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25.折り鶴と聖女
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折り紙は鶴だった。
俺の脳裏で、カサリと白く細い指先の動きに合わせて紙が乾いた音をたてる。
折って、折り返して、広げて、また折って……。
きっと部屋の灯りは落ちている。
小さなランプの光。そう、厚ぼったい磨り硝子に絡み合う植物浮かべて流れるような曲線を浮き出す鉄製の台といった意匠のそんなランプのオレンジがかった白熱灯の光がきっとその手元を照らしている。
カサリと紙の音をたてて一羽の鶴が、オーク材のような重厚な材で作られた机の上に羽根を広げて傾く。
一枚の紙から鶴を生み出す指先に小さく吐き出された溜め息がかかり、華奢な肩が揺れて艶やかな黒髪がさらさら音を立てるようにその上を滑り落ちていく。
カサリと指先はまた新しい紙を折り始める。
折って、折り返して、また折って……そうして、ふと、途中で止まる指先。
窓枠の縁ぎりぎりに見えるのは、高く昇った明るい十六夜の月。
不意に、紙を折っていた指先がランプを消す。
煌々と窓辺を照らす月明かりに少女のシルエットが浮かぶ。
その影は壁をつたって天井まで長く伸び、それは少女ではないなにか異形のようにも見える。
安穏と高熱に微睡んでいた俺は……そんな少女の姿を夢想した。
*****
チャリ、と「書庫」と書かれたキーホルダーのプレートとかち合って音を立てた鍵が目の前に突き出されてすぐ、座ったまま腕を伸ばして頭の上から鍵を突き出した、髪をひっつめた少女のつまらなそうな声が耳を打った。
「委員長がここに来ると……ああ、試験期間なのねって気がするわ」
苦笑しながら、俺は第二図書室の書庫の鍵を佐竹から受け取る。
「今回は、数学の勉強はいいの?」
鍵と引き換えに渡した委員会開催の申請書類を見詰める、横顔に話しかける。
試験期間中の当番といえば、とにかく数学の教科書を睨んでいる印象が強い佐竹だ。
蔵書管理システムを前に座る、その膝の上にいつもの教科書がないのに気がついて尋ねたのだが、じっと俺が渡した書類を見詰めて妙な沈黙の間を佐竹は空けた。
「……おかげさまで」
「佐竹……?」
「とにかく基礎演習の反復なんですって、覚えるなんておこがましいこと考えず慣れろ」
「は?」
「覚えなきゃ、解けるもんも解けないし、慣れるものも慣れないっていうのっ!!」
バシッと音がした。
紙に皺ができそうなほど乱暴に自分の膝へ書類を置いて、みしっと音を立てそうに張り詰めて引き攣った表情を俺に向けて、憤慨する佐竹に首を傾げる。
「何を怒ってるの?」
「別に、こっちの話よ……委員会の件は生徒会に通しておくから。さっさと行きなさいよ」
「うん……頼む」
まあいいか、と貸出しカウンターから背を向けて第二図書室の奥にある書庫へ向かおうと一歩踏み出せば「ねえ」と佐竹に呼び止められた。
「何? さっさと行けって言ってすぐ……」
「あ、ごめん。ねえ、本條さん最近一人で登校してるみたいだけど……」
そういえば、玲子の友人だったと軽く肩越しに振り返れば、佐竹は椅子から立ち上がっていた。渡した書類は蔵書管理のシステムが入ったパソコンの脇に置かれている。
「ああ……色々あって」
説明するのが面倒なので、適当に答えればはっとしたように佐竹はカウンターから僅かに身を乗り出した。
「まさか、もう別れたとか?!」
「別れてない」
「……なんだ」
なんで即別れたと判断するのだか……と佐竹に対して胸の内でぼやいてから、そういえばそう思われても仕方がない実績はあるなと考え直した。佐竹は悪くない。
「ちょっと家の事情で休んだり、風邪引いたりしてたから……試験前にうつしたりしたらいけないだろ?」
「そういえば……委員長、いまもちょっと鼻声っぽい」
「喉やられたから……もうほとんど治ったけど」
カウンターの縁に背を預けて答えれば、ふうんとすぐ耳元で相槌を打つ声がした。
「いつにもましてスケベな感じね」
「……失礼だな。玲子からなにも聞いてない?」
「ううん。本條さん理系でクラス違うし……最近、本屋でお茶もしてないし」
「本屋でお茶って、妙だな」
