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第壱章 影一族
第肆話 花菱家の掟
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倭国の最東端、中津東の国からさらに東に海を進むと、端島の国と呼ばれる小さな島がある。断崖絶壁と深い山林に覆われ、外見からは人里らしきものも見当たらない、無人島のような島である。
最強の忍が住むと言われる燻隠れの里は、この端島の山奥にひっそりと身を隠してきた。元々は大陸の勢力争いに敗れ、東の果ての果てまで追いやられた歴史の敗北者の一族であった。端島の民は、まともに農業ができる土地もないこの小島で、主に海の恵みで食いつないできた。
しかし、幾世代を経て、断崖絶壁に囲まれた厳しい環境に適応し続けた彼らは、やがて驚異的な身体能力を誇ることとなる。戦国の世になってからは、島の一族は、しばしば出稼ぎ目的で島を出て、傭兵や海賊などを行い、副収入を増やしていった。
そして戦国の動乱を経験するうちに、次第に彼らは、自身の身体能力が忍びの術を用いるのに極めて優位であることに気づく。その後、端島に「燻隠れの里」という忍の里が成立するのには、長い時間は必要なかった。燻隠れの忍の術は、世の他の忍びと比較して群を抜いており、今も「影の一族」の呼称で多くの侍から恐れられている。
中津東を治めてきた花菱家は、戦国の世の中でいち早く燻隠れの影一族の存在を知った。辺境の小国である両国は相争う愚を犯すことはなかった。大陸との繋がりのある中津東は、大陸の物資を燻隠れの里に供給し、対価として自国の防衛に、影一族の忍びの応援を得る。双方に利のある関係を結んだのだ。
その後両国の蜜月の時はさらに深まり、中津東・領主の侍の中には燻隠れに赴き、修行を積むものが現れた。やがて花菱家までも嫡子を燻隠れで修行させるようになり、ついには修行を修めた者に家督相続の権利を与えるという掟を定めるまでになった。
花菱乱馬は、中津東の国の次期当主となるはずの男であった。しかし8歳の時、燻隠れの里に身を寄せて間もない頃、父である数馬が、弟の数親(乱馬の伯父)に寝首をかかれた。
下克上の世の中においては、珍しくはないことではある。次男坊であった数親に、燻隠れの里での修行経験はない。
掟に反するとして、数親の家督相続に異論を唱える家臣も居なくはなかったが、幼少でかつ、海の向こうで修行中の乱馬が数親と争う術はなく、この内紛は終息してしまった。
乱馬の怒りは深い。伯父・数親は己の国を横取りした上、竜ヶ崎の圧力にあっさりと屈し、所領安堵と引き換えに高額の上納金を納めることを約束しているのである。己の地位と領土を奪われただけでも、憎悪が尽きぬというのに、取り上げたものを易々と外者に差し出すことはさらに度し難い。
(俺なら戦える!竜ヶ崎に屈することなどありえない。人から国を奪っておいて、強敵が現れたら尻尾を振って明け渡すだと?ふざけるな。必ず、必ず親父を、俺を虚仮にしたこと、後悔させてやる。)
「明日・・・。」
目をぎらつかせながら乱馬が口を開いた。
「伯父貴と決着をつける。動けるな?」
「敵の兵力はいかほどでしたかな。」
「総勢で千五百といったところだ。ふふん、中津東は小国ゆえな。」
「確かに一国の兵力としては、やや心許ないですな。対するわれらの兵力は?」
雷堂の問いに、ひじ掛けに寄りかかりながら乱馬は不敵に笑って答えた。
「ふふ、とぼけたことを。お前と俺だろうが。今日初めて、端島からここに二人で海を渡ったのを忘れたか?」
「・・・わ、若様。なりませぬ。早急に身をお隠しなされ。」
