異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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少し前の話 4

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 ただぼーっと、座って過ごした。
 頭を整理したいと言っておきながら、思考が思うように働かない。
 考えようとするのだけど、気付けば無心。ただ手元を見つめているだけで……何もしていない自分がいる。
 普段ならば、勝手に後ろ向き思考が止まらなくなり、一人で更に落ち込んでいくのだけど……それすらできないのは、これ以上落としようもないくらい、絶望的な現実があるからだろうか。

 …………違うな。

 考えなければならなかったのは、得たいものがあったから。
 それを得るために足掻く方法が、考えることだったからだ。
 ハインが獣人だったから、続けていた。得るために考えていた。なのにその肝心のハインがいないんじゃぁ、な……。

 今までだって失ってきた。奪われてきたけれど、今回のことは…………。
 堪えた……。思考を放棄したくなるほどに。
 配下も、地位も、居場所も、友も、役割も……おおよそ思いつくもの全てを失った。
 だけどまぁ……それらは殆どがここ三年ほどで得たもので、一応、失う覚悟はしていたのだ。
 こんな形でとは想定してなかったけれど、獣人との関係を公にした時は、こうなるだろうことも、考えていた……。
 だけど…………。

 ハインを失うことは、想定していなかった……。
 そうだ俺は、ハインを失って、考える理由が思い浮かばなくなってしまったのか…………。

 失ってしまった……。俺の失敗の帳尻合わせに、ハインの命が消費されてしまった。
 一度は捨てようとした。だけどそれを彼は命懸けで拒んだ。
 死のうとされたこともある。
 でも彼が獣人であるかどうかは俺にとって、どうでも良いことで……。
 死を選ぶ理由になんて、到底ならないことで…………。

 だから死なせないために、ずっと共にいることを選んだ。ずっとこれからも、共にいるのだと思っていたのだ。
 サヤと結婚しようが、子を授かるまいが、地位を失おうが、セイバーンを去ることになろうが、獣人が獣のままだろうが……何があろうがハインは居るのだと思っていた。居ないことは想定していなかった。いつだって居て、小言を言って、怒って、意に沿わぬことを勝手にされて、だけどそれが結局俺のためで…………。

「ハインは、いつも勝手だ……」

 俺を主としておきながら、勝手をする……。俺の意に沿わないことをする……。
 だけど結局それは、俺のため…………。

「だからって、こんなことは許してないだろうが……」

 命じたはずだ。俺から離れることは許さない。勝手に死ぬことは許さないと。
 どうせお前の畏まりましたは口先だけだと、分かっていたけれど……。
 それでもお前は認めたじゃないか。俺の命に従うと、言ったくせに……。

 でも分かっていた……。
 お前には、俺の命令が絶対じゃない。

 獣人の性質を知ってから、お前の本当の主は俺じゃないって……うすうす分かっていた……。

 ウォルテールのことで、確信を持ったんだろう。
 自分がウォルテールと同じ場所にいた、首輪のついた獣だと神殿側に知られれば、同じように利用されるかもしれない。
 その柵がまだ、切れていないから……そうなる前に、危険を取り去ろうと考えたのか?
 追手を足止めすることを、死ぬ理由としては上等だと、俺の役に立てると考えたのか?

「お前はほんと、自分を信用していないよな……」

 十年以上を共にいた。その主との時間より余程長く、一緒に過ごしたというのに、お前はそんなものに屈するつもりだったのか?

「そうなったとしても、絶対取り戻すのに」

 命くらい、賭ける。
 失うことに比べれば、そんなことくらい……なんでもなかった。何度だってそうした。
 俺を主だとその口で言うのなら、それくらい俺のこと、信じてくれても良かったろ……っ。

「それとも………………俺がそれほど、信用無かったのか?」

 俺は、本当に駄目な主だから。
 夢ばかり見て、甘くて、呆れるほどに馬鹿な主だ。

「…………レイ」

 天幕の外から声がした。
 慌てて目元を拭って、涙を誤魔化して顔を上げると、天幕の外に人の気配がひとつ。
 誰かなんて、疑問を挟む余地もない…………。

「あんな……伝えとかなあかん思うことが、あって……」
「……良いよ。入って」

 そう言うと、サヤはそっと天幕のとばりを避けて、中に身を滑り込ませてきた。
 外は随分と寒いのだろう……毛皮の外套を纏っていた。
 北の地で、しかも越冬中だものな。この天幕の中が暖かく保たれているのは、皆が俺のために色々を工面してくれているからだろう。

