上 下
63 / 105
4章 咎人綾錦杯

6. すてきな一日を

しおりを挟む
 ──五年前。


 手元でぐるぐる、スープが回る。熱い。
 背後ではトースターがパンを焼き上げる。香ばしい。

 俺の朝はいつも忙しない。
 というのも、健康的な食事を作らなきゃいけないから。俺が一人暮らしなら適当な冷凍食品で済ませるんだが、彼女の健康を考えるとバランスのとれた食事を作る必要があるんだ。

 「…………」

 ああ、感謝してほしいとも。
 俺の貴重な時間を食事なんぞのために使ってやってるんだから。
 ……今日も彼女は眠そうな足取りでリビングにやってくるのだろう。

 「おはよー、レヴ」

 「おはよう」

 起きたばかりのヨミが、テーブル前の椅子に座る。
 今日の服は……白のブラウスと青のスカートか。
 毎日のことだが寝ぐせが酷いな。

 朝食を作るのはいつも俺の仕事。
 俺はヨミの兄みたいなものだからね。

 「今日はパンだね!」

 「正解。スープは何かな?」

 「かぼちゃスープ!」

 「うん、正解」

 ヨミは厨房の匂いを嗅いで、朝食の内容を言い当てる。
 相変わらず感覚が鋭い子だな。俺は匂いなんてどうでもいいけど。彼女と俺とでは、見ている世界が違うのだ。

 こうして二人で暮らし初めて、三年の時が経つ。
 互いが互いの性質をよく理解するようになっていた。俺の本性は……まだ見抜かれてないといいんだけどな。彼女は鋭いからどうだろうか。
 見抜いていたとして、言及はしないと思うが。

 「いただきます」

 食卓に朝食を並べ、二人で食べ始める。
 食事の時間はいつも静かだ。特に話すこともない。少なくとも俺から語れることは、何一つとしてなかった。

 「レヴ、お仕事は順調?」

 「ああ……まあ、それなりにね。竜殺しの仕事も板についてきた。
 いつか仕事で稼いだお金で、君に綺麗なプレゼントを贈るよ」

 うそぶいた。
 だまして、かたって、俺はまた素性をひた隠す。

 人殺しを生業としているなんて、誰に話せるだろうか。
 表向きには竜殺しの仕事だって熟しているんだ、完全な嘘とは言えない。だから……俺は何も、彼女に間違ったことは教えていないんだ。

 「無理しないでね」

 「うん」

 朝食を食べ終えて、ヨミの後ろに立つ。彼女は座ったまま。
 俺は艶のある黒髪に手を伸ばした。

 「今日はどうする?」

 「ん……レヴにお任せ」

 「じゃあツインテールでいいかな」

 手早く寝ぐせを直し、髪を結ぶ。
 俺がヨミの髪を結ぶ時もあれば、彼女が自分で結ぶ時もある。それも完全に気分次第だ。

 「今日はね、体育の授業で卓球をするんだって」

 「そうなんだ」

 「私はできないけどね」

 「そうだね。ヨミじゃ他の人とはできないよ。いつか俺とやろう」

 「うん!」

 彼女は学校に通っている。
 俺は学校なんて行ったことがないからわからないけど、アレは「配慮」にあふれた素晴らしい教育施設らしい。
 人類の美徳は素晴らしい。思わずため息が出てしまうほどに。

 ざっとヨミの身体を見て、外傷を確認する。
 大丈夫。傷はない。

 「今日もすてきな一日になるように。俺は祈ってるよ」

 「うん、私も祈ってるね。レヴの一日がすてきな日になりますように!」

 そして俺は血なまぐさい仕事へ。ヨミは素晴らしく平等な学校へ。
 互いのグッドラックを祈り、一日を歩み出した。

 ー----

 「レヴー?」

 「……ん」

 レヴリッツは寝ぼけまなこで起き上がる。
 時刻は朝。目の前には真紅の瞳で彼を見つめるヨミ。昨夜は……インフラ配信を終えて、疲れて眠っていたはずだ。
 勝手にヨミが部屋に入って来るのは、それなりにある日常。

