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キューピッドは災難に遭う
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でも、どうしよう。
覆面男は、雅樹さんの連絡先を欲しがっているみたいだった。
スマートフォンを奪われた以上、僕の自宅が割り出されるのは時間の問題だ。
今度は雅樹さんが危険な目に遭うかも。
間宮は言っていた。雅樹さんは間宮家に守られるのが一番安全だろう、って。
間宮は雅樹さんの居所を掴んでいるから、わざわざ電話番号を盗む必要はない。
つまり、少なくともあいつの示唆したことの一部は本当だったわけだ。
雅樹さんは、間宮以外の何者かにも狙われている──。
だったら、このまま何もなかったふりをして、雅樹さんには僕の家から出て行ってもらったほうが、安全なんじゃないか。
「……充電が切れそうなんです。また連絡します」
『真也、待て。真──』
電話を切る。打ちひしがれて、ため息をつく。
幸せな時間は、いつだって短い。
どうにか足を踏ん張って立ち上がった。
このはだけたシャツはどうすればいいんだ。
会社へ正直に事の次第を打ち明ける訳にはいかない。
よろけながら表通りに出る。いつもと同じ昼下がり。ほんとうだったら仕事に戻っているはずなのに。
泥だらけで、シャツはむしられて、まるで変質者みたいだ。周りにジロジロと見られるのも仕方のないことだった。
それに、周りからどう見られようとも、僕は傷つかない。
感情の機微に疎い男。相手の秋波にすら四年間気づかなかった男。雅樹さんの『好き』を信じられなかった男。
だったら、今さら周りから汚らしいと思われたって……。
会社に戻らなければ。普通に、何事もなかったように過ごさないと。ぼくの得意技だろう。
でも、会社に戻ったとして……。
森村先生との打ち合わせの予定は一部の人間しか知らない。だったら、編集部の中に間宮の手先がいるんだろうか。
誰が? 誰が間宮の手先なんだろう。
いやそれどころか、今この瞬間だって、誰かが僕を監視しているかもしれない。
周りの目が急に怖くなる。
思い出したみたいに全身が震えた。
両腕を抱きしめて、上がる息を抑え込もうとする。
「っ……は、っ、……ぁ」
だめだ。喉がつっかえる。
ショックで涙が止まらない。
強く目をつぶったと同時に、強烈なめまいがした。その場でよろける。身体を支えられない。
まずい、倒れる……。
「中砥くん……中砥くん!」
声がした。
聞き慣れた声。
でもまさか、こんなところで声なんて聞こえるはずがないのに。
「大丈夫か、中砥くん!」
「……森村、先生?」
うっすらと目を開けると、僕はビルの壁にもたれかかっていた。
眼前には、やっぱり幻覚ではない、本物の森村先生がいる。彼はしゃがみこんで上着を脱ぐと、僕の肩にかけてくれた。
「なん、で……?」
「今日、打ち合わせだろう? 会社への行きがけにきみを見つけたんだ。……ひどいな。ひったくり? 通り魔? まさか、暴行された?」
「……されていません。転んだだけです」
とっさに嘘をついた僕を見て、森村先生は悲しげにかぶりを振ると、自身のスマートフォンを取り出した。
「警察を呼ぶ。救急車も」
頬の痛みやめまいが急速に引いていった。
「……やめてください」
森村先生の手を掴む。腕にすがる。
「やめてください。呼ばないでください」
「……中砥くん」
「だめです!」
「ならばせめて会社に連絡しなさい。昼休み中に襲われたと言いなさい」
「いやだ!」
もう、何がなんだか分からない。
何をやっても、雅樹さんも僕も危険な目に遭うのだと思うと、パニックになった。
森村先生にすがりついて、とにかく何もしないでほしいと訴える。
だけど嗚咽ばかりが喉から出るせいで、たぶん、ほとんど声にならなかった。
「……わかった。わかったよ」
先生が僕の肩を掴む手の感触がする。
