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終幕の足音 8

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 この遺伝というものには、神しか理解が及ばない、何がしかの法則性があるらしい。
 サヤの世界では、そのほんの、爪の先程の知識が、明らかになっている。そのうちのひとつが、遺伝には優劣がある。という事実。
 正確には優劣……と表現するのも違うのだという。表に出やすい特性、裏に潜みやすい特性……と表現すれば伝わるだろうか……。

 親から生を賜った時、子は親を形作る設計図二万五千枚、これと同じものの写しを、両親から与えられる。
 その五万枚の中から、自分を形作るためのものを半分だけ選び、自分の形を作り上げる。
 自分の枠もやはり二万五千枚だ。収められるのは半分だけ。同じ内容のものを二枚は選べないと決まっている。
 選び取るその半分も、神の采配に委ねられている。自らが選ぶことはできないのだ。
 そしてその神の采配も無秩序ではなく、神の法則の元にある。

 例えばギルの家系は金髪碧眼が強い。これはギルの家系のこの色が、顕現しやすい、優勢遺伝子であるということだ。
 俺の母は灰髪藍眼、父上は薄金髪桃眼、異母様は赤髪緑眼、兄上は薄金髪緑眼。
 兄上の場合、髪色は父上の設計図、瞳色は異母様の設計図が選ばれた。
 俺はどちらも母からだった。
 つまり、父上の薄金髪は、灰髪より弱く、赤髪よりは強かったとなるわけだが、これも時と場合によって何かに左右されるようだ。もし異母様が他の兄弟をご出産されていたとしても、兄上と同じ色が選ばれたとは限らないということ。
 かくも遺伝は複雑怪奇。人の理解が及ぶものではない……俺はそう思っている。

 そしてこの遺伝というものには、例外も、不測の事態も発生する。
 例えば王家の白。これは色の遺伝ではないのだという。色を作り出せなくなる、何らかの不具合なのだそう。
 色を司る設計図に何がしかの写し損じや欠損があり、うまく伝わらなかったのではという話で、それがたまたま、設計図の中に定着してしまった。
 つまり陛下は、白い色を遺伝で受け継いでいるのではなく、色を作れないという特性を、遺伝で受け継いでいるのだ。

 その色を作れないという特徴が、裏に潜みやすいもの……劣勢遺伝子であったため、他の設計図と並んだ場合、必ずそのもう一方が選ばれる。
 そのため、同じものが二枚揃った時にしか、この特性は出てこない。

 ……簡単に説明するため簡潔に纏めているが、本当は親どころか、先祖から脈々と継がれてきた歴史も影響を及ぼすらしいので、正直何がどうしてそうなるかの部分は、ほんと奇跡としか表現しようがない……。

「まだ掛かりそう?」

 少し思案に入ったところで、サヤの声。
 顔を上げると、寝室の入り口からこちらを覗くサヤがいた。
 寝室に引っ込んだし、眠っているものと思っていたのに、起きていたらしい。

「サヤ、俺を待たなくって良いのに……先に寝てて。疲れてるだろう?」
「私よりレイの方が先に寝るべきや思う……」

 むぅ……と、不機嫌そうな表情でサヤは言う。
 表情は不機嫌そうだが、これは俺の身体を心配して、怖い顔をしているのだと分かっていた。
 怒らなければ、まだずっと起きておくつもりでいるとバレているのだ。

「レイが寝ぇへんなら私も寝ぇへん」
「……もうちょっとだから…………」
「寝ぇへん」
「…………」
「寝ぇへん」

 言い出したらがんとして譲らないのがサヤさんです……。
 それは今日までの日々で身に染みてるので、分かったと息を吐く。

「手伝う」

 片付けを始めたら、そのままこちらにやって来たサヤが、俺の筆を奪って洗ってしまった。
 書類を纏めて鍵付きの引き出しにしまう間に、そちらは全て済ませてくれ、余分な行灯もさっさと吹き消す。

 サヤの持つ燭台だけが最後の灯りとなり、二人で寝室へ。
 羽織を脱ぎ、帷で仕切られた寝台にお互い潜り込む。
 サヤ側の小机に置かれた燭台が最後に吹き消され、室内は闇に包まれた。

