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開戦 2
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俺の言葉に悲鳴が上がった。
「そんな⁉︎」「この時期にここを捨てるなんて、死ねって言ってるも同然だろ!」「国は何をしていたんだ!」「救助を要請しなければ……」と、騒めく場に。
「援軍を求める余裕は無い。近日中に、部隊はここへ到達する」
と、俺が告げると、今度は水を打ったように静まった。
マルが「放っておけば三日後には到着しそうな位置ですね」と言えば、一同が揃って息を呑む。
「まさかこんな田舎が標的なんて……そんなはずない、なぁ、そうだろ……」
近くにいた男性が、そう言って視線を彷徨わせ、へらりと笑った……。
この状況を受け入れることを拒否したのだ。
だがそうしたところで現実は変わらない。逃げようとした男にマルは、それを叩きつける。
「この立地だからこそ、狙われたのです。
ここは国の目が届きにくいうえ、寝起きできる家屋もあり、住人は身を守る術も持たないような平民ばかり。
本来なら百人程度の部隊で充分落とせるのでしょうが、そこに千。
レイ様は、死か、里の放棄が目的とおっしゃいましたが、ほぼ確実に、進軍の情報が漏れないよう、ここの者を皆殺しにするための人数でしょう」
キッパリ言い切ったマルに、現実逃避もさせてもらえなかった皆が、顔色を失う。
「しかし、今の段階ならば逃げることも可能である……と、いうことです。
あちらの進軍は確認しましたが、こちらが察知したことはまだあちらに知られていませんから、確かに逃げること自体は可能です。
まぁ、先程どなたかがおっしゃった通り、この時期に村を捨てるということは、ほぼ死と変わりませんが」
雪の中を近くの村や街まで歩いて逃げるのだ。必ず途中で力尽きる者は出るだろうし、その逃げ込んだ村が安全であるはずもない……。ここを占拠されれば、確実に次の村、次の街が狙われるだろうから。
「あと、逃げたことは当然知られますので、追われるでしょう。
極力情報の漏洩は潰しに来るでしょうからね。あちらにも鼻のきく、獣人が多くいることですし」
獣人という言葉に、住人らの視線がまた、集まった狩猟民らに向かった。
敵を見る視線……。それが遠慮もなしに注がれて、獣人らの視線がほんの少し、揺れる……。
やはり町人たちは、俺たちを受け入れない。
分かっていた。だけど俺たちがここに来たのは、こんな連中を守るためだ。
守るのか……これを?
こんな視線を注がれてるってのに、何でこいつらを……。
そんな獣人らの苦悩は見えていた。
だけど、だからこそお前たちを、ここに連れて来たんだ。
「狼も、獣の特徴を持つ者らも確認された。
つまり、当初の推測通り、スヴェトラン側から山脈を越え攻めてくるのは、スヴェトランと、神殿の造った獣人の混合部隊だ」
そう言った俺の言葉で、ザワリとまた、町人らに動揺が走った。神殿? と、疑問を呟く者。スヴェトランに何故獣人が加担するんだ? と、悲鳴をあげる者……。
獣人が攻めてくると言われ、皆が想像しているのはひとつきりだろう。
だから俺は敢えて、その言葉を先んじて口にすることを選ぶ。
「故郷を守る時が来た!」と、叫び、更に言葉を続けた。
思い出せ。ここが、お前たちの何であったか。
「大災厄を招いてはならない! この戦いは、ただの侵略にあらず。人と獣人が争い喰らい合う時代を招こうとする、侵略者の陰謀である!
それを阻むためにお前たちはここに来た。己の故郷を守りに来た。今まで立ち入らなかったこの地に舞い戻った!