「だって、本屋の奥にカフェがあるんだもの」
試験期間中の図書室の利用者は少なく、いまは図書室の利用者は俺以外に誰もいなかった。そのためだろうか、俺と話す佐竹は遠慮のない様子で、副委員長の佐竹というよりは、付き合っていた頃に二人で会っていた時の佐竹に近かった。
「そういや以前、玲子からそんな話を少し聞いたような……新刊本チェックしてるって?」
「趣味と仕事を兼ねてね」
そう、俺の横ににじり寄るようにカウンターに胴体を寄りかからせて両肘を立て、頬杖をつくと佐竹は頭を斜に傾けて上目使いに俺を見た。
カウンターの上にふっくらした佐竹の胸元が乗っている。着やせするから目立たないが佐竹はどちらかといえば豊満なタイプだ。
いまさらそれに気付かされる光景を見て、どうというわけではないのだが、知っている身としてはああそういえばそうだったと、与えられた視覚情報から妙な反芻に導かれた。
「なに?」
「別に……君と玲子が仲いいのが不思議な気がするな。名前の順が近いわけでもないのに」
「……名前の順?」
不可解そうに眉を顰めた佐竹に軽く笑って、なんでもないと答えた。少し玲子と三田村とで最近話したことを思い出して言ってみただけだった。
「何がきっかけで友達に?」
「なに、その周辺から探りをいれる感じ……」
胡散げにそう言った佐竹に、考えてもいなかったことなので少し驚いたが、たしかにそうとられる可能性もあるかと首を横に振った。
「違うよ、単純な興味。佐竹って誰とでも馴染むけど誰ともつるまないから……」
「なに、よ……それ……」
ごそりと制服の衣摺れがしてカウンターの上に組んだ腕の肘をはった佐竹が、顔を一度突っ伏して組み合わせている腕に顎先を乗せて、なにか口の中で呟いたが聞き取れなかった。
「ちょっと、ね……いじめじゃないけど、本條さん孤立してたっていうか……」
「孤立?」
「モテるでしょ? でもほら、例の噂の理由で……本人はそういった男の子避けがちだったんだけど、まだ一学期だったから事情知らない娘も多くて“お高く止まってる”とか“そうやってわざと男子の気を引いてる”とか……ま、僻みやっかみ逆恨み?」
「災難だな……」
「それに本條さんて、あからさまに陰口叩かれたり、それとなく嫌厭されても変におどおどしたり態度変えたりしなくて、毅然としてるっていうかお人好しっていうか……そういう風に出られちゃうと、やった側の悪役ぶりや惨めさ際立つじゃない」
女子の陰湿さはあまりぴんとこなかったが、なにがあっても動じない玲子の様子は容易に想像がついた。詩織と諍いの最中に突如現れ微笑んだ玲子の姿が脳裏に甦る。
「悪役ぶりって面白い言い方だな……佐竹」
「頭悪いわよ。相手は才色兼備で性格もいい完全無欠な女の子で、なにかして勝てる訳ないのに」
「それで味方に回ったの?」
「生憎だけどっ、あたしはそういうごちゃっとしたの嫌いなだけ。……ううん、もう結構いじめに近かったかも……委員会帰りに上履きのまま帰ろうとする本條さん見かけて」
「上履きって……」
「探しても見あたらないからって。先生にって言うあたしを引き止めて、なんて言ったと思う? 彼女」
一年の始めに玲子がそんな状態だったなんて、てっきり男女問わずに憧憬の対象だと思っていた俺は体ごと振り向いて、頭を起こした佐竹を見た。
「“きっとそうせずにはいられない気持ちの方が辛いから”って……さすがにそれはちょっと、なんか腹立っちゃって」
「君……玲子を怒ったのか……」
「当たり前でしょ?! 聖女様じゃないんだからっ、それに相手をエスカレートさせちゃう罪だってあるの! まあ、やった側にも怒って謝らせたけど、心当たりあったし」
「偉いな、佐竹は」
「別に偉くないわよ……あたしだって、それまで見てみぬふりしてた」
けれど、佐竹が介入しなかったらおそらくはもっと酷いことになっていただろう。
玲子はきっと他人の目に明らかにわかる被害が出て、大人が止めさせるまで陰湿な行為を受け止め続けるに違いない。それも穏やかな微笑みを浮かべたまま。
「偉いよ」
もう一度繰り返せば、佐竹は黙って椅子に座るとキュルキュルと脚についた小さな車の音を鳴らしてパソコンの前に向かった。
「やめてよ……書庫、行かないの?」
「ああ、じゃあ」
鍵を引っ掛けた手を後ろ手に振って、俺は今度こそ書庫に向かった。