彦部が青ざめて口をはさんだ。悠然とした自信あふれる態度の乱馬を見て、彦部は、乱馬が燻隠れから相当数の手勢を引き連れて本国にわたったのだと思い込んでいたのだ。常識で考えて、二人で千五百の軍を相手にするなど、作戦のうちにも入らない、常軌を逸した行為である。
「我ら二人とは・・・、ちと戦力が足りのうございますな。」
顎に指を添えながら、雷堂が思案顔で答えた。彦部が頭を縦にブンブン振る。内心(「ちと」ではございませぬぞ。)と突っ込みも入れてはいるが。
「若をお守りする人間が一人、攻め入る人間が一人・・・、つまり若の他に二人は人が要りましょうな。」
「い・・・(いやいやいや)。」
(全然足りないから!)思わず無礼な言葉を口走りそうになって、彦部は慌てて口をつぐんだが、乱馬は全く気にすることなく続けた。
「護衛はいらんだろう。俺も攻める。」
「流石にそういう訳には。拙者がわが殿に怒られまする故な。」
「御子柴の爺か。爺には俺から言うておいてやるわ。」
御子柴とは、燻隠れの忍の長である、齢75歳にして未だ現役を維持する怪老である。
「また、そういういい加減なことを。燻隠れに戻られる気もないくせに、どうやってわが殿を説得するおつもりか。」
「ちっ・・・。」
雷堂に冷静に突っ込まれ、乱馬が悪態をついた。燻隠れの忍、雷堂からすれば、国賓扱いの乱馬の身に何かあれば、己が叱責を受けるので、これは致し方ない。
「少々大変ではあるが、此度については拙者一人に任されたい。」
「おま・・・、そんなこと。」
「拙者にも若を守る責任があります故な。気に入らぬのなら拙者を倒してゆかれよ。」
「ちっ・・・。」
悔しそうな表情をしつつ、乱馬は自重した。
一方、傍らの彦部は静かに絶望していた。
(ああ、一対千五百とか・・・。影の一族はすごいといううわさを聞いてはいたが、どうやら頭のぶっ飛び方がすごいだけだったようだ。七人衆に選ばれた忍といえど、いくら何でも勝てるわけがない。若様の帰還に期待をかけた儂が愚かだった。わしらの命運は、とうに尽きておったわ。)
最強の忍が住むと言われる燻隠れの里は、この端島の山奥にひっそりと身を隠してきた。元々は大陸の勢力争いに敗れ、東の果ての果てまで追いやられた歴史の敗北者の一族であった。端島の民は、まともに農業ができる土地もないこの小島で、主に海の恵みで食いつないできた。
しかし、幾世代を経て、断崖絶壁に囲まれた厳しい環境に適応し続けた彼らは、やがて驚異的な身体能力を誇ることとなる。戦国の世になってからは、島の一族は、しばしば出稼ぎ目的で島を出て、傭兵や海賊などを行い、副収入を増やしていった。
そして戦国の動乱を経験するうちに、次第に彼らは、自身の身体能力が忍びの術を用いるのに極めて優位であることに気づく。その後、端島に「燻隠れの里」という忍の里が成立するのには、長い時間は必要なかった。燻隠れの忍の術は、世の他の忍びと比較して群を抜いており、今も「影の一族」の呼称で多くの侍から恐れられている。
中津東を治めてきた花菱家は、戦国の世の中でいち早く燻隠れの影一族の存在を知った。辺境の小国である両国は相争う愚を犯すことはなかった。大陸との繋がりのある中津東は、大陸の物資を燻隠れの里に供給し、対価として自国の防衛に、影一族の忍びの応援を得る。双方に利のある関係を結んだのだ。
その後両国の蜜月の時はさらに深まり、中津東・領主の侍の中には燻隠れに赴き、修行を積むものが現れた。やがて花菱家までも嫡子を燻隠れで修行させるようになり、ついには修行を修めた者に家督相続の権利を与えるという掟を定めるまでになった。
花菱乱馬は、中津東の国の次期当主となるはずの男であった。しかし8歳の時、燻隠れの里に身を寄せて間もない頃、父である数馬が、弟の数親(乱馬の伯父)に寝首をかかれた。
