呂布の軌跡

灰戸礼二

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濮陽の戦い4 勝利

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さらに数日後、曹操は城攻めを企図した。エン州軍の本営のある濮陽を失陥させれば、日和見をしている者や、消極的にエン州軍に身を寄せている者たちは雪崩をうったように曹操の元へ駆けつけるだろう。分かり切ったことであり、両軍ともこの攻防に備えて準備を続けてきた。

曹操軍の陣容はなかなかのものだ。士気も低くはないらしい。緒戦の損害は曹操に不利をもたらしたものの、その作戦方針を修正させるほどではなかったようだ。

だが守りきることは可能だろう。高順は先だっての呂布が率いる騎兵の姿を見て確信していた。

元々高順は呂布の用兵家としての才を高く評価していた。エン州にいたるまでは各地で傭兵紛いのことをして名を高めたという実績もあったし、何度か高順と膝詰めで用兵について語り合った際の受け答えに非凡なものを感じたからだ。

それに実際にそれほど多くもない騎兵で大軍の曹操を大いに苦しませる様を目の当たりにすると、改めて呂布の用兵に感じ入ってしまった。

騎兵という兵科は錬成するとあれほどの破壊力を持つのだということは高順にとって衝撃的な事実であった。

全軍の指揮をとろうとしない呂布に不満だったが、一部隊の指揮官としての立場で戦場全体をコントロールするだけの能力を見せつけられては黙るしかない。あれこそが呂布なりの全軍を統率する方法なのである。自らが先頭に立って状況を創出する姿は古の英雄である項羽を彷彿とさせる。

これまでも高順はエン州内で起こる小規模な争乱や流賊による冦掠を鎮めるため、それほどの大軍ではないが何度も兵を率いて戦ってきた。自分の用兵には自信がある。だがエン州という狭い領域であれば自分はこれ以上の栄達は望めないだろう。

自分が仕えるべき人物にようやく会えたという思いであった。呂布個人に従う兵はそれほど多くない。そのほとんど全てが騎兵なのである。歩兵は河内兵を中心とした兵団を従えているが、彼らは俸禄によって召し抱えられているに過ぎず、呂布が苦境に陥った際にどこまで頼りになるかは未知数であった。

騎兵は歩兵と協調してこそ真価を発揮する。呂布が直卒する部隊に歩兵を加えることは大きな意義を持つ。高順は呂布のために歩兵部隊を作ろうと決意する。呂布はエン州に必ずや平和をもたらしてくれるはずだ。そしてその平和を維持するためにはその軍事力を高め、呂布の存在感をエン州内で揺るぎないものにする必要があった。呂布を名実ともにエン州の主にするというのが天から与えられた自分の使命であるとさえ高順は思っている。

だから高順は危険が大きい城外への作戦の指揮官として志願した。

曹操の城攻めはもう始まっている。その方法は正攻法である。射手が横列を敷き城壁上のエン州軍を射竦めてる間に白兵部隊が梯子を登って切り込むのだ。

攻撃がはじまって三日間が経過した今もさし当たりは問題ない。全てが想定の範囲内である。梯子を登ってくる曹操軍には石を落としたり、煮え湯を浴びせたりして撃退する。稀に城壁まで登りきる兵もいたがすぐに殲滅されていた。

このままでも守りきれるかもしれないが、このまま休みなく攻撃を続けられれば城壁に到達する兵は増えていき、それを処理する時間は少しずつ延びていく。そしてやがては城壁上を占拠され、城門をこじ開けられる可能性もある。

それを防ぐのが先述の城外作戦である。出撃して曹操軍を突き、一時的にでも攻撃の勢いを減衰させればその分だけ防御態勢を整え直すことができる。だがもちろん余裕がある間に出撃する意味はない。
防御側の攻勢を受け止める様は弓の弦を少しずつ引き絞るのに似ている。限界近く弦が張り詰めるまでは心配はないが、かけられる力が一定を超えてしまうと弦は切れてしまう。そうなる前に弦にかけられる力を緩めてやれば、また攻撃を許容できるだけの余裕が生まれるという具合である。

だから出撃のタイミングは早くても遅くてもいけない。できる限り曹操軍の兵を消耗させてから出撃するべきなのだ。攻撃が開始されて四日目の今日、その時が来るとエン州軍の首脳部たちは考えていた。

「高将軍、そろそろ出ましょう」

城壁上で戦いの趨勢を見つめていた呂布が、高順率いる部隊の待機する城門までやってきた。

「早すぎではありませんか」

まだ朝である。本来、出撃は日が傾きだしてからであるという見通しであった。

「思った以上に敵の攻撃が鋭いのです。さすがは曹操、さすがは名高い青州兵です」

高順は身体が震えるのを感じた。武者震いである。当代の英雄である曹操を相手取り、呂布と共に戦うことは高順を興奮させた。

「打ち合わせの通り、卿らはこのまま出撃して曹操軍の側背を突いてください。私の率いる騎兵は反対側から出撃します」

高順の率いる兵は曹操軍の総数の一割程度いるが、呂布の率いる騎兵は千に満たない。今回は前回のような不意の遭遇戦ではない。曹操は呂布の騎兵への対処を考えているだろう。高順は呂布が寡兵で 出撃することに一抹の不安を感じていた。

