呂布の軌跡

灰戸礼二

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序章1 当時の情勢

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漢という帝国は劉邦という者によって紀元前206年に成立した。中国史上でも長命の帝国である。

途中、家臣によって王朝の簒奪が行われて一時天下は乱れるも、皇族である劉秀が再び世をまとめ上げて再度帝国を打ち立てた。簒奪の前を前漢、簒奪の後を後漢と呼ぶ。

漢の治世は長きに渡ったが、帝国成立後おおよそ400年弱が経とうとする西暦184年頃にはその統治能力には陰りが見え始めた。

異常気象による不作、飢饉、それに伴う農民の流民化、低下する生産能力・税収。そして流民を私有民とする地方豪族の勢力伸長。そして外戚による傀儡であった皇帝が復権を図ったことにより起こった宦官の権力拡大。様々な要因で、後漢は衰退していった。

極めつけは大規模な反乱であるいわゆる黄巾党の乱が勃発だ。黄巾党の乱はすぐに鎮められたものの、それ以降世は乱れることとなった。

一般的に黄巾党の乱が起こった西暦184年から晋による三国統一が成った西暦280年までの間の時代の群像劇は三国志といわれている。





三国志の幕開けの際、至尊の地位にいたのは劉宏という者である。

彼は西暦156年に生まれた。即位したのは168年であるから、まだ少年のころである。当初実権はほとんどなかったといっていい。

後漢では幼年の皇帝が多く、必然的に皇帝に近い人物、例えば皇太后や皇后の親類であるいわゆる外戚が国政を壟断することが多かった。

幼年の皇帝もいずれは長ずる。そうなった場合、皇帝である自分をさしおいて権力をほしいままにしている外戚たちを疎んじるのは当然である。しかし外戚側も皇帝に実権を与えぬよう画策し、余人を皇帝に近づけぬようにするため皇帝は打つ手を持たなかった。

だが外戚がいくら策を弄そうとも、遠ざけることのできない人種がいる。宦官である。

宦官とは皇帝の日常生活や後宮を取り仕切る任に就く男たちで、去勢を施されている。皇帝の寵愛を受ける女たちに通じることがないようにとの理由だ。

『家臣たちは自らの家庭を持っており当然ながら子孫の繁栄を願っている。彼らは子孫の栄達や安寧を図るために自分を裏切ることが起きるかもしれない』
皇帝という地位に着いた者が大なり小なり抱くこの疑念はある意味当然のものである。
『しかし子孫を持ち得ない宦官ならば、少なくとも恩を施していれば一代限りはそれに見合うだけの忠誠を示してくれるであろう』
そしてこう考えることも理解はできる。

歴代王朝には宦官を適正に用いた名君もいれば宦官を信任しすぎて禍を招いた暗君もいる。

劉宏の前の皇帝である劉志(桓帝)は外戚の専横を排除するのに宦官たちを使った。その結果宦官の権力が増大し、以前の外戚のように国政を壟断するようになった。

外戚には清廉でない者も多くいたし、宦官全員が必ずしも汚政を行ったわけでもない。しかし結果だけ見ると宦官たちはおおむね悪政を行い、漢の体力を著しく弱めた。さらに宦官の台頭は自らを清流派と呼ぶ反宦官派閥の士大夫層との対立を招き、その混乱は漢王朝滅亡の主因となった。

劉宏の即位は先帝の外戚達の計らいであった。強まった宦官の力を削ぐべく自身に近しい皇族を皇帝に据えたのである。
劉宏が即位したころは宦官と先帝の外戚が率いる清流派の争いはある程度拮抗していたのだが、結局当時の清流派人士たちは敗北することとなった。政権は宦官の一派が掌握することとなる。

宦官たちが権勢を振るう劉宏政権だったが、頻発する異民族の侵入や反乱について抜本的な解決手段を模索するなど、ある程度の定見もあった。
また地方で行政職に就く者たちによる不正や豪族の専横などについても課題であると認識していたようである。

ちなみにこの問題は宦官派の役人や豪族だけでなく、清流派と称する士大夫たちも無関係ではない。この頃の士大夫層といえば大半が出身地方の豪族であり、豪族たちの中には地方長官を凌ぐ権勢を持つ者も少なからずいたからである。

