最推しの義兄を愛でるため、長生きします!

朝陽天満

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1巻

1-12

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 そして、後日。俺は一人、学園理事長室に呼び出しを受けた。
 重厚なドアをノックすると、中から返事が来た。そっとドアを開けて、一礼してから入る。こういう時の礼儀作法をあまり知らないから、とにかく神妙にする。
 理事長室の中には、髭の生えたとても渋ダンディ風な年配の男性と、攻略対象者であるはずの養護教諭がいた。養護教諭の名前はリコル先生というらしい。
 そうだ。そういえばそんな名前だった気がする。保健の先生と呼んで親しんでいたから、名前を覚える気があまりなかっただけだけど。
 だってこの先生、ほぼ最推しと絡まなかったから。イベントで生徒を保護した時にその生徒を最推しから受け取ったくらいだった気がする。
 何事だろう、とちょっとだけ緊張していると、早速理事長は俺にソファを勧めてくれた。
 高級そうな布張りのソファにそっと腰を掛ける。
 するとリコル先生がお茶をれてくれた。フワッと少しだけ薬草の香りがしたから、もしかして体調を整えるお茶をれてくれたのかもしれない。
 理事長は自分の机から立ち上がって、俺の目の前のソファに座った。その隣にリコル先生も座った。

「この度はいきなりお呼びたてしてしまい、申し訳ありません。応じてくださりありがとうございます」

 きちっとした見た目に反して、理事長の声はとても柔らかい。
 俺が頷くと、理事長が言葉を続けた。そして、おもむろに切り出した話は、今回の試験の結果についてだった。

「アルバ君の座学の成績はとても素晴らしかったです。座学だけであれば上位五名に入っておりました。しかし、剣術の実技試験で成績が落ちてしまっています。ラオネン病はアルバ君の年まで命を繋いでいることすらあり得ない程の難病です。もしよろしければ、剣術の方も魔法実技と同様に免除にしてはどうかと話し合っていたんですよ」

 目を見開くと、リコル先生が大きく頷く。
 なんというか、俺の平均点を下げていたのは、あのヘッポコ剣術だったらしい。
 つまり魔法実技の零点も混ぜたらかなり下の方になってたってことだ。
 さっき言われてた内容も頷けてしまう。
 それに、座学だけなら成績が上がるというのは魅力的だ。
 でも下手くそなりに、動けないなりに、身体を動かす剣術は楽しいと思っている。それに、実技を免除された場合、剣術の授業自体がなくなって、女の子が受けている刺繍の授業に交ぜられてしまうんじゃないかちょっとだけ心配なのもある。
 流石さすがに女の子の中に一人だけ俺が入って慣れない刺繍をチクチクと、とか絶対無理。剣を振り回していた方が全然楽しい。ヘッポコだけど。
 それに……

「ひとつお尋ねしてもいいですか。もし、他の病弱な方が剣術の試験を受けた場合、こういう提案はされるんですか」

 じっと理事長を見つめると、理事長は曖昧に頷いた。

「その生徒の状態によります。動けないほどに身体が弱いのであれば、免除。そうでなければ、一応点数に加算されます」
「僕は少しですが走れますし、歩けます。下手くそですけど、最近では剣も振れるようになりました。でしたら、本来の基準では免除にはならないのでは」

 俺の言葉に、リコル先生が驚いたように目を見開いた。

「アルバ君、君は今元気かもしれません。でも、一度の発作でそれが崩れ去るのがラオネン病です。今まさに生きているのが奇跡と言えることを、君は身をもって知っているはずです。せっかくその尊い命を繋いで学園に通えているのです、どうか、ご自身の身体を大切にしてください」

 ガッとテーブルから身を乗り出し、リコル先生は俺の方にぐいっと顔を近づけた。
 流石さすが攻略対象者というかなんというか。優男風の先生の顔はとても整っていた。そして、養護教諭という割にかなり若そう。ゲームの当時、リコル先生が何歳だったのかはわからないけれど、大人の優しさというものを身に着けていたはず。でもここにいる先生は、なんていうか、熱血系っぽい。

