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エン州の覇権2 敗北
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「率直に申し上げて存亡の危機です」
エン州政権の軍議の席上、鉅野を失陥したことの報告を終えた呂布は暗い顔の一同を見渡しながらそう言った。
現状でもエン州軍の総戦力が曹操に劣るわけではない。曹操もまた蝗の害により動員できる兵は減っていたからだ。だが曹操がまとまった戦力をこちらへぶつけられるのに対し、防御に回ったエン州軍が兵力を集中させられないのであれば、遠からずエン州軍は滅ぼされる。
「どうすれば良いのだろう、卿には何か妙案がお有りか」
名目上のエン州軍の指導者の筆頭である張バクには度胸もあり、度量もある。自身で兵を率いた経験は少ないため、戦術レベルの采配は陳宮や呂布に一任している。並の人物ならば今の劣勢について実務担当をする者へ少々の恨みごとを吐きたくもなるだろうが、そのようなわだかまりを一切見せないあたり、それなりの人物ではある。
「決戦しかありますまい」
呂布の出した答えは意外なものではない。誰もが考えていたことだ。
「曹操が濮陽で決戦を挑んできた時と状況は酷似していますな」
立ち位置は逆になっておりますが、という言葉を飲み込んだ高順は些か冷笑的な表情を浮かべている。軍略だ戦略だと偉そうなことを言う高位高官たちを高順はあまり好きではない。前線に出ろとはいわないが、兵の苦楽を想像できない者が何を言ってもどこか空々しく感じる。立場の割に腰が軽く戦場でも積極的に動く陳宮についてはマシな部類であると思っているが、兵を労わる気持ちが少ないところが癇に障った。
戦功によりエン州政権内の軍議に加わることを許された高順だが、その腹の底は穏やかではない。
高順は最初から全ての采配を呂布に預けろと主張していた。そのネームバリュー目当てとはいえエン州の主として推戴した以上、エン州の将帥たちはその名声の根幹にある軍事力と軍事的才能に全てを預け、呂布の補佐に回るべきなのだ。自在に武を振るわせず、区々たる戦場で働く指揮官程度にしか呂布を起用しないのであれば、最初からただの傭兵部隊として招けばいい。
名と実を一致させるというのは軍制度上重要なことであり、高順の考えは一理ある。
だが政略面から見て現実的ではないその献言が容れられず、再三の主張は呂布の立場を悪くするだけだと理解してからは高順は黙っている。だがその気持ちは変わらない。
呂布も一連の戦いの中で負けたことは一度や二度ではない。情勢を不利と見た際の引き方もまた高順の期待に沿ったものだったから、彼の抱く半ば信奉にも似た気持ちが陰ることはなかった。
「この東緡県に結集した戦力は十分なものである。呂将軍の言の通り、ここは腹を決めて曹操と雌雄を決するべきだろう」
陳宮が議論を総括したが異論はなかった。誰がどう考えてもそれ以外の策がないからだ。
騎兵はまだ戻らないが、折しも赫萌が河内郡で募兵を終えて戻ってきていた。濮陽で募兵した兵、山陽郡で募兵した兵、周辺諸豪族の兵、そして河内兵がエン州軍の内訳である。
陳宮と呂布が編成を行い、ある程度組織らしい形にはなっている。兵を拠出してまで協力しようとする豪族の数が減ったため、部隊指揮官の数が減少しているのが一番の弱みである。蝗害までは豪族たちに徴募した兵の一部を率いさせて運用していたが、それができなくなってしまったため、部隊運動の円滑さや柔軟さが失われていた。
「一戦して勝利すれば日和見の豪族たちもこぞって帷幄に馳せ参じるに違いない。我らの苦境も残り後わずかであろう」
張バクは自分に言い聞かせるように言葉を吐いたが、一同の表情が晴れることはなかった。
エン州の趨勢を決める第二次定陶の戦いはこうして始まろうとしていた。
ちなみに『三国志武帝紀』の注にはこの戦いの記述があるが、顧みるに値しない。なんでも、曹操はなぜか呂布らの動きを一切探知できず兵の大半を麦の刈り取りに動員し、ほとんど兵がいないという無様な状態だったらしい。そして呂布の方も電撃的奇襲を行ったにも関わらず伏兵の存在する可能性を懸念し、一日だけ攻撃を待ったようだ。一日待てば伏兵が消え失せるわけでもなく、新しく友軍が駆け付けるわけでもない。その一日の間に兵達は曹操の軍営に帰還し、その兵により呂布の攻撃を防ぎ、打ち破ったとのことだ。
おそらく寡兵の曹操が機略を発揮して大軍の呂布を退けたというストーリーを創作したかったようだが、双方とも戦術家として通常ありえない醜態をさらしている。荒唐無稽といっていい。史書にはいたるところでこういった後世に創作されたであろう話が散見される。
