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5章 晩冬堕天戦

エピローグ

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 煌めく星々の下、黄金の少女が舞っていた。
 ここは『天上世界』。
 ソラフィアート・クラーラクトの独壇場スターステージである。

 城の屋上に浮かぶ歪みをくぐり、とある悪人が『天上世界』へと迷い込む。

 「…………」

 闇に溶けてしまいそうな黒髪に、深海を映したように青い瞳。
 黒みがかった藍色の着物をなびかせて。
 少年の名は、レヴリッツ・シルヴァ。齢十七歳。

 レヴリッツは俗に言う「バトルパフォーマー」だった。
 故に、彼は闘いを魅せることに執着し、人気を得ることに執心していた。
 頂点へ辿り着くために、己をそのように矯正させていた。

 レヴリッツにはバトルパフォーマンスの才能がない。
 しかしながら幼き日の誓いのために、彼は道を歩み続けた。

 非才、無才、凡人。
 されど彼は契約を果たすべく、栄光を求め続ける。

 「──いた」

 ぼそり、彼は呟く。
 視線の先には天を見つめて立っている少女。
 あの少女こそ、殺しの標的ターゲット

 彼は深呼吸し、笑顔を張り付けて少女に接近していく。
 レヴリッツから発せられたのは純真無垢を装った朗らかな声。

 「やあ、こんにちは」


 彼の声に振り向いた少女は、怪訝な視線を向ける。
 不思議と、その挨拶には既知感があった。

 「……あなたは」

 星々をまぶしたように煌めく黄金の髪に、宝石を思わせる翡翠色の瞳。
 金細工のように全てが精巧で、神が作り上げたかと思わせる美しさを持つ少女。

 彼女は何ともなしに紫紺の夜空を眺めていた。
 あの天に輝く星々となって消えてしまえば、どんなに楽だろうかと……持つ名誉に対して不相応な考えを抱いて。

 少女の名は、ソラフィアート・クラーラクト。齢十七歳。

 ソラフィアートは世界最高とも謳われる芸能人の娘だった。
 親が著名だからこそ、娘である彼女にも期待がかかり、しがらみが生じる。しかし彼女は周囲の抑圧を全て退け、自身が歩みたい道を思うがままに歩んでいた。
 勉学、武術、芸術、経済──すべては彼女の掌中にあるかのように転がっている。

 すべてを兼ね備えた究極の人間、それがソラフィアート。
 万能、天才、至高。
 ゆえに彼女は生まれた意義を問う為に、その瞳で世界を見つめ続ける。

 少年……レヴリッツは彼女に歩み寄り、笑みを浮かべて話しかけた。

 「こんにちは、僕はレヴリッツ。
 つい先日、マスター級に昇格したパフォーマーだ」

 何気なく佇む両者。
 だが……互いに内に秘めたる精神は怪物で。

 ソラフィアートは突然現れた少年をざっと見る。
 頭のてっぺんからつま先までを観察。
 そして言い放った。

 「あなた、何をしに来たの?」

 ソラフィアートの問いかけに、レヴリッツはしばし瞑目する。
 この先の言葉を……ここに来た意味を伝えれば、きっと後には戻れない。
 今までの歩みをすべて焼却し、殺意の刀を引き抜かねばならない。


 「契約を果たすために。
 ──偽装解除」


 だが、彼は止まらなかった。
 己が悪しき殺人者となることを厭わなかった。

 バラバラと彼の姿は瓦解し、剥き出しになった真理の姿。
 純白の髪。真紅の瞳。
 滾る殺意は鋭く、抑えようがない。
 彼の姿を視認した瞬間、ソラフィアートは古き記憶を解き放つ。

 「……レヴハルト・シルバミネ。
 私を、殺しに来てくれると誓った人」

 「ソラフィアート・クラーラクト。俺との契約者」

 レヴハルトは死んだと聞いていた。
 だが、ソラフィアートが見ている存在が亡霊であったとしても……構わない。
 己を凌駕する存在を、己を人として見る存在を、ずっと彼女は待ち焦がれていたのだから。