「リコル君」

 理事長にたしなめられ、リコル先生はハッとしたように身体を戻した。
 ちょっとだけ顔を赤くしてるのは、自分の行動が恥ずかしかったのかもしれない。

「す、すいません。ラオネン病の子が入学すると聞いて、どうしてもサポートをしたくて……ラオネン病が死病ではなくなったということを身をもって証明してくださっているアルバ君に、どうしても頑張ってほしくて」
「彼は、家族を君と同じやまいで亡くしている者なんですよ。今年アルバ君がこの学園に入学してくると聞いて、わざわざ高等学園からの異動を希望するほど。その熱意に負けて、許可を出してしまいました。もし困ったことがあれば、リコル君に相談してくださいね」
「そうだったんですね……その時は、よろしくお願いします」

 そんな過去があったのか、なんて衝撃を受けながら頭を下げていると、それで、と理事長は話を元に戻した。

「ですからもしアルバ君がよければ、剣術も免除にしたいと思うのですが」
「いいえ。免除の必要はありません」

 きっぱりと答えると、二人は驚いたような顔をした。それに俺は出来る限りの説明を加える。
 成績は二の次だから、剣術で平均点が下がろうが関係ないこと。しかも間違えたところは兄様が教えてくれること。
 そもそも本当の地頭の実力で受けるのが一番自分の実力が分かるはずだ。
 そんなことを付け加えて、今回と同じ措置でお願いします、と頭を下げると、二人とも少しだけ考えるそぶりをしてから、頷いてくれた。よかった。
 二人に一礼をして理事長室を出ると、廊下で兄様が待っていた。

「アルバ、お疲れ様」
「兄様!」

 不意打ちの登場に、思わず駆け寄って抱きついてしまってから、ハッと辺りを見回す。
 頭上でふふっと笑い声が零れた。

「大丈夫、生徒はこの辺りを不用意に歩かないから」
「兄様優しい!」
「僕がアルバとハグしたかったんだよ」

 ああ、好き。この優しさプライスレス。胸がドキドキします。偉い人に囲まれてちょっと緊張していたから、余計に。
 兄様に手を引かれてうちの馬車に乗り込み、理事長室でのあれやこれやを兄様に聞かれるままに話していると家に帰り着いた。
 兄様と一緒にご飯を食べて、珍しく兄様も一緒にルーナと遊んだ。
 学園でも粗相をしたわけじゃなくてよかったとホッとしながら眠りについた俺は、兄様が俺の話を全て義父に話したなどとまったく知らないまま、健やかに夢の世界へ旅立って行った。
 それから、何故か兄様が俺を教室まで送ってくれるようになった。超嬉しい。そして困ったことはないかと頻繁に聞かれる。困ったことなんて全然ないのに。首を傾げると、兄様はすごく優しい笑顔で「じゃあまたお昼にね」と自分の教室に向かっていく。
 こんなの、一日笑顔で過ごせるに決まってるよね。
 ……たとえ剣術の授業で打ち合いを組んでくれる人がいなくても。
 カンカンと木剣の打ち合う音が響く中で、俺は先生に木剣の構え方と振りぬき方を教わっていた。
 剣術の授業は結局そのまま受けている。せっかく兄様とブルーノ君が俺を生かしてくれたのに、病弱だからと引き籠ってなんていたくない。それにこれぞ男の子、と実感できるのが嬉しい。
 皆、小さいころからやっていたのか、大分動きが形になっている人が多い中、俺はほとんど身体を動かすこともなかったから、目に見えて下手くそだった。
 力もないから剣を振り回すんじゃなくて、剣に振り回されっぱなしだ。
 だから、二人一組で打ち合いをするときに組んでくれる人が一人もいないのだ。
 力量が違い過ぎると多分相手は全然力にならないんじゃないかな。

「こうでしょうか?」
「それだと身体に無駄な力が入る。もう少し右手を……そうだ」

 だから今日も俺は先生と組んで、色々と手ほどきしてもらっている。
 皆がすでに通った道を、今まさに俺が歩んでいるんだ。
 先生はとても丁寧に、筋力を使わない技を教えてくれる。相手の力を利用する方法とか。俺の力がないばかりに不甲斐ないけれど、ありがたい。
 先生が離れていくと、俺は今教わったやり方で何度か剣を振った。
 それだけでちょっと疲れるけど、やめたくはない。