この風景を、目に焼き付けよ。お前たちの生まれた地で、お前たちが守るべき地だ。お前たちが抜かれれば、ここが焼かれ、血に染まる。
それを阻止するために命を惜しむな! お前たちの肉をもって防ぎ、血を捧げて守れ。捨てられた地だが、産んでくれた地だ。ここへお前たちの生まれた意味を、悪魔に屈しぬ心を、存在価値を示せ!」
声を張り上げた俺に、高揚した表情で、槍を掴んだ拳を振り上げて、おう! と、応えたのはグラニット。
吠狼の皆が、我が主の命に従う! と、声を揃えて張り上げた。
それに動揺したように、町人らがざわめく。
言葉は耳に入っているけれど、意味は理解できていないといった焦りを見せる。
「守れ、故郷を‼︎」
口元を両手で覆い、涙を流すご婦人がいた。表情に後悔を滲ませ、獣人らを見つめる男性が。疑い混乱した表情で周りを見渡す者が。ねぇ、お耳があるよと、指差しはしゃぐ幼子の声が。
故郷で素顔を晒せと言ったのは……人側を揺さぶるためだけではなかった……。
獣人らにも、生まれた地を、同じ血の通う血族を見せるために、この形を選んだ。
本来ならば、死しても戻れなかったはずの場所だ。そこに少なからず残っているだろう、思慕や、憧憬の気持ちを煽るためにそうした。
自分が人から生まれたのだということを、自覚させるために。
ここを守れば、少なくとも自分に流れている血と同じ血が、これからも続くのだと見せるために。
そうして、それを守るために、命を捨てる覚悟をさせるためにだ。
今世しかないお前たち。捨てられたのに……その血を求める気持ちをまた利用され、命を失うかもしれない戦いへと身を投じさせる。
そんな道しか示してやれず申し訳ない……。だからせめて、俺も同じ戦場に立つ。
「この戦いを勝利すれば、お前たちにも……来世を用意する。お前たちも等しく人だと証明する。
獣人とはなんたるかを、必ず私が世に示す。だから命を賭けて戦え! 己が悪魔の使徒などではないと示すんだ‼︎」
毛皮の外套をバサリと払い、隠していた右手を空に突き上げると、瞬間的に雲の隙間から覗いていた陽が刃に反射して閃いた。
それに対し帰ったのは、闘志の満ちた咆哮と、狼の遠吠えだった。
◆
配置を伝えるマルを取り囲む長ら。その指示を待つ間に獣となれる者らに集まるよう声を掛けた。
「騎手は組でこちらに来い! お前たちには別任務がある」
乗り手のいない狼も当然多くいるが、彼らは一旦除外。必要なのは、騎狼に慣れた者らだ。
集まったのは十二組。その中にはイェーナの姿もあった。
それを見て一瞬心が揺らいだけれど……必要なことだと、自分を戒める。
ここの皆が、同じだ。彼女が特別ではない。近しかったことを特別にして良いはずがなく、それが許される状況でもない。
死の可能性が最も高い任務に就ける者ら……。けれど、死ぬことにも意味がある。
「五名ずつ、二部隊組んでもらう。長を任された経験のある者は?」
俺の言葉に、チラリと視線を巡らせお互いを推し量り、そのうちの二人が胸に手を当てた。
一人は熟練と思しき四十路の男だったが、もう一人は……若い女性。
「俺よりも経験数はこいつが上です」
男の方がそう言う。俺が彼女を侮ると考えたのだろう。
「そうか。ならば、この二部隊の長が貴女、副長が貴方とする。それぞれ五組で一部隊率い、私にも二組ついてもらおう。人選は長の二人が話し合って決めてくれ。
任せたいのは……今回の作戦の肝だ」
だから、その進言をそのまま受け入れた。実際、騎狼技術には相棒との相性がある。
この女性は、早くからその相性の良い相手に恵まれ、経験を重ねてきたのだろう。
雪の上に線を引き、ざっくりとした図を指して説明するのを、一同は黙って聞いたが……次第に長となった二人の表情が険しくなっていった……。
「以上だ。質問はあるか?」
「……主、それは、貴方も共に来るということか」
「そうだな」
「承諾しかねる。貴方は片手だ。その上騎狼経験が無い」
そう言った女性騎手に頷く男性騎手。
「だがこの作戦で肝心なのは私の存在だ」
その言葉にグッと、奥歯を噛む。
「騎狼できないとは言ってられないんだよ。橇では取り回しがきかないしな。
馬はいないし、いてもやはり、片手では無理だ。その点、お前たちは自ら思考し状況も見れるし、言葉を理解して指示を聞いてくれるから、なんとかなると思ってる」
