異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

文字の大きさ
833 / 1,121

翌年の春 1

しおりを挟む
 ブルブルと小刻みに震える手が、三つ編みにされた俺の髪を掴み、銀色の小刀を首元に添えた。
 少し強めに引かれた髪。うなじの毛が引っ張られて少々痛い。
 こうべを垂れた俺は、その刃が己に振るわれるのを待って瞳を閉じる。

 …………が。来ない……ね……。

 うぉっほんヴフンと、あからさまな咳払い。速くしろよと急かしているのは、ここの司祭だろうか。

「……サヤ?」
「……本当に、全部切っちゃうんですか?」
「うん。そういう決まりだし」

 春。新年最初の挨拶と、会合参加の為に王都に来ていた。
 今回王都に訪れたのは俺一人。
 いや……今回ではなく、これからは……だ。

 俺の腰には今、二つの印が下げられている。
 地方行政官長の紋章印と、セイバーンの領主印だ。

 この春俺は、晴れて領主となった。

 昨日王都に到着したばかりだったが、本日俺は成人を迎えた。
 皆が、祝いの席を用意してくれていたのだけど、たまたまバート商会を訪れていたアレクセイ殿に遭遇し、進言されて、そのまま王都の大神殿で成人の儀を行う運びとなってしまったのだ。

「宮中の行事ごとに出席するならば、髪を切っているというだけで、扱いが全く違うはずですよ」

 ……と。
 若干強引に押し切られ、彼の立ち合いのもと大聖堂に赴いたのだけど……。

 長年伸ばした髪を切る役を、サヤにお願いした。
 婚約者として俺に付き添ったため、美しく着飾ったサヤはしかし、俺の髪を切ることを躊躇っているよう。

 俺の長い髪を毎日三つ編みにしてくれた彼女は、これをとても気に入ってくれていた。
 だからこそサヤにと思ったのだけど、少々酷だったろうか。

「どうしても無理なら、ハインに代わってもらおうか?」

 あいつなら躊躇なくあっさりバッサリいくだろう。
 そう思って声を掛けたのだが、いいえという返事。

「や、やります……」

 そうしてサヤはもう一度、俺の髪を掴み……。

 そこから約半時間ほどして、無事に儀式を終えることができた。
 ずっと床に膝をついていたから、若干足が痺れるなどしたが、良かった良かった。

「頭がかっるい。首の後ろがスースーする……」

 新鮮だ。こんなにも違うもの?
 頭の中を風が抜けていくというか……首がなんだか心許ない。
 物心ついてからずっとあったものが無いから、違和感も凄いけど……でも、人生で一度くらいは経験したかったのだよな、これ。

「サヤ、そんなに落ち込まないで。皆が通る道なんだから」

 切った髪は奉納され、手元には残らない。
 それもあってサヤの落ち込みようは凄かった。そこまで? ってくらい、意気消沈している。

 今、適当にバサバサしてしまっている髪は、バート商会に戻ったら整えてもらうつもりでいるのだけど、そうしてからまた、本日一日をサヤと共に過ごす。秋以来の逢瀬だ。この時間をどれほど待ったことか!
 だけど……彼女のこの、落ち込みよう……。

「そんなに気に入っていたなら、また伸ばすよ?
 ここで切るのは決まりだったから仕方がないけど、ここから先は、髪をとやかく言われることはないんだから」

 そう言い、サヤの頭を撫でた。
 ずっと鬱陶しいと思ってた髪だったけど、サヤが結ってくれるようになってからは、さほど苦痛でもなかった。
 サヤが髪を触ってくれることが、とても心地良くて……俺にとっても至福の時間となっていたから。

「まぁ、数年掛かると思うけど……待っててくれるなら」
「……伸ばしたら、また成人前だと侮られませんか?」

 サヤのその思いもよらない指摘に、俺は一瞬言葉が詰まり……盛大に吹き出す羽目に。
 いや、流石にないよそれは!