「――よし止め!」

 しばらくすると号令と共に、生徒たちが動きを止める。息を切らしていない子、荒く息を吐いている子に分かれているけど、皆剣を納める動作までしっかり出来ていた。
 それにしても剣術のテストが入っても二十位って奇跡に近かったんじゃないだろうか。
 剣術のどこを評価して点数を付けてるんだろうか。そこらへん先生は公表しないから、わけがわからない。
 でも、すごく楽しくて、ついつい顔がほころんでしまっていたようだ。
 自覚はなかったけれど、一度だけ先生に「すごく楽しそうだな」ってツッコまれてようやく気が付いた。
 俺も汗をぬぐって、先生の元へ向かう。

「今日はここまで。汗をしっかり拭えよ。身体が冷えるからな」

 先生は皆に声を掛けると、授業用の剣をしまう場所のドアを開けた。皆がぞろぞろと剣をしまいに行くのを、息を整えながら待つ。
 俺はいつも最後にしまうことにしている。息切れしてるのにあの人だかりに突っ込んでいって皆の邪魔になりたくない。
 このクラスで一番小さい子でも俺より背が高い。どうして俺はこんなにチビなのか。女神に魔力と共に栄養も吸い取られていたのかな。身長を伸ばす栄養返せと声高に叫びたい。
 ああでも、この大きさだからこそまだ兄様が抱き上げてくれるのかもしれない。そう考えるとあながちチビも悪いわけじゃ……いやいや、俺ももう十一歳だ。抱っこの歳じゃないね。
 最後に俺が剣をしまうと、先生は俺を見ながらドアを閉めて鍵を閉めた。

「今日も頑張ったな。つらくはないか」
「疲れますけど、楽しいです」
「そうか。無理はするな」
「ありがとうございます」

 なんていうか、先生の俺を見る目が、幼い子供か小動物を見る目のような気がする。
 溜息を呑み込んで剣術場を出ようとすると、見学をしていたリコル先生が立ち上がって俺の隣に並んだ。
 いつも剣術の授業後はリコル先生に様子を見てもらっているのだ。

「今日もお疲れ様でした。何かあればいつでも言ってくださいね?」
「身体を動かしたくらいじゃ発作は起こらないです。レガーレの飴も持参してますし。リコル先生もお忙しいのでは?」
「アルバ君の体調管理も私の仕事なんですよ。そこは気にせずのびのび学園生活を楽しんでください」
「そう言っていただけるのはありがたいですけど……」

 やっぱり先生の時間を割きすぎなのでは? とリコル先生を見上げて、隣の校舎の上の階の廊下に兄様の姿を発見した。窓際に駆け寄りたい気持ちを堪えて、兄様の歩く姿を見上げる。ああ、学園で歩く兄様の姿も最高にうるわしい。隣にいるのはブルーノ君だ。ブルーノ君の横にいると、兄様が凄く楽しそうだから嬉しい。

「アルバ君?」
「あ、あの、向こうに兄様がいたので、見てしまいました」
「本当に仲がいいですね。でも早く着替えないと次の授業に間に合いませんよ」
「急ぎます!」

 答えている間に、次の授業の予鈴が鳴った。ちょっとゆっくりしすぎたかもしれない。
 俺は慌てて足の回転数を上げた。けれど普通の歩幅で歩くリコル先生との差はまったく縮まらない。流石さすが攻略対象者、足が長い。いや、俺の足が短すぎるんだ。
 いつも通り、保健室で魔力が安定しているかどうかと心拍数を調べられてからカーテンの裏で着替える。
 制服に身を包んだ俺は、リコル先生にお礼を言って保健室を出た。
 先生がいるのは今年だけなのかな、来年は乙女ゲーム開始の時期だし。
 ギリギリ間に合ったな、と思いながら教室横の廊下で足を緩め、教室のドアに手をかける。
 もうすぐ本鈴が鳴ろうとしている時間だった。