「私の率いる兵が少なすぎるとお思いですね」

懸念が顔に出ている高順を呂布は笑う。

「先日のように私を、我々を信じてください。それでは、ご武運を」

顔に余裕を覗かせながら呂布は高順の元を去っていった。

高順は一度この敬服する相手から想像を上回る結果を見せつけられている。不安はあれど、今回も呂布を信じることに迷いはなかった。

城門をから打って出た高順らに対して曹操はそれと同程度の兵力を割いて迎撃に向かわせた。城攻めはそのまま継続されている。

高順の率いる兵力は実に中途半端であった。出撃する以上は攻城の手を鈍らせる程度の働きができなければならないが、一部の兵力を張り付けられるだけで無力化してしまう程度の規模の兵しかいない。それならば城壁上で守りについた方が余程マシだ。籠城戦は守兵の体力も重要な要素になる。交代要員が多ければそれだけ兵達の休憩時間が増えるため継戦しやすくなるからだ。

しばらく小競り合いを続けていると、遠くで曹操軍の旗が乱れ動くのを高順は視界の隅に捉えた。

呂布が動いたのだろう。曹操軍の乱れは時間の経過とともにますます大きくなってくる。それと呼応して高順は部隊を前進させる。本隊の動揺が伝わったのか、高順たちと相対していた部隊は浮足立った。それでもなお態勢を立て直そうとする曹操軍の部隊の中枢に、明らかに混乱が少ない場所があった。指揮官の声が届いているため士気を保てていると考えるのが妥当だろう。

高順は自ら先頭に立って敵を斬り伏せながら前進し、ついに曹操軍の部隊指揮官と思しき人物を自らの手で討った。本来は将たる者が奮うべき蛮勇ではないが、兵を率いるものが優れた武勇を発揮することは近世以前の戦いでは非常に有意義であった。曹操の兵達は恐れをなして潰走し、高順の兵たちは勇躍して追撃を始めた。

無秩序な追撃は本来慎むべきではあるが、曹操軍の本隊が乱れている今はむしろそれを煽りたてるべきであると高順は判断した。猛る兵を乱れている曹操軍の本隊へ叩きつける。

高順たちは敗走してくる部隊と絡まるような状態で曹操軍に接近したせいで、曹操軍は有効な対処をとれず、その兵の勢いをまともに受けた。

曹操軍はその側面攻撃によって、完全にその軍組織としての機能を一時喪失した。高順は先ほどと同じ要領で混乱の少ないところを探し、そこへ兵を集中させた。兵は熱狂の中でも高順のことを見ている。武勇で兵達の心を掴んだからこそできる芸当である。

高順が突撃したのは彼が見込んだ通り曹操軍本隊の指揮所であった。だがさすがにその守りは固く容易には抜けそうにない。

十分すぎる被害は与えられた。まだ混乱が続く状態で離脱を試みた方がいいのかもしれない。そう考え始めていた高順だったが、急に曹操軍の抵抗が弱まり指揮所を守る兵達は持ち場を放棄して逃げ出した。曹操が撤退命令を出したのだろう。曹操自身もいずこかに身を移したに違いない。高順たちは曹操軍の指揮所になだれ込んだ。

曹操軍撤退の直接の要因となったのはやはり呂布であった。
高順が攻撃を開始した少し後、呂布の方も騎兵を率いて曹操軍を突いていた。その大半は軽騎兵であったが、馬鎧をつけ騎乗する兵達にも鎧を纏わせた鉄騎兵を数百、呂布は別働隊として直率していた。鉄騎兵突撃の衝撃力は凄まじく、それを阻む術を曹操は持たなかった。戦端が開かれると同時に鉄騎兵が錐のように曹操軍を穿つと、軽騎兵たちがその後ろに続いてその穴を広げていった。それに呼応して高順が曹操軍に突入して曹操軍は恐慌状態に陥ったわけだが、呂布はそれだけでは飽きたらず曹操軍の指揮所を襲い、その機能を停止させようと図ったのだ。

呂布と高順との間で事前の打ち合わせは特になかったものの、ここでは結果的には挟撃の形となり、曹操軍は曹操自身が手傷を負うような惨状となった。

指揮所にあった鉦や太鼓は破壊され、旗や幟も引き裂かれた。戦場全体へ指揮をするのが困難になった曹操軍は進むも引くもままならず、混乱はやみそうにない。エン州軍が寄り合い所帯なのに対し、曹操軍は整然とした命令系統が存在する軍組織だったこともこの場合は悪い方に働いた。

極めつけは城門を守備していた陳宮が使える兵のほとんど全てを率いて出撃してきたことである。内部を高順と呂布らに荒らされ、新手を真正面からぶつけられた曹操軍は潰走を始めた。部隊単位ではなく全軍の潰走となった。

高順は手勢を率いて側面をかき分け、戦場から待避する。敵のただ中でぐずぐずしていると混乱に巻き込まれて味方に殺されかねない。呂布も鉄騎兵たちを下がらせたようだ。

呂布の軽騎兵たちは、その主に率いられなくとも追撃戦で果たすべき役割を果たす。逃げる曹操の兵達の退路を断って彼らの行動を遅滞させ、エン州軍の戦果を拡張させるのに貢献した。

曹操軍はその総戦力のおおよそ二割を失う大惨敗を喫した。捕虜も戦利品も数知れず、エン州軍はこの一戦でエン州内での覇権を手にした。間違いなく手にしたはずであった。
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