いろどりの追憶〜星森の大陸の生きとし生けるものの安寧を強く願った人々〜

裕邑月紫

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走れ!新人官吏くん!

新人官吏はアルバイトをする

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翌日。
昨日診た南方将軍は、今日はかなり快方に向かっていた。まだまだ、痛痒いようだがこのまま内服薬と塗り薬でゆっくり治っていくと思われた。
 
その日の午前中も彩棐は普段通り、西方将軍のお尻を叩きつつ自分の仕事を進め、同じ官房の先輩たちの書類のチェックをする。今日は他にやりたいこともあるので、自分の仕事は少し気合いを入れて通常時の倍速で片付けた。
昼前になって、彩棐は昨日手に入れた患者のリストを手に立ち上がる。
 
「それでは、午後は少し官房を空けます。この集団アレルギーの原因の特定をしたいので」
彩棐の言葉に一同頷く。
今日の午後は調査に回りたいのだが…と朝の打ち合わせで申し出たところ、『面白そうじゃん!いっておいでよ!』と上官である西方将軍はあっさり許可を出してくれた。
官房の扉のところで、彩棐は立ち止まり一同を振り返る。
「夕刻には戻ります。朝の打ち合わせで確認した通り進めておいてくだされば、戻ってから書類チェックします。できていなければ…」

『居残りです』

官房のメンバーの声が綺麗に唱和する。彩棐はにっこり微笑んだ。
「その通りです。よろしくお願いしますね」
そう言って彼は官房を後にする。
 
今日も五月晴れで大変気持ちが良い。むしろ少し暑いくらいだ。この後、色々なところで回るつもりなので、将軍院の厩で馬を借りてきた。
まずは聖医療館で新情報はないかの聞き取りである。
彼を対応したのは、太医令であった。
 
患者は1名増えて11名になっていた。この追加の1名は、司法院の高官で自分の屋敷のお抱えの医師に診てもらったため、今朝こちらに情報がきたらしい。
昔は多くの貴族が邸にお抱えの医師がいたが、近年はそうした家も少なくなってきている。そのため、この聖医療館で治療を受けたり、ここの医師を邸に呼んだり、聖都内の病院に行くのが主流だ。ただ、中にはまだ家にお抱えの医師がおり、件の司法院の高官のように聖医療館で治療を受けない者もいる。
 
「この分だと、他にもいるかも知れぬな」
「そうですね」
「昨日治療を受けた者は落ち着き始めているのだろうか」
「はい。皆、快復傾向にあります」
それはよかった、と彩棐は息を吐く。
 
「将軍院はここへ来る前に聞いて回ったが、患者は2人から増えていなかった」
「さようでございますか。そうすると…将軍院が2名、枢密院が3名、聖星森堂が1名、司法院が5名ですね」
「司法院が少し多いのか…とはいえ、それだけではわからぬな」
ふむ、と彩棐は顎に長い綺麗な指を添え小首を傾げる。
 
「例の後からわかった司法院の高官に湿疹が出ている場所は、顔と手の甲のみだろうか」
「そうですね。腕は出ていないとのことです」
「やはり、腕にでたのは将軍院の2人のみということだな…」
彩棐は立ち上がる。
 
「ありがとう。もう少しこちらでも調べてみる。何かわかったらまた教えてほしい」
「無論でございます。…あ、小聿さま、くれぐれも…」
尚按が言い終わる前に、彩棐はムッとした顔をしてみせる。
「無理はせぬ」
それだけ言うと彩棐は身を翻し颯爽と聖医療館を後にする。

そのまま、馬上の人となり枢密院に出向く。向かうは、友の官房である。
ちょうど昼時なためか、彼の官房は友以外出払っていた。彩棐が集団アレルギーの調査をしていると言うと、またお前面白いことしてんね?と笑われる。
 
「今枢密院の患者で、こちらが把握しているのが3名だ。この他に誰か聞いていないか」
「えーと、なになに?教育省の長官どの、副長官どの、国土環境省の副長官どの…俺が聞いているのはこの3人の他に、右相うしょうどののご子息だ」
「右相どののご子息?」
うん、と紫苑は頷く。
「昨日から出仕を控えておいでだよ。朝からすでに発疹が酷かったらしい」
「ふむ。発疹が出たのは顔と手の甲か?」
「んー、そこまで詳しくは聞いてないな。顔がひどい、とは聞いているが、他に出た場所があるのかなどはわからん」
「なるほど…」
彩棐は胸元に光る聖印を撫で、思案する。
 