「とりあえず、ぼくの家においで。会社にはきみの携帯から、打ち合わせの場所を変えたってぼくがメールを打ってあげよう」
覆面男は、雅樹さんの連絡先を欲しがっているみたいだった。
スマートフォンを奪われた以上、僕の自宅が割り出されるのは時間の問題だ。
今度は雅樹さんが危険な目に遭うかも。
間宮は言っていた。雅樹さんは間宮家に守られるのが一番安全だろう、って。
間宮は雅樹さんの居所を掴んでいるから、わざわざ電話番号を盗む必要はない。
つまり、少なくともあいつの示唆したことの一部は本当だったわけだ。
雅樹さんは、間宮以外の何者かにも狙われている──。
だったら、このまま何もなかったふりをして、雅樹さんには僕の家から出て行ってもらったほうが、安全なんじゃないか。
「……充電が切れそうなんです。また連絡します」
『真也、待て。真──』
電話を切る。打ちひしがれて、ため息をつく。
幸せな時間は、いつだって短い。
どうにか足を踏ん張って立ち上がった。
このはだけたシャツはどうすればいいんだ。
会社へ正直に事の次第を打ち明ける訳にはいかない。
よろけながら表通りに出る。いつもと同じ昼下がり。ほんとうだったら仕事に戻っているはずなのに。
泥だらけで、シャツはむしられて、まるで変質者みたいだ。周りにジロジロと見られるのも仕方のないことだった。
それに、周りからどう見られようとも、僕は傷つかない。
感情の機微に疎い男。相手の秋波にすら四年間気づかなかった男。雅樹さんの『好き』を信じられなかった男。
だったら、今さら周りから汚らしいと思われたって……。
会社に戻らなければ。普通に、何事もなかったように過ごさないと。ぼくの得意技だろう。
でも、会社に戻ったとして……。
森村先生との打ち合わせの予定は一部の人間しか知らない。だったら、編集部の中に間宮の手先がいるんだろうか。
誰が? 誰が間宮の手先なんだろう。
いやそれどころか、今この瞬間だって、誰かが僕を監視しているかもしれない。
周りの目が急に怖くなる。
思い出したみたいに全身が震えた。
両腕を抱きしめて、上がる息を抑え込もうとする。
「っ……は、っ、……ぁ」
だめだ。喉がつっかえる。
ショックで涙が止まらない。
強く目をつぶったと同時に、強烈なめまいがした。その場でよろける。身体を支えられない。
まずい、倒れる……。
「中砥くん……中砥くん!」
声がした。
聞き慣れた声。
でもまさか、こんなところで声なんて聞こえるはずがないのに。
「大丈夫か、中砥くん!」
「……森村、先生?」
うっすらと目を開けると、僕はビルの壁にもたれかかっていた。
眼前には、やっぱり幻覚ではない、本物の森村先生がいる。彼はしゃがみこんで上着を脱ぐと、僕の肩にかけてくれた。
「なん、で……?」
「今日、打ち合わせだろう? 会社への行きがけにきみを見つけたんだ。……ひどいな。ひったくり? 通り魔? まさか、暴行された?」
「……されていません。転んだだけです」
とっさに嘘をついた僕を見て、森村先生は悲しげにかぶりを振ると、自身のスマートフォンを取り出した。
「警察を呼ぶ。救急車も」
頬の痛みやめまいが急速に引いていった。
「……やめてください」
森村先生の手を掴む。腕にすがる。
「やめてください。呼ばないでください」
「……中砥くん」
「だめです!」
「ならばせめて会社に連絡しなさい。昼休み中に襲われたと言いなさい」
「いやだ!」
もう、何がなんだか分からない。
何をやっても、雅樹さんも僕も危険な目に遭うのだと思うと、パニックになった。
森村先生にすがりついて、とにかく何もしないでほしいと訴える。
だけど嗚咽ばかりが喉から出るせいで、たぶん、ほとんど声にならなかった。
「……わかった。わかったよ」
先生が僕の肩を掴む手の感触がする。
「とりあえず、ぼくの家においで。会社にはきみの携帯から、打ち合わせの場所を変えたってぼくがメールを打ってあげよう」
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