曹操軍は定陶県の攻略を企図し、同地へ駐留していた。エン州軍は街道を北西に進軍していった。大軍と称して差し支えない数の兵が秩序だって進軍する姿は見るものを恐れさせた。曹操を討った後でこの軍が自分の領地へ向けられるかもしれない。日和見の豪族たちの中にはそう考え、再び兵を率いてやって行軍に加わる者も少なからずいた。
エン州軍はそれらの兵力も吸収し、定陶の近隣に到着した。
そして数日後、エン州軍は曹操軍の陣営へ攻め寄せた。
「敵も我らの動きを察知していたはず。何らかの手は打ってくるだろう。しかし臆することはない、数は我らの方が多い。嵩にかかって押し潰せ」
指揮官たちは口々にそう叫んで兵たちを鼓舞し、戦場へ投入する。錬度が高いといえない兵たちもまずまずの戦いぶりを見せ、エン州軍の本部を安心させた。
エン州軍はたしかに大軍である。大軍ではあるが、組織として急造のものであり、細かい命令を下すことは難しい。柔軟性に欠ける大雑把な運用を行うしかない状態であった。だから呂布や高順などの即応性の高い部隊は本部に留められ、何かあった際に投入される予備隊となっていた。
曹操軍は陣に拠って戦っている。数は少ないが装備も錬度もエン州軍よりも格段に優れているようで、よく防戦している。
「陳太守、曹操の兵の数は少な過ぎやしませんか」
高順の疑念は尤もである。
「おそらく兵を分けているのだろう。だがどうすることもできん。何かあった場合は卿らの部隊で対応することになる」
もちろん陳宮は斥候を放ち、曹操軍の別働隊が周辺にいないかを調べさせているが、今のところ有益な情報はない。
戦列先頭が本格的に攻防を開始したため、陣を半包囲するように軍を展開させようとした矢先である。
「おや、あれは」
エン州軍戦列の左翼の側面に小部隊が現れた。規模は数十人程度であろう。傍には森があり、そこに潜んでいたものと推測された。本部に緊張が走る。彼らは散開すると相当な距離があるにも関わらず、一斉に弓を放ったようだ。弓の張力が強く、射手の技能も高いのだろう。矢はエン州軍に届いたようで、側面の一部分が動揺する様子が本部からも見てとれた。
「小勢ですな」
「油断はできん」
曹操軍の別働隊へ向け、現場の指揮官が戦列の兵を割いて向かわせる。規模は百人程度。肉薄するエン州軍の部隊へ再度弓射があった。バタバタと倒れる兵たちだったが、それはむしろ恐れよりも怒りを喚起したようだ。猛った兵たちは歩みを速める。
曹操軍の部隊は退く。エン州軍の部隊は追う。そうするうちに曹操軍の部隊には増援が現れた。ただしその数は少ない。エン州軍からも増援が送られる。
曹操軍はそれなりの数の兵を伏せていたようで、そんなことが無秩序に繰り返される。たちまち状況は混迷の様相を見せた。
「陳太守、出ますぞ。よろしいな」
一番機敏に動いたのは呂布だった。兵力の逐次投入は下策とされるが、それを敢えて行い、陣前以外に戦況を作り出すのが曹操の狙いに思えた。今のエン州軍には多方向の敵に対しうまく立ち回れる錬度はない。なまじ図体が大きい組織になったせいで、命令も伝わるまで時間がかかってしまう。
「同様の手を他の場所へも打ってくることが予想されます。注意を怠りませんように」
呂布はそれだけを言い残し、本部を去った。拡大しかかっている戦線を縮小させなければならない。
呂布は手元にいる僅か数十名の騎兵と共に現場に駆けつけた。
もつれ合う両軍をまずは引き剥がさなければいけない。まずはこれ以上の兵力投入はやめるようエン州軍の指揮官へ伝令を出した。
一部兵力を貼りつけておけばどうとでも対応できる規模であることは指揮官も理解していたが状況に引きずられて収拾がつかなかったようだ。
騎兵を迂回させて曹操軍の部隊の後方を扼させると多少の動揺を誘うことができた。呂布はその際に混戦の中に飛び込むと大音声で自身の存在を味方に伝え、集合するように命じた。意図を理解した兵たちは次々に呂布の周辺に集まる。敵軍の中で孤立する集団がいればそこへ呂布自身が集合しかかっている兵たちを連れて救出にいった。
それほど長い時間はかからず、両軍は分かたれた。一旦距離をとってから方陣を整理・再構築し、気のつく部下数人に現状の維持を指示すると呂布は本部へ戻るためその場を去った。
呂布が帰還すると同様の事態が他の方面でも起きていることを知らされた。赫萌も高順も既に出撃していた。本部に残された人間でそれなりの指揮能力を持つのは陳宮だけになっている。その顔は気の弱い人間が見れば失神してしまいそうな凶相である。
「なんという無様な用兵だ、そう思わんかね呂将軍」
丘にある指揮所からはある程度戦場を見渡すことができる。見渡すとそこかしこで戦闘が起こっているのがわかった。呂布がやったように戦闘が激化する前に収束させられればいいが、そんな芸当は誰にでもできるものではない。そして呂布といえども一旦加熱し始めた戦闘は止めることは容易ではない。言い方を変えるとどうにもならない状況であった。
