栞と言葉

二ノ宮明季

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栞と言葉

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 彼女とのやりとりには、声が必要ない。

 元々は、学生の頃に隣の席になって、先生にバレないように、こっそりと小さな紙で言葉を交わしたのが始まりだったと思う。

 それから、やたらと図書室で会い、本の好みも近かったために、一言二言「これ面白い」何て会話をしていた。当然のように、休日に図書館で遭遇する事もあった。

 やがてどちらからやりだしたのか……いや、僕に記憶がないから、彼女から始めたのだろう。彼女に本を手渡されて家で開くと、しおりが挟まっていた。

 あの時の季節と同じ、紅葉の柄の栞に、ふんわりとした葉っぱの匂い。小さく几帳面にペンで書かれた「ベンチから見上げる紅葉が美しいです」の文字。

 たった一言だったが、僕の胸にストンと落ちて、翌日にはベンチに座って紅葉を眺めたものだ。

 しかも栞の挟まれていたシーンも、丁度紅葉のシーンだったものだから、登場人物の気分に浸れたのである。

 彼女から仕掛けられた悪戯染みた本の交換は、何故だか学校を卒業し、社会人になっても続けられた。

 いつぞや栞に住所を書いたので、お互いに家の場所は知っている。

 いつぞや栞にメールアドレスを書いたので、お互いにインターネットの住所も知っている。

 僕が書けば、必ず彼女は返してくれた。一言を添えて。





 僕は彼女とやりとりを始めてから、沢山の栞を見て歩くようになった。また、アロマにも興味を向けた。

 結局、栞は自分で作る事も多くなったのだが。彼女とのやりとりが愛しくて、僕は何度も何度も栞を作り、何度も何度も栞にペンを走らせた。

 手紙のような長いやりとりはない。

 僕と彼女の間に、声は必要ない。

 必用なのは、大好きな本に、栞とペン。それから素敵なアロマだけだ。

 手紙ではない。読書感想文でもない。

 いわば交換日記で、けれど日記でもない。

 あの時すとんと胸に落ちた言葉は、何年も経つと胸に積もっていた。

 春には桜が、夏には日差しが、秋には紅葉が、冬には雪が降ってくるのだ。そりゃあ、胸に積もった言葉は、想いは、ぎゅうぎゅうになって新しい感情を生むだろう。





 所で僕は、コーヒーを淹れるのが上手い。

 一度彼女に渡した本の、バリスタが出てくるシーンでそんな事を書いた。

 次に彼女は、ストーブの前で毛布にくるまれてくるシーンに、柔らかな薪の香りを纏わせながら「こんな風にコーヒーを飲んでみたいです」と書いてよこした。

 既にその時一人暮らしを始めていた僕は、家に彼女を招いたことも無いのに、慌ててブランケットを購入し、当時愛用していたハロゲンヒーターの代わりにストーブを購入した。……ファンヒーターだが。

 何とも馬鹿げているだろう。けれども僕は、彼女と一緒に過ごしてみたいと夢を見て、こんな買い物までしたのだ。

 そしてやっと気が付いた。

 僕は彼女に、恋をしていたのだと。

 あの降り積った言葉と香りは、恋と言う新しい感情を生んだのだ、と。

 気付いたが、僕には告白する勇気もなく、とにかく本を読み、栞を作り、香りと共に文字を閉じ込めては渡す日々を過ごした。

 これが僕の、精いっぱいの恋だとばかりに。





 気が変わった、という訳ではない。長い時間をかけて、ようやっと決心しただけだ。

 僕は読み終えたばかりの本を横に、金木犀の模様の栞に、「一の木で、君に捧ぐ心です」と綴り、これまた金木犀の香りをつけた。

 本のページを捲る。

 目当てのページ――主人公が女の子に、金木犀の木の下で告白したシーンを見つけると、僕は思いきり深呼吸をした。

「……よし」

 小さな決心と共に、僕は栞を挟んだ。

 木と一を組み合わせて本になる。ほんのそれだけの告白。

 もしかしたら伝わらないかもしれない。僕にとっては告白でも、彼女にとっては違うかもしれない。

 パタン、と本を閉じる。

 本当はこの本は、図書館で借りた事があった。随分前の事だけど。

 僕は彼女に言葉を伝えたくて、けれども決心が固まらなくて……。やっと決めて、僕は買ったのである。新品の本特有の、紙とインクの香り。少し硬い、読まれ慣れていない本の感触。

 僕は一から楽しんで、心が変わらなかったので栞を挟んだ。

 ……明日、僕はこれを彼女に渡す。

 ドキドキと胸が高鳴る。ドクドクと全身を血が巡る。僕の顔は今、あの時の紅葉と同じ色をしているのだろう。





 渡してから、何の音沙汰も無かった。

 ついぞこの交換日記もおしまいか、余計な事をするのではなかったとため息を吐いたのは、本を渡して一週間後の事だった。

 公園の木々は徐々に染まり、最初に書かれた文字を思い起こされる。

 最近は朝晩の冷え込みがきつくなり、僕は独り暮らしの家でストーブをつけた。

 彼女を想って勝手に買ったストーブの前で、勝手に買ったブランケットを膝にかけながらぼんやりと考える。

 今までは三日に一度程度、本の受け渡しをしていた。ああ、失敗した。やっぱり言わなければ、書かなければよかった。

 知らず知らずの内に、ため息が漏れた。少しでも落ち着けば、僕のため息はここぞとばかりに外へと飛び出す。

 と。

 ピンポンとチャイムが鳴った。一体今は何時だと時計を見れば、一時も近い。夜の一次だ。

 真夜中の訪問者に警戒しながら、僕はそっとドアへと近づく。

 ……ドアスコープを覗くと――彼女が、立っていた。

「嘘だろ!?」

 僕は目をまん丸くしながら、慌ててドアを開ける。

「はい、これ」

 彼女は僕に本を手渡す。

 こんな夜中に、どうしたものか。僕は戸惑いながらも、もしかしたら返事なのではないかとドキドキしながら本を受け取った。

「今、見ても?」

「うん、今見てほしいの」

 本を開くとコーヒーの香り。栞から漂っているようだ。

 本のページには「君とずっと一緒に、ここで過ごしたい」の言葉。どうやら告白の、いや、プロポーズのシーンのようだ。

 栞には、「貴方のコーヒーを、ずっと飲ませて貰えませんか?」。

「これ、って」

「口にした方が、いいの?」

「……いや、いい」

 僕は頭を振った。

 僕が受け取った意味が、違うはずがない。否定的な言葉ではないのは、よくわかる。

 今まで何度も文字と文字を交換して、彼女から受け取った栞はもう数えきれないほど増えたのだ。

「もしよかったら、中でコーヒーでもどう? ストーブもあるんだ」

「ありがとう。お邪魔します」

 彼女の返事に安堵して、部屋へと招く。

 ストーブとブランケットのある部屋で、僕はコーヒーを淹れよう。

 あの栞や、本のように。 
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