後ろでピッ、ピッ、っと返却本のバーコードを読み取る音がしていた。
俺の脳裏で、カサリと白く細い指先の動きに合わせて紙が乾いた音をたてる。
折って、折り返して、広げて、また折って……。
きっと部屋の灯りは落ちている。
小さなランプの光。そう、厚ぼったい磨り硝子に絡み合う植物浮かべて流れるような曲線を浮き出す鉄製の台といった意匠のそんなランプのオレンジがかった白熱灯の光がきっとその手元を照らしている。
カサリと紙の音をたてて一羽の鶴が、オーク材のような重厚な材で作られた机の上に羽根を広げて傾く。
一枚の紙から鶴を生み出す指先に小さく吐き出された溜め息がかかり、華奢な肩が揺れて艶やかな黒髪がさらさら音を立てるようにその上を滑り落ちていく。
カサリと指先はまた新しい紙を折り始める。
折って、折り返して、また折って……そうして、ふと、途中で止まる指先。
窓枠の縁ぎりぎりに見えるのは、高く昇った明るい十六夜の月。
不意に、紙を折っていた指先がランプを消す。
煌々と窓辺を照らす月明かりに少女のシルエットが浮かぶ。
その影は壁をつたって天井まで長く伸び、それは少女ではないなにか異形のようにも見える。
安穏と高熱に微睡んでいた俺は……そんな少女の姿を夢想した。
*****
チャリ、と「書庫」と書かれたキーホルダーのプレートとかち合って音を立てた鍵が目の前に突き出されてすぐ、座ったまま腕を伸ばして頭の上から鍵を突き出した、髪をひっつめた少女のつまらなそうな声が耳を打った。
「委員長がここに来ると……ああ、試験期間なのねって気がするわ」
苦笑しながら、俺は第二図書室の書庫の鍵を佐竹から受け取る。
「今回は、数学の勉強はいいの?」
鍵と引き換えに渡した委員会開催の申請書類を見詰める、横顔に話しかける。
試験期間中の当番といえば、とにかく数学の教科書を睨んでいる印象が強い佐竹だ。
蔵書管理システムを前に座る、その膝の上にいつもの教科書がないのに気がついて尋ねたのだが、じっと俺が渡した書類を見詰めて妙な沈黙の間を佐竹は空けた。
「……おかげさまで」
「佐竹……?」
「とにかく基礎演習の反復なんですって、覚えるなんておこがましいこと考えず慣れろ」
「は?」
「覚えなきゃ、解けるもんも解けないし、慣れるものも慣れないっていうのっ!!」
バシッと音がした。
紙に皺ができそうなほど乱暴に自分の膝へ書類を置いて、みしっと音を立てそうに張り詰めて引き攣った表情を俺に向けて、憤慨する佐竹に首を傾げる。
「何を怒ってるの?」
「別に、こっちの話よ……委員会の件は生徒会に通しておくから。さっさと行きなさいよ」
「うん……頼む」
まあいいか、と貸出しカウンターから背を向けて第二図書室の奥にある書庫へ向かおうと一歩踏み出せば「ねえ」と佐竹に呼び止められた。
「何? さっさと行けって言ってすぐ……」
「あ、ごめん。ねえ、本條さん最近一人で登校してるみたいだけど……」
そういえば、玲子の友人だったと軽く肩越しに振り返れば、佐竹は椅子から立ち上がっていた。渡した書類は蔵書管理のシステムが入ったパソコンの脇に置かれている。
「ああ……色々あって」
説明するのが面倒なので、適当に答えればはっとしたように佐竹はカウンターから僅かに身を乗り出した。
「まさか、もう別れたとか?!」
「別れてない」
「……なんだ」
なんで即別れたと判断するのだか……と佐竹に対して胸の内でぼやいてから、そういえばそう思われても仕方がない実績はあるなと考え直した。佐竹は悪くない。
「ちょっと家の事情で休んだり、風邪引いたりしてたから……試験前にうつしたりしたらいけないだろ?」
「そういえば……委員長、いまもちょっと鼻声っぽい」
「喉やられたから……もうほとんど治ったけど」
カウンターの縁に背を預けて答えれば、ふうんとすぐ耳元で相槌を打つ声がした。
「いつにもましてスケベな感じね」
「……失礼だな。玲子からなにも聞いてない?」
「ううん。本條さん理系でクラス違うし……最近、本屋でお茶もしてないし」
「本屋でお茶って、妙だな」
「だって、本屋の奥にカフェがあるんだもの」
試験期間中の図書室の利用者は少なく、いまは図書室の利用者は俺以外に誰もいなかった。そのためだろうか、俺と話す佐竹は遠慮のない様子で、副委員長の佐竹というよりは、付き合っていた頃に二人で会っていた時の佐竹に近かった。