目に見える範囲の兵数でいうと四割ほどエン州軍の方が多いようだ。控えている曹操軍の兵の数を加味しても、数だけでいえばエン州軍は曹操軍を優越しているはずだ。だが薄い膜のように曹操軍がエン州軍を取り巻いているせいで、部隊を思うように展開できず中央の軍が遊軍化しており、実際に戦闘へ参加できている数はむしろ曹操軍の兵の方が多いという有様であった。陣への攻め口も一方からだけになっており、大軍の優位を活かせないでいる。
そもそも動員可能兵数は両軍に大差はない。エン州軍の幹部たちはその状況で戦場や日時を苦労して選定し、戦場で彼我の兵数差を作り出したのである。その優位は現在のところ曹操の戦術により殺されてしまっていた。
「これほど広範に曹操は兵を隠していたのでしょうか」
「それなら斥候で所在を確認できたさ。開戦時間を予測し、どこぞの見つかりにくいところに伏せてあった別営から移動させていたのだろう。青州兵は信じられないほど速く歩く」
曹操陣営にいた陳宮は青州兵の行軍スピードについて熟知していたつもりだったが、このような少数で多数の兵を半ば包囲するような策を打ってくるというのは予想していなかった。
「一部兵力を用いて曹操軍の外側から攻撃するわけにはいかないのですか」
「何回も試したさ。だが連中は装備と連携がいい。もたもたと攻めている間に突出した部隊はすぐに撃破されたよ」
大半の場所では曹操軍が守勢に立っているが、地形を利用して多数のエン州軍の兵とよく戦っている。多方面に状況を作り出してエン州軍の注意を分散し、攻撃を遅滞させるのが目的なのだろう。
そして迂回して挟撃しようとしても命令系統が未成熟なエン州軍の鈍重な動きであれば、目に見える曹操軍のさらに後ろにいる遊撃部隊に捕捉されてしまうのだ。
あの程度の敵は捨て置いて目の前の陣を側面から攻撃せよ、と前線で指揮をとる高順や赫萌らは絶叫しているはずだ。そしてその判断は恐らく正しい。だが兵や部隊の指揮官たちからすると背後に敵兵がいるのは気持ちが良くない。だから必要以上に兵を向けてしまう。戦線が無秩序に広がり、部隊間の円滑な行動が阻害される。自縄自縛である。
敵の数が少ないというのは戦場を俯瞰できる立場だからわかることであり、兵たちからすると敵に囲まれながら戦っているような心地だろうから一概には責められない。当然ながら士気は落ちる。現状、正攻法では陣に籠もる曹操軍の兵を落とせそうにもない。
「南城の兵は出撃していないのですか」
「わからん。だが曹操も南城には部隊を置いているだろうし、それを突破してこちらへ参戦できることを期待できるかどうか」
定陶県の主城である南城へは決戦の日は伝えていたが、曹操も対策を打っているだろう。その対策に兵が用いられているためこの戦場にいる兵の数はエン州軍が勝っているのだから、南城は十分その役割を果たしているといえる。それ以上を求めるのは酷というものだ。
「どうすれば良かろうか、呂将軍」
珍しく弱音を吐いた陳宮だが、呂布にも妙案は浮かばない。
「一度戦線をさげるのが良いのでしょうが、我が軍は守勢に回ればおそらく瓦解します」
「で、あろうな。しかし今の状態が続けばいずれは士気が保てなくなる」
進むもことも引くこともかなわない状況であった。
「せめて私が軍の中央部で戦線の整理を支援します。その間に後退の準備をお願いします」
「頼む」
陳宮が後退を指揮し、呂布がそれを支援する。現在取り得る最良の策であるはずだった。だが二人には共通して抱く懸念がある。今回の戦い、主導権を取られ続けているということだ。エン州軍には選択肢が与えられないまま状況が推移していっている。軍を一旦下げるというのも当然曹操の予想の範疇だろう。
エン州軍の中央部分は浮き足だっていたが、呂布の存在によりある程度の落ち着きを取り戻した。呂布の持つ『威』にはそれだけの効果があったのだ。
指揮官に隊列を整理させ、後退の指示を待つ。やがて後退を知らせる鉦が戦場に響き始めた。
まだ日も高く、撤退を企図しての後退ではない。戦線を整理するという、それだけの意味しか持たない。そのはずだった。
「呂布が逃げるぞ」
「我々の勝利だ」
第一声がどこで響いたのかはわからない。だがその声はいたるところに伝播していった。
さざ波は大きくなり、戦場全体を揺るがし始めた。
エン州軍の象徴たる呂布の名を出したのは特に効果的であった。
もちろん実際には呂布は戦場の真っただ中にいた。目立つよう騎乗もしており、事態を鎮静化させようと努力していた。兵達は呂布の言葉はよく聞いた。だが呂布の威もその声が聞こえ、姿が見える範囲でしか効力を発揮しない。広範な戦場の縁辺で戦う兵たちにはそれがわからない。
まずは側方で曹操軍の別働隊と戦っていた部隊が崩れた。動揺につけ込み、曹操軍の部隊が攻勢を開始したからである。見ようによっては少数の兵が突出した形である。往事のエン州軍であればその場から撤退するにしろ、まずは押し包んでその兵を殲滅しようとしていたに違いない。だがそうはならず、エン州軍の兵たちは本隊に向かって逃げ出した。本隊も当然混乱する。いたるところで同様の状況が続出した。