「あんな下手くそな剣であの順位とか、ひいなんじゃないかな」

 ざわめきと共に声が聞こえてきて、ドアノブにかけた手が動かなくなる。

「公爵家だしね。もしかしたら寄付が凄いのかもしれないよ。魔法は授業にすら出ないし」
「だったら剣術も授業受けなければいいのに。何アピールしてるのかな」
「病気でも頑張ってるよっていうアピールじゃない? っていうか本当に病気なのかな。僕、親に聞いたんだけど、ラオネン病にかかると、普通は小さいころに死んじゃうらしいよ」
「公爵家が嘘ついてるって?」
「その線もあるかも」
「今までずっと寝込んでたのにあの順位とかやっぱりおかしいよ」

 教室に入れる雰囲気ではなく、その場で壁に背を当てて教室の中の会話を聞いた。聞いてしまった。
 同時にじわり、と胸が苦しくなって、慌ててポケットから飴を取り出して、口に入れる。
 こういうことを言われているんじゃないかっていうのはわかっていたけど、いざ自分の耳に飛び込んでくると、どうしていいかわからなくなる。
 何事もないように教室に入って、席に座るのが一番いいんだろうなとは思うけれど、うまく足が動かない。口の中でコロ、と飴を転がしながら途方に暮れていると、廊下の向こうを歩く人物と目が合った。
 その人物はぼーっと壁に背を付けている俺を見ると、慌てたように走り出した。
 足速いなあ、なんて思っている間に、その人物は俺の目の前に現れた。

「どうした、発作か? 保健室に行くか? 歩けないなら、ほら」

 手を差し出してくれたのは、天敵君。既に身体が出来上がっているからか、目の前に立たれると威圧感が凄い。
 それにしても、天敵君がこんな風に焦った顔をしているのを見るのは、なかなかにレアなんじゃないだろうか。ぼんやりと視線を上げて首を振る。

「大丈夫です。保健室からの帰りに、ちょっと休憩していただけですから」
「でも何かを口に入れていただろう。薬じゃないのか。調子がよくないんじゃないか? それに休憩って……ここは、君の教室だろう」

 天敵君は教室にかかったプレートを見上げた。
 俺はうつむいて躊躇ためらったのち首を縦に振る。
 確かに教室の前で休憩するっておかしいかったかも。ちょっと苦しい言い訳だったか。
 俺が壁から一歩離れて天敵君にもう一度「大丈夫」と答えた途端、フワッと身体が浮いた。

「全然大丈夫な顔じゃない。次の授業は俺の都合で休んだと後で伝えるからちょっと来い」
「あ、え、ら、拉致ですか?」

 抱き上げられた驚きでおかしな言葉を発してしまうと、天敵君はちょっとだけ苦笑した後、しっかりと「拉致だ」と頷いた。
 ああ、本鈴が鳴っている。
 天敵君は俺を抱えたまま軽やかに廊下を走り、階段を駆け下り、隣の棟のサロンの一部屋に俺を置くと、「そこで待ってろよ!」と言ってすぐにきびすを返して部屋を出て行った。
 待ってろよって、もう授業も始まっているから教室に戻ることも出来ないんだけれども。
 教科書もカバンもないから、読書も出来ないし勉強も出来ない。
 でも胸がもやもやしていたから、少しだけ助かってしまった。
 大きく深呼吸して、口の中に残っていた飴をころりと舌で転がす。
 ほのかに甘い味がホッとする。この味にたくさん助けてもらったからか、この味が口の中にあるだけで、ある程度平静を保てていると思う。兄様の手と、ブルーノ君の飴の味。どっちも俺の精神安定剤だ。
 五分もせずにドアがノックされて、天敵君が戻ってきた。手にはお茶とお菓子が載っているトレイを抱えている。

「待たせたな。どうだ、調子は」
「なんともないです。ごめんなさい心配かけて」
「いや、なんともないならいい。ちゃんと先生には伝えてきたから、昼時までここでゆっくり休んでくれ。これも好きに食べていい。もし……俺がいると落ち着かないなら、俺は去るから」

 顔を見たくないだろ、と続けられた言葉に、俺は思わず変な声を出しそうになってしまった。
 天敵君もまた、ゲームの時の性格に近付いていっている気がする。ゲームでは兄様を怒らせもしていたけど、普段はちゃんと殿下の補佐として殿下をフォローしていた。
 兄様を怒らせるのはやっぱりいただけないけれど……