「ちょうどこの後、右相どのの官房に行くんだ。ついてくるか?」
紫苑は右相の長史(秘書長官)だ。己の官房も持っているが、右相の官房につめていることも多い。彩棐は頷いた。
「是非とも。将軍院の若草(准三位)の新人官吏が上級官僚どの(正一位)に1人で会いにいくわけには行かないからな」
「お前だったら、大歓迎されると思うが」
「そんなわけあるか。1人で行けば、扉の前で追い返される。お前についていっても、果たして会っていただけるかどうか…」
少し不安げな顔をしながら彩棐は立ち上がり、さやと袂を捌くと紫苑の官房を出たのだった。

「これはこれは、宮さま!よくおいで下された。ささ、こちらへ」
 
紫苑と共に右相官房を訪れた彩棐は熱烈な歓迎を受けた。
「いやぁ、我が官房に宮さまがおいでになる日がくるとは。これ、小聿さまにお茶と菓子をお出ししなさい」
右相に言われた右相家の家人は、直ちに、と言ってお茶の準備をはじめる。
「ほらな?」
隣にいた紫苑がニヤニヤ笑いながら得意げに言う。彩棐は目の前で準備される歓待に頭痛を覚えた。

「あ、いや、右相どの。お話を少し伺ってすぐにお暇致しますので…どうぞ、お構いなく…」
慌てて止める彩棐に、そんなこと言わずに、ささ、遠慮なくと、奥の部屋に通されてしまう。
右相家の家人が手早く茶を用意して、彩棐の前に出してくれる。彩棐はこれ以上断りきれず、大人しく頂くことにした。

「ご子息に発疹が昨日から出ていると伺いました。そのことで二、三お伺いしたく参ったのです」
「おお、宮さまが、我が愚息を心配してくださるとは。ありがたいことです」
のぅ、と控える家人に右相は声をかける。側に控えていた右相家の家人は、まこと、畏れ多いことです、といった。
大変居心地が悪いが、もはや訂正をする気力が湧かない。訂正をしたところで、受け入れてくれない気がした。彩棐は諦めた。ここはサクッと情報を得て去るに限る。
 
「ご子息の発疹は、顔と手の甲に出ているので間違いありませんか」
「ええ。あとは…腕にも出ている、と申しておりました」
「…腕にも?南方将軍と同じですね」
ふむ、と彩棐は首を傾げる。2人の共通項はなんであろう?

「出はじめたのは何時ごろがお分かりになりますか?」
どうだったかわかるか、と右相は控える家人に尋ねる。
「若殿に症状が出始めたのは一昨日の夕刻からです。昨日の朝にはすでにかなり酷くなっており、家の医師が診たのでございます。今朝は少しましになっておいででした」
「なるほど。出た時刻と出た場所は、南方将軍と似通っていますね」
そうなると、その共通項から考えるのがよさそうだ。

「参考までに、発疹が出る前はご子息は何をしておいでだったのか伺ってもよろしいだろうか」
「直前は槍の稽古をしておいででした」
「槍の稽古…ふむ…」
呟き彩棐は出された茶を喫する。華やかな香りが口内に広がる。

「なにか気になることがあるのか?」
隣に座っていた紫苑が聞いてくる。
「いや…腕に発疹が出ているのが、3人だけでな。その3人の共通項と他の出ていない人との違いはなんであろう、と気になったんだ」
「何かわかったのか?」

彩棐は肩をすくめた。
「まだなんとも。情報が少なすぎる。もう少し聞いて回る必要がありそうだ」
「まるで探偵だな」
紫苑の言葉に右相は笑った。
「宮さまのことです。きっと鮮やかに集団アレルギー事件を解決されましょう。そのためならば、この右相、協力惜しみませぬぞ」
その言葉に彩棐はなんとも言えない顔をする。が、すぐに表情を改めて、ご協力感謝致します、尽力致します、と答え、優雅な所作で揖礼をすると右相官房を後にしたのだった。