「見た目だって老けていくんだから!
 その頃にはもう成人前には見えなくなってるんじゃない?」

 確かに、貴族で成人後に髪を伸ばしている男性はあまり見かけない。
 女性は大抵髪を伸ばしていくけども。

「大丈夫だよ。そんな心配しなくても」

 それでようやっと、サヤは顔を上げてくれた。

 現在はこの儀式に立ち会うため、婚約者として着飾っている。横髪を右側だけひと房垂らし、残りを後頭部で結い上げた、大人っぽい髪型。
 薄紅色をした春の花の髪飾と、散りばめた花弁の添飾が可憐だ。
 この花、サヤの世界にしか咲いていない花で、オトメツバキという名であるそう。サヤの図をもとに、ロビンが作ってくれた、彼曰く、今までの生涯での最高傑作。
 ただ彼は、この花を春の花である、玉芙蓉だと思っていたけれど……。

 冬の社交界にもこれで参加したので、見るのは二度目なのだけど、やっぱりサヤは美しい……。
 念のためにと荷物に入れてくれていた女中頭に感謝だ。

 紺の羽織に深緑の袴、白い短衣。茶褐色の帯という、どこにでもありそうな地味な色合わせだったけれど、それゆえに、一層サヤの艶やかさが際立つ。
 その深い色に添えられた、薄紅色の大輪の花が、神秘的で妖艶で……まるで幻惑されているみたい思える、どこか現実味のない美しさ。
 確かにサヤは、大人びた深い色がよく似合った。淡い桃色も。

「申し訳ありません。日々の日課がもう無いのだと思うと……どうしても寂しくて……。
 じゃぁ、また……三つ編みできるようになる日を、楽しみに待っていることにします」

 気持ちを切り替えますと言ったサヤ。
 そうして、なんとかにこりと笑った。
 と、視線が俺を離れて後方に。こちらにやって来るアレクセイ殿を見つけたよう。

「何かお呼びみたいなので、ちょっと行ってきますね」

 そう言い、身を翻してタッと駆け出し、サヤの動きで右耳の飾りの蝶が、大きく揺れる。
 髪の花に合わせて、右耳の耳飾も魚ではなく、小さな蝶の連なりのものを新たに作らせた。振り回されて慌てて飛び立ったみたいで、微笑ましくてつい笑ってしまった。

 今日は婚約者として出向いているというの、忘れている動きだな、あれは。
 礼装のご婦人は走ったりしないものなのだが、まぁそこまで目くじら立てることもないか。

 ……彼女がこの世界にやって来て、早二年半か……。彼女の髪も、随分と伸びた。

 サヤの艶々の黒髪も、もう馬の尻尾のように纏められてはいない。
 解いていれば、腰に届く長さとなり、馬の尻尾の括り方では、重さで落ちてきてしまうからと、三つ編みにされることが多くなった。

 再び触れ合えるようになってから、夜の語らいの時間を復活させ、二人で色々話すようにもなったのだが、最近はもっぱらサヤの部屋に俺が出向く。
 そうすると、サヤの髪の手入れを目にすることができた。
 祖母に贈られた櫛で、丹念に髪をくしけずるのだが、近頃は俺にやらせてくれるようになりつつある。
 まぁ、俺が執拗にやりたがるからなんだけども……。

 おろされた、艶やかな絹糸のように美しい髪。それに丁寧に櫛を通すと、一層の光沢が出る。
 そして滑らかになったその髪を、最後に俺の指で梳く。それが、なんとも心地良い。
 サヤに触れられるという幸福と、サヤの大切なものを任されているという幸福。独占欲が刺激されて、とてつもなく満たされた気持ちになれるのだ。

 ああそうだ。
 俺は髪を失ってしまったから、当面三つ編みにはできない。
 二人で揃って三つ編みにしていると、まるでお揃いだと囃し立てられることもあったのだけど……それも今日でお終いか。

 そこまで考えた時、あることに気付き、俺の足は止まってしまった。
 サヤを俺の妻として貴族に迎えた場合、サヤの髪も切らなければならないのだということに、今更……思い至ったのだ。

「…………レイシール様?」

 急に固まった俺を、戻ってきたサヤが訝しそうに覗き込む。

 …………サヤが髪を殊の外大切にしていることは知ってる……。
 彼女がこの世界に持ち込めたもの。その中に当然、サヤの髪も含まれていた。
 毎日丁寧に手入れして、こうして艶を保つ、この世界で唯一無二の、この黒髪を…………切る⁉︎

「アレクセイ様が、髪飾をお返しくださいました。
 髪は渡せないけれど、こちらはお返しできますからって。
 ……レイシール様、大丈夫ですか?」
「如何されましたか?」
「さぁ……レイシール様!」

 何度も呼ばれ、手を引っ張られてやっと、思考を切り替えることに成功した。
 サヤとアレクセイ殿が、不思議そうに俺の顔を覗き込んでいる。

「あっ、申し訳ありません……」
「いえ、私は良いのですが……ご気分が優れないのでしたら、少し休まれますか?」
「あっいや、そこまでではないです! ちょっとその……閃いてしまったことに夢中になっていただけなので」

 そう言って誤魔化すと、アレクセイ殿はにこりと笑った。相変わらずの、完璧な作り笑顔。

「また、素晴らしきことを思い付かれたのですか? 流石、発明男爵様ですね」

 この人の口からとんでもない言葉が!