「そういや以前、玲子からそんな話を少し聞いたような……新刊本チェックしてるって?」
「趣味と仕事を兼ねてね」
そう、俺の横ににじり寄るようにカウンターに胴体を寄りかからせて両肘を立て、頬杖をつくと佐竹は頭を斜に傾けて上目使いに俺を見た。
カウンターの上にふっくらした佐竹の胸元が乗っている。着やせするから目立たないが佐竹はどちらかといえば豊満なタイプだ。
いまさらそれに気付かされる光景を見て、どうというわけではないのだが、知っている身としてはああそういえばそうだったと、与えられた視覚情報から妙な反芻に導かれた。
「なに?」
「別に……君と玲子が仲いいのが不思議な気がするな。名前の順が近いわけでもないのに」
「……名前の順?」
不可解そうに眉を顰めた佐竹に軽く笑って、なんでもないと答えた。少し玲子と三田村とで最近話したことを思い出して言ってみただけだった。
「何がきっかけで友達に?」
「なに、その周辺から探りをいれる感じ……」
胡散げにそう言った佐竹に、考えてもいなかったことなので少し驚いたが、たしかにそうとられる可能性もあるかと首を横に振った。
「違うよ、単純な興味。佐竹って誰とでも馴染むけど誰ともつるまないから……」
「なに、よ……それ……」
ごそりと制服の衣摺れがしてカウンターの上に組んだ腕の肘をはった佐竹が、顔を一度突っ伏して組み合わせている腕に顎先を乗せて、なにか口の中で呟いたが聞き取れなかった。
「ちょっと、ね……いじめじゃないけど、本條さん孤立してたっていうか……」
「孤立?」
「モテるでしょ? でもほら、例の噂の理由で……本人はそういった男の子避けがちだったんだけど、まだ一学期だったから事情知らない娘も多くて“お高く止まってる”とか“そうやってわざと男子の気を引いてる”とか……ま、僻みやっかみ逆恨み?」
「災難だな……」
「それに本條さんて、あからさまに陰口叩かれたり、それとなく嫌厭されても変におどおどしたり態度変えたりしなくて、毅然としてるっていうかお人好しっていうか……そういう風に出られちゃうと、やった側の悪役ぶりや惨めさ際立つじゃない」
女子の陰湿さはあまりぴんとこなかったが、なにがあっても動じない玲子の様子は容易に想像がついた。詩織と諍いの最中に突如現れ微笑んだ玲子の姿が脳裏に甦る。
「悪役ぶりって面白い言い方だな……佐竹」
「頭悪いわよ。相手は才色兼備で性格もいい完全無欠な女の子で、なにかして勝てる訳ないのに」
「それで味方に回ったの?」
「生憎だけどっ、あたしはそういうごちゃっとしたの嫌いなだけ。……ううん、もう結構いじめに近かったかも……委員会帰りに上履きのまま帰ろうとする本條さん見かけて」
「上履きって……」
「探しても見あたらないからって。先生にって言うあたしを引き止めて、なんて言ったと思う? 彼女」
一年の始めに玲子がそんな状態だったなんて、てっきり男女問わずに憧憬の対象だと思っていた俺は体ごと振り向いて、頭を起こした佐竹を見た。
「“きっとそうせずにはいられない気持ちの方が辛いから”って……さすがにそれはちょっと、なんか腹立っちゃって」
「君……玲子を怒ったのか……」
「当たり前でしょ?! 聖女様じゃないんだからっ、それに相手をエスカレートさせちゃう罪だってあるの! まあ、やった側にも怒って謝らせたけど、心当たりあったし」
「偉いな、佐竹は」
「別に偉くないわよ……あたしだって、それまで見てみぬふりしてた」
けれど、佐竹が介入しなかったらおそらくはもっと酷いことになっていただろう。
玲子はきっと他人の目に明らかにわかる被害が出て、大人が止めさせるまで陰湿な行為を受け止め続けるに違いない。それも穏やかな微笑みを浮かべたまま。
「偉いよ」
もう一度繰り返せば、佐竹は黙って椅子に座るとキュルキュルと脚についた小さな車の音を鳴らしてパソコンの前に向かった。
「やめてよ……書庫、行かないの?」
「ああ、じゃあ」
鍵を引っ掛けた手を後ろ手に振って、俺は今度こそ書庫に向かった。
後ろでピッ、ピッ、っと返却本のバーコードを読み取る音がしていた。
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