異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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閑話 息子 5

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 母のことを、ずっと重い鎖のように感じてきた。
 三歳までを二人で暮らし、あの事件。そこから先を、俺は全て拒んできた。
 そうやって俺は、母を許さなかった。断罪し続けてきた。たった一度の過ちを、ずっと引きずって……。
 俺は心底母を拒んでいたんだ。何一つ受け入れたくなかった。母の全部を振り捨てたいと、本気で思っていた。
 だから夢に出てくる母が、苦痛でたまらなかった。
 俺はもう傷付きたくなくて、自分が傷付かないために、母を傷付けることを選択したんだ……。

 俺に泣く権利なんてない……。
 母をここまで追いやったのは、俺自身だ。
 そう思うのに、涙は勝手に溢れた。
 母が死ぬまで、十三年という長い時間があったのに、その中で一度も機会を与えなかった。
 母が死んでからの三年も、顔を背けて過ごした。
 こんな息子しか持たなかった母は、どれだけ苦しんだことだろう……。

「……貴方は葬儀に、出なかったではないですか」

 アーシュの言葉が重く、胸に突き刺さる。
 学舎にいた俺に母の死の知らせが届き、手続きを済ませて戻った時には、もう葬儀は終わっていた。

「不在だった貴方に、ロレッタ様の墓が、守れるわけがないでしょう」

 現実をただ、突きつけてくる。
 その通りだ。だけど、ここに戻って三年もの間、母の骸が弔われていないことにすら気付かずにいたことは、言い逃れのしようもないことだ。
 戻った直後であれば、まだ手は打てたかもしれない。
 いや、そもそも……母の死も、父上の急病も、俺は何ひとつ、疑わなかった。そのままを、ただ受け入れた。

 疑いを挟む余地ひとつ無いほどに、俺は何も知らなかった。母のことだけじゃなく、父上のことも、ジェスルのことも、セイバーンのこともだ。
 そんな俺では、何ひとつ、守れなくて当然だ。
 俺は声を上げなければならなかった。なのに俺は、ただ逃げるだけ……。知ろうとしなかった。だから何もできなかった。
 境遇と戦うことを、頭から捨てていた俺には、守れなくて当然だった……!

 ただ頭を下げ続け、涙を溢す情けない姿の俺を、アーシュは暫く見ていたけれど、そのうちに足を踏み出した。
 俺の前に立ったアーシュが、腕を突き出し、俺の胸に、花束を持った拳が押し当てられる。
 鬱金香うこんこうと、木春菊もくしゅんぎく。他にもいくつかの、春の花を束ねた花束。薄い桃色と白の花が、黄色の飾り紐で纏められていた。

「持っていてください」

 胸を押してそう言われ、咄嗟に腕を上げ、それを受け取る。
 アーシュはそのまま俺の横を素通りした。

「こんな目立つところにはありません」

 …………え?

 墓場の端に足を進めるアーシュの背中を呆然と見送り……ハインに名を呼ばれて、慌てて後を追った。

 アーシュは、焼き場と、セイバーン男爵家墓所に続く細道……。そこをただ、黙って進んでいった。
 後に続こうとすると、ジェイドが俺の先に身を割り込ませる。後ろはハイン。そうしてその細道を進んだ。
 程なくして、セイバーン男爵家の墓所に出たのだけど、そちらに足を向けたアーシュは、何故か墓所を迂回し、裏手側、雑草や羊歯など、蔓延る野草を掻き分けだす。
 何かを探すように、衣服を汚すことも厭わず、ただひたすら手探り。腰を曲げて、小枝に頬を引っ掻かれつつ、いくらも進みはしないうちに…………。

「ここにいらっしゃいます」

 やっと見つけたといった風に、雑草をぶちぶちと引き千切り出した。
 豪快にそこらじゅうの草を、ただ無心に引き抜く。
 なんとも言えない状況に唖然としていたのだけど、アーシュが雑草を引き抜く中心には、白くて丸い小さめの岩があった。
 何も刻まれていない、ただの岩。
 白くつるりとしている以外の特徴は無い。
 その岩の周りを、そうやってただ黙々と整えていたアーシュだったけれど、そのうち不意に、口を開いた。

