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1章
1-3 も、無理……
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人のごった返す場所を離れ、歩いた先にある執務室。
役職持ちに与えられる、個人用仕事部屋の、彼の部屋をノックする。
「……」
返事は無い。
ただ、中からは賑やかな声が聞こえた。
再度ノックする。
「……」
やはり返事は無い。
嫌な予感がする。
出来れば今すぐ回れ右して帰りたい。だが、現実逃避しても仕事は待ってくれない。
俺はもう一度ノックをすると、「失礼します」と返事も待たずにドアを開けた。
「だーかーらー! 魔法使い用のシャツがエロいんッス!」
「いえ、でも規則が……」
「はっきり仰ってはいかがですの? この方は13枚といえども貴方よりも格下ですのよ!」
「あ、は、はい」
……帰りたい。
部屋の中で繰り広げられていたのは、完全にナスタチウムさんが絡まれた挙句変な事に巻き込まれている現場だった。
ザックリと胸の開いた、蛍光色の派手なシャツを着崩した制服の中に着て、ナスタチウムさんに絡んでいる男。こいつは最近、就職管理局普通課から、魔法精術課に移動になった管理官――フルゲンス・ドライツェーン・ヒルシュ。噂では、向こうの部署から厄介払いされた、とのことだが……。
厄介、というか、子供っぽくは見えるものの、決めつけはよくない。自分の目で見極めてからでなければ、彼の印象を決める事等出来ないのだ。
とりあえずそのシャツ、どこで買った。見た事がない……という程ではないが、かなり珍しいぞ。恐ろしく制服と似合わないし。
「き、規則なので、シャツは」
「でも、シャツの形は痣なしと一緒ッスし!」
彼は屁理屈をこねる。その手には、書類の束。
大方、書類を届けに来たところで服装を注意され、こんな状況になっているのだろう。
「柄が」
「シャツが白じゃなきゃいけない、っていう法律でもあるんスかー?」
「いえ、規則」
「規則って言ってるッスけど、規則に白じゃなきゃいけないって書いてたんッスか? オレは見た事ねーッスけど」
「はっきり言って下さいまし!」
問題があるとすれば、もう一人の存在か。
ネモフィラ・アウフシュナイター様。彼女の事を知らない者は、局内には存在しない。
第四王位継承者にして、第二王位継承者であるクレマチス様の婚約者。便宜上様をつけてはいるが、仕事の出来はイマイチ。
最初こそ階級を与えられていたが、どんどん降格され、今では六枚の管理官の補佐として仕事している。
仕事している……はず、なのだが……。
「同じ13枚でも、貴方の方が立場は上ですのよ!ビシっと言ってやればいいのですわ!」
「立場とか関係ねーッス。つーか、規則規則言ってる割に、規則表に書いてない事で減点しようとするとか可笑しくねーッスか?」
「それを屁理屈と言うのですわ! ねぇ、ナスタチウムさん?」
仕事、してないな?
「あの」
「ヒェッ!」
声を掛ければ、ナスタチウムさんは縮み上がってこちらを見る。そんなに恐ろしげな見た目だろうか、俺は。
「あ、あの、な、な、何か?」
「書類を――」
「まだ終わっていませんわ!」
「つーか、オレ帰っていいッスかー?」
怯えながらも俺に要件を確認したナスタチウムさんは、まぁ、いい。残念ながら苦手意識を持たれているのは事実。
今は面倒な人二人に絡まれ、その上苦手な人まで現れれば、小さな悲鳴くらい聞き逃した事にしようと思う。深く傷ついたが。
それよりも問題は、現状として彼の仕事は見える範囲でも山積みで、面倒な人に絡まれたせいで一向に仕事が進む気配がない事だろう。
「帰ってもいいとお思いですの?」
「つーかー、オレは不当に服装で注意を受けたのに納得がいかねーだけッスし? お姫様に止められる理由とかなくねーッスか?」
「お姫様って、わたくしですの?」
「この場に他に女の子がいるか、っつーので察して欲しいッス」
確かにこの場にいる女性は、ネモフィラ様のみ。
仮に俺が女性であったのなら少しは話の流れが変わったかもしれないが、残念ながら……いや、残念ではないな。残念ではないが、俺は男だ。
ナスタチウムさんはといえば、「ううう」と小さく呻き声を上げている。
珍しく目に涙を溜め、「も、無理……」と呟く。
「ナスタチウムさん?」
「無理、です……ぅぅ……」
――ドサ、と大きな音がその場を締めた。
部屋の中には机の上にあった大量の書類が散らばり、次いでとばかりに筆記用具も転がり落ちる。
「な、ナスタチウムさん?」
俺は恐る恐る彼に近づく。
たった今、唐突に、書類の海に上半身を沈めてしまったナスタチウムさんの傍まで行けば、彼の意識がどこかに行ってしまっているのは明確だった。
「大丈夫ですの?」
「大丈夫なんッスか?」
ナスタチウムさんを巻き込んで大騒ぎしていた二人は、ほぼ同時に彼を気遣う。その気遣い、もっと前に欲しかった。
「私は彼を医務室に連れて行ってから上司に伝えてきます」
俺は手に持っていた書類の束を机の端の方へと置くと、ナスタチウムさんを抱き上げた。
平熱よりも遥かに熱い気がする。これは……風邪、か、何かか?