中央が地方へ及ぼす影響力が弱まっていることに問題の全てが起因していると考えた劉宏政権が出した答えは中央政府の財政面の改善だ。

何をするにしても金がいる。この現実的な課題を劉宏政権は驚くべき方法で解決しようとした。

西暦178年、劉宏政権は官職を大々的に売り出した。この行為は売官と呼ばれた。

能力でも、それまで漢という国が重要視した徳行でもなく、ただ金銭のみを採用基準とする枠組みを作ったのだ。

役人がその立場を悪用して私腹を肥やすのは既に常態化していた。ならばいっそ開き直ってその財が国庫へ流れ込むシステムを作ってしまえということだろう。理解はできなくないが、当時がどれだけ末期的な状況であったかの傍証となりえる出来事だ。

劉宏政権は行政に力を入れず、ひたすら財政に没頭した。だが軍政については無関心ではなかった。181年には専門の官職を置き、各地から良馬を集めさせたという。

地方への最大の影響力というのは、つまるところ軍事力に尽きる。中央軍の機動力を高めることによって軍を強化した劉宏政権の考えは理解できる。

その後の事跡からも、劉宏政権は国庫に流れ込む富を軍事に注いでいたことは疑いない。

そして182年末、劉宏政権は先代が度々行っていながら自身は差し控えていた大規模な狩猟を執り行う。国庫に対する負担が大きい国事行為を再開したということは、財政難が一服したことを示唆していると捉えて差し支えない。

ちなみに後漢では歴代皇帝のゆかりの県からは税を徴収しないことが一般的であったが、劉宏政権はこの慣例を破って徴税を行っていた。一県からの徴税などたかが知れているが、要はパフォーマンスだろう。
だがこの頃にはその免税措置を再開していることからも財政の改善が進捗していたことがわかる。
劉宏政権をはげますかのように、その翌年の183年は大豊作であった。

ここまで書くと劉宏政権は非常に有能であったように見えるが、実はそうでもない。投げっぱなしにしていた行政からのツケはすぐに回ってきた。

当たり前だが、官位を購入した者はその投資に見合うだけのリターンを得ようとする。そのため役人の苛斂誅求はさらに度合いを増した。民たちの中には自らの土地を手放し、豪族の私有民に身を落とす者が続出し、さらに税収が落ちることとなった。

劉宏政権の政は国庫を富ませる代わりに民を疲弊させるという結果となり、その問題点は184年の全国規模の反乱である黄巾党の乱という大規模氾濫によって表面化する。

ただしこれがすぐ鎮圧されたのは劉宏政権が軍政に少なからず関心を向けていたということも大いに寄与していた。

またその後も頻発する反乱や領土へ進入する異民族へさかんに討伐軍を派遣できるようになったという点も劉宏政権の功績の一つであるだろう。

公平な目で見ると劉宏政権の功罪は相半ばするという評価になる。

劉宏政権が軍事的に行ったことで最も特筆すべき点は、皇帝直属の軍事組織である西園軍を作ったということがある。

それまで中央政府に宮城を守護する近衛軍はあったが、有事の際に出征させられる常備軍を持たなかった。持つ財政的余裕がなかったと言い換えてもいい。

乱が起こってから臨時に兵を徴集するのではなく、常備軍として錬度の高い職業軍人を擁するということは反乱や異民族侵入の早期鎮圧に極めて有効である。

西園軍の創設は劉宏の晩年である西暦188年の頃のことであり、彼の生涯は翌189年に34歳で閉じることとなったため特筆する活躍はない。だがこの中央政権直轄の常備軍という制度はこの後の王朝に引き継がれることとなった。

外戚の跳梁が起き、それを排斥するのに使われた宦官によって悪政が行われ、そして悪政によって国が疲弊し、疲弊した国を立て直すためにさらに民が虐げられ、乱が起こった。この流れの中心にいたのは劉宏政権である。

劉宏政権はそれなりにビジョンを持って政を行っていたが、結果的には漢を傾けたとして名を残している。

それが正当な評価か否かは議論が必要だろう。

この劉宏の治世の終わる前後から、三国志の物語は本格的に始まる。
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