 レヴハルトは己の殺意を力へと変えて放出する。


 「殺戮場エグゼキューションステージ──《悪落世界アイメルカ》」


 瞬く間に『天上世界』を侵食した領域。
 紫紺の空間をベースに、空にはガラスのような星々が咲き乱れ、周囲に桜が舞う。
 レヴハルトの領域、《悪落世界アイメルカ

 両者の領域が食らい合い、相克する。
 ソラフィアートは水鏡のようになった足元を確認して笑う。


 もはや言葉は必要ないのだろう。
 ──本気だ。レヴハルトは全力でソラフィアートを殺しに来ている。
 彼は虚空より『黒ヶ峰』を呼び出し、刀身を指でなぞった。


 「始めようか」

 「ええ、いつでも」

 ソラフィアートは彼の殺気を受け、天使の微笑を浮かべる。
 刃が奔った。

 「悪しきものらに寄る辺なし。一族郎党みな首撥くびはねり。
 シルバミネ第五秘奥──」


 ──《鬼殺》


 おぞましきもの、いのちの意志を食む。
 言の葉、歌、足摺り、意志あるものはみな刃の餌食に。
 鬼、人、大神、全てを呑み込む。


 空間が歪曲。ソラフィアートを襲ったのは、抗いがたい浮遊感。
 一瞬の間にレヴハルトが眼前まで迫っている。彼の両手には二振りの刀。
 シルバミネ家に伝わる秘刀『黒ヶ峰』
 生と死を操る二刀を彼は引き抜いた。

 無重力の空間に突然放り出された感覚を味わうソラフィアート。
 秘奥《鬼殺》は、相手の思考にわずかでも隙があれば意識を刈り取る奇襲の技である。人間である以上、『天上麗華』にも隙は存在する。
 しかし、あらゆる奇襲への対処を確実なものとしての頂点。

 「桜花の揺らぎよ、我が身へと」

 世界が停滞する。
 彼女の独壇場スターステージの権能。

 彼女の『天上世界』はあらゆる不可能を可能へと昇華させる。
 時間を停止させるなどといった荒業も……瞬きの間、ほんの一フレームの間。
 時間を彼女は停止させることができた。

 一瞬でも達人には十分がすぎる時間だ。
 迫る二刀を回避し、ソラフィアートは魔刃をレヴリッツの間合いに展開。

 世界に色が戻る。時間は動き出す。

 「……っ!」

 レヴリッツの視点では突如として相手の姿が消滅し、周囲を魔刃で包囲されていた。だが動じる彼ではない。

 「失せろ」

 彼はただ一言、発した。
 刹那、無数の黒い刃が浮かび上がる。
 迫るソラフィアートの刃を、黒き刃が打ち砕いた。
 レヴハルトが披露した謎の技術に、ソラフィアートは眉を顰める。

 己の殺意を刃に変え、すべてを打ち砕く。
 それがレヴハルトの持つ《悪落世界》の権能だった。
 互いに規格外の能力を操る戦い。

 二人は歓喜に再び震える。
 ああ……彼は、彼女は、ここまで強くなったのだと。

 「シルバミネ第六秘奥──《晦気殺かいきさつ》」

 再び攻勢に出たレヴリッツ。
 まず、ソラフィアートを再び異常な感覚が襲った。
 先程の浮遊感とは異なる、異常な高揚。

 (身体強化を、私に……?)

 彼女の身体能力がレヴリッツの魔力によって強化されている。
 いや、強化されすぎている。
 過剰な魔力の流入と、人の身に余る強化はバイオリズムを著しく乱し……生じた明らかな隙。常人であれば意識を失う。
 しかしソラフィアートの精神力と適応力もまた異常であった。

 彼女は強靭な精神により過剰強化を退け──

 「天獄、辺獄、涅槃ありて。我が身分かちたもう。
 シルバミネ第四秘奥──《禁殺きんさつ》!」

 其は、神がけての籠。
 光なき世界、闇なき天辺、ただ一人のもののふの刀より生まれいづる。
 逃れるすべはなく、打ち払うすべもなし。


 続いて、レヴハルトの第四秘奥《禁殺》が展開。

 「……!」

 彼が『黒ヶ峰』の黒刀で裂いたのは、ソラフィアートの周囲の空間。
 万象を死に至らしめる黒刀は空間をも殺す。
 特に現在のように領域下にあればなおさら成功しやすい。
 相手の魔力と空間の魔力が調和しているのだから。

 斬り取られたソラフィアートの周囲は暗黒に染まり、虚空に彼女は取り込まれる。無論、これだけで彼女が倒れるとはレヴハルトも思っていない。

 「煌々たる星々よ、我が身に祝福を」

 声は──頭上。

 レヴハルトの頭上に、美しく舞うソラフィアートが出現した。
 『天上世界』の固有能力、自在転移。たとえ異空間に取り込まれようとも、空間の位相を操作することで彼女は転移可能。


 完全に意識外からの登場だ。
 レヴハルトが警戒していたのは周囲三百六十度からのソラフィアートの出現。
 まさか天上より現れるとは思っていなかった。
 そして、彼の意識の甘さを『天上麗華』が見逃すわけもない。