曹操はこのタイミングで全面的な反攻を指示した。
エン州軍はなすすべなく壊乱した。前方で陣を攻めていた部隊はエン州軍の中でも錬度の高い部隊であったが、後方が崩れてはなすすべもない。ついには攻撃をやめて半ば潰走に近い後退に加わった。
呂布は指揮権を無視し、強引に周辺の兵を自分の周りに集合させた。こうなれば是非もない。追撃を防ぐための殿を守るしかないだろう。
それに戦場にはエン州軍の死体は少ない。ろくに交戦せず逃げ出していることの証である。被害は少ない。潰走を食い止めて部隊を再度整理できれば再度攻勢をかけることも可能だ。むしろ突出した曹操の部隊を打ち倒す絶好の機会ともいえる。
始まった潰走を食い止めるなどという芸当は不可能に近く、それは現実性に乏しい希望的観測である。だが呂布がよく通る声でそう叫べば、そういうものかと落ち着きを取り戻して呂布の殿に加わる部隊も少なからずいた。
今必要なのは明哲な戦術眼ではなく兵を鼓舞するカリスマ性であり、呂布はそれを備えていた。
曹操軍は何度か呂布への攻撃を試みたが、その度に痛打を浴びた。呂布は戦いながらゆるゆると後退しつつ、逃げる友軍を曹操軍の毒牙から守った。
その甲斐あってそれほど大きな被害を出さずに曹操の追撃をかわしたエン州軍だったが、兵をまとめて再攻勢へ移ることができるような士気は残されていなかった。
エン州軍の混乱が落ち着いたのは日も暮れようという頃であった。エン州政権に協力してきた豪族たちの大半は手のひらをあっさりと返し、軍営から去っていった。徴募兵たちも混乱に乗じて逃げ散った者が多い。
エン州のパワーバランスを決定づける戦にエン州軍は負けた。エン州軍には弱みもあったが、強みもあった。曹操軍も同じである。勝てない戦ではなかった。
勝てなかったのは将帥たちの責である。
「まだ負けたわけではない」
「卿は戦う意志のない兵を使って勝利を得るおつもりですか」
呂布が陳宮を見る目は冷ややかだ。
陳宮の言うとおり、たしかにまだまとまった数の兵はいる。逃げるのに疲れたため軍営に残っている兵たちが。だがそれが何なのだというのか。
「私を少しみくびっているのではないか」
陳宮はいささか気分を害した様子を見せたが、気を取り直して言葉を続ける。
「兵はエン州で募らなければならないというわけでもあるまい。エン州東方は一時曹操に預け、西方で防戦をしている間に私が徐州の兵を連れて来援しよう」
呂布でさえ敗戦に気落ちし、善後策を巡らせることができなかった。そんな時でも陳宮は劣勢を覆す策を考え続けていたのだろう。
「それに加え、袁将軍へ援軍を依頼する」
袁将軍というのは袁術のことである。今は南の揚州に拠っている。袁術の合力があれば、西・東・南の三方から曹操を攻撃できる。
この頃はまだ袁術に長江を超えて外征する余裕はない。徐州もまた旧支配者の陶謙が死に、その後を継いだ劉備という者が、曹操の属する派閥の主である袁紹へ誼を通じる使者を送るなど、エン州政権にとっては不穏な動きを見せている。そういった事情を勘案すると策の実現性は怪しい。だが陳宮の壮大な気宇は誰もが認めざるを得ない。
「たまには負けることもあろう。勝敗は兵家の常だ。我々が諦めてどうするのか。非道の者を打ち倒さなくては民が難儀するのだぞ」
柄にもなくエン州政権の重鎮たちを慰め、鼓舞する陳宮の姿に感化され、やがて一同は生色を取り戻した。
エン州政権に参画する豪族の中でも、再度恭順を誓って曹操に領土を安堵してもらえるような者は既に帷幄を去っている。残っているのはエン州政権が瓦解すれば生き場を失うような者たちばかりである。曹操に抵抗するより他に道はないのだから、具体的な抗戦の方策を提示して奮起を促した陳宮は正しい。
一行の大半は濮陽に戻った。呂布と陳宮、そして高順は自身の率いる兵を連れて援兵を乞うため徐州へ向かい、エン州政権の中でも随一の名声を持つ張バクは袁術の元へ出師を願いに向かうこととなった。
一旦エン州東方での抗戦を諦め、濮陽へ向かうことを告げた後に軍を離脱する者が予想以上に少なかったことはエン州政権の面々を喜ばせた。孤軍で気炎をあげる呂布の姿が人々の目に印象的に写っていたのだ。それを直接目にしていない者へも伝聞で全軍に広がり、希望となった。だからエン州政権に参画する人々はこの一敗に諦めを覚えず、悲惨な籠城戦へ後に身を投じることになったのである。部外者である袁術の援軍はあてにならないとしても、呂布ならば絶対に徐州から軍を率いて来援してくれる、そう信じて。
定陶県を守る軍も大部分が撤収し、曹操は容易に済陰郡の全土を掌握した。兵を分けて僅かに残るエン州政権の残党を駆逐してエン州の東半分を盤石にした曹操は、張超が守るエン州西部への進撃を開始する。張超は最終的に残った兵や一族を引き連れて陳留郡の雍丘県に移り、籠城に備えた。
