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5. 私は人形のように
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陽光を受けて目を覚ます。
陽は中天に昇っている、時刻は昼。
うっすらと目を開けると、窓際に座るグリムの姿が見えた。
私が身じろぎした音を聞いて、彼は視線をこちらへ向ける。
「おはよう」
「おはようございます。……私はどれくらい眠っていましたか?」
「大した時間じゃない。まだ疲れは取れていないだろう?」
「……いえ。聖女は体力の回復が早いので、もう問題ありません」
……嘘だ。
別に聖女にそんな力はない。
だけど、グリムにこれ以上負担をかけたくないから。
そういえば、私は嘘をついたことなんてほとんどない。
言うと不利になるようなことは、黙っているようにと教わったから。
「そうか。腹も空いただろう。ご令嬢の口に合うかわからないが……」
グリムはカゴからスコーンと果実をいくつか取り出した。
中には入手することの難しい焼き菓子も入っている。
人知れぬグリムの気遣いが感じ取れた。
「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」
私は彼に感謝して食事を始めた。
カトラリーを使わない食事をすることは珍しくて、作法が合っているのかどうか不安になる。
しかしグリムは私の所作には気も配らず、窓から外を警戒して見ていた。
「……帝都に着けば、王国の貴族よりも快適な生活ができる。向こうには兄上もいるから、事情を話せば支援してくれるだろう。とはいえ……国境を超えるまでが遠いな」
「グリムは帝国出身なのですか?」
「まあ、そうだな。君に命を助けてもらったあの日、俺は政務……仕事で王国に来ていたんだ。そこで刺客に殺されかけて、側近もみな殺されて……なんとか逃げていた。今となっては、殺されかけた俺の方が刺客になっているのはお笑い種だな」
グリムはそれだけ言って口を閉ざしてしまった。
自分の過去を話したくないのだろうか。
私が自分の過去を話せば、彼も心を開いてくれる……?
「私、知らないのです。王国を出たことがないので、自由に世界を歩ける人の気持ちはわかりません。好きな夜会に行くことや、買い物に行くことなどもできませんでした。外国に行くって、どういう気持ちを覚えるものなのでしょう」
「箱入り娘ってやつか。……聖女の重要性を考えれば、万が一にも国外に出すわけにはいかないんだろうな」
「はい。箱入り娘といっても、殿下から始末されかけましたが」
「……無用になったら捨てる。たとえそれが人の命であろうともね。それが王国のやり方というわけだ。国際上、重要な役割をもつ聖女の暗殺を企てたことは問題になるだろう」
聖女は血脈によって受け継がれるものではない。
大地に瘴気が蔓延ったとき、まれに聖女の証である聖痕を持つ者が生まれる。
出自が貴族とも限らないし、王国に生まれるとも限らない。
私の活動によって、あと百年は瘴気を抑えておけるようになった。
つまり、今を生きる人々にとって瘴気によるリスクは消えたことになる。
他国の瘴気や未来の人々のことを考えないのなら、私は用済みだ。
だからゼパルグ殿下も暗殺に踏み切ったのだろう。
「私は生まれてから、つい昨日までずっと聖女でした。
グリムは……どうですか? 生まれてから、ずっと同じ生き方をしているのですか?」
彼のことをもっと知りたい。
私のことを知ってほしい。
漠然と、そう思った。
「子どものころから、俺は無用の長物として扱われていた。帝国のとある家系に生まれた俺だが、継承権が低く……せいぜい外交の道具くらいにしか見られていなかったんだ。
そして、あの日……エムザラに救ってもらったあの日。俺は刺客に襲われ、命を失いかけていた。このまま誰にも必要とされずに死ぬのかと、世界を憎んだよ」