「あの、僕一人じゃこの山のようなお菓子は食べられないので、一緒に食べてもらえるとありがたいです。あんまり食べるとランチが入らないですし」
「ランチ……この量で」
「僕はこのマフィンひとつで十分満足できます。それに僕、ランチを楽しみに学園に来ているので、それだけは外せないのです」
「ランチを楽しみに……アルバ……って呼んでも?」
「お好きにどうぞ」
「俺のことはアドリアンと。アルバは、さっきはどうしたんだ。顔色がとても悪かった。今は……少しは落ち着いたか」

 覗き込むように視線を合わせられて、俺はちょっとだけ身を引いた。近い近い。距離感が……って、さっき抱きかかえられて運ばれたから、今更か。
 誤魔化すようにたくさんあるお菓子の中からひとつ手に取って、少しだけ齧った。ほんのり優しい甘さが口の中に広がっていく。
 美味しい、と小さく呟くと、天敵君がよかったと顔をほころばせた。
 自分も授業があったにも関わらず、ずっと俺といてくれた天敵君は、ポツポツと現状を教えてくれた。
 結局兄様たちが総会入りを辞退したこと、殿下と天敵君はずっと総会に所属していること、天敵君は殿下の護衛を辞退したこと、それでも総会は一緒になるので最初はちょっと気まずかったこと。
 あれ、俺天敵君の愚痴聞き係になってない? 
 最後のほうなんて溜息を吐きながら兄様がいれば総会ももっと楽だっただろうに、と独り言のように言っている。
 今の総会は殿下が会長、天敵君が副会長、補佐二人は五位六位の人が繰り上がってやっているらしいけれど、その二人は兄様たちが辞退してくれてよかったなんて陰で言っていたらしく、そのことに天敵君が憤っていた。

「やっぱりブルーノとオルシスが別格だから、他のやつがかすんで見えるんだよな。俺の独りよがりだとはわかっているけれど」
「だって兄様はいつでも最高ですもん。だから、総会に入ってなくても兄様はいつでも最高ってことですよ」
「だったら総会に入ったらもっと最高ってことだろ」
「違います。どこにいても兄様は最高なので、総会なんていう付属品は不要なんです」
「分かってねえなあ」
「分かってないのは天敵君です!」

 叫んだ瞬間、天敵君の目がまん丸になった。

「天敵……君、って俺のことか?」
「あ、え、っと」

 ついつい声に出してしまった。しかも本人を目の前に。
 やってしまった。焦ってしどろもどろに「いやこれは比喩というかなんというか」と言い訳を口にすると、天敵君はぶはっと吹き出した。

「俺がアルバの天敵なのか?」
「いえあの、言い間違いっていうか……」

 さらに笑いが深くなる天敵君に、俺は思わず頭を抱えた。
 笑い声がサロン内に響く。授業をする校舎とは違う建物なのが救いだ。それくらい、天敵君は大笑いし始めた。笑い事じゃないよ。失態だよ!
 顔を真っ赤にして「ちがう、違うんです、どっちかっていうと兄様の……」とさらなる墓穴を掘りかけていると、いきなりドアがノックされた。
 まだ授業終了の鐘は鳴っていない。基本サロンを使用している間は先生たちも緊急でない限り声を掛けてはこない。天敵君と顔を見合わせると、彼はスッと席を立ってドアに向かった。
 天敵君の開けたドアの向こうに見えるのは、うるわしい銀髪。
 ハッとしてソファから腰を上げると、天敵君を押しのけるように兄様が部屋に入ってきた。今、あの長い足で天敵君を蹴った気がする。蹴りどかした気がする。ワイルド兄様カッコよすぎかな⁉

「アルバ、無事?」
「兄様!」

 兄様の方に駆け寄ると、兄様は突進した俺をひょいと抱き上げた。
 そして、苦笑しながら腰をさすっている天敵君と俺を交互に見る。

「こいつからサロン管理人経由で連絡をもらったよ。具合が悪かったんだって? どうしてこんなところに来たの。保健室か僕たちの所にって言ってたでしょう」
「具合が悪いとかじゃないんです。そういうんじゃなくて」
「でも、アルバからほのかにレガーレの匂いがする。発作が起きそうだったんでしょ。何があったの。こいつが何かした?」
「あの、違います。てん……アろリアンく……殿が僕の顔色が悪いからって休めるようにこの部屋に連れて来てくれて」

