異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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閑話 触れたい 3

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「分かってる! そのまま……じっとして。今取るから……」
「……っ……ゃ………⁉︎」
「大丈夫。何もしないやつだよ」

 腰に両手でしがみつくサヤをあやしつつ、背中に移動した蜘蛛をふんわりと、右手の指で囲い、掴み上げた。
 そのまま蜘蛛を近くの木に移して、サヤの背をトントンと叩く。

「もう取ったよ。だけどいったん戻ろう。厩に虫除け香が備蓄されているはずだから、それを貰いに帰る。
 ……サヤ、大丈夫? 歩ける?」

 腰にしがみついたままのサヤをなだめ、腕に移動してもらって、来た方向に足を向けた。

「気が回らなくてごめんな。でもまだ来たばかりだし、今から戻っても充分、種集めの時間は取れると思うから。
 ほら、動いていれば彼らだってそうそう移ってこない。大丈夫だよ」

 少々歩き辛かったけれど、なんとか裏山を下り、ちょっとした原っぱを突っ切る途中で、宿舎裏を歩く厩番の奥方と遭遇した。
 今度は子供ではなくて、布物の入った大きな籠を抱えている……。洗い物をしに来たようだ。幼子、先程はとろんとした顔をしていたから、昼寝を始めたかな。

「やぁ、たびたび申し訳ない。虫除け香の予備をもらえないかな」
「あらあら。サヤさん……」
「うん。びっくりしちゃったみたいなんだよ。サヤはあまり、あれらが得意ではないから……」

 普段はこんな風にべったりしないサヤが、俺に縋り付いているのが珍しかったのだろう。まじまじと俺たちを見て、にっこりと笑った奥方は、すぐ持ってきますねと踵を返した。
 そうして、腰帯から吊り下げられる、金物の香炉を持ってきてくれた。

「これ、小さいですから一時間ほどで燃え尽きてしまうんです。だからこまめに中身を取り替えてくださいね。こちらが予備です。半日分入れておきました」
「うん、ありがとう」
「それからこちらも良かったら。虫に刺された時用の軟膏も渡しておきます。
 これも多少は虫除けになりますから、裏山に向かう前に、肌の出ている部分に塗っておくと良いですよ」
「助かるよ」

「私は先に他の用事をさせてもらいますから、何かあればまた声を掛けてください」と、奥方。
 洗い物の籠をよいしょと持ち上げ、来た道を戻っていった。
 井戸を空けてくれたのだろう。有難い。
 サヤを促し、懐かしい別館の井戸へと足を向けた。

 転がっていた桶をひとつひっくり返して椅子がわりにし、まずサヤを座らせた。
 そうしてから丹念に、他に虫が紛れていないかを確認する。服の隙間や、髪の中もかき分けて。

「……サヤとしては災難だったろうけれど、俺としては僥倖ぎょうこうだったなぁ、さっきの蜘蛛」

 置いてあった盥に水を汲み、手拭いを濡らしてサヤの肌を拭いてやりつつそう言うと、キッと涙目が俺を見る。
 なんもいいことあらへん! と、そんな表情だったけれど。

「だってほら、触れてるよ、俺たち」

 自然と溢れてくる喜びが、勝手に口角を持ち上げる。
 サヤの頬に手を添えて、滲んだ涙を指先で掬い取った。
 大きく見開かれた瞳に逆さで映り込む俺は、このうえもなく蕩けただらしない顔をしていたけれど、それも今は目を瞑る。

「嬉しい。サヤ、触れられてるよ、俺たち」
「…………」
「あぁ、せっかく拭ったのに……」

 手拭いを盥に放り込んで、今度は両手でサヤの頬を包み込んだ。
 言葉にならず、代わりに溢れてくるサヤの涙を指で掬い、口で啜って、それでも止めどなく溢れてくるから最後には諦めて、唇を塞いだ。

 人目も何も、気にしてられなかった。
 今度こそ、元通り! その喜びで、身体が弾け飛びそうだったから、いっときでも離れられなかった。サヤに触れておかなければならなかった。

「もう怖くない?」

 唇を離してそう聞くと、何度も頷いてまた、身を乗り出してくる。今は離れたくないと言うように、サヤのしなやかな両腕が俺の首に回された。
 だから再び唇を重ねて、頬を撫で、腰に腕を回して、サヤという形の幸福を思う存分に堪能することに専念する。

 もう、足りないけど幸せだなんて、そんな言い訳はいらない。
 全部満たされた。取り戻した。本当に、幸せだ!