司法院の友の官房は、以前訪れた時とはまるで違う様相を呈していた。
先日来た時は、抱えている案件は多そうではあったが、真面目な彼や彼の官房所属の者たちでしっかり捌ききっているようだったのに、今日は捌ききれていない案件の書類で官房内が雑然としている。官房内の人間は、皆余裕のない様子で仕事に忙殺されていた。
せっかくの昼時、ついでに昼餉も一緒にどうかと誘おうと思っていたのに、とてもじゃないが誘える雰囲気ではない。

「ああ…彩棐どの…こんにちは」
官房の一番奥の執務卓の上に積まれた大量の書類と戦いながら、この官房の主人であり彩棐の学友である繹杏莆は挨拶をしてきた。
「杏莆兄…こんにちは。なんだかとても…その、大変そうですね」
挨拶を返しつつそういうと、そうなんですよ…と彼は少し困ったような顔をした。
 
「彩棐どののことですから、アレルギー騒ぎのことは聞いているでしょう?この司法院で被害に遭ったのは全部で7名。そのほとんどが、准一位以上の高官でしてね。おかげで、私のところに決裁の依頼が集まってしまって…うちの官房所属の人も一人症状が出て、ただでさえ人手不足な上に、仕事も激増してしまって、このような有様に…」
なるほど…と彩棐は頷く。
 
7名ということは聞いていた5名以外にもう2名いるということになる。
やはり、司法院が最も患者の数が多い。

「繹太法官、こちらの審理報告からの判決案の確認をお願いします。全部で8件あります」
杏莆の官房の所属官吏の一人が立ち上がって、書類の束を杏莆の間に持っていく。
ぱさりとその官吏の手から書類が落ちて、彩棐の足元に滑ってくる。彩棐は思わずそれを拾い上げ、そしてつい、拾い上げた書類に書かれた内容をあらため始める。紫の瞳が書類の上を恐ろしい速さで動く。左手が胸元に光る星森の聖印を撫でた。
杏莆の執務卓の上に書類を提出した官吏が、ああ、すみませんといいながら彩棐の元へと取りに戻ってくる。

「ふむ…この審理結果からこの判決は少々重すぎるのではないでしょうか。昨年、それから、三年前にも似た事件があったはずです。三年前の事件は聖都で、昨年は夏寧かねい州であったもので、夏寧州のものは、三年前の聖都の判例に則って同じ量刑とした、と聞き及んでおります。その判例を考えた時、この提案されている判決はいささか…。昨年と三年前の事件の際は、執行猶予がついたはず。確認してはどうでしょうか」
 
形の良い唇から、するすると出てくる提案に、書類を受け取りに彼に近づいてきた官吏はポカンと口を開ける。
いや、その官吏だけではない。
杏莆以外の官吏が同じような顔で、彩棐のことを見ていた。彩棐はそこで自分が余計なことを言ってしまったことに気がついた。

「あ…申し訳ありません。部外者が…あの、聞かなかったことにしてください。杏莆兄、お忙しいところお邪魔してすみませんでした。情報収集は他でしてきます。大変だと思いますが、みなさん無理なされませんように」
そう言って官吏に持っていた書類を押し付け、彩棐は揖礼をすると身を翻す。
その背中に杏莆が声をかける。

「彩棐どの」

嫌な予感がする。
この友人が何を考えているのか、手に取るようにわかる。
 
「ダメだと思います、そういうのは。新人のしかも将軍院の若草の官吏に…」

振り返ることなく彩棐は言う。
「まだ何も言っていませんよ?」
「…………」
「先ほども申し上げたとおり、うちの官房は人手不足な上に仕事が激増して、大変なのです」
「応援しています。心の底から…」
「心の底からと言わず、この場で応援していただけると大変ありがたいのですが?あなたならここでの仕事も余裕でできますよね?司法官の国試は四年前に合格なさっておいででした」
 
「…将軍院にそろそろ戻って自分の仕事をせねば…」
「あなたのことです。こうして集団アレルギーの調査をしていると言うことは、午前中にやらねばならぬことは全て終わらせたのでしょう?」

「…えーと、あ、そうだ、体を動かしてこようかな?将軍院の者は戦に備えて鍛錬せねば…」
「あなたが毎朝仕事を始める前に、その日の鍛錬をなさっているのは聞いていますよ。今日の鍛錬もすでに終わっておいででしょう?」

