家のご子息様を背に庇い、三人の従者然とした者らが俺を取り囲むように立っていた。
 振り返った俺に、その三人が一瞬だけ息を飲む。けれど、服装を見、長い髪を見て、雰囲気が、俺を侮るものに変わった。
 俺が成人前の身で、たかだか男爵家程度の家の者で、しかも独りきりであることを確認したからだろう。男爵家ならば、まず間違いなく従者は平民。この会場には連れて入れないものな。
 三人のうちの一人……そばかすの浮いた男が、人を小馬鹿にしたような顔で、嫌な笑みを口元に張り付かせ、言葉を吐いた。

「その方、人の逢瀬に割り込むとは無作法にも程があろう。家名と名を述べよ。それ相応の覚悟はできておろうな」
「おや、逢瀬でしたか。そうなのですか?    オリヴィエラ様」

 そう言って振り返ると、オリヴィエラ様が俺を見ていた。
 少々驚いた顔。俺が割り入ったこと自体も、状況に動じていないことも、意外だといった様子。
 けれど、ハッとしたように視線を伯爵子息に向け、唇を噛み締め、苦渋に満ちた表情で、俯く。
 そして、こくりと……小さく頷いた。

「ははっ、ほら。オリヴィエラ様とライアルド様の逢瀬を邪魔立てして、ただで済むと思うなよ」

 明らか嫌々に返事をしたオリヴィエラ様に、そばかす男……名前がわからないので許してもらおう……が、何故か威張る。
 へぇ、ライアルド様とおっしゃいますか。
 俺はそばかす男の後方、ややたれ目気味の優男に視線をやった。
 今は配下に任せ、一言も口をきかないけれど、俺を格下と見ているのが瞳の澱み具合でありありと見て取れる。
 侮って……俺などに心情を晒している。社交界の場において、それは一番やってはならないことですよ。

 俺は簡単に一礼をして、「セイバーン男爵家が二子、レイシールと申します。以後よしなに、ライアルド様」

 一応の礼儀として、最低限のことはこなした。

「ですが、私は貴方と対等なので、わざわざ譲るつもりはありません」

 そう言ってにこりと笑ってみせると、男爵家という下位の身分なうえ、成人前でしかない俺が楯突くと思っていなかったらしい。そばかす男を筆頭に、全員が言葉に詰まり、唖然と俺を見た。
 暫くの沈黙……けれど、ハッと我に帰った様子。

「た、対等だと?    男爵家の小倅如きが、伯爵家と対等などと……楯突くなら覚悟はあろうな!」
「ご冗談を。楯突いてはおりませんよ。私は同等の権利があると主張しただけです。
 オリヴィエラ様と縁を繋げることを、アギー公爵様より是としていただきましたから。貴方も、私も。愛でるべき華の前ではただの蜂だと言ったまで。
 オリヴィエラ様との逢瀬、私にも同等の権利がありますので、その権利を行使させていただいただけですよ。
 こういった場合、選ぶは華でありましたよね。
 ではオリヴィエラ様。先程の返事をいただきたいです。私に、貴女のひと時をお譲りいただけませんか?」

 身分などひけらかしたって無意味だ。
 俺はライアルド様らに背を向けて、今一度オリヴィエラ様に向き直った。

 是と、言ってください。こんなこと、許す必要はありません。

 口をパクパクと動かして、声を漏らさずそう伝えた。
 オリヴィエラ様の瞳が揺れ、葛藤するように、視線が彷徨う。
 俺なんかに庇われたのでは矜持が許さないかもしれないが、貴女は一人ではない。ホーデリーフェ様を、早くここから避難させてあげてください。
 そう口を動かすと、背後の震える女性に意識が向いた様子。
 また視線が、俺を見た。

 けれど、口が動く前に違う声が、いらぬ横槍を入れてくる。

「新参の男爵家如きが、同等の権利を持っておると?    本気でそれを口にしておるならば、耳を疑うわ。
 まあ、私は心が広い。一度だけ、世迷言を吐いたこと、耳にしなかったことにしてやろう。
 オリヴィエラ。ここは無粋な毒蜂が煩い。場所を移すぞ」

 優しげな猫撫で声。でも、有無を言わさず、杭でオリヴィエラ様を貫くが如く、言い放つ。明らかに、否やは許していない……決定事項だと。
 口を開きかけていたオリヴィエラ様は、その言葉でまた、唇を閉ざした。
 世迷言を吐いているのはどっちだ。

「オリヴィエラ様、ですよ。ライアルド様」

 伯爵家の者が、公爵家の方を呼び捨てにするなど……まだ縁を繋いだだけの身で、しかもこんなおおやけの場で、そんな不敬が許されるわけがない。
 足を進めようとしたオリヴィエラ様を手で制し、俺は今一度、ライアルド様に向き直った。

 矜持を傷つけぬよう配慮する必要を、感じなくなった。

「新参であろうが、権利は同等。まさか、伯爵家ご子息様ともあろうお方が、こんな初歩的なことわりすらご存知ない可能性は、視野にありませんでしたね。迂闊でした。
 学舎の一年目、一番初めに、周知が当然として確認される項目なのですが……理解が難しい箇所はどこでしょう。僭越ながら、私がお教え致しましょうか?」