「とりあえず、フルゲンスさんは持ち場に戻って仕事を続けて下さい」
「う、ウッス」
とにかく、何とか業務を回さなければ。本来は、こうなってしまった場で指示を出すのはネモフィラ様の役目だとは思うが、出来るとは思えない。
「ネモフィラ様は、この場に散らばった書類を拾って机の上に。それを終えたら、このまま待機して下さい」
「待機だなんて!」
「言い換えましょう。他の方に見られてはいけない書類が混ざっている可能性がありますので、監視をして下さい」
俺が言い換えた言葉に納得したのだろう。彼女は「はい」と返事をして、床の書類を拾い始めた。
「んじゃ、オレ、戻るッス」
「はい、お疲れ様です」
フルゲンスさんは俺が抱きかかえたナスタチウムさんに心配そうな視線を向けた後に部屋を出る。俺は俺で、ナスタチウムさんを医務室に運ぶ為に、執務室を後にしたのだった。
役職持ちに与えられる、個人用仕事部屋の、彼の部屋をノックする。
「……」
返事は無い。
ただ、中からは賑やかな声が聞こえた。
再度ノックする。
「……」
やはり返事は無い。
嫌な予感がする。
出来れば今すぐ回れ右して帰りたい。だが、現実逃避しても仕事は待ってくれない。
俺はもう一度ノックをすると、「失礼します」と返事も待たずにドアを開けた。
「だーかーらー! 魔法使い用のシャツがエロいんッス!」
「いえ、でも規則が……」
「はっきり仰ってはいかがですの? この方は13枚といえども貴方よりも格下ですのよ!」
「あ、は、はい」
……帰りたい。
部屋の中で繰り広げられていたのは、完全にナスタチウムさんが絡まれた挙句変な事に巻き込まれている現場だった。
ザックリと胸の開いた、蛍光色の派手なシャツを着崩した制服の中に着て、ナスタチウムさんに絡んでいる男。こいつは最近、就職管理局普通課から、魔法精術課に移動になった管理官――フルゲンス・ドライツェーン・ヒルシュ。噂では、向こうの部署から厄介払いされた、とのことだが……。
厄介、というか、子供っぽくは見えるものの、決めつけはよくない。自分の目で見極めてからでなければ、彼の印象を決める事等出来ないのだ。
とりあえずそのシャツ、どこで買った。見た事がない……という程ではないが、かなり珍しいぞ。恐ろしく制服と似合わないし。
「き、規則なので、シャツは」
「でも、シャツの形は痣なしと一緒ッスし!」
彼は屁理屈をこねる。その手には、書類の束。
大方、書類を届けに来たところで服装を注意され、こんな状況になっているのだろう。
「柄が」
「シャツが白じゃなきゃいけない、っていう法律でもあるんスかー?」
「いえ、規則」
「規則って言ってるッスけど、規則に白じゃなきゃいけないって書いてたんッスか? オレは見た事ねーッスけど」
「はっきり言って下さいまし!」
問題があるとすれば、もう一人の存在か。
ネモフィラ・アウフシュナイター様。彼女の事を知らない者は、局内には存在しない。
第四王位継承者にして、第二王位継承者であるクレマチス様の婚約者。便宜上様をつけてはいるが、仕事の出来はイマイチ。
最初こそ階級を与えられていたが、どんどん降格され、今では六枚の管理官の補佐として仕事している。
仕事している……はず、なのだが……。
「同じ13枚でも、貴方の方が立場は上ですのよ!ビシっと言ってやればいいのですわ!」
「立場とか関係ねーッス。つーか、規則規則言ってる割に、規則表に書いてない事で減点しようとするとか可笑しくねーッスか?」
「それを屁理屈と言うのですわ! ねぇ、ナスタチウムさん?」
仕事、してないな?