 ◆


 お帰りなさいませ! という元気な声に迎えられて、俺たちは拠点村の村門をくぐった。
 夕暮れ時、雲行きが怪しくなってきたので、馬を少々急がせてきたのだけど、なんとか降られる前に到着できて良かった。

「疲れてない?」
「駈歩もだいぶん慣れてきましたから」

 門をくぐったところで馬を預けて、そこからは徒歩で館に向かう。厩はここからの方が近い。館に乗り付けて、そこから馬を返すのでは二度手間になってしまうから、今日の厩番にすぐ引き渡す方を選んだ。
 そうして、少し増えた荷物を肩に担いで、のんびりと足を進めていたのだけど……。

「あっ」
「うわっ」

 ボタっと、大粒の滴が石畳に落ち、続いてバラバラと音が続くものだから、俺たちは慌てて走った。
 降り出した! しかも思っていた以上に大粒の雨!

「うー……、もうちょっとだったのになぁ」
「結局濡れちゃいましたね」

 館の門前に駆け込んだ時には、ずぶ濡れとは言わないまでも、着替えが必要だなというくらいに濡れてしまっていた。油断するんじゃなかったなと笑い合う。
 両腕に抱えていた荷物のせいで、サヤは頭を庇えず、艶やかな黒髪がべっとり濡れて、肌に纏わりついている。
 サヤのおでこに張り付いてしまっていた髪を指ですくって外すと、おおきにと言葉が返った。

「サヤは湯船に浸かっておいで」
「え、でも……」
「この時間ならもう準備してる頃合いだよ。別に手間を増やしたりはしないと思う。
 風邪を引くと良くないから、冷える前に暖まった方が良い。
 俺は湯で拭うくらいで平気だし」

 女の子はあまり冷やさない方が良い。

 荷物は俺の部屋に持っていっておくから、そのまま直行するようにと告げて、通り掛かった女中を呼び止めた。
 すぐに察してくれたその子は、サヤを風呂に促し、着替えはすぐにお持ちしますからと言う声が、遠退いていく。
 そこにハインがやって来て「お帰りなさいませ」と手拭いを差し出してくれた。

「サヤは?」
「風呂に向かわせた」
「左様でございますか。ではレイシール様は部屋にお戻りを。すぐに湯を持って参ります」
「うん、頼む」

 手拭いで髪を包み、水滴が落ちないようにしてから、俺も部屋に向かった。
 暖炉前に荷物を下ろし、さして待たぬうちにハインが湯を持ってやって来て、俺の身繕いを手伝ってくれた。

「如何でしたか」
「結構たくさん実ってた。ただ、ちょっと早かったのか、まだ弾けてないものばかりだったから、実のまま持って帰ってきたんだ。
 天日で数日干せば破れてくるらしいから、このまま乾燥させるって」
「では笊に広げておきましょう。後ほど持って参りますが……ここで乾かしますか?」
「うん。サヤの部屋だと万が一虫が入ってた場合……サヤが可愛そうだし」

 地に落ちた実も多く拾った。そういったものには、内側に虫が潜んでいることがある。
 万が一、サヤの部屋でひょっこり出てきてしまったら、大変なことになるだろう。

 身体を拭き清めて、髪の水気も丁寧に拭ってもらった。もう夕刻だし、上着はどうしようかと悩んでいたら。

「本日はこちらで夕食になさいますか」
「え……」
「休日なのですから」

 仕事の報告をやり取りしつつの夕食では、休日になりませんよと言われた。今までそんなこと、言われたことがないのに。
 うんでも……ウーヴェから、馬事師らがどうなっているかも確認したいし、アーシュに交易路計画の推移を報告してもらわないとだし、クロードからも派遣官らの様子を聞いておく方が良いと思うし……。