 ハインやマルが相手でなくて良かったと思っていただきたいものだ。
 あの二人ならばもっと遠慮しない。心を折られかねない言葉を、躊躇なく口にしたろう。

 俺如きの嫌味ではさしたる攻撃力は無いだろうけれど、そもそも楯突かれた経験が希少である様子のご子息様だ。多少の効果はあるだろう。
 俺の思惑通り、更に楯突かれることは想定していなかったらしい。言い返すことも忘れて、瞳を見開くライアルド様。
 じわり、じわりと俺に馬鹿にされたのだと理解してきた様子で、その表情が、だんだんと険悪なものになっていく。

「其の方……名を述べよ」
「先程述べたばかりですよ。セイバーン男爵家が二子、レイシールです、ライアルド様」
「お前……ただで済むと思うておるまいな」
「さて?    アギーの夜会で一体何が起こるというのでしょうね。とても興味深いです」

 目を眇めて、小馬鹿にしたような表情を意識した。目の前に手本があるから容易だ。
 俺に嘲られたと分かるや、ライアルド様一行は、更に熱り立つ。
 完璧に標的が俺に移ったな。
 ライアルド様の瞳にオリヴィエラ様が消え失せたことを確認したので、背に回した手をくいと動かし、ここをそっと離れるよう指示をした。
 戸惑うような衣擦れの音。本当に行って良いのか……と、逡巡する気配がいつまでもあるから、気にしないでと、手をひらひらさせておく。

 ここにいてもらった方が厄介だし、あまり汚い言葉を吐く姿を、ご令嬢らには見せたくない。
 特に、ホーデリーフェ様は、かなり怖がっていたようだから。

「成人前は、世の常識を知らぬな。
 私は兼ねてよりオリヴィエラと縁がある。その上私は伯爵家。
 男爵家如きのお前が、私と同等の権利など有しておるわけがなかろう。
 建前と貴族社会の本質を知らぬ未熟者には、教育が必要だな」
「私との縁を繋げることを決めたのは、私自身ではありません。アギー公爵様ですよ。
 それに、世の常識を知らぬのは貴方の方だ。
 例えどれほど縁が深くとも、公の場で、それをして良い状況か。見せて良い相手か。それくらいの判断はすべきでは?
 なにより……将来共に添い遂げる相手と定めていらっしゃるなら、言葉くらい選んで発言すべきだ」

 そう言うと、ライアルド様ははっと、嘲るように笑った。
 歪んだ表情。それは俺とオリヴィエラ様を侮蔑し、今から更に傷付けようとしている顔だ。

「誰が、将来を共に添い遂げると?    はっ、お前にはそれが女に見えるのか?    世間知らずの成人前は、よほどの女日照りなのだな」

 そろりと身を引いていたオリヴィエラ様の足が、ピタリと止まった。

「……オリヴィエラ様はとても麗しい女性ですよ」
「男爵家程度だと野獣にも媚を売らねばならんらしい。
 お前はあれのどの部分を愛でているのだ?    あの広い肩幅か?    厚い胸板か?    ゴツゴツとした剣だこだらけの硬い掌か?    筋の浮いた二の腕か?」

 まだ、オリヴィエラ様がいらっしゃるというのに……っ!

 足が止まってしまったオリヴィエラ様が、どんな表情をされているか……振り返らずとも、分かる気がした。
 成る程……。こんなことを日々言われていたのでは、心だって萎縮する。黙って俯くだけと言っていた姫様の言葉の意味が、よく分かった。

「家同士の縁だ。お互い役割であるから受け入れてやろうと思うておるさ、私は心が広い男なのでな。
 だから、貴様の汚い手垢を付けてもらっては困る。例え雑草でも、純白くらいは、守っておいてもらわねば。
 分かっているなオリヴィエラ。海渡りの蝶よ。侍る庭も持たぬ其方を囲おうというのは私くらいだ。それとも、公爵家の者が、男爵家に下るか?    その見た目で地位まで捨てれば、お前はただの野獣……」
「黙れ」

 あまりの言葉に唖然としていたのだけど、海渡りの蝶と揶揄したその言葉で、目が覚めた。
 こいつは、貴族の皮を被った下衆だ。もうこいつに吐かせる言葉は無い。

 左足に体重をかけ、右足を前に出す。

「俺は……たかだか指一本の不具合で、剣を諦めた身なのでね。
 オリヴィエラ様を、尊敬しますよ。心から。
 貴方だけではないんでしょうね……そんな風に、彼の方の努力を嘲る人。
 俺には、そんな言葉に晒されても剣を握り続けている彼の方に、敬意しかありませんけど」

 前に一歩を踏み出した俺に、従者どもが警戒を露わにするけれど、もう遅い。
 そもそも、そんな緩慢な動きで、何を遮ろうというのだろう。
 伸ばされた手を払って、服を掴まれる前に叩き落とし、間をするりと抜けると、たったそれだけでライアルドの前。間合いの内側だ。
 目前に顔を突き出した俺に、ライアルドは瞳を見開く。まさか踏み込んで来られるだなんて、考えもせず、暴言を吐いたと?

「あの動きを身体に馴染むまで染み込ませるのに、いったい何年かかったと思っている?
 それだけ時間を重ねたことを、何故馬鹿にできるんだ。
 オリヴィエラ様は貴方より強いよ。剣を握れば、負けるのは貴方だ。
 剣を握れない俺にすら、簡単に間合いを侵される。
 それ程に何も身につけていない貴方に、オリヴィエラ様を侮辱する権利など無い」

 立派な刺繍を施された襟元に、俺は手を伸ばす。
 けれど、それは横手から伸びた別の手で遮られた。
 直前まで気配など無かった。新手っ、くそっ、俺より手練れだ。
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