本條玲子とその彼氏

ミダ ワタル

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24.待合室にて

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 ——大学病院というのは、どうしてこう待ち時間だけは長いのだろう……?

 熱が下がったら来なさいという、往診医師の言いつけを守るよう母に言われ、結局二日休んだ学校帰りに病院に寄って早一時間。

「……熱が下がったら、もういいのじゃないのだろうか?」

 ただの寝冷えか疲労なわけであるし、そうは思うものの周囲がそれを許してくれない。
 すぐ熱をだしたり寝込んだりしていたのは中学時代も半ばの頃までだというのに、人の印象とはなかなか変わらないものであるなと思いながら、ものの五分の程度で済むであろう自分の診療の番を待っている。
 三年前に完全バリアフリー化された大学病院の待合室は広く、明るく、清潔で、床と壁と柱が白く、丸みを帯びた椅子はグリーンだった。
 目の前の、総合受付脇の壁に“明るく安心な地域医療を目指します”と書かれたポスターが貼ってあるのだが、大学病院はそんな場所だっただろうかなどと余計なお世話でしかないことを考えていた。人間、暇だと無駄なことを考えるものだ。
 夕方の、外来診療のピーク時には少し早い時間のため、年配の患者がまばらに椅子に座って順番を待っている。 
 帰るか、いや……。
 俺が途中で帰らないよう、お目付役を母に頼まれている三田村が——。

「……隣にいるんだったか」
「なに? なにか言った?」
「別に……」

 試験期間に入って学校も午後三時前の早終わりというのに、一体、何が楽しくて男に付き添われて病院の待合室になど俺はいるのだろう。揃いの紺の学生服を着た二人は明らかに待合室の風景から浮いている。
 思わず深い溜め息を吐けば、まだ調子悪いのかと三田村の声が耳を打って、再び溜め息を吐き出した。

「本当に大丈夫なのか?」

 心配し過ぎだと、複数のグリーンの椅子を座面の下で連結しているステンレスパイプ二本で出来た土台を右手で爪弾きながら、組んだ足の膝上に左肘をついて支えた顎先を三田村から背けて答える。

「皆、大袈裟過ぎる」
「そりゃ、宗家の跡取りなんだから過保護にもなるだろうさ」
「面倒だったら、帰っていいぞ」
「“洋ちゃんのこと見張ってってお願いしたじゃない……”って、綾乃さんに泣かれるから嫌だ」

 綾乃とは母の名だ。
 初対面で“おばさん”——一般的に大多数の人は、友人の母親をそのように呼ぶだろう——と母に話しかけた三田村に対し、にっこりと微笑んで「おばさんのことは綾乃さんって呼んでね」とお菓子を片手に握らせながら訂正されて依頼、三田村は母の言いつけ通りに彼女のことを呼ぶ。

「……お前の口から洋ちゃんと言うのだけは止めてくれ」
「オレだって言いたかねーよ。しっかし、まだ順番来ないのか?」
「さっき俺の前に受付した老婦人が席を立ったから、たぶん次だろう」

 ぴぃんぴぃん……と、爪で弾いているステンレスパイプが小さな音を立てている。

「イライラしても時間は早くならないぞ、三橋」
「苛々なんてしてない……」
「そりゃ読書もできず、筝も弾けなきゃだろうけどさ……」
「だから、してないって言ってる」

 言いながら支えていた顎を浮かせ、頬杖をついてやや斜に顔を傾けた視界に、さらりとなびく黒髪のロングヘアの、少女の後ろ姿が映って、俺は反射的に目を見開き顔を上げた。

「玲子……?」
「は? 玲子ちゃん?」
「あ、いや……」

 三田村が上げた頓狂な声に、そんなわけないかと頭を振った。

「似た人があっちに行くのを見かけただけだ」

 斜向けた顔の方向へと続く廊下を指差して三田村に説明すれば、呆れ返った声が返ってきた。

「あんな超絶美少女が二人もいるかよ……大体、あっちって脳外科とかだろ」

 三田村の言葉に少女が歩いていった通路の入り口を見れば、『脳外科ー脳神経外科』の案内が壁に貼られたアクリル板に、黒字で印刷されている。

「後ろ姿が似てたんだ」

 紺のセーラー服ではなく、白いカーディガンにベージュのフレアースカートの後ろ姿だったが、背丈といい髪の長さといい玲子そっくりだった。
 椅子は背もたれを合わせて五つずつ連結した椅子が三列、待合室に並んでいて、背後には誰も座っていなかったからたぶん違う列にいたか、それとも今やって来た見舞い客なのか……少女が去っていった病棟なら入院患者もいる。