 どうやら目覚ましをかけていたつもりが、かかっていなかったらしい。

 「おはよう!」

 「…………あぁ」

 何の夢を見ていたのか、レヴリッツは思い出せない。
 どこか幸福に満ちた夢だった気がするが……そもそも自分に幸せな時間など存在しなかったことを思い出す。きっと悪夢を幸福な夢だと錯覚したのだろう。

 「朝のランニングに行こう」

 毎朝のランニングと素振りは欠かさない。
 基礎体力が落ちれば、まともなパフォーマンスもできなくなる。

 レヴリッツはおもむろに立ち上がり、大きく伸びをした。
 それから顔を洗い、さっと着替える。いつもの青みがかった黒着物。姿の偽装に綻びがないことも確認する。

 「なあヨミ。俺、変な寝言つぶやいてなかった?」

 「変な寝言? 部屋に入ってすぐにレヴを起こしたから、何も聞いてないよ?
 ……もしかしてえっちな夢見てた?」

 「……そうだね。さて、行くか」

 軽く戯言を流し、彼はドアノブに手をかける。

 「あ、そうそうレヴ」

 「ん?」

 「今日もすてきな一日になりますように!」

 ヨミの言葉にひどく懐かしいものを覚えながら、彼は苦笑い。

 「すてきな一日なんて……もう来ないよ」

 そう呟き、部屋の外へ出て行った。

 ー----

 レヴリッツたちがパフォーマー活動を繰り広げる、リンヴァルス国から遠く離れた地。
 シロハ国にて。

 官邸の一室で、シロハ国の重鎮が息を吐いた。
 夜闇の中……政治家の彼は天を仰ぐ。

 「ふぅ……奴はまだか」

 この部屋には彼しか人はいない。
 これより重大な密会を行うがために、側近の秘書すらも払っていた。

 「いやあ、お待たせしました。ちょっと食いすぎましてね、腹痛が……あたた」

 室内に政治家のものとは違う、朗らかな声が響き渡る。
 どこからともなく姿を見せたのは、黒い着物を纏った男。男性にしては長めの緑髪を手で弄び、やや恥ずかしそうに彼は笑う。

 「来たか。最強の殺し屋が時間を守れないとは……聞いて呆れるな」

 「いやはや、面目ない! しかし最強とは恐れ多いですよ。
 僕なんて、ほら……金をもらえば簡単になびく男。誰かにき使われている時点で、最強などとは呼べますまい」

 男は飄々ひょうひょうと言ってのける。
 皮肉だ。弱者のくせに金で偉そうな態度を取る、目の前の政治家に対する皮肉を彼は述べた。しかし政治家は皮肉に気がつくこともなく、肥えた指でワイングラスを掴む。

 「いや、お前は最強だ。エシュバルト・シルバミネが亡き者となった今はな。
 任務を遂行するに当たって、金はいくらでも積んでやる。お前は相当な金でしか動かせんからな」

 「ええ、誠心誠意……働かせていただきますよ。お国の明るい未来のために。
 報酬は聞いていますが、お仕事の内容は?」

 「──レヴハルト・シルバミネの暗殺」

 政治家の言葉に、さしもの男も意識に空白が生まれた。
 レヴハルト・シルバミネ。ここシロハ国で大罪人とされ、死刑と同等の追放刑に処された者。

 そして何より、レヴハルトは男にとっての……

 「……ああ。あの子、生きてたんだ。
 しかし、中々に厳しいことを申されますね。慣れた身の僕であっても、あのシルバミネ家の異端児を殺せるかどうか……」

 「協力者を雇うだけの金も出す。何としても殺せ。
 ……お前ならば容易いことだろう?
 最強の殺し屋──ハドリッツ・アルヴァよ」

 「承知しました。ええ、我が名誉にかけて。
 ……必ず彼を殺しましょう」

 彼……ハドリッツは薄ら笑いを引っ込めて、くらい光を目に湛える。
 着物の裾をはためかせ、暗殺の準備へ向かった。
しおりを挟む

処理中です...