 ……よくよく考えたら俺……もう皆に傅かれるような立場でもなくなってるんだよな…………。

 セイバーンを追われた俺は、もう領主でも貴族でもない……。
 だから、こんな風にしてもらうことがそもそも、おかしいのだよな。皆に甘えてしまっている……。
 そう考えているうちにサヤは、天幕の中に入り、毛皮の外套を脱いで入口の杭に引っ掛けた。
 そうして、首に巻いていた毛皮の首巻きや、耳まですっぽりと隠されていた、毛皮の帽子や手袋も取り去る。すると見えた、サヤの首筋。

 ここふた月程のうちに……また痩せてしまった気がする。
 俺も人のことは言えないのだけど、逃亡生活の後、環境が激変し、更に俺の看病やらだ。幸せにするって約束したのに、苦労ばかりさせているものな……。

「ごめんな……」

 そう呟くと、サヤは振り返って……そのままぼろぼろと涙を溢しながら、俺に走り寄ってきた。

「うぉ⁉︎」

 ドン! と、体当たりする勢いで抱きつかれ、寝床に倒れ込む。
 毛皮を何重にも重ねた寝床は痛みも無く、優しく俺とサヤを受け止めてくれたけれど、サヤの腕は苦しいほどに俺を締め付け……。

「謝るんはっ、私っ!」

 胸の上で叫ぶように、彼女は言った。

「私がちゃんと伝えとったら……レイ、こんな怪我……右手……こんな風になんて……っ!」
「さ、サヤ……?」
「ウォルテールさんに、侍祭さんが獣化するよう命じてたん、聞こえてた!
 せやけどそれを、私……レイに伝えへんかった……言伝ることかてできたのに、言わへんかったから……ごめんなさい、ごめんなさい!」

 ……意識が戻ってから今日まで、サヤが俺に寄り付かなかった理由はこれか……。

 今回のことの責任が、自分にあるように感じていたんだろう……。
 だけどサヤのせいだなんて風には、思わない。
 サヤが自分の都合でそうしたんじゃないって、分かってるから。

「……気にしなくて良い。俺やウォルテールのために、言わないで……自分でなんとかしようって考えたんだろ?」

 サヤはそんな娘だもの。

「俺もサヤを妨害したしね。行かせたくなかったんだ、ごめん……。
 サヤを誘き寄せるための罠だと思ったし……ウォルテールが傷付けられるところだって、見せたくなかった……」

 ……きっとサヤも同じように考えたのだろう。
 彼女は優しいから……侍祭殿の命令を、ただ言葉のままには、受け取れなかったのだろうとも思う。
 気のせいではないか……聞き間違いじゃないか……そんな風に考えたのだろう。だから俺に言えなかった。確認しなければと思った。
 全く知らない相手だったらきっと、そんな風には考えなかった……。

 見知っていたから……戸惑ったんだ。
 言葉を交わした。婚姻の儀にだって来て、話した。触れ合った相手だった……。

 成る程。
 俺たちのことを、よく知っている。
 どんな性格で、どんな風に考え、どんな風に行動するか……知っていた。分かっていたから前もって、侍祭殿を俺たちに会わせた。接する時間を作ったんだな……。

 やっぱり……貴方なのか…………。

 アレクセイ。
 全部貴方が仕組んだのか。
 考えたくない。
 だけど、俺やサヤの気質まで知っている相手自体が、然程多くはない。
 それだけ俺たちの近くに居て、その上で俺に心の内を読ませなかったのは、唯一人……。

 …………やっぱりこれは、俺が招いたことだ。

 アレクを疑わなかった俺が招いた。
 あの瞳を知っていて、疑うことをしなかった。
 マルは警告してくれていた。だのに俺は……。

「…………サヤは何も悪くない。
 俺が甘かったんだ。ちゃんと彼を、見ていなかった……」

 見たいようにしか、見ていなかった。
 自分の目を過信していた。だからこれは全部、俺が招いたことなんだよ。

 現実を見なければならない……。
 見たくないものから目を背けていた結果が、これだけ多くの犠牲を招いた。

 俺がこんなことになった以上、ギルだって無事かどうか分からない……。
 知らぬ存ぜぬで通せと伝言は残したけれど、それが通用するかどうか……。
 ギルだけじゃない。バート商会も、学舎での縁を繋げてくれていた者たちも……。
 取引していた領地……ありとあらゆるところに影響が出るだろう。
 今回のことは、陛下の権威にも影を落とすに違いない。
 フェルドナレンはきっと、混乱する。
 フェルドナレンだけじゃない。人と獣人も、大災厄の再来と言われるほどに、争うことになる…………。

 これを全部、俺が招いたんだ…………。
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