憎んだ――私はどうだろう。
道具のように私を使った国を、実家を憎んでいるのだろうか。
その答えすら、心から吐き出せない。
いっそ、あの日グリムを助けない方がよかったのだろうか。
あのまま死へ送って楽にしてあげるべきだったのかもしれない。
「けれど、同時に誓ったんだ。あの日、救ってくれた君を助けると。俺は帝国の密偵として王国に忍び込み、ゼパルグ王子の暗殺者として取り入った。そして王国の情報を帝国に流し……今日まで活動を続けてきた。時には聖女の情報を集めながらね。
……そんな俺を軽蔑するか?」
「いえ、優秀な諜報能力だと思います。ですが、よく帝国の密偵だとバレませんでしたね」
「王国の政治は腐敗していて、かなり暗躍しやすかった。聖女の噂もよく聞いたよ。『聖女としての実力はたしかだが、まるで人形のようだ』……とね」
人形。
何度もそう呼ばれた。
日増しに人形と誹りを受ける機会は多くなっていき、最初は感じていた憤りも感じなくなった。
私はひとつ、尋ねてみたくなった。
「グリム。あなたは私を人形のようだと感じますか?」
問いかけに対して、グリムはしばし沈黙する。
彼はふっと息を吐く。
それから私の瞳を見て告げた。
「――ああ、思うよ。
嘘を言おうか迷ったが、正直いまのエムザラは人形みたいだと思う。幼少期に会った君からは、窮屈ながらも利発的な印象を受けた。あの日の笑顔が眩しかったこと、いまでも覚えている」
グリムは嘘をつかずに本心を述べた。
別にショックは受けていない。
実際、大勢の人が私に抱く印象が『人形』なのだ。
グリムだけが例外ではないだろう。
「だけど。俺がもう一度、君を笑わせてやる」
「私を……?」
「ああ。その……言うのも気恥ずかしいが、俺は君の笑顔に……こ、好意的な感情を覚えた。
エムザラが聖女に縛られて、知ることのできなかった世界。失ってしまった感情。俺にすべてを取り戻させてくれ」
不思議と鼓動が早くなった。
まっすぐに向けられる視線が熱い。
このままグリムと一緒にいれば、私は変われるかもしれない。
だから……彼を信じよう。
陽は中天に昇っている、時刻は昼。
うっすらと目を開けると、窓際に座るグリムの姿が見えた。
私が身じろぎした音を聞いて、彼は視線をこちらへ向ける。
「おはよう」
「おはようございます。……私はどれくらい眠っていましたか?」
「大した時間じゃない。まだ疲れは取れていないだろう?」
「……いえ。聖女は体力の回復が早いので、もう問題ありません」
……嘘だ。
別に聖女にそんな力はない。
だけど、グリムにこれ以上負担をかけたくないから。
そういえば、私は嘘をついたことなんてほとんどない。
言うと不利になるようなことは、黙っているようにと教わったから。
「そうか。腹も空いただろう。ご令嬢の口に合うかわからないが……」
グリムはカゴからスコーンと果実をいくつか取り出した。
中には入手することの難しい焼き菓子も入っている。
人知れぬグリムの気遣いが感じ取れた。
「いえ、嬉しいです。ありがとうございます」
私は彼に感謝して食事を始めた。
カトラリーを使わない食事をすることは珍しくて、作法が合っているのかどうか不安になる。
しかしグリムは私の所作には気も配らず、窓から外を警戒して見ていた。
「……帝都に着けば、王国の貴族よりも快適な生活ができる。向こうには兄上もいるから、事情を話せば支援してくれるだろう。とはいえ……国境を超えるまでが遠いな」
「グリムは帝国出身なのですか?」
「まあ、そうだな。君に命を助けてもらったあの日、俺は政務……仕事で王国に来ていたんだ。そこで刺客に殺されかけて、側近もみな殺されて……なんとか逃げていた。今となっては、殺されかけた俺の方が刺客になっているのはお笑い種だな」
グリムはそれだけ言って口を閉ざしてしまった。
自分の過去を話したくないのだろうか。
私が自分の過去を話せば、彼も心を開いてくれる……?