「そっ、それやめて下さいっ。俺が発明してるんじゃないですから!」

 なんか最近、それをよく耳にするんだよな……。
 去年の秋頃からか……拠点村に貴族や、その使用人の来訪がちょくちょく増えてきて、そう囁かれるのを耳にするようになった。
 だけど、俺はなにも発明していないので居心地悪いったらないのだ。本当にやめてほしい。

「でも、ブンカケンを通し、今までにない形の、あらゆる新事業を手掛けていらっしゃるではございませんか。あれを発明と言わずしてなんと言えば良いのです?」
「え、そっち?」

 てっきり秘匿権を乱立させるという意味で言われているのだと思っていた。

「こちらの国では、実業家とか、企業家なんて表現はあまりしませんもんね。商人で一括りにされてしまうというか」

 そう言ったサヤに、サヤさんの国ではそう言うのですか? と、アレクセイ殿。

「では、企業家男爵様ですね」

 そう言ってにっこり笑う。

商人あきんど男爵……などと言っては、不敬を咎められるかもしれない……なんて考えた結果でしょうねぇ」
「まぁ、発案してるだけで実際の商売は丸投げしてますしね……」

 そう言うマルとハイン。
 丸投げと言われるのは些か釈然としないが……ブンカケンの店主はウーヴェだし、衣料系はバート商会が、宝飾系はクライヴ宝飾店が実績を伸ばしてきている。
 そしてまだ立ち上げて間もない馬事師の新事業も、店主は俺ではない。

「ブンカケンに関わると、事業が飛躍的に伸びると、その界隈では囁かれ始めているそうですよ」

 どの界隈だよ……。
 ちょっとそう思ってしまった。

「ところでキギョウカとはどういう意味なんです? ジツギョウカとはどう違うのですか?」
「え、えっと……私も厳密な違いは分からないというか……」
「ええっ、そんな、殺生ですよぅ、ざっくりで良いので教えて下さい!」
「マル……今ここでそれをしない」

 神殿関係者の方々の視線が無茶苦茶刺さってるから。

「騒がしくすると迷惑だろうから、そろそろお暇しよう」

 そう言い促した俺を、あ、最後にもうひとつだけ。と、呼び止めるアレクセイ殿。
 振り返った俺に対し、袖の中に両手をしまう、独特の、祈りの姿勢。

「成人、おめでとうございます。今後のセイバーンを担うレイシール様に、アミの祝福があらんことを」
「ありがとうございます」

 その祝福に感謝を述べて、サヤに行こうかと声を掛けた。
しおりを挟む
感想 192

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

おばさんは、ひっそり暮らしたい

蝋梅
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

幼馴染の許嫁

山見月あいまゆ
恋愛
私にとって世界一かっこいい男の子は、同い年で幼馴染の高校1年、朝霧 連(あさぎり れん)だ。 彼は、私の許嫁だ。 ___あの日までは その日、私は連に私の手作りのお弁当を届けに行く時だった 連を見つけたとき、連は私が知らない女の子と一緒だった 連はモテるからいつも、周りに女の子がいるのは慣れいてたがもやもやした気持ちになった 女の子は、薄い緑色の髪、ピンク色の瞳、ピンクのフリルのついたワンピース 誰が見ても、愛らしいと思う子だった。 それに比べて、自分は濃い藍色の髪に、水色の瞳、目には大きな黒色の眼鏡 どうみても、女の子よりも女子力が低そうな黄土色の入ったお洋服 どちらが可愛いかなんて100人中100人が女の子のほうが、かわいいというだろう 「こっちを見ている人がいるよ、知り合い?」 可愛い声で連に私のことを聞いているのが聞こえる 「ああ、あれが例の許嫁、氷瀬 美鈴(こおりせ みすず)だ。」 例のってことは、前から私のことを話していたのか。 それだけでも、ショックだった。 その時、連はよしっと覚悟を決めた顔をした 「美鈴、許嫁をやめてくれないか。」 頭を殴られた感覚だった。 いや、それ以上だったかもしれない。 「結婚や恋愛は、好きな子としたいんだ。」 受け入れたくない。 けど、これが連の本心なんだ。 受け入れるしかない 一つだけ、わかったことがある 私は、連に 「許嫁、やめますっ」 選ばれなかったんだ… 八つ当たりの感覚で連に向かって、そして女の子に向かって言った。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...