エン州政権の軍議の席上、鉅野を失陥したことの報告を終えた呂布は暗い顔の一同を見渡しながらそう言った。
現状でもエン州軍の総戦力が曹操に劣るわけではない。曹操もまた蝗の害により動員できる兵は減っていたからだ。だが曹操がまとまった戦力をこちらへぶつけられるのに対し、防御に回ったエン州軍が兵力を集中させられないのであれば、遠からずエン州軍は滅ぼされる。
「どうすれば良いのだろう、卿には何か妙案がお有りか」
名目上のエン州軍の指導者の筆頭である張バクには度胸もあり、度量もある。自身で兵を率いた経験は少ないため、戦術レベルの采配は陳宮や呂布に一任している。並の人物ならば今の劣勢について実務担当をする者へ少々の恨みごとを吐きたくもなるだろうが、そのようなわだかまりを一切見せないあたり、それなりの人物ではある。
「決戦しかありますまい」
呂布の出した答えは意外なものではない。誰もが考えていたことだ。
「曹操が濮陽で決戦を挑んできた時と状況は酷似していますな」
立ち位置は逆になっておりますが、という言葉を飲み込んだ高順は些か冷笑的な表情を浮かべている。軍略だ戦略だと偉そうなことを言う高位高官たちを高順はあまり好きではない。前線に出ろとはいわないが、兵の苦楽を想像できない者が何を言ってもどこか空々しく感じる。立場の割に腰が軽く戦場でも積極的に動く陳宮についてはマシな部類であると思っているが、兵を労わる気持ちが少ないところが癇に障った。
戦功によりエン州政権内の軍議に加わることを許された高順だが、その腹の底は穏やかではない。
高順は最初から全ての采配を呂布に預けろと主張していた。そのネームバリュー目当てとはいえエン州の主として推戴した以上、エン州の将帥たちはその名声の根幹にある軍事力と軍事的才能に全てを預け、呂布の補佐に回るべきなのだ。自在に武を振るわせず、区々たる戦場で働く指揮官程度にしか呂布を起用しないのであれば、最初からただの傭兵部隊として招けばいい。
名と実を一致させるというのは軍制度上重要なことであり、高順の考えは一理ある。
だが政略面から見て現実的ではないその献言が容れられず、再三の主張は呂布の立場を悪くするだけだと理解してからは高順は黙っている。だがその気持ちは変わらない。
呂布も一連の戦いの中で負けたことは一度や二度ではない。情勢を不利と見た際の引き方もまた高順の期待に沿ったものだったから、彼の抱く半ば信奉にも似た気持ちが陰ることはなかった。
「この東緡県に結集した戦力は十分なものである。呂将軍の言の通り、ここは腹を決めて曹操と雌雄を決するべきだろう」
陳宮が議論を総括したが異論はなかった。誰がどう考えてもそれ以外の策がないからだ。
騎兵はまだ戻らないが、折しも赫萌が河内郡で募兵を終えて戻ってきていた。濮陽で募兵した兵、山陽郡で募兵した兵、周辺諸豪族の兵、そして河内兵がエン州軍の内訳である。
陳宮と呂布が編成を行い、ある程度組織らしい形にはなっている。兵を拠出してまで協力しようとする豪族の数が減ったため、部隊指揮官の数が減少しているのが一番の弱みである。蝗害までは豪族たちに徴募した兵の一部を率いさせて運用していたが、それができなくなってしまったため、部隊運動の円滑さや柔軟さが失われていた。
「一戦して勝利すれば日和見の豪族たちもこぞって帷幄に馳せ参じるに違いない。我らの苦境も残り後わずかであろう」
張バクは自分に言い聞かせるように言葉を吐いたが、一同の表情が晴れることはなかった。
エン州の趨勢を決める第二次定陶の戦いはこうして始まろうとしていた。
ちなみに『三国志武帝紀』の注にはこの戦いの記述があるが、顧みるに値しない。なんでも、曹操はなぜか呂布らの動きを一切探知できず兵の大半を麦の刈り取りに動員し、ほとんど兵がいないという無様な状態だったらしい。そして呂布の方も電撃的奇襲を行ったにも関わらず伏兵の存在する可能性を懸念し、一日だけ攻撃を待ったようだ。一日待てば伏兵が消え失せるわけでもなく、新しく友軍が駆け付けるわけでもない。その一日の間に兵達は曹操の軍営に帰還し、その兵により呂布の攻撃を防ぎ、打ち破ったとのことだ。
おそらく寡兵の曹操が機略を発揮して大軍の呂布を退けたというストーリーを創作したかったようだが、双方とも戦術家として通常ありえない醜態をさらしている。荒唐無稽といっていい。史書にはいたるところでこういった後世に創作されたであろう話が散見される。
曹操軍は定陶県の攻略を企図し、同地へ駐留していた。エン州軍は街道を北西に進軍していった。大軍と称して差し支えない数の兵が秩序だって進軍する姿は見るものを恐れさせた。曹操を討った後でこの軍が自分の領地へ向けられるかもしれない。日和見の豪族たちの中にはそう考え、再び兵を率いてやって行軍に加わる者も少なからずいた。