「…えーと、うーんと…」
聖印をいじりつつ、紫の瞳を上に動かし、必死に言い訳を考える。

「そういえば」
そんな彼に悪魔の囁き。
「先週、秀英院で出たばかり新しい法学の論文集がつい先ほど手元に届いたのでした。まだ、嶷陽殿(皇宮内の図書館)にも入っていない最新のものです」
ぴくり、と彩棐の柳眉が動く。
 
「ざっと論文のタイトルだけ見ましたが、なかなか興味深いラインナップでした」
「え…最新の論文集…?」
「ええ。まぁ、あなたのことです。来月あたりには手に入れられると思いますが。急ぐ必要はありませんよね。新人官吏どのはお忙しそうですし」
「あ…いや、本を読む時間は、毎日意地でも確保しています」

「へぇ?そうなのですか。さすが本好きの彩棐どのですね。何はともあれ、私はまだ読み終わっていない本があるので、しばらくはこの論文集を開くことはなさそうです。どなたかにお貸しすることは可能なのですが…誰か、興味がおありの人ますか?」
 
杏莆の意図をわかっている官吏たちは、笑顔で首を振り、私は結構です、間に合っています、またの機会にぜひ、と断りの言葉を口にする。
彼らはなんとしても、この目の前の優秀な戦力をこの官房に引きずり込みたいと思っているのだ。
杏莆は残念そうな顔をした。

「おやおや、そうですか。せっかく手に入れた論文集ですが、しばらくは官房の書架で眠っていてもらいましょうか」
「杏莆兄…」
「なんです、小聿くん?」
くるりと彩棐が振り返ると、学友は満面の笑顔でこちらを見ていた。

「あの…その…論文集…お借りすることは…」
おずおずと言う聖国が誇る天才少年に、杏莆はすまなそうな顔をしてみせる。
「これは法学の論文集。この官房でお仕事をする人に優先的にお貸ししようと思っているのですよ」
「………」
「あ!あなたがここでお手伝いをしてくれるなら、アルバイトのお礼としてお貸しすることはやぶさかではありません。もちろん、今日のお昼ご飯付きです」
「…アルバイトのお礼………」
杏莆はにっこり微笑んで、執務卓の上に書類の束とそしてその上に新しい本を重ねておいた。

「さぁ、どうしますか、小聿くん?」
「ぐっ…」
彩棐はじっと書類と本のセットを睨みつける。
 
ややあって、ふらりふらりと吸い込まれるように杏莆の執務卓の前に来ると本と書類を手に抱えた。
ふふふ、と杏莆は小さく声を上げて笑う。
「空いている執務卓はあちらです。ご自由にお使いください。みなさんお昼はまだだと思うので、ひとまずお昼休憩をとりましょう。午後は我が官房に可愛いアルバイトくんが入ってくれます。気合を入れて仕事を捌きましょう!」
『ハイっ!』
彩棐を除くそのほかのメンバーは声を揃えて返事をしする。
 
「ああ…俺のばか…見事に買収されて…でも、でも…読みたい…くぅ…」
使え、と言われた執務卓に書類と本を置くと彩棐はガックリ肩を落としたのだった。

聖医療館で把握していない残りの2名も他と大して症状は変わらなかった。
出ているのは手の甲と顔。
酷くなったのは昨日の午前から昼にかけて。

「そうすると、やはり腕に出てしまった3人の行動を洗う必要がありますね」
繹太法官の官房で、少し遅めの昼食をとりながら彩棐は杏莆や杏莆の官房の官吏たちから話を聞いていた。
杏莆の言葉に、彩棐は梅が混ぜ込まれたご飯を一口食べて頷いた。

「右相どののご子息は発疹がで始めた時、槍の稽古をしていた、とおっしゃっていました。あとで、南方将軍と北方魔術将軍にも何をなさっていたか聞くつもりです。とはいえ…」
彩棐はため息をつき、菜の花のおひたしを口に運ぶ。ほんのり苦味があって美味い。

「今のところわかっているのは、司法院の方が少し多いくらいで、年齢も官位も官職もバラバラ…法則性がまるでわかりません」
「なるほど…」

「聖星森堂院の方もひょっとしたらまだいるかもしれません。こちらも後ほど確認しに行こうと思います。命にかかわるものではないとはいえ、これだけ同時期に湿疹でが出て、さらに、普通の発疹よりもかなり派手ですからね。原因を特定し、取り除けるならば取り除くに越したことはありません。業務に支障も出ていますし」