「……お前ってさあ」

 隣の席で前屈みに肩を落とし、膝を開いて座るその真ん中で、両腿に乗せた腕の先の手を組んだ三田村を俺は振り返った。

「何?」
「ちょっとは玲子ちゃんのこと、好きなの?」
「まだ付き合って一ヶ月も経っていない」
「その割に、結構気にかけてるみたいに見えるからさっ」
「恋人として付き合ってるんだから気にかけるのは当然だろう……ああそういえば、昨晩、電話した」
「どうせ、風邪引いてるから送り迎えしばらく無しって用件だけの電話だろ」
「……それ以外に何がある?」

 自分の不注意で引いた風邪だから、他人に感染する類の風邪ではないだろうけれど、万一ということもある。
 いま感染したら、間違いなく試験日程とかぶるだろう、当然の配慮だった。
 それなのに、あああああっともどかし気な声上げ、三田村は組んでいた両手で頭を抱え込んだ。

「病院で大きな声だすな」
「……てか、違うだろっ。そうじゃなくてこうさ、彼女の声が聞きたくてとか、心配かけてごめんとか色々あるだろ!」
「お大事にってお前から聞いた礼は伝えた」
「だーかーらー……も、いいや。お前に何言っても無駄だった」
「俺から言わせれば、学校で会うのに“おはよう”だの“何してた”だの、佐々木むつみにメールをしている方が理解に苦しむ」
「普通、するだろ……」
「そういえば、過去にそんなこと言われたことがあったな……携帯電話持っていないから出来ないって言ったけど」
「お前、持ってなくて正解だよ」

 三田村の呟きに被さるように受付の番号を院内放送で呼ばれて、俺は腰を浮かせた。

「あ、診察」
「へいへい……いってらっしゃい。で、玲子ちゃん好きなの?」

 しつこい……と膝を伸ばしながら思ったが、三田村に答えるために少し考える。
 玲子を好きか、か。
 どうだろう。
 嫌いではないことははっきりしているし、むやみに感情を乱さない落ち着きは同年代の女子として好感が持てるが。

「……わからない」

 恋愛感情として好きかと問われれば、それが正直なところだ。
 別段、変わった返事をしたつもりもなかったが、意外そうな様子で三田村は屈めていた上半身を起こしてへえと呟いた。

「何?」
「いやぁ、別に。さっさと診察行けよ、後回しにされるぞ」    
「ああ」

 質問で引き止めたのはそっちだろうと少し理不尽な思いを三田村に抱きながら、俺は内科の診察室へと足を向ける。待合室から一つ角を曲がった通路の途中にある診察室に入り、症状についての質問と聴診器を当てるだけの診察を受けた俺は“大丈夫”との太鼓判を医師から押され、往診と今日の診察の礼を言いながら三分も経たないうちに診察室を出る。
 大丈夫と言いながら何故もう三日分の薬を処方されるのか、その矛盾を思いながら廊下を待合室に戻るつもりで歩いていて、はたと気がつく。 

「しまった……」

 通路を歩く方向を間違えた。
 三年前にバリアフリー化する前と後の通路が記憶の中で混じっていて、何も考えずに、間違った方向へ通路の道なりにずいぶん進んでしまっていた。
 入院患者の部屋らしき名札の掛かったドアが等間隔に並んでいる。
 どうやら内科から違う科の病棟に来てしまったらしい。
 すぐ近くに掲げてあった案内板で現在位置を確認すれば、来た通路を戻るよりこのまま進んで途中の角から回った方が待合室に近いようなので、そのまま進むことにした。
 バリアフリー化する前は、生前の父が入院中によく来ていたし、風邪をこじらせての肺炎で自分も入院したことがあるためよく知っているが、バリアフリー後は外来と内科に二、三度しか来ていない。
 他の病棟など訪ねたこともなかったが、薄暗かった当時の建物の記憶と比べ、どこもかしこも綺麗で空虚な明るさに満ちていて、なんとなくこれはこれで入院すれば気が滅入りそうだなと思った。
 完全無菌を思わせる病棟は、健康な者と弱った者を寄り添わせずにきっぱり分けてしまうような気がする。
 所々で掲示されている、病気についての解説や検査の呼びかけなどの啓蒙ポスターを興味深く眺めながら歩いていたら、病院という場所にそぐわないような楽しげな話し声が聞こえて思わず足を止めた。
 足を止めた場所で声が漏れ聞こえる方向に目をやれば、一人の入院患者の名前しかない個室らしき部屋のドアだった。
 お見舞いに来た人と、お喋りしているのだろう。
 なんとなく、明るい人の声にほっとした気分で止めた足を踏み出そうとした時、耳に入ってきた響きに俺ははっと息を飲んだ。
 澄んでいて、可憐で、落ち着いた響きを持つ少女の声。
 さっき見た、玲子に似た少女の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。