「私、知らないのです。王国を出たことがないので、自由に世界を歩ける人の気持ちはわかりません。好きな夜会に行くことや、買い物に行くことなどもできませんでした。外国に行くって、どういう気持ちを覚えるものなのでしょう」
「箱入り娘ってやつか。……聖女の重要性を考えれば、万が一にも国外に出すわけにはいかないんだろうな」
「はい。箱入り娘といっても、殿下から始末されかけましたが」
「……無用になったら捨てる。たとえそれが人の命であろうともね。それが王国のやり方というわけだ。国際上、重要な役割をもつ聖女の暗殺を企てたことは問題になるだろう」
聖女は血脈によって受け継がれるものではない。
大地に瘴気が蔓延ったとき、まれに聖女の証である聖痕を持つ者が生まれる。
出自が貴族とも限らないし、王国に生まれるとも限らない。
私の活動によって、あと百年は瘴気を抑えておけるようになった。
つまり、今を生きる人々にとって瘴気によるリスクは消えたことになる。
他国の瘴気や未来の人々のことを考えないのなら、私は用済みだ。
だからゼパルグ殿下も暗殺に踏み切ったのだろう。
「私は生まれてから、つい昨日までずっと聖女でした。
グリムは……どうですか? 生まれてから、ずっと同じ生き方をしているのですか?」
彼のことをもっと知りたい。
私のことを知ってほしい。
漠然と、そう思った。
「子どものころから、俺は無用の長物として扱われていた。帝国のとある家系に生まれた俺だが、継承権が低く……せいぜい外交の道具くらいにしか見られていなかったんだ。
そして、あの日……エムザラに救ってもらったあの日。俺は刺客に襲われ、命を失いかけていた。このまま誰にも必要とされずに死ぬのかと、世界を憎んだよ」
憎んだ――私はどうだろう。
道具のように私を使った国を、実家を憎んでいるのだろうか。
その答えすら、心から吐き出せない。
いっそ、あの日グリムを助けない方がよかったのだろうか。
あのまま死へ送って楽にしてあげるべきだったのかもしれない。
「けれど、同時に誓ったんだ。あの日、救ってくれた君を助けると。俺は帝国の密偵として王国に忍び込み、ゼパルグ王子の暗殺者として取り入った。そして王国の情報を帝国に流し……今日まで活動を続けてきた。時には聖女の情報を集めながらね。
……そんな俺を軽蔑するか?」
「いえ、優秀な諜報能力だと思います。ですが、よく帝国の密偵だとバレませんでしたね」
「王国の政治は腐敗していて、かなり暗躍しやすかった。聖女の噂もよく聞いたよ。『聖女としての実力はたしかだが、まるで人形のようだ』……とね」
人形。
何度もそう呼ばれた。
日増しに人形と誹りを受ける機会は多くなっていき、最初は感じていた憤りも感じなくなった。
私はひとつ、尋ねてみたくなった。
「グリム。あなたは私を人形のようだと感じますか?」
問いかけに対して、グリムはしばし沈黙する。
彼はふっと息を吐く。
それから私の瞳を見て告げた。
「――ああ、思うよ。
嘘を言おうか迷ったが、正直いまのエムザラは人形みたいだと思う。幼少期に会った君からは、窮屈ながらも利発的な印象を受けた。あの日の笑顔が眩しかったこと、いまでも覚えている」
グリムは嘘をつかずに本心を述べた。
別にショックは受けていない。
実際、大勢の人が私に抱く印象が『人形』なのだ。
グリムだけが例外ではないだろう。
「だけど。俺がもう一度、君を笑わせてやる」
「私を……?」
「ああ。その……言うのも気恥ずかしいが、俺は君の笑顔に……こ、好意的な感情を覚えた。
エムザラが聖女に縛られて、知ることのできなかった世界。失ってしまった感情。俺にすべてを取り戻させてくれ」
不思議と鼓動が早くなった。
まっすぐに向けられる視線が熱い。
このままグリムと一緒にいれば、私は変われるかもしれない。
だから……彼を信じよう。
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