「おっしゃる通りです。今回、司法院は7名中5名が官房持ちの高官でした。かなり業務に支障をきたしています。再発防止に努めるべきでしょう」
彩棐は頷き、蛤のすまし汁を飲むとホッと息を吐き碗を膳に戻した。
 
「杏莆兄の官房の方も一人症状が出たのでしたね。その方は症状が出る前は何をなさっていたかご存じですか?」
「彼は確か…百官宴で濡れてしまったのですよ。それで、その日はうちの官房も仕事は早上がりをして良い、としていたので帰宅したと思います。ご自宅でどう過ごされたかは、存じ上げませんね…」

そういえば、あの時強風に煽られて揺れた草木から雨水が落ちてきて、濡れた人が騒いでいたのを思い出す。
繹家の家人が入れてくれた茶を頂き、庭に目を転じる。
 
司法院が面する瑠璃庭園を庭師たちが手入れをしている。梅雨に入る前に、一気に庭の手入れをしているのだろう。そういえば、昨日聖医療館へ向かう途中も水晶庭園で庭師たちが木々の手入れをしているのを見た。
将軍院も紅玉庭園があるが、司法院や本宮が抱える庭ほど立派ではない。武官が多い将軍院は庭を楽しむ者たちは少ないせいかもしれない。

彩棐はお茶を飲み終えると、杏莆と繹家の家人たちに食事の礼を言う。 
これぐらい、たいしたことありませんよ、と杏莆は言う。そして、するりと立ち上がるとニコリと笑って、それでは頑張りましょうと隣の執務室に歩いて行く。
彩棐も諦めたように立ち上がる。食事をいただいたからには、働かねばならない。何より、あの論文集のためにも。
彼は気合を入れると、歳の離れた親友の後を追ったのだった。

結局、彩棐はその日の午後いっぱい、繹太法官の官房で仕事をした。
まさか、将軍院の文官である自分が司法院の仕事をすることになるとは思わなかった、と言うと、あなたはマルチですからね、どこでもやっていけますよ、と言われてしまった。

「もし皇宮内で好きな場所で働いて良いと言われたら、私は迷わず嶷陽殿(皇宮内の図書館)を選びます。聖医療館と聖星森堂院も魅力的ですが、あそこは私に対して過保護な人間が多くて居心地が今ひとつですからね…」
そう彩棐が言うと杏莆は声を立てて笑った。
 
「彩棐どのが嶷陽殿に配属になったら仕事そっちのけで本をずっと読んでそうですね」
「いや…そんなことは…」
と否定しつつも、自信はない。本の管理と称して、書架の影で本を読み耽る自分が容易に想像できてしまった。
任された仕事の最後の一つも片付けると、彩棐は借りた論文集を手に暇を告げた。

「またいつでもアルバイトをしにきてください。彩棐どのならいつでも歓迎します」
「勘弁してください…。今日は特例です。非才な私にここの仕事は荷が重すぎです。将軍院で小さな仕事をするので手一杯ですよ…」
そう言って大事そうに借りた本を抱え直すと、それでは、また、といい彩棐は優雅な所作で揖礼をして去っていった。

彼が立ち去った後の官房で、繹太法官の直属の官吏たちはため息を漏らした。
「お噂は聞いていましたが、本当に凄い方ですね。頭の中に、相当数の判例や法令が入っている。もう何年も法官としてやっている自分が恥ずかしくなってきてしまいました」
眉をハの字にしていう部下に、杏莆はふふふ、と笑う。

「そうでしょう?そしてこれが司法だけではなく、他の分野でも同じぐらいなんでもできてしまう。でも本人はそれが凄いと言うことをまるでわかっていないのです。私の友は、『小聿は自己評価の尺度がバグっている』とよく言うのですが全くその通りだと思っています」
杏莆がそういうと、官房の者たちはくすくすと笑う。

「さぁ、アルバイトくんのおかげで今日の仕事はもう少しで片付きそうですね。みなさん、あともう少しだけ頑張りましょう」
繹太法官の官房の者たちは、頷いてめいめいの仕事へと戻っていったのだった。
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