 ……直前まで頭を使っていたからか、眠気はまだ無かった。
 だから、なんとなくぼんやり、暗い寝台の天井を眺めていたのだけど……。

「レイ」
「ん?」

 帷越しの声に応えると「手、繋いで良い?」と、珍しい要求。
 良いよと答えたら、帷の下から、闇の中でもうっすらと見える白い手が出てきた。
 その手に触れると、優しい温もりが伝わってくる……。
 上掛けを引っ張って、手を覆い隠した。もう夜の空気は冷たい……。出したままでは、腕が寒いだろうから。

「どうした?」

 そう聞いたのは、サヤから俺に触れたいと言う時は、何か不安を感じている時だと、知っているから。

「…………レイは、ウォルテールさんの言うたこと……どう思うてるん?」

 …………聞こえちゃってたのね……。
 何も言ってこないから聞こえてないだろうと思ってたのに……。

「どう……っていうのは、やめようって言ってたこと?」
「ん……。獣人さんらからしたらな、引っ搔き回さんといてって、思うてるんやろかって……。
 みんな協力してくれるし、喜んでくれたり、感謝してくれたりしてるけど……本当のところは、どうなんかな……」

 か細い声……。
 夜の闇が余計に、サヤの気持ちを心細くさせているのかもしれない。
 握ったサヤの右手の甲を指で撫でると、少しサヤの手に力が篭った。
 優しい彼女は、彼らがどんな形であれ悲しむのが、嫌なのだ。傷つけたくないと、そう思ってくれている……。
 表情を見なくても分かる、そんな彼女の心が愛おしい。

「俺も……同じことをマルに言ったよな。
 今の形で均衡を保っているのに、手を出さないでくれって……。
 その時……ハインは俺の痛みを、代わりに引き受けようとしてくれたし、サヤも、俺を支えてくれるって言ったんだ……。
 怖かったよ……本当に、心臓が潰れそうなくらい、怖かったけど…………今俺は、本当に幸せだ」

 皆が与えてくれた幸せが、こうして手の中にある……。
 少し手を引き上げて、甲にチュッと口づけをしたら、途端にサヤの手が引っ込んだ。

「レイっ!」
「えぇ……これくらいは許して欲しいんだけど……」
「急にはあかんって言うてる!」
「分かりました……じゃあ、言うから……もう一回手、ちょうだい」

 そう言うと、バリバリに警戒してます! といった様子で慎重に手がまた、帷の下から差し込まれた……。
 何かあったら即逃げるぞといった雰囲気が凄い伝わる……。
 その様子が本当に可愛くて笑ってしまったのだけど、また引っ込もうとするから慌てて謝った。

「あの時俺はね、皆を巻き込みたくない。傷付けたくないって思ってたんだ。
 俺一人で済んでる今の形で良いじゃないかって。痛いのは俺だけなんだから、そっとしておいてくれって……。
 でもハインは、それを苦しいって言ってくれた……。俺のしたいようにしたら良いって、他の二人が何を言おうが、自分が止めてやるって言った。だけど私は、苦しいままです……って」

 いま多分、俺はあの時のハインと、同じ気持ちだ……。

「ウォルテールの不安は分かるよ……たった村ひとつ。それで充分だって言う。それを失うかもしれないなら、このままで良いって……。
 分かるけどさ……俺が領主でいられるのなんて、長くてもたかだか数十年だよ。じゃあその先は?
 ウォルテールより俺の方が年上だから、順当にいけば俺が先に死ぬ。そうした後、彼らはまた、流浪の身に戻るの……?
 下手をしたら、あの村だって失くなってしまうかもしれない。そうなったら、俺たちのしたことって?
 こんな頼りないものを、たったこれだけで充分だなんて……俺は思わない」

 あの時逃げていたら、俺は今を得られなかった……。

「一人では抗えなかったよ……。だけどあの時、サヤや皆が俺の手を引いてくれた。
 だから今度は俺が……彼らの手を引きたいんだ。
 彼らにも幸せになってほしい」

 それが俺を支えてくれた人たちへ報いることだと思うし、これから先のこの世界に、必要なことだと思うのだ。
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