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第二部 公爵家と新生活

38.王国と神と精霊

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 魔術大国だからというわけではないと思うのだけれど、王国には神話やお伽話や言い伝えがたくさんある。
 一番有名なのは建国のお話だ。
 ある時、三賢者と呼ばれる指導者が現れて七つの小国を束ね、賢者の中で一番長生きした人が最初の王となったのがいまの王家のはじまり。
 賢者というくらいだから賢い人達であるのは前提らしく、それぞれ一人は武勇、一人は智略、一人は恩寵を分担していたそうで長生きしたのは恩寵の賢者だそうな。 
 この恩寵について解釈は様々、神と精霊の力を使えたフォート家の前身とされる七小国のヴァンサン王に近い解釈もあれば、人々を魅了し従わせる資質であるとか、人々を救済する慈愛であるとか……諸説あるものの、わたしが家庭教師の女性から初めて建国のお話しを聞かされた時、子供心に思ったものだ。
 
 “三人の中で、一番、安全で気苦労なさそうだから長生きしたのじゃないの”、と。

 そう思ったままを言えば彼女は絶句し、人前でそんなことを口にすれば愚かだと思われると叱られたけれど、いまだに納得いかない。

「ふふっ……それは、くっ……なんとも貴女らしいというか……」

 一度、可笑しいと思うとすんなり笑いがおさまらないルイの途切れがちな言葉に、そんな笑わなくてもとぼやく。
 就寝前の身支度なども済ませた後なので、使用人はもう下がらせている。
 シモンは彼の宿に、臨時雇いで通いできてもらっているマルテは孤児院に、宿付きのテレーズさんだけは宿の詰所にいるため用があれば呼ぶことが出来るけれど。
 ルイが用事に出しているオドレイさんはまだ戻らない。
 実質、寝室に二人きりな状態は昨晩と同じだけれど、昨晩と違って互いに銘々することがあってそちらに勤しんでいるため、気分的には随分と落ち着いたものだった。

 夕食も、入浴も済ませた後なので、彼は寝椅子の片側、頭を預ける部分に背を預けて斜めに半ば座面に足を投げ出す姿勢で腰掛け、テーブルに本や紙の束や筆記具を無造作に並べて、時折、紙とペンを手にしてはなにやら書きつけたりしている。
 公の場はもちろんのこと、使用人がいるような場ではまったく隙のない振る舞いや態度でいる彼であるけれど、どうやら私室に一人で過ごしている時などはそうでもないらしい。
 それにしても、だらしがないといってもいいくらいなのに、なにやら退廃的な主題を持つ絵画のようになっているのがまったくもって狡いと思う。
 部屋には書物机があるので、机のほうがやりやすいのではと尋ねてみたけれど、娯楽に近いものなのでここでいいですと答えた。一体、なにが研究でなにが娯楽なのかはよくわからない。

「その家庭教師の忠告に従うのが賢明かと思いますが、一番安全で気苦労がなさそうとは子供が抱く感想にしては妙に生々しい」
「弱小領地の娘の感覚としてはそうとしか……」
「ふむ、他領からの干渉の脅威を幼心に覚えていたと。幼女の頃から現実的なしっかり者だったんですねえ」
「そこまで明確なものでは。モンフォール家の当主様がお優しい人でよかったとは思っていましたけれど……」

 彼の向かい側の長椅子に座って、フォート家のフェリシアンさんが届けてくれた本を読みながら、幼少期のわたしに対するルイの感想に応じる。
 本は王国にまつわる様々な伝説伝承をまとめたもの、もちろん建国のお話の記述もある。
 そこからわたしの子供の頃の思い出話になったのだ。

 伝説伝承と王国の歴史、資質の有無に関係なく魔術の基本は、貴族にとっては十三歳までに叩き込まれる必須の教養らしく、これらについてきちんと話ができなければ社交もままならないそうで……。
 十三歳は、未成年といっても見習いとして王宮に上がれる年齢。
 ルイ曰く実際の修得度はまちまちというけれど、かつて王宮でわたしと行儀見習いで一緒だったご令嬢達は皆そんな教育を受けていたということになる。