そう言うと、違う、それ以前の問題だと言われた。
「分かってるよ……騎狼の難しさは、充分にね。
だから、下半身を胴に縛るなりなんなりして固定してもら……」
「我が主。お納めしたきものがございます」
そこで後方から声が掛かった。
振り返ると、鍛冶場で話があると言ってきた職人たちだ。
「例の報告か?」
「はい」
「少し待ってくれ。この話を終えてからにしよう」
「いえ……旦那にお聞きしましたところ、我々も作戦の肝だと申されましたもので」
そう言われ、再度振り返った。
「貴方様が片手を失われたと聞いた時に……皆で話し合ったのです。
この北の地で身体の欠損を抱えるのは、明日の死と同義……。ですからこれを。
どうかお役に立てていただければ……」
そう言って差し出されたのは、知るものとは似て非なる、革製品。
「そんな⁉︎」「この時期にここを捨てるなんて、死ねって言ってるも同然だろ!」「国は何をしていたんだ!」「救助を要請しなければ……」と、騒めく場に。
「援軍を求める余裕は無い。近日中に、部隊はここへ到達する」
と、俺が告げると、今度は水を打ったように静まった。
マルが「放っておけば三日後には到着しそうな位置ですね」と言えば、一同が揃って息を呑む。
「まさかこんな田舎が標的なんて……そんなはずない、なぁ、そうだろ……」
近くにいた男性が、そう言って視線を彷徨わせ、へらりと笑った……。
この状況を受け入れることを拒否したのだ。
だがそうしたところで現実は変わらない。逃げようとした男にマルは、それを叩きつける。
「この立地だからこそ、狙われたのです。
ここは国の目が届きにくいうえ、寝起きできる家屋もあり、住人は身を守る術も持たないような平民ばかり。
本来なら百人程度の部隊で充分落とせるのでしょうが、そこに千。
レイ様は、死か、里の放棄が目的とおっしゃいましたが、ほぼ確実に、進軍の情報が漏れないよう、ここの者を皆殺しにするための人数でしょう」
キッパリ言い切ったマルに、現実逃避もさせてもらえなかった皆が、顔色を失う。
「しかし、今の段階ならば逃げることも可能である……と、いうことです。
あちらの進軍は確認しましたが、こちらが察知したことはまだあちらに知られていませんから、確かに逃げること自体は可能です。
まぁ、先程どなたかがおっしゃった通り、この時期に村を捨てるということは、ほぼ死と変わりませんが」
雪の中を近くの村や街まで歩いて逃げるのだ。必ず途中で力尽きる者は出るだろうし、その逃げ込んだ村が安全であるはずもない……。ここを占拠されれば、確実に次の村、次の街が狙われるだろうから。
「あと、逃げたことは当然知られますので、追われるでしょう。
極力情報の漏洩は潰しに来るでしょうからね。あちらにも鼻のきく、獣人が多くいることですし」
獣人という言葉に、住人らの視線がまた、集まった狩猟民らに向かった。
敵を見る視線……。それが遠慮もなしに注がれて、獣人らの視線がほんの少し、揺れる……。
やはり町人たちは、俺たちを受け入れない。
分かっていた。だけど俺たちがここに来たのは、こんな連中を守るためだ。
守るのか……これを?
こんな視線を注がれてるってのに、何でこいつらを……。
そんな獣人らの苦悩は見えていた。
だけど、だからこそお前たちを、ここに連れて来たんだ。
「狼も、獣の特徴を持つ者らも確認された。
つまり、当初の推測通り、スヴェトラン側から山脈を越え攻めてくるのは、スヴェトランと、神殿の造った獣人の混合部隊だ」
そう言った俺の言葉で、ザワリとまた、町人らに動揺が走った。神殿? と、疑問を呟く者。スヴェトランに何故獣人が加担するんだ? と、悲鳴をあげる者……。
獣人が攻めてくると言われ、皆が想像しているのはひとつきりだろう。
だから俺は敢えて、その言葉を先んじて口にすることを選ぶ。
「故郷を守る時が来た!」と、叫び、更に言葉を続けた。
思い出せ。ここが、お前たちの何であったか。
「大災厄を招いてはならない! この戦いは、ただの侵略にあらず。人と獣人が争い喰らい合う時代を招こうとする、侵略者の陰謀である!
それを阻むためにお前たちはここに来た。己の故郷を守りに来た。今まで立ち入らなかったこの地に舞い戻った!
