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第三章 奇跡の融合とトラブル

嫉妬

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「ようこそいらっしゃいました、エミリオ様」

 三十分ほど馬車に揺られると、アンブローズ公爵家の立派な邸宅にたどり着いた。
 門から入って大きな庭を通り抜け、円状に立ちはだかる大きな噴水の横を過ぎるとやっと邸宅入り口のドアの前まで到着した。
 グレン伯爵家の庭にもお姉様がヒロイン落ちした噴水があるけれど、あの噴水を立派な大きさだと思っていた私は、認識を改めないといけないと思うほど大きな噴水だった。
 
 そして初めてお会いするアンブローズ公爵令嬢に挨拶させていただいたのだが。

――ドアの前まで出迎えに来ている公爵令嬢……。相手がエミリオ王子殿下だから? これって普通なのかな?

 貴族のマナーや行動原理に疎い私にはこの出迎えが普通なのか過剰なのかさえ判断ができなかったけれど。でも、エミリオ様を見つめる表情が輝いているのはわかった。ソフィアお姉様が婚約者の王太子殿下のことを話すときの表情と似ていたから。
 彼女はエミリオ様にとって気安く接することのできる幼馴染みなのだそうで、対応は自分に任せてほしいと言ってくれた。
 初対面の高貴な方、しかも気難しいと聞いていたので扱いに困りそうだと緊張していたけれど、エミリオ様にそう請け負ってもらえて胸を撫で下ろした。ここは素直にお言葉に甘え、頼りきってしまったほうがいいだろう。
 頼れる人がそばにいて、味方をしてくれるこの胸がムズムズするような安心感はなんなのだろう。言葉にできない思いを抱えることは初めての経験だった。
 
 とにかく、実際に対峙したアンブローズ公爵令嬢の視界から私の存在は見事シャットアウトされていたため、その部分に関してだけは「ああ、そういうことね」と察することができた。

「マーガレット、アイリーンは私の大切な同僚であり友人だ。ぜひ仲良くしてほしい」

 エミリオ様はアンブローズ公爵令嬢へ少し悲しそうな笑顔を向けていたが、言葉には私の存在を無視する彼女を咎めるようなニュアンスが含まれているのが感じられた。そう感じたのは私だけではないらしい。その証拠にアンブローズ公爵令嬢から冷ややかな視線を浴びせられた。
 こうして部下を庇うのも上司の役目なのだろう。大切な同僚と言ってもらえて私もとても嬉しい。でも――。

――ああ、エミリオ様……。逆効果のようです。今のエミリオ様の発言を受けて、彼女の不機嫌レベルがアップしました。私、めっちゃ睨まれてますから。嫉妬こわいこわいこわい。

 エミリオ様とアンブローズ公爵令嬢は幼馴染みとはいえど、何やら政治的な思惑が絡んだ複雑な関係なのだ――とは先ほど聞いたけれど、それはエミリオ様の主観での話である。
 きっとアンブローズ公爵令嬢のほうは違うのだと解釈した。
 
「もちろんです! エミリオ様の大切な同僚の方ですもの、これからご挨拶しようと思っていたところですわ。エミリオ様の麗しいお姿に見惚れてしまって……申し訳ございません」

 そう上目遣いで告げたアンブローズ公爵令嬢はとてもかわいかった。エミリオ様はこの可憐な令嬢のことをどんな表情で眺めているのだろうとふと思い、不自然に見えないようにちらりと顔を盗み見てみた。

「…………」
「…………!」

 無言で甘く微笑んでこちらを見つめているエミリオ様と目が合って心臓が跳ね上がった。

――待って。顔面偏差値最上級の笑顔の破壊力……!

 ドクドク鳴る心臓から熱くなった血液が押し出され、みるみるうちに全身の温度が上がっていくのを感じて視線を正面に戻す。
 これは、顔も真っ赤になっているのではないかと変な汗が吹き出し始めたところで、可憐な笑顔で般若はんにゃの表情を彷彿とさせるという器用な技を披露する公爵令嬢と目が合った。

「はじめまして。グレン伯爵令嬢。本日はようこそ当家へお越しくださいました」

 雰囲気の恐ろしさとは真逆の朗らかな笑顔に、アンブローズ公爵令嬢のプライドの高さを垣間見た気がした。

✳︎✳︎✳︎

 無言のやりとりに翻弄されて神経をすり減らした私は、すでにくたくただった。貴族って怖い。

――まだ話も始まっていないのに……。エミリオ様が同席してくれてよかった。本当に。

 ……というか、むしろ私がいないほうがよかったのかもしれない。そう本気で考え始めるほどにはこの部屋の空気は凍っていた。
 
 冷気の発生源はこの二人。アンブローズ公爵令嬢はさっきのエミリオ様の私を庇う発言が気に障ったに違いないだろう。エミリオ様は……やっぱり親しくしていた幼馴染みに自分を貶めるような嘘を吐かれたのがショックだったのかもしれない。

「マーガレット、僕の作った化粧品がきみの肌に炎症を引き起こしたと聞いたけど、本当?」
「……ええ。エミリオ様には申し訳なくて言い出しづらかったのですが……」
「そう。もう肌の状態は大丈夫なのかな?」
「……はい! お気遣い痛み入ります。もう症状はすっかりおさまりまして、ご覧の通り元通りです」
「それならよかった」

 エミリオ様はにこりと笑って続けた。
 
「そもそも、なんで僕がヴィタリーサの化粧品を開発してるって知ってる?」
「それは……ラヴィーナ様にお伺いしまして……」

――おっと。新たな人物が登場したようだ。ラヴィーナ様……? なんか聞いたことある響きのような……うーん、思い出せないからとりあえず置いておこう。

「ラヴィーか……。まあ、そんなとこだろうと思ったよ。それで、どうして嘘を吐いたんだ」
「ラヴィー様もエミリオ様のことを心配なさっていて、私に相談されたのですわ。嘘ってなんのことですの……?」

 なるほど。ラヴィー様という方はエミリオ様を心配してアンブローズ公爵令嬢に相談したと。

――心配? 何を?
 
