精術師と魔法使い

二ノ宮明季

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一章

1-32 今、あたしに出来る事

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 状況は絶望的だ。
 ネメシアの額に冷や汗や脂汗の類が噴き出たのは、足と腹が痛むせいだけではない。目の前で繰り広げられる、サフランによる攻撃のせいだ。
 何しろ、ミリオンベルは筋力強化の効果が切れてサフランの足元に転がり、どうにかしようとしたアーニストには魔法の矢が放たれ、もう一度それが放たれそうになっている所なのだ。

「な、な、なに、何それ!」
「うーん、仕留めそこなったか。じゃ、二回目いくよー!」

 サフランは明るく宣言すると、二つ目の魔法陣を描き始め――それほどの間も無く二回目の矢が放たれる。アーニストは寸での所でそれも避けたが、依然として状況は好転しそうもない。

「……今、あたしに出来る事……」

 ネメシアは呟くと、拘束されたままの自分の手首を見つめた。
 こうして拘束されていては、魔法を使う事は出来ない。そもそも鈍い彼女が一人で事態を変える事は難しいだろう。
 ネメシア自身はそれをよく理解していた。そもそも、自分に今の状況を変える程の力があるのなら、こんな所まで攫われて来ることは無かったのだから。

「くそっ!」
「あれー? こんな所に盾が転がってるー」

 アーニストが毒づいて銃を構えたが、サフランはその照準が向かっている方へとミリオンベルを蹴って移動させた。
 アーニストはミリオンベルに銃を撃ちこむ事は出来ず、顔を顰めるが、その隙をサフランが逃すはずもない。再び魔法陣が描かれ始め、アーニストは舌打ちをして移動する。

「……あたしが今出来る事は、一つだけだね」

 ネメシアは、アーニストの方を向いているサフランに気付かれぬように、こっそりとフルールに近付く。足も腹も痛いが、それらを引きずってでもやらねばならぬことがあるのだ。
 ネメシアは真っ直ぐにフルールを見据え、何度も攻撃を食らった足を庇いながらフルールの傍にたどり着く。
 幸い、というべきなのか、不幸にも、というべきなのかは判別の難しい所だが、アーニストが何度もサフランの攻撃を受けてくれていたおかげで、フルールに近付くのは容易だった。あるいは、ネメシアを危険視していないサフランが見逃しただけだったのかもしれないが、今はそれでも良い。

「ルルちゃん、聞いて」
「シ、シアちゃん……で、でも、あの……勝手に、こんな……」
「一回、あたしの話をちゃんと聞いて欲しいの」
「は、はい」

 ネメシアはフルールの目を見てはっきりと口にした。有無を言わせぬ気迫を感じたのか、フルールは素直に頷く。

「主観的に見ても、客観的に見ても、今は絶望的な状況。これは分かる?」
「……はい」
「このままだと、あたしとルルちゃんは助かるかもしれないけど、ミリィかアーニーは死んじゃうと思う」

 再度フルールが頷いたのを確認してから、ネメシアは続けた。

「そ、そんな!」
「そんな、じゃないよ。ちゃんと見て」

 フルールはネメシアに促され、サフランたちの方へと視線を向けた。
 ミリオンベルは依然何度も蹴られながらも盾にされ、アーニストは放たれる矢を避けるので精いっぱいだ。魔法陣を描き続けるサフランには、笑みすら浮かんでいるというのに、である。

「わ、わたしのせいで……わたしのせいで、こんな事に……」
「誰のせいとか、どうでもいいの」
「よく、ないです……わたし、どうしたら……だ、だって……」

 フルールは涙ぐんで俯いた。その姿にネメシアはじれったさを覚えたが、真っ直ぐに彼女を見つめたまま続くであろう言葉を待つ。
 何しろ、ネメシアの背はフルールよりも低い。俯かれたところで、見つめるのは容易かった。