 ──ここで決着の一撃を放つ。ソラフィアートは意を決した。


 「覚醒……『黄金戦火』
 ──《地ヲ統ベル赫槍グラドゥス》」

 彼女が纏った黄金のオーラ。
 神々しい。レヴハルトが純粋に感じた光輝。

 火花が猛り、爆発的な魔力が迸る。一本の黄金の槍が生成された。
 万象を穿ち、貫けぬ物は存在せず、絶対に命中する秘奥。

 「あなただけに、この技を贈ります。
 ありがとう……嬉しかったよ、レヴハルト・シルバミネ」

 幼き日の契約など、とうに忘れ去られているかと思った。
 レヴハルトはとうに死んだと思っていた。

 だが、彼は全力で殺しに来てくれた。
 彼女を殺せない怪物ではなく、殺すことができる明確な人間だと……彼は言ってくれたのだ。それがひどく彼女には嬉しかった。

 この逸楽の舞台に幕を下ろそう。
 彼女は哀惜の中で、瞳を揺らして槍を放った。

 やはりレヴハルトに自分は殺せない。
 それだけの力がない。

 「そうだな。終わりにしようか……」

 迫る黄金の絶対槍。
 レヴハルトは神々しい槍を……いや、ソラフィアートを見つめて。

 静かに笑みをこぼした。
 手加減はしない。
 ゆえに、彼はこれより全力の技を打ち込む。

 「君だけに、この技を贈ろう。
 シルバミネ第七秘奥──」

 本来、シルバミネ第七秘奥は空白。
 伝承から失われ、誰も知ることがない奥義。
 だからレヴハルトは自ら秘奥を編み出した。殺意ゆえの秘奥を。

 彼は地を蹴る。
 正面に迫るのは黄金の槍。回避は不可能だろう。

 ならば、彼女の一撃を正面から受け止めるのみ。
 黒ヶ峰の白刀を構え、自らの生命力を増強しつつ疾走。

 黄金槍が彼の腹部に突き刺さる。
 彼が最重要視したのは、自身の速度を減衰させないこと。
 槍を受けてもなお生命力を引き伸ばして耐え、そしてソラフィアートへ迫る。


 ソラフィアートは目を見開いた。
 確実に勝負を終わらせるはずで放った必殺技を、レヴハルトは正面から受け止め……なお迫り続ける。


 美しい紅瞳が、彼女の碧の瞳と交差した。
 二人の距離は、極限まで接近。
 肌と肌が触れ合うほどに近く、互いの熱気を感じる。

 「──《恋殺れんさつ》」

 レヴハルトは黒刀に口づけする。
 殺意と魔力を通して、黒き刀を振り抜いた。

 ソラフィアートの魔刃と彼の刀が鍔迫り合う。
 拮抗。
 のち、彼の籠めた一縷の魔力が……ソラフィアートの魔刃を打ち砕く。

 静かな、されど熱烈な黒き一閃。
 彼が感情を初めて抱き、そして誓った少女へと贈る意志。


 彼の殺意はソラフィアートを貫き、斬り裂く寸前で──


 「……」


 止まっていた。
 黒ヶ峰の刃が、ソラフィアートの首元で静止していた。
 振り抜くことはできた。首を断つことはできた。

 殺せたはずだ。


 「──どうして?」

 直前で刃をとどめたレヴハルトに、彼女は疑問の声を漏らす。
 これでは契約不履行だ。

 「……本当は殺すつもりだったんだ。
 君を殺したくて仕方がなかった。今だってそうだ」

 ソラフィアートの耳元で、彼は呟く。
 消え入りそうな声で。ノイズ混じりの声だった。
 今にも泣き出してしまいそうだった。

 「でも、君を喪うことは……怖い」

 ソラフィアートが消えれば、レヴハルトの生きる意味もなくなってしまう。
 ただ彼女を殺すことだけを目標として生きてきたのに。
 彼女が死んでしまったら、どうなるのだろう。

 またレヴハルトは……傀儡くぐつに戻ってしまう。
 せっかく人間になれたのに。
 多くの人の命を奪い、ハドリッツを殺してまで生き延びたのに。

 生涯の意味が否定されてしまうから。
 彼は少女を斬ることができなかった。



 「私の負けだよ」

 「え……」

 「レヴハルトは、『無敗のソラフィアート・クラーラクト』という存在を殺してくれたの。だから、あなたが私の首を断っても断たなくても……契約は果たされた」

 二人の勝負は、完全にレヴハルトの勝ちだった。

 ソラフィアートは今日、初めて負けたのだ。

 「そう、か……」

 彼はそっと刃を下ろす。
 勝ったのに、負けたような気持ちで。

 レヴハルトは深く呼吸して魔力を纏う。
 再創造されていく「レヴリッツ・シルヴァ」の偽装を纏って……瞳を開いた。
 これが彼の生き方だと。



 「はじめまして。私はソラフィアート・クラーラクト。
 これからよろしくね、新入りさん」


 「ああ、よろしく。
 レヴリッツ・シルヴァだ」


 二人は握手を交わし、笑い合った。
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