 一応領主の娘で、父様が王都で学問を修めていることもあって、子供の頃は家庭教師がついて読み書き計算や行儀作法など一通り教わっていたものの、わたしの教養は平民以上ご令嬢未満といった実に中途半端なもので……。
 神様や精霊については母様から、歴史については父様から。
 たまたま色んなお話を聞かされていたから、王妃様の側に控えて決まり文句のような言葉で挨拶や対応をしたり、王宮の催しや廊下でちょっと話しかけられて応じる程度の会話には困らなかったけれど、公爵夫人として王家や軍部と魔術の上層の方々とも関わるかもしれないとなれば話は違ってくる。
 というわけで。
 ひとまず付け焼き刃でもなんとかなりませんかっ……と、フェリシアンさんに手紙で泣きついて資料を届けてもらったのだった。
 いま読んでいるこの本は、巻末に簡単な王国史と各地の祭事や式典一覧もまとめられた親切仕様。
 おまけに届いた資料には、リュシーからの“初々しくも聡明な奥様の魅力を印象付ける装い”の助言まで添えられていた。
 ああ、出来る家令ってありがたい、素晴らしい……!
 フェリシアンさん大好きっ。

 長椅子の真ん中に座るわたしの左右の空いている場所には、フェリシアンさんがまとめてくれた領地の資料を綴じたものや東部の歴史や共和国との争いの記録などの本が積まれている。
 右側は目を通したもので、左側はこれから読むもの。まだ左側の資料の量が多い。
 この宿に、屋敷と手紙のやりとりができる“箱”があって本当によかった。
 でなければ、とてもじゃないけどルイが投げつけてくる実戦演習課題と要求水準に対応できない。
 
 フォート家の屋敷と領地の各所には、両者を繋げ、手紙や手に持てる程度の荷物を送り合える箱型の魔術具が設置してある。ルイが作った魔術具でとても便利だ。
 王国全土にこれがあればいいのにと呟けば、ルイに本気で嫌な顔をされた。
 魔術具を設置する際には場所をつなぐ魔術を施す必要があるため、彼が直接行ったことがある場所同士でないと繋げることは不可能であるし、完成品の魔術具自体は魔力を必要としないものの、それを作る時はそれなりに魔力を消費するものらしい。
 フォート家限定と考えても制約が多く、労力もかかる。
 彼が顔をしかめるのも無理はない。

「そうですね……伝説伝承というものは重要だとすることを後世に伝える面もありますから、長い期間を経て定まった王の資質やあり方を象徴しているといった解釈ならありな気もしますけど」 

 手にしている本を読みつつ、わたしの話についても考えていたらしい。
 会話の続きと呼ぶには無理がある間を置いて、開いたページに目を落としたまま建国のお話について言及し始めたルイに、わたしは読んでいた本から顔を上げて彼を見た。

「長い期間を経て定まった王の資質やあり方?」
「長生きというのはこの場合、必ずしも言葉通りとはいえないでしょう。恩寵の解釈はともかく……」

 言いながらテーブルに横着な仕草で手を伸ばしてルイは紙を手に取ると、テーブルに転がっていたペンにインクをつけて、開いた本を台にして紙を置きペンを運ぶ。
 手の動きから文字を書いているのではなさそうだった。
 紙の上をペン先が滑る音がする。

「……勇ましく戦ったり、あれこれ画策したりは別に王でなくても出来ます。そのようなものではない、人を引きつけ救い畏怖を与えるというのであれば。実際、賢者といえる王は稀ですがね」
「はあ……」

 流石、表向きは王家に一歩下がっているようで、実質ほぼ対等とばかりに独自の立ち位置でいる公爵様。
 さらっと不敬なことを仰る。

「恩寵に関しては、魔術的にも“加護か祝福か”といった興味深い論争がありますよ」
「“加護か祝福か”の論争?」

 図か絵でも描いているのか、上下左右に手首を動かしては時折手を止めて、紙に描いたもの全体を確認するように目を細めるルイの様子を眺め、なんとなく彼に加護の術を施されている自分の手を見る。

「あなたの加護の術は、“加護”を模そうとしたようなもので、所詮しょせんまがい物です」

 あんなに綺麗で緻密で、相当魔力も使うらしいものが紛い物?
 そんな疑問を浮かべるわたしの胸の内を察したのか、そもそも神や精霊の力を借り同時に交渉するべく編み出されたのが魔術ですから、神や精霊そのものには敵いませんよとルイは苦笑した。

「加護というのは、神や精霊の愛し子のことです。加護を与えられた者は、加護を与えた神や精霊の力の支援を盟約や代償なしに無条件で受けられる。祝福は昨日話した通りに神や精霊から一歩的に彼等がよかれと思うものを与えられることです」