下克上の世の中においては、珍しくはないことではある。次男坊であった数親に、燻隠れの里での修行経験はない。
掟に反するとして、数親の家督相続に異論を唱える家臣も居なくはなかったが、幼少でかつ、海の向こうで修行中の乱馬が数親と争う術はなく、この内紛は終息してしまった。
乱馬の怒りは深い。伯父・数親は己の国を横取りした上、竜ヶ崎の圧力にあっさりと屈し、所領安堵と引き換えに高額の上納金を納めることを約束しているのである。己の地位と領土を奪われただけでも、憎悪が尽きぬというのに、取り上げたものを易々と外者に差し出すことはさらに度し難い。
(俺なら戦える!竜ヶ崎に屈することなどありえない。人から国を奪っておいて、強敵が現れたら尻尾を振って明け渡すだと?ふざけるな。必ず、必ず親父を、俺を虚仮にしたこと、後悔させてやる。)
「明日・・・。」
目をぎらつかせながら乱馬が口を開いた。
「伯父貴と決着をつける。動けるな?」
「敵の兵力はいかほどでしたかな。」
「総勢で千五百といったところだ。ふふん、中津東は小国ゆえな。」
「確かに一国の兵力としては、やや心許ないですな。対するわれらの兵力は?」
雷堂の問いに、ひじ掛けに寄りかかりながら乱馬は不敵に笑って答えた。
「ふふ、とぼけたことを。お前と俺だろうが。今日初めて、端島からここに二人で海を渡ったのを忘れたか?」
「・・・わ、若様。なりませぬ。早急に身をお隠しなされ。」
彦部が青ざめて口をはさんだ。悠然とした自信あふれる態度の乱馬を見て、彦部は、乱馬が燻隠れから相当数の手勢を引き連れて本国にわたったのだと思い込んでいたのだ。常識で考えて、二人で千五百の軍を相手にするなど、作戦のうちにも入らない、常軌を逸した行為である。
「我ら二人とは・・・、ちと戦力が足りのうございますな。」
顎に指を添えながら、雷堂が思案顔で答えた。彦部が頭を縦にブンブン振る。内心(「ちと」ではございませぬぞ。)と突っ込みも入れてはいるが。
「若をお守りする人間が一人、攻め入る人間が一人・・・、つまり若の他に二人は人が要りましょうな。」
「い・・・(いやいやいや)。」
(全然足りないから!)思わず無礼な言葉を口走りそうになって、彦部は慌てて口をつぐんだが、乱馬は全く気にすることなく続けた。
「護衛はいらんだろう。俺も攻める。」
「流石にそういう訳には。拙者がわが殿に怒られまする故な。」
「御子柴の爺か。爺には俺から言うておいてやるわ。」
御子柴とは、燻隠れの忍の長である、齢75歳にして未だ現役を維持する怪老である。
「また、そういういい加減なことを。燻隠れに戻られる気もないくせに、どうやってわが殿を説得するおつもりか。」
「ちっ・・・。」
雷堂に冷静に突っ込まれ、乱馬が悪態をついた。燻隠れの忍、雷堂からすれば、国賓扱いの乱馬の身に何かあれば、己が叱責を受けるので、これは致し方ない。
「少々大変ではあるが、此度については拙者一人に任されたい。」
「おま・・・、そんなこと。」
「拙者にも若を守る責任があります故な。気に入らぬのなら拙者を倒してゆかれよ。」
「ちっ・・・。」
悔しそうな表情をしつつ、乱馬は自重した。
一方、傍らの彦部は静かに絶望していた。
(ああ、一対千五百とか・・・。影の一族はすごいといううわさを聞いてはいたが、どうやら頭のぶっ飛び方がすごいだけだったようだ。七人衆に選ばれた忍といえど、いくら何でも勝てるわけがない。若様の帰還に期待をかけた儂が愚かだった。わしらの命運は、とうに尽きておったわ。)
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