「だって、こんなの……わたしが、もっと、ちゃんと、しっかりしてたら……こんな事には……」
「だったら、今からしっかりすればいいんだよ」
「け、けれど、そんな事、で……で、出来ません」

 ネメシアはまたじれたが、一度大きく深呼吸すると、再びフルールを見つめる。

「本当に? 本当にこの状況を打破する方法は無いの?」
「……ない、わけでは……」
「それじゃあ、どうしてその方法をやってみようとしないの?」

 絡み合った視線を先に外したのは、フルールだった。涙目だった彼女は視線を外した瞬間に、一粒涙を零す。

「い、今更です」
「今更でもやってみないと」
「ち、ちが、違うんです。今更……今更、精霊に力を貸して貰おう何て、お、おこがましくて……わ、わたし、なんかが」

 流石のネメシアも、ムっとして眉を顰めた。
 今まさに、耳にはミリオンベルが蹴られて呻く声と、アーニストが必死に逃げながらも何処かを怪我をしたであろう声が入ってくるのだ。それなのにどうして、こうも何もしないのかと苛立ったのである。 

「じゃあ、このまま指くわえて……ううん、あの男が言うようにぷるぷる震えて、ずっとここにいるの? 自分の弟が殺されそうになってるのを、ずーっと見てるの?」
「い、嫌! アーニーが死んじゃうなんて、絶対に嫌です!」
「嫌なら、何とかして見せてよ! それも出来ないなら、あたしの縄をほどいて! ダメモトで魔法使うんだから!」

 大きな声を上げたフルールに対し、ネメシアも手首を強調しながら声を荒げた。

「で、でも、シアちゃんに……けれど……」

 フルールの迷いは見て取れたが、ネメシアは黙って言葉を待つ。それこそ、威圧的だと捉えられることも有りそうなほど、真剣に。

「わ、わたしは……わたし、は……」
「……いつまで迷ってるの? 今ルルちゃんが取れる行動は三つだよ」

 先に進まない彼女を見かねて、結局ネメシアは口を開いた。
 何しろ、ミリオンベルの発する、今までよりも大きな呻き声が聞こえたのだ。悠長にしている暇はないと判断したのである。

「一つ目は、二人を見殺しにする」
「そ、そ、そんなの、出来ません!」
「今のままだったら、結果的に見殺しにすることになるの! さっきも言ったじゃん!」

 思わず声を荒げたが、ネメシアは一度小さく息を吐くと、再度口を開いた。

「二つ目は、あたしの縄をほどいて僅かな可能性に賭ける」
「……で、でも、シアちゃんだけに……そんなの……」

 今度は小さくではなく、長く息を吐く。事実上の、ため息だ。

「どっちも選べないなら、ルルちゃんが頑張るしかないでしょ。これが三つ目だよ。どれがいいの?」
「え、えっと、あ、あの……あの……」
「いい加減にして!」

 ネメシアは縛られたままの手で、フルールの腕をビシッと叩いた。縛られているせいで腕は上がらず、手の甲でしか出来ないので威力はイマイチだったが、なにもせずにはいられない。

「何もしないか、縄をほどくか、ルルちゃん自身が頑張るか! どれにするの! 今決めて! 今すぐ決めないと、ミリィもアーニーも死んじゃうんだよ! そんなのあたしは嫌なの! どうしてルルちゃんは何もしようとしないの! 今の状況で、どうして迷う事が出来るの! 迷ってる場合じゃないでしょ!」

 気が付くと、ネメシアの目にも涙が浮かんでいた。感情的になりすぎたか、と思いつつも、一度出た水分は引っ込みそうにも無い。

「……わ、わかり、ました」

 フルールが何かを決意したように頷く。その答えに、ネメシアはひやりとした。
 もしかすると、自分の手首の縄をほどくのではないか。どうあっても、彼女に動く意思はないのではないか。そんな嫌な想像が脳裏に浮かんだのである。
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