エン州軍はそれらの兵力も吸収し、定陶の近隣に到着した。
そして数日後、エン州軍は曹操軍の陣営へ攻め寄せた。
「敵も我らの動きを察知していたはず。何らかの手は打ってくるだろう。しかし臆することはない、数は我らの方が多い。嵩にかかって押し潰せ」
指揮官たちは口々にそう叫んで兵たちを鼓舞し、戦場へ投入する。錬度が高いといえない兵たちもまずまずの戦いぶりを見せ、エン州軍の本部を安心させた。
エン州軍はたしかに大軍である。大軍ではあるが、組織として急造のものであり、細かい命令を下すことは難しい。柔軟性に欠ける大雑把な運用を行うしかない状態であった。だから呂布や高順などの即応性の高い部隊は本部に留められ、何かあった際に投入される予備隊となっていた。
曹操軍は陣に拠って戦っている。数は少ないが装備も錬度もエン州軍よりも格段に優れているようで、よく防戦している。
「陳太守、曹操の兵の数は少な過ぎやしませんか」
高順の疑念は尤もである。
「おそらく兵を分けているのだろう。だがどうすることもできん。何かあった場合は卿らの部隊で対応することになる」
もちろん陳宮は斥候を放ち、曹操軍の別働隊が周辺にいないかを調べさせているが、今のところ有益な情報はない。
戦列先頭が本格的に攻防を開始したため、陣を半包囲するように軍を展開させようとした矢先である。
「おや、あれは」
エン州軍戦列の左翼の側面に小部隊が現れた。規模は数十人程度であろう。傍には森があり、そこに潜んでいたものと推測された。本部に緊張が走る。彼らは散開すると相当な距離があるにも関わらず、一斉に弓を放ったようだ。弓の張力が強く、射手の技能も高いのだろう。矢はエン州軍に届いたようで、側面の一部分が動揺する様子が本部からも見てとれた。
「小勢ですな」
「油断はできん」
曹操軍の別働隊へ向け、現場の指揮官が戦列の兵を割いて向かわせる。規模は百人程度。肉薄するエン州軍の部隊へ再度弓射があった。バタバタと倒れる兵たちだったが、それはむしろ恐れよりも怒りを喚起したようだ。猛った兵たちは歩みを速める。
曹操軍の部隊は退く。エン州軍の部隊は追う。そうするうちに曹操軍の部隊には増援が現れた。ただしその数は少ない。エン州軍からも増援が送られる。
曹操軍はそれなりの数の兵を伏せていたようで、そんなことが無秩序に繰り返される。たちまち状況は混迷の様相を見せた。
「陳太守、出ますぞ。よろしいな」
一番機敏に動いたのは呂布だった。兵力の逐次投入は下策とされるが、それを敢えて行い、陣前以外に戦況を作り出すのが曹操の狙いに思えた。今のエン州軍には多方向の敵に対しうまく立ち回れる錬度はない。なまじ図体が大きい組織になったせいで、命令も伝わるまで時間がかかってしまう。
「同様の手を他の場所へも打ってくることが予想されます。注意を怠りませんように」
呂布はそれだけを言い残し、本部を去った。拡大しかかっている戦線を縮小させなければならない。
呂布は手元にいる僅か数十名の騎兵と共に現場に駆けつけた。
もつれ合う両軍をまずは引き剥がさなければいけない。まずはこれ以上の兵力投入はやめるようエン州軍の指揮官へ伝令を出した。
一部兵力を貼りつけておけばどうとでも対応できる規模であることは指揮官も理解していたが状況に引きずられて収拾がつかなかったようだ。
騎兵を迂回させて曹操軍の部隊の後方を扼させると多少の動揺を誘うことができた。呂布はその際に混戦の中に飛び込むと大音声で自身の存在を味方に伝え、集合するように命じた。意図を理解した兵たちは次々に呂布の周辺に集まる。敵軍の中で孤立する集団がいればそこへ呂布自身が集合しかかっている兵たちを連れて救出にいった。
それほど長い時間はかからず、両軍は分かたれた。一旦距離をとってから方陣を整理・再構築し、気のつく部下数人に現状の維持を指示すると呂布は本部へ戻るためその場を去った。
呂布が帰還すると同様の事態が他の方面でも起きていることを知らされた。赫萌も高順も既に出撃していた。本部に残された人間でそれなりの指揮能力を持つのは陳宮だけになっている。その顔は気の弱い人間が見れば失神してしまいそうな凶相である。
「なんという無様な用兵だ、そう思わんかね呂将軍」
丘にある指揮所からはある程度戦場を見渡すことができる。見渡すとそこかしこで戦闘が起こっているのがわかった。呂布がやったように戦闘が激化する前に収束させられればいいが、そんな芸当は誰にでもできるものではない。そして呂布といえども一旦加熱し始めた戦闘は止めることは容易ではない。言い方を変えるとどうにもならない状況であった。
目に見える範囲の兵数でいうと四割ほどエン州軍の方が多いようだ。控えている曹操軍の兵の数を加味しても、数だけでいえばエン州軍は曹操軍を優越しているはずだ。だが薄い膜のように曹操軍がエン州軍を取り巻いているせいで、部隊を思うように展開できず中央の軍が遊軍化しており、実際に戦闘へ参加できている数はむしろ曹操軍の兵の方が多いという有様であった。陣への攻め口も一方からだけになっており、大軍の優位を活かせないでいる。
