言の葉ウォーズ

二ノ宮明季

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 まさか、こんな近くで阻まれるとは思わなかった。それが、百合の率直な感想だった。
 百合の前では、能漸が必死で上塗りしている。藤も新たなケシゴムを取りだして擦ってみているが、これに関しては黒い液体を伸ばしているようにしか見えなかった。
 乾いていないインクを、ケシゴムでこするとどうなるか、という話なのだろう。
「……どうすればいい?」
「とりあえずは後ろに居てくれ。今道を作る」
 能漸は、退色血《スミゾメ》を見据えながら百合に返した。
「行っても、いいの?」
「止めても行くのだろう?」
「そう、だけど」
 わずかに頷いた百合に、藤が笑う。
「ゆりりん、頑固っぽいもんねー。神様の予定では、ぼんやりした無気力系にしたかったみたいなんだけど」
「世の中、分からない物だな」
「それ、あんた達が言う?」
 四人でごちゃごちゃ行っている間にも、樒の退色血《スミゾメ》は近づき、掃除屋《シュウセイシャ》の二人へと牙をむいた。正確には牙など無い、粘度の高い液体なのだが。
「ほらほら、下がった下がった! ここは藤と先輩でどうにかしますよぉ」
「汚名返上をして見せよう」
 汚名返上出来るほど良い行いが出来るかは甚だ疑問だが、百合と茜音は下がった。そして、道が出来るのをじっと待つ。
「茜音も、行くんだよね?」
「嫌?」
「ん。だって、蓮夜に侵食されるかも。退色血《スミゾメ》、一杯あったから」
「そうよね。あたしだって、立場が反対だったなら止めたいって思ったと思う。本当は今だって止めたいし、ね」
 百合は、一応、というように茜音に尋ねると、想像通りの答えが返って来た。
「だけど、樒の件を放っておく事なんて出来ない。あたしの責任なんだから」
 茜音の目は、真っ直ぐ黒の向こう側の樒に向けられている。
「責任というのなら、止められない私達にも責任がある」
「ていうか、藤達の方が責任重大ですよぅ。あろうことか、メインキャラさんに大仕事を任せることになっちゃうんですから」
「それに関しては、全くだわ、と言わずにいられないわね」
「ん。もうちょっと頑張れ」
 喋りながらも戦う掃除屋《シュウセイシャ》二人に、茜音は苦笑いを浮かべ、百合は素直に応援した。この応援が、心を抉った可能性はあるが。
「……故に、こうして道を作り、退色血《スミゾメ》を消すくらいはしようかと」
「藤も、ちゃんとしようかなーって」
「……自信、喪失中?」
「…………」
 能漸は百合の問いには答えず、何度も退色血《スミゾメ》を塗り重ねる。段々と、退色血《スミゾメ》の色が白っぽくなってきた。藤もずっと擦っていたおかげで、ほんのり消えている場所も出て来た。
「今だ! 行け!」
 白くなったことで動きが鈍くなった、蠢く退色血《スミゾメ》を箒《フデ》の柄で散らすと、百合と茜音に言った。
 弾けるように彼女達は走り出し、鈍い退色血《スミゾメ》を掻い潜って蓮夜へと近づく。
 それに気づいた退色血《スミゾメ》は、百合と茜音へも牙を向いた。
「だー! もう! 相手はこっちだっつーの! です!」
 キレた藤は、地道な作業を止めて、石鹸《ケシゴム》を退色血《スミゾメ》へと投げつけた。
「石鹸《ケシゴム》石鹸《ケシゴム》石鹸《ケシゴム》石鹸《ケシゴム》!」
 周りに四つの石鹸《ケシゴム》を出し、次々に投げつける。ついでに樒に対しても。
「あぁ、もう。鬱陶しいなぁ……」
 樒が、低い声で唸るように呟いた。見ると、彼の直ぐ近くには石鹸《ケシゴム》が落ちている。彼(便宜上)としては、折角の「蓮夜との遊び」を妨害されていらいらしているようである。
「硬化して、遮断するよ。最初からそうすればよかった」
 そう言った瞬間、樒の足元に僅かに残っていた退色血《スミゾメ》も、百合や茜音に向かっていた退色血《スミゾメ》も、掃除屋《シュウセイシャ》二人に襲い掛かっていた退色血《スミゾメ》と合流した。
 それらは、蓮夜、百合、茜音、そして樒の四名の周りに高く薄い黒い壁を作り出す。
「しまった!」
 能漸が声を上げ、箒《フデ》を壁に打ち付ける。
 しかし、硬化した退色血《スミゾメ》の前では、まるで無意味だ。粘度がある蠢く存在だった時とは違い、硬い真っ黒な硝子のような退色血《スミゾメ》に白い液体を打ち付けても、吸収されることも無く無様に床に落ちていくだけだったのである。
「……クソッ」
「藤達、全然使えませんよね」
「あぁ。大失態だ」
 二人は小さな声で毒づいたが、やがて顔を上げて、再度壁に向かって攻撃を始めた。
 何となしなければ、と、必死に。
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