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第壱章 影一族

第捌話 暗闘

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「いるのは分かっている。さっさと姿を現せ。」

 焼け焦げた骸の山に腰かけ、乱馬が虚空に向けて吠えた。雷堂は先ほどから全く姿勢を崩すことなく、キセルをくゆらせている。

「・・・・・・」

 重たい沈黙が続く。朧に姿を現す気などない。状況は明らかに不利。一人で千五百の兵を手玉に取った雷堂は、同士討ちを利用し、すべてを自らの手で下したわけではないとはいえ、全く呼吸を乱していない。化け物としか言いようがない。

 そして、中津東の真の領主である乱馬にも隙がなかった。朧が動くとすれば、不意の一撃で乱馬をれる場合のみだ。例え相打ちか、そのすぐ後に雷堂に自分が打ち取られたとしても、花菱乱麻を消せば、中津東の制圧はなったも同然といえる。

 だが、隙がない。動けば先にやられる圧力が場を支配している。もっとも朧自身、こんなところで己の命をなげうってまで任務を果たす気もない。(とにかく今は我慢。集中力が散るのを待ち、徐々に、徐々に距離を取り退避する。)

 朧は、焼け焦げて傾いた陣幕の骨組みとその傍らに折り重なる骸の隙間にうずくまり、擬態している。戦闘が始まる前は、足軽に扮して軍勢に紛れていた。実は混戦の中どさくさに紛れて脱出しようと何度も試みたが、同士討ち以外の怪しい動きをする者をただの一人も見逃すことなく、雷堂は仕留めていった居た。己の遁走の動きも、行動に移せば気取られる・・・、それを悟った朧は、とうとう最後までこの場を離れることができなかったのだ。

 群衆に紛れるということは、通常は紛れた時点ですでに身をくらましているに等しい。最初から軍勢に紛れた状況にありながら、一時も逃げおおせるチャンスがなかったというのは、通常忍としては考えられないことである。

 (あ、焦るな。焦れば、それだけ死が確実になる。)何とか気を落ち着かせようとするが、あまりの威圧感のために、正気を維持するのも一苦労だ。つい半日前、小山城の天守で菊川次郎右衛門の傍らに控え、菊川の懐刀として大物を気取っていた人間とは、とても同じ人物とは思えない無様な姿だ。

 朧は知る由もないが、それは無理もないことではある。文字通り一騎当千の戦闘力を誇る雷堂光は、燻隠れの忍の中のエリート中のエリート、影の七人衆の一人であるのだが、花菱乱馬もまた七人衆に名を連ねる実力者である。当主の血筋を理由に雷堂にたしなめられたので、戦闘にこそ参加しなかったが、一度刀を抜けば、実力は雷堂に全く引けを取らない。

 一騎当千が二人揃い、威圧をかけるその状況は、朧にとって絶望に他ならない。(戦ってはだめだ。なんとしても生き延び、この事実を菊川様に報告せねば。今の兵力では菊川様とて、ただではすまぬ。)

ジリ──

 ほんの一寸(約3㎝)ほど、慎重に心を配りながら朧が後ずさりをした。

ザクッ

「!!」

 辛うじて悲鳴をあげることだけは何とかこらえた。地面についていた左手をかぎ状の貫き大地に縫い付けていた。なんということだ、逃げようとわずかに動いたその気配を察知された。しかも地面に縫い付けられてしまった。鉤状の苦無は、釣り針のように一度刺されば、刃が肉に引っかかり簡単には抜けない。

 雷堂が朧の隠れているあたりを見ている。何かが動く気配を感じて苦無を飛ばしたが、朧は再び石のように動きを止め、気配を殺した。雷堂と朧の距離は約3間(5.5m)ほど。雷堂も乱馬もまだそちらに向けて間合いを詰めようとはしない。

 変り身の術というものがある。囮のものをある場所で動かし、そちらに注意を向けておいて自らは反対方向に走り去る遁走術の一つだ。二人はそれを警戒して、まだ動かない。

「出てこぬな。」
「いるのは確実ですが、・・・ね。」
「らちが明かぬな。それ、着火けてしまえばよかろう。」

「!?」

 朧の勘がその言葉に反応した。雷堂が乱馬に言葉を返すのが聞こえてくる。

「まあ、そうですな。反対側の警戒はお願いしますよ。」

 不意に己の手に刺さった鉤苦無を見やる。

 (こ、これは。火薬が仕込まれている。そ、そして──)鉤苦無には火薬の塊が縛り付けられており、その一端から細い糸がぴんと張られている。細くて見えなかったがその糸をたどっていくと、雷堂の手に握られていることに気付いた。

 火遁 電光石火の術──

 雷堂が、左手に巻いていた糸の一端を奇妙な動作でこすりつけた。指に仕込まれた火打石を打ち合わせたのだ。生じた火花は糸に移り、糸に沿って瞬く間に燃え移る。

 (う、うおおぉぉおお!!)朧が戦慄する。燃え移る先は己の手を縫い付ける鉤苦無。

 ズドン!!

 鉤苦無に仕込まれた火薬に火が到達し、爆炎を上げた。

「・・・、若、すまぬ。取り逃した。」
「・・・。お前らしゅうないな。が、まあ、致し方ないか。」



 爆炎を上げた場所に朧の死体はなかった。ただ、縫い付けられた左手のみがそこで焼け焦げている。

「まるでトカゲのようなやつよ。あの一瞬で自らの手を切り落とす判断をするとは、敵ながらなかなか見上げたものよの。」
「・・・気を付けられよ。奴の心はまだ折れていない。生きて返してしまった以上、奴はこの恨み晴らすべく、執念を持って若の命を狙うに違いありません。」

「そんな手落ちをした割に、あまり申し訳なさそうな表情をしておらぬな。」
「いや、・・・そういう輩をさらなる地獄に引きずり落とすのは嫌いではございませぬので。」

 そう答え、雷堂は不敵な笑みを浮かべた。


 惨劇の戦場から丘ひとつ隔てた沢まで朧は這う這うの体ほうほうのていで逃げた。激痛に苦しみながらも何とか止血は完了した。止血したとはいえ、かなりの血を失い、体力はもう限界に近い。(な、何としてでも戻らねば。己、このままでは済まさぬぞ。)

 寒空の下、半ば干からびたように衰弱した体を引きずりながら、朧は復讐を誓うのだった。
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