 しまった、噛んだ。
 俺が言葉を紡いだ瞬間、またしても天敵君は盛大に吹き出した。兄様に蹴られた腰が痛そうなのに楽しそうに笑うとか、器用だ。

「おま、また俺のこと天敵って言おうとしただろ。それに殿とかいらないから普通に呼んでくれていい。よかった、ちゃんとオルシスに連絡がいってたんだな」
「授業途中にアルバがお前に拉致されたと聞いた僕の心境がいかほどか、お前は想像できるか?」
「だからってあんな顔したこいつを放っておけるわけねえだろ」
「どんな顔をしてたんだ」

 氷のような兄様の視線にも怯まず笑いを堪えていた天敵君は、兄様の質問にフッと真顔になった。

「なんつうか、今にも息が止まりそうな、そのまま倒れたらもう起きないんじゃないかって顔」

 天敵君の言葉に、兄様の俺を抱く手にギュッと力がこもる。そこまでじゃなかったんだけどな。前よりは強くなったつもりだし。でも天敵君には俺が弱っていたように見えたらしい。
 こんなにも悪意に弱いなんて、俺だけ全然成長してないんじゃないか、と落ち込む。
 すると兄様がかがんで、俺と視線を合わせた。

「アルバ、何があったの」
「そんな大したことは」
「大したことがないのにレガーレを舐める必要があったの?」
「あ、あれは……」

 どうしてあんなにも苦しくなったんだろう。特に気にしてないつもりだったのに。
 視線が自然と下を向く。
 するとそんな俺の頭を撫でて、兄様が天敵君に視線を向けた。

「アロリアン」
「……アドリアンな」
「アルバのつけた可愛らしい名前の方がいいだろう」
「……噛んだことを兄様にいじられるなら本望です」

 さっき舌が回らず天敵君の名前を噛んだこと、兄様はしっかりと聞いていたらしい。ちょっとだけ恥ずかしい。
 それと同時に場の空気が緩んだ。天敵君がはーっと溜息をつく。

「――恩に着る」

 兄様はその溜息に紛らせるように呟いた。小さな声は、ちゃんと天敵君に聞こえたみたいだった。
 サボった授業の後が昼休みだったので、俺たちはいつもとは違う部屋でお昼となった。
 兄様がいつも持ってきてくれるお弁当はブルーノ君の手に握られている。そして、呆れたような顔で俺たちを見下ろすブルーノ君の視線は、主に兄様に注がれていた。

「こんな大荷物を持ってお前らを探す僕の身にもなってみろ」
「ブルーノならちゃんと出来るって信じてたよ」
「そんないい顔で言われてもいらだちが募るだけなんだが」
「俺が悪かったんだ」

 いい笑顔の兄様と、神妙に頭を下げる天敵君。
 俺はなんだかんだ兄様にくっついていて精神安定を図っていたので、謝るタイミングを逃してしまった。

「あの、ブルーノ君、原因は僕で」
「わかってるから謝るな。飴の予備はあるか? ないならすぐ渡す。何個舐めてもいい。なくなる前に補充しろ。いいな」
「はい。でもまだ後二個あるから」
「二個しかないのか? 最低四、五個は持っておけと言っているだろ。今日は何があった。オルシスの歩く姿を見かけたのか? それともオルシスの水浴び姿でも見たか」
「まるで僕が病原菌みたいな言い方を……」

 ショックを受ける兄様に、それをくブルーノ君。今言われたことは、実際に発作が起こりかけた事案だから俺は何も言えない。でも兄様の尊い姿を見られたら、もう何も思い残すことはない、って毎回思うんだ。毎回最高に幸せです。
 でも、今回はそんなわけじゃなくって、ただただ俺が弱いだけです。
 そう小さく呟いたら、ブルーノ君がポン、と兄様に引っ付く俺の頭に手を載せた。