 『……』

 ドアから漏れる声は聞こえても、言葉は聞き取れなかった。

 『……』

 応じるような質の違う話し声が耳に届く。
 若い男性のようだ。
 少女の声より控えめにぼそぼそと漏れる声におそらくはこちらが患者だろうと、好奇心半分でドアに掲げられた名札に目を走らせた。

「207号室、岩木イワキ……コウ……」

 あれ? と俺は首を捻る。
 何故、振り仮名もされていない名前の読み方がカタカナで浮かんだ?
 タンタンとドアに近づく足音に我に返り、これではまるで他人のプライバシーの覗き見だと、慌てて俺は歩きだした。
 待合室に出る通路への曲がり角でガラガラとドアがレールを滑る音が、背後から聞こえ、廊下を歩く小さな足音が聞こえた。
 コツコツコツ、コツコツコツ……正確な三拍子を刻むような——。

「……玲子っ?!」

 振り返ったが、途中にあった脇の通路へと足音の主は行ってしまったらしい。
 廊下には、予想した少女の後ろ姿も他の見舞客や患者らしき姿も無く、遥か先から白衣を着た看護師の女性二人組がこちらへ向かってくる姿だけがあった。
 待合室に戻れば、診察に行く前と同じ椅子に三田村は座って自販機で買ったらしきペットボトルを口にしていた。

「遅かったな……って、なんで脳外科から?」
「通路を間違えた」
「なんだよそれ、建物一周回ってきたってこと?」
「たぶん……」
「しっかりしろよ……もうとっくに会計でお前の番号呼んでたぞ。まだ熱あるんじゃないのか?」
「ない。払ってくる」
「立て替えといた、ほら、診察券。薬ももらっておいたから」

 膝の上に載せた紙袋とカードを掲げるように突きつけられたのを受け取って、俺は三田村に礼を言った。

「いくらだった?」
「診察と薬で千七百五十円」
「……高いな」

 あの診察と三日分の薬でそれかと顔を顰めれば、ウチの店に来た時の飲食代より安いだろと三田村は片手を差し出した。
 やれやれと三田村の隣に腰掛け、無言で預けていた鞄から財布を取り出して、三田村に立て替えてもらった代金を渡しながらぽつりと漏らす。

「さっきの、やっぱり玲子だったかもしれない……」
「はあ? なんで玲子ちゃんがこんなとこにいるんだよ」
「さあ。見舞い……とか?」
「誰の、そんな話でも聞いたのか?」

 イワキ コウの、と胸の内で呟きながら、いやと首を振った。
 そもそも見かけた後ろ姿の少女を、ただ背格好や声質や足音が似ていたというだけで、根拠もなしに玲子だと決めつけかけていること自体がおかしいことに気がつく。
 玲子のような小柄で黒髪の少女はいくらでもいるし、声もはっきり聞いた訳じゃない、足音もたまたま三拍子のリズムに聞こえただけかもしれない。

「そういえば玲子自身の話って、探偵小説が好きで佐竹と友人って以外に聞いたことがないな……」

 普段どんなことをして、どんな考えを持っているのか、何故俺を好きなのかすら知らない。
 はあぁぁ……と、呆れ返ったようなもしくは疲れ切ったような溜め息が聞こえ、俺は三田村へと目をやった。

「お前さっ、やっぱ熱あると思うぞ……」
「ないよ」
「少なくとも“まだ好きじゃない”以外って、いままで聞いたことないんだけど……」

 何の話だと、怪訝に目を細めれば、まあ帰りましょうやとおどけた調子で立ち上がった三田村に、ポンと肩を掴むように叩かれた。 
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