この風景を、目に焼き付けよ。お前たちの生まれた地で、お前たちが守るべき地だ。お前たちが抜かれれば、ここが焼かれ、血に染まる。
それを阻止するために命を惜しむな! お前たちの肉をもって防ぎ、血を捧げて守れ。捨てられた地だが、産んでくれた地だ。ここへお前たちの生まれた意味を、悪魔に屈しぬ心を、存在価値を示せ!」
声を張り上げた俺に、高揚した表情で、槍を掴んだ拳を振り上げて、おう! と、応えたのはグラニット。
吠狼の皆が、我が主の命に従う! と、声を揃えて張り上げた。
それに動揺したように、町人らがざわめく。
言葉は耳に入っているけれど、意味は理解できていないといった焦りを見せる。
「守れ、故郷を‼︎」
口元を両手で覆い、涙を流すご婦人がいた。表情に後悔を滲ませ、獣人らを見つめる男性が。疑い混乱した表情で周りを見渡す者が。ねぇ、お耳があるよと、指差しはしゃぐ幼子の声が。
故郷で素顔を晒せと言ったのは……人側を揺さぶるためだけではなかった……。
獣人らにも、生まれた地を、同じ血の通う血族を見せるために、この形を選んだ。
本来ならば、死しても戻れなかったはずの場所だ。そこに少なからず残っているだろう、思慕や、憧憬の気持ちを煽るためにそうした。
自分が人から生まれたのだということを、自覚させるために。
ここを守れば、少なくとも自分に流れている血と同じ血が、これからも続くのだと見せるために。
そうして、それを守るために、命を捨てる覚悟をさせるためにだ。
今世しかないお前たち。捨てられたのに……その血を求める気持ちをまた利用され、命を失うかもしれない戦いへと身を投じさせる。
そんな道しか示してやれず申し訳ない……。だからせめて、俺も同じ戦場に立つ。
「この戦いを勝利すれば、お前たちにも……来世を用意する。お前たちも等しく人だと証明する。
獣人とはなんたるかを、必ず私が世に示す。だから命を賭けて戦え! 己が悪魔の使徒などではないと示すんだ‼︎」
毛皮の外套をバサリと払い、隠していた右手を空に突き上げると、瞬間的に雲の隙間から覗いていた陽が刃に反射して閃いた。
それに対し帰ったのは、闘志の満ちた咆哮と、狼の遠吠えだった。
◆
配置を伝えるマルを取り囲む長ら。その指示を待つ間に獣となれる者らに集まるよう声を掛けた。
「騎手は組でこちらに来い! お前たちには別任務がある」
乗り手のいない狼も当然多くいるが、彼らは一旦除外。必要なのは、騎狼に慣れた者らだ。
集まったのは十二組。その中にはイェーナの姿もあった。
それを見て一瞬心が揺らいだけれど……必要なことだと、自分を戒める。
ここの皆が、同じだ。彼女が特別ではない。近しかったことを特別にして良いはずがなく、それが許される状況でもない。
死の可能性が最も高い任務に就ける者ら……。けれど、死ぬことにも意味がある。
「五名ずつ、二部隊組んでもらう。長を任された経験のある者は?」
俺の言葉に、チラリと視線を巡らせお互いを推し量り、そのうちの二人が胸に手を当てた。
一人は熟練と思しき四十路の男だったが、もう一人は……若い女性。
「俺よりも経験数はこいつが上です」
男の方がそう言う。俺が彼女を侮ると考えたのだろう。
「そうか。ならば、この二部隊の長が貴女、副長が貴方とする。それぞれ五組で一部隊率い、私にも二組ついてもらおう。人選は長の二人が話し合って決めてくれ。
任せたいのは……今回の作戦の肝だ」
だから、その進言をそのまま受け入れた。実際、騎狼技術には相棒との相性がある。
この女性は、早くからその相性の良い相手に恵まれ、経験を重ねてきたのだろう。
雪の上に線を引き、ざっくりとした図を指して説明するのを、一同は黙って聞いたが……次第に長となった二人の表情が険しくなっていった……。
「以上だ。質問はあるか?」
「……主、それは、貴方も共に来るということか」
「そうだな」
「承諾しかねる。貴方は片手だ。その上騎狼経験が無い」
そう言った女性騎手に頷く男性騎手。
「だがこの作戦で肝心なのは私の存在だ」
その言葉にグッと、奥歯を噛む。
「騎狼できないとは言ってられないんだよ。橇では取り回しがきかないしな。
馬はいないし、いてもやはり、片手では無理だ。その点、お前たちは自ら思考し状況も見れるし、言葉を理解して指示を聞いてくれるから、なんとかなると思ってる」
そう言うと、違う、それ以前の問題だと言われた。
「分かってるよ……騎狼の難しさは、充分にね。
だから、下半身を胴に縛るなりなんなりして固定してもら……」
「我が主。お納めしたきものがございます」
そこで後方から声が掛かった。
振り返ると、鍛冶場で話があると言ってきた職人たちだ。
「例の報告か?」
「はい」
「少し待ってくれ。この話を終えてからにしよう」
「いえ……旦那にお聞きしましたところ、我々も作戦の肝だと申されましたもので」
そう言われ、再度振り返った。
「貴方様が片手を失われたと聞いた時に……皆で話し合ったのです。
この北の地で身体の欠損を抱えるのは、明日の死と同義……。ですからこれを。
どうかお役に立てていただければ……」
そう言って差し出されたのは、知るものとは似て非なる、革製品。
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