「アルバが弱いのは当たり前。強かったら多分もう命は散ってる。弱くていい。弱いからこそ、痛みに弱い。痛いとちゃんと自覚できれば、治せる。だから、痛い時は全て痛いって言うべきだ。強くならなくてもいい。病に打ち勝つ心の芯さえあればね」
「ブルーノ君の言うことは難しいです」
「どこが。痛いから痛いと言う。つらい時はつらいと言う。ただそれだけだ。難しくもなんともないだろ」
「心の芯ってところが」
「アルバはそれを持ってる。だってやまいに打ち勝ってオルシスの笑顔を守るんだろう。それが打ち勝つ力だよ」
「そうでしょうか」

 染み込む言葉に、自然としゃくりあげる。
 本当に俺は心の芯なんて持てているだろうか?
 だって何度俺がいなければって思ったことか。俺さえいなければ、兄様もブルーノ君も総会役員になって将来安泰で、お荷物もいなくて。ちゃんと年相応の青春を謳歌して、こんな研究で時間を浪費することもなくて……

「僕がこんなに弱いから、兄様と父様のことまで悪く言われてしまうのです」

 何よりもそれがつらい。
 そう言えば、兄様はぎゅっと俺のことを抱きしめた。
 込み上げる何かは、安心した証。抱き締められた腕は、絶対的安全な場所で、俺の居場所は、ちゃんとここに在るんだって、その熱で教えてくれる。
 ぼろぼろ落ちる涙を手で拭って、俺はあの場では吐き出せなかった言葉を口にする。

「奇跡的に順位が高かったのは、兄様に勉強を教えてもらえたからなのに。それを否定されたら兄様を否定されたも同然です。僕のことはなんて言われてもいいけれど、兄様を悪く言うあいつらはちょっと許せない……」

 うん、だんだん怒りの方が強くなってきた。
 ギリ、と兄様の腕の中で奥歯を噛みしめると、ぶは、と吹き出す天敵君の声がサロンに響いた。
 そのまま天敵君も一緒にお昼を食べて、体調が落ち着いた俺は、兄様に送られて教室に戻った。先生は教室の前でわざわざ待っていてくれて、とても心配してくれた。
 けれど、教室はどうも雰囲気がよくなかった。
 俺が教室のドアを開け顔を見せると、楽しそうな話し声がんで教室に静寂が訪れる。

「アルバ、これが原因?」

 後ろに立っていた兄様が、そっと俺に聞いた。このクラスの雰囲気が、皆の目が、俺を異物と言ってるようなものだから、そりゃ気付くだろう。でももう大丈夫だ。
 俺は首を横に振った。肩に置かれた兄様の手がとても心強い。
 確か、さっきの声は、どこぞの伯爵の子とその仲間たちの声だと、壁際の席に目を向ける。皆が俺たちに注目しているのがわかる。特に、伯爵の子。この雰囲気はあれだね。自分たちが大分ヤバい話をしていたっていうのは自覚しているんだろう。
 俺と目が合うと、例の子はふいっと視線を逸らした。
 同時に物理的に背中が寒くなる。兄様の雰囲気がとても寒い。意図的に魔力を発して、威嚇しているようだ。俺にとってはとんでもなく心地よくてうっとりする氷の魔力は、教室の温度を物理的に二、三度下げて、皆の心を凍えさせていた。
 その魔力が、俺の怒りを消していく。兄様たちを馬鹿にした子たちに倍返しを、と意気込んでいた気持ちが穏やかになっちゃいそうだ。ムカッとする気持ちも兄様に包み込まれるようにしぼんでいって、思わず「ああ、癒される」と呟くと、近くにいた子が驚いたようにこっちを凝視した。
 よし、兄様が自分の教室に戻ったら倍返し! と気合を入れ直す。

「兄様、送ってくれてありがとうございます」

 キリッと顔を上げてお礼を言うと、兄様はとびっきりの笑顔を見せて、ギュッと僕を抱き締めた。
 その兄様の行為に俺はフリーズした。

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福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。 目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。 でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい… ……あれ…? …やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ… 前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。 1万2000字前後です。 攻めのキャラがブレるし若干変態です。 無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形) おまけ完結済み

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