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キューピッドは尾行する

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「何をやってたかあんたを無理やり詰問したのは悪かったよ。でもこっちとしては、とても大事なことなんでね」
「〝こっち〟?」
「あんたがナンバーを控えてた車、うちの会社の車だからな」

 なんでもないふうな口調でとんでもない情報を暴露され、僕は窓の外に向けていた視線を沼井さんに移した。彼は僕のそんな驚きでさえ予想済みといったふうに、優雅にアイスコーヒーをストローで吸い上げる。

「うち、とはどういうことです?」
「あれ、知らない? おれの名前って沼井礼央でしょ。おれの実家は沼井製薬だからさ」
「沼井製薬? あの? 確かつがい解消の新薬を開発している二大製薬会社のひとつだという……」
「そ。おれ、あんたらに仕事干された後は沼井製薬の役員やってんだよな」
「それはつまり……親のコネ?」
「別におれは恥ずかしいとは思わないよ、コネだろうがなんだろうが。だって洋芳出版あんたらがおれを社会的に抹消したんじゃん? 親のスネかじったって文句言われる筋合いはないって」
「僕は文句など一言も言っていませんが」

 ダン、とコーヒーグラスがトレイに置かれる。

「役員なんか地味な仕事をやりたくなかったから頑張って俳優やってたのに。マジでふざけんなよ?」
「異議申し立ては裁判所か、洋芳出版社の法務部にて行ってください」

 それよりも大事なのは、雅樹さんが乗った車を知っているのが沼井さんだっていう奇跡的な状況のほうだ。
 つまり……雅樹さんは沼井製薬の持っている車に乗っていたということなのか? しかもあんな、VIPビップみたいな待遇をうけながら?
 会社が内定したと言っていたが、まさか製薬会社に就職するんだろうか。だが、そういう人間が車で送迎などされるだろうか。

「あの──」
「あー、質問はなし」

 バッ、と沼井さんが僕の眼前に人差し指を伸ばす。危うく唇に触れる距離まで指が近づいて、僕は若干のけぞった。

「中砥くんだから忠告してあげるけど、彼氏がどうあれ悪いことは言わないから、うちに関わるのはやめておいたほうがいいよ。わかるでしょ?」

 彼の人さし指を手で避け、姿勢を正す。

「なぜです。僕が知りたいの沼井製薬じゃなくて、あくまで同居人の素性──」
沼井製薬おれたちは、目下開発戦争中なわけ。新薬も治験段階に入ってる。だから重役や幹部はいっそうピリピリしてるんだよ、『いつどこであいつらが現れるかわかんない』ってね?」
「〝あいつら〟?」
「産業スパイ」

 沼井さんはあっけらかんとした様子で、いやむしろうざったい、という様子で僕の住む世界とは縁遠い単語を口にした。

 産業スパイ。

 おそらく、競合他社が沼井製薬の番解消新薬に関わる情報を抜き取ろうとしている、ということだろう。逆もしかりだろうが。
 この新薬が開発され、独占的に特許が取得できれば、国内どころか海外のほとんどの市場を席巻できる。会社に莫大な利益ができるわけだ。
 だけどまさか、そのために法律を侵すようなことが、この法治国家で本当にまかり通っているとは。
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