「あの」
「ヒェッ!」
声を掛ければ、ナスタチウムさんは縮み上がってこちらを見る。そんなに恐ろしげな見た目だろうか、俺は。
「あ、あの、な、な、何か?」
「書類を――」
「まだ終わっていませんわ!」
「つーか、オレ帰っていいッスかー?」
怯えながらも俺に要件を確認したナスタチウムさんは、まぁ、いい。残念ながら苦手意識を持たれているのは事実。
今は面倒な人二人に絡まれ、その上苦手な人まで現れれば、小さな悲鳴くらい聞き逃した事にしようと思う。深く傷ついたが。
それよりも問題は、現状として彼の仕事は見える範囲でも山積みで、面倒な人に絡まれたせいで一向に仕事が進む気配がない事だろう。
「帰ってもいいとお思いですの?」
「つーかー、オレは不当に服装で注意を受けたのに納得がいかねーだけッスし? お姫様に止められる理由とかなくねーッスか?」
「お姫様って、わたくしですの?」
「この場に他に女の子がいるか、っつーので察して欲しいッス」
確かにこの場にいる女性は、ネモフィラ様のみ。
仮に俺が女性であったのなら少しは話の流れが変わったかもしれないが、残念ながら……いや、残念ではないな。残念ではないが、俺は男だ。
ナスタチウムさんはといえば、「ううう」と小さく呻き声を上げている。
珍しく目に涙を溜め、「も、無理……」と呟く。
「ナスタチウムさん?」
「無理、です……ぅぅ……」
――ドサ、と大きな音がその場を締めた。
部屋の中には机の上にあった大量の書類が散らばり、次いでとばかりに筆記用具も転がり落ちる。
「な、ナスタチウムさん?」
俺は恐る恐る彼に近づく。
たった今、唐突に、書類の海に上半身を沈めてしまったナスタチウムさんの傍まで行けば、彼の意識がどこかに行ってしまっているのは明確だった。
「大丈夫ですの?」
「大丈夫なんッスか?」
ナスタチウムさんを巻き込んで大騒ぎしていた二人は、ほぼ同時に彼を気遣う。その気遣い、もっと前に欲しかった。
「私は彼を医務室に連れて行ってから上司に伝えてきます」
俺は手に持っていた書類の束を机の端の方へと置くと、ナスタチウムさんを抱き上げた。
平熱よりも遥かに熱い気がする。これは……風邪、か、何かか?
「とりあえず、フルゲンスさんは持ち場に戻って仕事を続けて下さい」
「う、ウッス」
とにかく、何とか業務を回さなければ。本来は、こうなってしまった場で指示を出すのはネモフィラ様の役目だとは思うが、出来るとは思えない。
「ネモフィラ様は、この場に散らばった書類を拾って机の上に。それを終えたら、このまま待機して下さい」
「待機だなんて!」
「言い換えましょう。他の方に見られてはいけない書類が混ざっている可能性がありますので、監視をして下さい」
俺が言い換えた言葉に納得したのだろう。彼女は「はい」と返事をして、床の書類を拾い始めた。
「んじゃ、オレ、戻るッス」
「はい、お疲れ様です」
フルゲンスさんは俺が抱きかかえたナスタチウムさんに心配そうな視線を向けた後に部屋を出る。俺は俺で、ナスタチウムさんを医務室に運ぶ為に、執務室を後にしたのだった。
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