「明日で良いことは明日にします。
 では、食事をお持ちしますから、このままお待ちください」

 有無を言わさず決定が下った。
 強制するならなんで確認するんだよ……。

 まぁハインがこちらの言い分を聞いてくれないのはいつものこと。ここのところ忙しかったから、強制的に休養を取らせようとしているのかもしれない。

 そんな風に思い直して、夕食までの時間の暇潰しに、書棚の本を手に取った。
 あの口ぶりだと直ぐに夕飯が運ばれてくるのだろうから、書類なりを触ってたら見つかる確率が高い。やるなら食後だ。
 今日は無駄なお小言など貰いたくなかった。せっかく良い気分なのだから!

 そして予想通り、ハインは直ぐ戻り、台車に乗せられた夕食が運び込まれてくる……。

「……お前もここで食べるの?」
「は?」
「二人分……」
「サヤの分に決まっているじゃありませんか。私は休日ではありません」

 冷たくあしらわれ、え……と、言葉を失っているうちに、トントンと扉が叩かれた。

「あ、お手伝いします」
「結構です。もう終わりますし、サヤも今日は休日ですよ」

 駆け寄ってきたサヤに、休日らしくしてくださいとお小言を言うハイン。
 休めと怒られるのも変な感じだけど、それよりも俺はサヤに視線が釘付けだった。

「給仕は必要ですか?」
「ひ、必要ない……」
「でしたらまた後で下げに参ります」

 いつものことながら、ハインはあっさりしたもので、サヤがどんな格好をしていようが全く意に介さない。
 だけど俺は……。

「え……と…………それは、意識させちゃったよね。ごめん……」
「ち、違うもん! 元々帰ったらっ……帰ったらちゃんと! 使うっ、つもりで、おったんやし……」

 食い気味に反論されたけれど、言葉は尻すぼみに縮んでいってしまった。
 そうして落ち着かなげに視線を逸らし、どこか乱れていないかを気にするように、髪に手を添える。

 祝いの日にも、器用だと思ったのだけど、あんな棒状のもの一本で、サヤは髪を纏めてしまった。
 今日は……艶やかな黒髪の半分は下ろされて肩から胸に垂れていたけれど、一部を分けて丸く纏め、そこに金の花が飾られていた。
 淡い灰色の短衣と、深い紺の袴。意匠は相変わらず簡素で大人しめだったけれど、それがかえってサヤを艶やかにみせており、黄金の花の輝きを際立たせている。

 それに俺はもう、知っていた。
 今日のサヤの装いが、俺の色を意識しているのだと……。
 全身を、俺の色で包み、飾ってくれているのだと……。

 あぁ、どうしよう。可愛い。触れたい。
 俺、このまま二年、耐えられるだろうか……。

 触れられるようになった途端に贅沢な悩みが膨れ上がってくるのだから、本当に呆れるしかないよな……。

「凄く綺麗だ」
「…………お、おおきに……」

 視線を逸らしたままそう言うサヤに歩み寄って、両腕の中にすっぽりと包み込んだ。
 恥じらって縮こまってしまう耳元に、わざと「もとから俺に包まれてるんだから、同じことじゃない?」と、意地悪を言うと、より一層耳に赤味が増す。
 もう! と、頬を膨らませ、怒ってみせるのだと思っていた。
 だけどサヤは、反論せず……こてんと俺の胸に頭を預けてきて……っ⁉︎

「そうかもしれへん……」

 おずおずと、俺の腰に、自ら両腕を回し、ゆるりとだけど。抱きしめ返してくれて……っ。

 口づけ以上を我慢する新たな方法を模索しなきゃやばいなと思いつつも俺は、誘惑に抗えず、サヤの腰を引き寄せて、頤に手を添えた。
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