「……王都からここまで、何日もかかる……それくらいのこと、私だって存じております。
 ほんの数日後にある卒業も待たず、貴方が本当に急ぎ、帰郷したことだって、もう知っています。
 貴方が、幼き頃に置かれていた境遇も……そこに、単身戻る、覚悟も……。
 十六という歳で、たった一人戻った貴方が、その時、何もできなかったとして…………」

 そこで一度、言葉が止まった。
 だけど、恐怖を振り払うように、少し強めの口調で、アーシュはつっかえた言葉を、無理やり吐き出した。

「それを責める権利が、私にあるはずがない!」

 そうして、掠れて震える、息を吐く。
 暫く、気持ちを落ち着けていた彼であったけれど、また草を引き抜くことが再開され……。

「手紙をロレッタ様に渡したのは、私です」

 唐突にそう告げられたのだけど、なんの手紙の話なのか分からず、一瞬考えた。

「本館にいる時は、お渡ししないと、決めていたのです。どこに、誰の目があるか、分からない……。
 なのにあの日私は、久しぶりの休日を、領主様とお二人で過ごされるロレッタ様に……。
 ………………彼の方を、もう少しだけ、喜ばせたかった……。
 ただそれだけの甘い考えで、私欲に走り……っ。
 貴方からの手紙を、私が、ロレッタ様に、手渡したのです……」

 背を向けたままのアーシュが、白い岩の前に膝をついた。
 そうして、それまで以上に身を縮め、岩に向かって頭を下げる……。

「私が、殺したようなものでしょう…………?」

 ………………………………。

 その手紙が、母を死なせるきっかけになった……。
 兄上の暴走を招き、母を死に追いやった。

 返事ができない俺に背を向けたまま。アーシュの独白めいた懺悔は、淡々と続いた。

「元から私に、貴方を責める資格など、無かった……。
 なのに私は、この事実を貴方に隠しました。あまつさえ、貴方を責めた。
 貴方の事情を知りもせず、境遇を理解もせず、ロレッタ様を厭う姿に腹を立てた。
 だけど本当は……自分の罪悪感を誤魔化すために、貴方を贄に選んだというだけです。
 私が騎士を辞すのは、貴方を嫌うからでも、ロレッタ様がもういらっしゃらないからでもない……。
 罪の呵責に耐えかねてです…………。ここにいることが、ただ辛い……。
 自分の手が彼の方を死に追いやったと分かっていて、忠臣面ちゅうしんづらしていることに、疲れただけです」

 そう言ってから、立ち上がった。
 場を整え、姿を現した白い岩。その前を離れ、俺の前に。

「息子に接するように……大切にしていただいた恩を、仇で返しました。
 ですから本当は……ここに来る資格が無いのは、私の方。その花束は、貴方の手でお渡しください。その方が、ロレッタ様は喜ばれます」

 そう呟くように言い、俺の横をすり抜けようとしたアーシュだったのだけど…………。

 その腕を、ハインが掴んで止めた。
 剣呑な瞳でアーシュを睨み据えたままのハインに、いつものアーシュなら怒りを露わにしただろう。

「…………恨み言が言いたいなら手短にお願いします」

 けれど今は、ただ受け入れた。

「恨み言で済むと?」
「好きにしてくださって構いませんが、ロレッタ様の墓前を穢したくはありません。なので、拠点村に戻ってから。
 そちらでなら、いかようにしていただいても結構です」

 温度の感じられない、冷めた声音で。
 そのアーシュの腕を、ハインはグイと引いて、俺の方に向き直らせた。

「その覚悟があるならば、ここにいてもらいます。レイシール様が、それをお望みですので」

 何も言わずとも、ハインは俺の心を汲み取ってくれる……。
 だから俺も、ただ泣いていたのでは、駄目だ。気持ちを、ちゃんと、伝えないと……。
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