そもそも動員可能兵数は両軍に大差はない。エン州軍の幹部たちはその状況で戦場や日時を苦労して選定し、戦場で彼我の兵数差を作り出したのである。その優位は現在のところ曹操の戦術により殺されてしまっていた。
「これほど広範に曹操は兵を隠していたのでしょうか」
「それなら斥候で所在を確認できたさ。開戦時間を予測し、どこぞの見つかりにくいところに伏せてあった別営から移動させていたのだろう。青州兵は信じられないほど速く歩く」
曹操陣営にいた陳宮は青州兵の行軍スピードについて熟知していたつもりだったが、このような少数で多数の兵を半ば包囲するような策を打ってくるというのは予想していなかった。
「一部兵力を用いて曹操軍の外側から攻撃するわけにはいかないのですか」
「何回も試したさ。だが連中は装備と連携がいい。もたもたと攻めている間に突出した部隊はすぐに撃破されたよ」
大半の場所では曹操軍が守勢に立っているが、地形を利用して多数のエン州軍の兵とよく戦っている。多方面に状況を作り出してエン州軍の注意を分散し、攻撃を遅滞させるのが目的なのだろう。
そして迂回して挟撃しようとしても命令系統が未成熟なエン州軍の鈍重な動きであれば、目に見える曹操軍のさらに後ろにいる遊撃部隊に捕捉されてしまうのだ。
あの程度の敵は捨て置いて目の前の陣を側面から攻撃せよ、と前線で指揮をとる高順や赫萌らは絶叫しているはずだ。そしてその判断は恐らく正しい。だが兵や部隊の指揮官たちからすると背後に敵兵がいるのは気持ちが良くない。だから必要以上に兵を向けてしまう。戦線が無秩序に広がり、部隊間の円滑な行動が阻害される。自縄自縛である。
敵の数が少ないというのは戦場を俯瞰できる立場だからわかることであり、兵たちからすると敵に囲まれながら戦っているような心地だろうから一概には責められない。当然ながら士気は落ちる。現状、正攻法では陣に籠もる曹操軍の兵を落とせそうにもない。
「南城の兵は出撃していないのですか」
「わからん。だが曹操も南城には部隊を置いているだろうし、それを突破してこちらへ参戦できることを期待できるかどうか」
定陶県の主城である南城へは決戦の日は伝えていたが、曹操も対策を打っているだろう。その対策に兵が用いられているためこの戦場にいる兵の数はエン州軍が勝っているのだから、南城は十分その役割を果たしているといえる。それ以上を求めるのは酷というものだ。
「どうすれば良かろうか、呂将軍」
珍しく弱音を吐いた陳宮だが、呂布にも妙案は浮かばない。
「一度戦線をさげるのが良いのでしょうが、我が軍は守勢に回ればおそらく瓦解します」
「で、あろうな。しかし今の状態が続けばいずれは士気が保てなくなる」
進むもことも引くこともかなわない状況であった。
「せめて私が軍の中央部で戦線の整理を支援します。その間に後退の準備をお願いします」
「頼む」
陳宮が後退を指揮し、呂布がそれを支援する。現在取り得る最良の策であるはずだった。だが二人には共通して抱く懸念がある。今回の戦い、主導権を取られ続けているということだ。エン州軍には選択肢が与えられないまま状況が推移していっている。軍を一旦下げるというのも当然曹操の予想の範疇だろう。
エン州軍の中央部分は浮き足だっていたが、呂布の存在によりある程度の落ち着きを取り戻した。呂布の持つ『威』にはそれだけの効果があったのだ。
指揮官に隊列を整理させ、後退の指示を待つ。やがて後退を知らせる鉦が戦場に響き始めた。
まだ日も高く、撤退を企図しての後退ではない。戦線を整理するという、それだけの意味しか持たない。そのはずだった。
「呂布が逃げるぞ」
「我々の勝利だ」
第一声がどこで響いたのかはわからない。だがその声はいたるところに伝播していった。
さざ波は大きくなり、戦場全体を揺るがし始めた。
エン州軍の象徴たる呂布の名を出したのは特に効果的であった。
もちろん実際には呂布は戦場の真っただ中にいた。目立つよう騎乗もしており、事態を鎮静化させようと努力していた。兵達は呂布の言葉はよく聞いた。だが呂布の威もその声が聞こえ、姿が見える範囲でしか効力を発揮しない。広範な戦場の縁辺で戦う兵たちにはそれがわからない。
まずは側方で曹操軍の別働隊と戦っていた部隊が崩れた。動揺につけ込み、曹操軍の部隊が攻勢を開始したからである。見ようによっては少数の兵が突出した形である。往事のエン州軍であればその場から撤退するにしろ、まずは押し包んでその兵を殲滅しようとしていたに違いない。だがそうはならず、エン州軍の兵たちは本隊に向かって逃げ出した。本隊も当然混乱する。いたるところで同様の状況が続出した。
曹操はこのタイミングで全面的な反攻を指示した。