 そしてエミリオ様、誘導尋問が雑すぎます。そんなの私でも引っかかりませんから。(多分)

「そちらのまじょ……グレン伯爵令嬢がエミリオ様にご迷惑をかけているのではないかと心配されていたのです」

――私がエミリオ様にご迷惑を? ……かけるに決まってるよね? 今回の件ほどじゃなくても、日々一緒に働いていれば大なり小なりお互い迷惑をかけるのなんて当然だよね? 

 けれど、この感覚は働いたことのない深窓の令嬢たちにはわからなくて当然だろう。確かに、王子殿下がお店で働くなんて前代未聞のできごとなのだった。エミリオ様が普通に働いていたから忘れていたけれど――。
 そう考えたら、エミリオ様の有能さが浮き彫りになった気がした。彼にとって活躍するのに場所や手段など関係ないのかもしれない。
 
 そして、彼女たちが私の感覚をわからないのと同様に、私にもわからない貴族の感覚での「迷惑」もあるのかもしれないと考える。
 
 ただ、かけるかもしれない「迷惑」を厭っていたら何も前に進まないと思うのだ。
 少なくともエミリオ様は「もっと自分に頼ってほしい」と言ってくれていたし、迷惑に思うことがあれば直接私に話してくれるだろうと想像できる。
 上司としても同僚としても友人としても信頼できる人だ。

――ていうか、まじょ……魔女? 私、彼女の中で魔女ってことになってるの? なんか響きがかっこよくない? 異世界っぽくてよき……!

 私は彼女の中では「魔女」らしいことにジワジワと謎の感動が込み上げてくる。その間に会話は進んでいたらしい。

「……だから、優秀なビジネスパートナーである彼女が僕に迷惑をかけるなんて言いがかりはやめてほしいんだ。むしろ、そんなことをきみたちに心配してもらう必要はない。きみたちは僕たちのビジネスとは無関係ないわゆる『外野』なのだから。ラヴィーナには僕から伝えておく」
「……私の発言でエミリオ様のご気分を害したのなら謝りますわ。でも、今回の件でこうしてエミリオ様に出向いていただくことになっていますし、私にも迷惑をかけていますわ。どう考えても謝罪が必要ですわよね? ねぇ、グレン伯爵令嬢?」

――なるほど、どうしても私に謝らせたいわけね。

 この件に関して私は絶対に謝らないと心に決めている。けれど、彼女の接客をきちんと果たせなかったことは心残りだ。そのことについては素直に謝ろうと最初から決めている。

「アンブローズ公爵令嬢、この度は私の接客が至らず申し訳ありませんでした。心よりお詫びいたします」

 その場で深く頭を下げる。エミリオ様も仕方ないな、という雰囲気のため息を一つ吐いてから私に倣ならってくれた。
 それに慌てたのはアンブローズ公爵令嬢だ。

「エミリオ様……! どうか、頭をおあげ下さいませ。マーガレットはそのようなこと望んでおりません……!」

 エミリオ様は乞われた通り、頭を上げてまたため息を吐いた。
 
「じゃあ、何を望んでいるの? アイリーンだけに頭を下げさせたかった? 他の令嬢から借りたうちの商品で肌が傷つけられたって嘘をついてまで?」
「違うのです……! 私、エミリオ様が手がけられたという化粧品を使うことを楽しみにしていたのです! なのに、購入しに行ったらグレン伯爵令嬢が『私には売れない』とおっしゃるから……」

 エミリオ様が怒涛の追い上げを見せるも、アンブローズ公爵令嬢はうまくかわしている。
「嘘をついている」という部分は決して認めないのはさすがだ。
 
「購入したいのなら本人が直接訪れないと商品を渡すことはできないという説明をアイリーンから受けなかった?」
「そんなの知りません。だって、実際買いに行ったのは私の侍女ですもの。……エミリオ様、被害を受けたのは私ですわ。なのにさっきから、グレン伯爵令嬢は悪くなくて私が悪いみたいな言い方ばかりされて……」

 エミリオ様は優しく質問しているのだが、アンブローズ公爵令嬢は、彼が私を庇っているような発言を続けていることが気に入らない様子だ。

――当然だよね。好きな人が他の女性を庇う姿なんて見たくないものね。その気持ちはわかるんだ。だけど、嘘を吐いてそれを正当化しようとしているのは許せない。あなた自身はそれで満足するかもしれないけれど、嘘を押し通すことで傷つく誰かがいるってこと、考えてほしかったな。
 
「そう聞こえるよな……。ごめんな」

 エミリオ様は唐突に謝った。
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