エン州軍はなすすべなく壊乱した。前方で陣を攻めていた部隊はエン州軍の中でも錬度の高い部隊であったが、後方が崩れてはなすすべもない。ついには攻撃をやめて半ば潰走に近い後退に加わった。
呂布は指揮権を無視し、強引に周辺の兵を自分の周りに集合させた。こうなれば是非もない。追撃を防ぐための殿を守るしかないだろう。
それに戦場にはエン州軍の死体は少ない。ろくに交戦せず逃げ出していることの証である。被害は少ない。潰走を食い止めて部隊を再度整理できれば再度攻勢をかけることも可能だ。むしろ突出した曹操の部隊を打ち倒す絶好の機会ともいえる。
始まった潰走を食い止めるなどという芸当は不可能に近く、それは現実性に乏しい希望的観測である。だが呂布がよく通る声でそう叫べば、そういうものかと落ち着きを取り戻して呂布の殿に加わる部隊も少なからずいた。
今必要なのは明哲な戦術眼ではなく兵を鼓舞するカリスマ性であり、呂布はそれを備えていた。
曹操軍は何度か呂布への攻撃を試みたが、その度に痛打を浴びた。呂布は戦いながらゆるゆると後退しつつ、逃げる友軍を曹操軍の毒牙から守った。
その甲斐あってそれほど大きな被害を出さずに曹操の追撃をかわしたエン州軍だったが、兵をまとめて再攻勢へ移ることができるような士気は残されていなかった。
エン州軍の混乱が落ち着いたのは日も暮れようという頃であった。エン州政権に協力してきた豪族たちの大半は手のひらをあっさりと返し、軍営から去っていった。徴募兵たちも混乱に乗じて逃げ散った者が多い。
エン州のパワーバランスを決定づける戦にエン州軍は負けた。エン州軍には弱みもあったが、強みもあった。曹操軍も同じである。勝てない戦ではなかった。
勝てなかったのは将帥たちの責である。
「まだ負けたわけではない」
「卿は戦う意志のない兵を使って勝利を得るおつもりですか」
呂布が陳宮を見る目は冷ややかだ。
陳宮の言うとおり、たしかにまだまとまった数の兵はいる。逃げるのに疲れたため軍営に残っている兵たちが。だがそれが何なのだというのか。
「私を少しみくびっているのではないか」
陳宮はいささか気分を害した様子を見せたが、気を取り直して言葉を続ける。
「兵はエン州で募らなければならないというわけでもあるまい。エン州東方は一時曹操に預け、西方で防戦をしている間に私が徐州の兵を連れて来援しよう」
呂布でさえ敗戦に気落ちし、善後策を巡らせることができなかった。そんな時でも陳宮は劣勢を覆す策を考え続けていたのだろう。
「それに加え、袁将軍へ援軍を依頼する」
袁将軍というのは袁術のことである。今は南の揚州に拠っている。袁術の合力があれば、西・東・南の三方から曹操を攻撃できる。
この頃はまだ袁術に長江を超えて外征する余裕はない。徐州もまた旧支配者の陶謙が死に、その後を継いだ劉備という者が、曹操の属する派閥の主である袁紹へ誼を通じる使者を送るなど、エン州政権にとっては不穏な動きを見せている。そういった事情を勘案すると策の実現性は怪しい。だが陳宮の壮大な気宇は誰もが認めざるを得ない。
「たまには負けることもあろう。勝敗は兵家の常だ。我々が諦めてどうするのか。非道の者を打ち倒さなくては民が難儀するのだぞ」
柄にもなくエン州政権の重鎮たちを慰め、鼓舞する陳宮の姿に感化され、やがて一同は生色を取り戻した。
エン州政権に参画する豪族の中でも、再度恭順を誓って曹操に領土を安堵してもらえるような者は既に帷幄を去っている。残っているのはエン州政権が瓦解すれば生き場を失うような者たちばかりである。曹操に抵抗するより他に道はないのだから、具体的な抗戦の方策を提示して奮起を促した陳宮は正しい。
一行の大半は濮陽に戻った。呂布と陳宮、そして高順は自身の率いる兵を連れて援兵を乞うため徐州へ向かい、エン州政権の中でも随一の名声を持つ張バクは袁術の元へ出師を願いに向かうこととなった。
一旦エン州東方での抗戦を諦め、濮陽へ向かうことを告げた後に軍を離脱する者が予想以上に少なかったことはエン州政権の面々を喜ばせた。孤軍で気炎をあげる呂布の姿が人々の目に印象的に写っていたのだ。それを直接目にしていない者へも伝聞で全軍に広がり、希望となった。だからエン州政権に参画する人々はこの一敗に諦めを覚えず、悲惨な籠城戦へ後に身を投じることになったのである。部外者である袁術の援軍はあてにならないとしても、呂布ならば絶対に徐州から軍を率いて来援してくれる、そう信じて。
定陶県を守る軍も大部分が撤収し、曹操は容易に済陰郡の全土を掌握した。兵を分けて僅かに残るエン州政権の残党を駆逐してエン州の東半分を盤石にした曹操は、張超が守るエン州西部への進撃を開始する。張超は最終的に残った兵や一族を引き連れて陳留郡の雍丘県に移り、籠城に備えた。
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