 つまり両者は似ているようでまったくの別物。
 王は神や精霊から愛されているとする神話的な主張と、神や精霊の力を無条件といってもそんなものを人の身で自由に行使するのは不可能だから祝福だという現実的な主張とに分かれているらしい。

「どちらにせよなにかしら与えられてはいて、それが王たる根拠とされている。王は恩寵を持っている者。王の誕生祭というのは、正確には王の誕生を祝うものではなく、王の誕生日を“恩寵を与えられた日”としてそれを称える祝い事です」

 王国で、生まれたその日を祝うのは王様だけ。
 それは建国のお話にちなみ王の誕生を祝うためと聞いていたし、そのために国中の有力者が王宮に集まるあの気を遣う祝い事は、本来そんな意味を持つものだったのかと彼の話に感心しながら、それはそれとして彼自身は論争のどちらの側なのだろうと少し気になった。

 彼は精霊や竜との盟約により、ほぼ無尽蔵の魔力を扱える人だ。
 同時に、力を振るうには人の身では限界があることも、身をもって知っている。
 やっぱり祝福派かしらと考えたけれど、返ってきたのは「どちらとも言えない」と少々意外に思える答えだった。

「自分の身に置き換えて考えれば、たしかに人の身には限界がある。とはいえ私の場合は盟約といった一種の契約です。愛し子がそれと同じかはわかりません」

 そもそも人間に加護が与えられること自体が稀であり、記録に残るそれらしい例も数えるほどしかないらしい。

「それに恩寵といったものの属性もよくわかりませんしね」
「属性?」
「まあ仮に加護だとして、神であれば“命運の女神”。精霊であれば“輝きの精霊”に関わるものであろうとは考えられています。ああ、どちらも時や命運、光や闇を司っていて……ということくらいは流石に知っていますか、貴女も」

 ルイの言葉に、頷く。
 王国の伝説伝承の大半は、神や精霊のお話だ。
 生活にも密接に関わっている身近な神々と精霊といえば、四季を司る女神と、水火風地を司る四大精霊。
 聖堂で執り行われる年中の儀式や、王宮で行われる式典や儀式、もっと俗っぽいところではお守りや願掛けなど様々なところで目にし耳にもするし、魔術にも関わりが深いと聞いたことがある。
 
 そしてもう一つ。
 ルイが口にした、時や命運、光や闇を司る女神と精霊。
 こちらも人の寿命や運命に関わるとして、主には結婚や葬儀で身近な神と精霊。
 特に、輝きの精霊の“天上の紡ぎ糸”の話にちなむ“布贈り”の慣習なんかは、女の子なら一度は憧れを持つものだ。

 輝きの精霊クインテエーヌは命運の女神クラアに仕え、人の寿命や人生を決める“天上の紡ぎ糸”を紡ぎ、命運の女神に紡ぎ糸を巻き取った糸巻を捧げる。
 人は皆、それぞれ“天上の紡ぎ糸”を、命運の女神から授けられて持っているといったお話。

 結婚が決まった際、男性はこのお話にちなんで妻となる女性に綺麗な布を贈る。
 これは夫婦が協力して人生を歩みその生涯を共にすることを、夫と妻のそれぞれが持っている“天上の紡ぎ糸”を使って布を織り上げると表現するからで、“布贈り”の慣習には末長く一緒にといった意味が込められている。
 男性から「糸を捧げる」「糸をはたにかけて欲しい」なんて言われたら、奥ゆかしくも明確でかつ相手への愛情も示す、かなり乙女心にうっとりくる求婚だったりする。
 まあ……わたしの周囲に、そんな乙女心を理解するような御方は皆無でしたけれど。

「命運の女神や輝きの精霊って、人生や結婚に関する神様で精霊なのに、光と闇を司るっていうのちょっと不思議なんですよね」 
「逆ですよ。光と闇、世界の始まりと終わり、世界そのものを成立させ支配する。だから時間や命運に関わり、ひいては人の寿命も司るとされている」
「なるほど」 
「どちらかといえば人の寿命の部分は解釈のおまけみたいなものです。とはいえ時や命運、光や闇を司る女神と精霊については、やはり寿命や人生に直結するだけに“天上の紡ぎ糸”の話が身近なのでしょうね」  
「……」

 いや、寿命や人生も気にはなるだろうけど、そこではないのでは? 
 この人の場合、「そんな当人同士で交わすだけの実効力に乏しい求婚に、一体なんの意味があります?」とかなんとか言いそうだけれど……。
 下手したら「王と国中の有力者の前で求婚以上に、明確な意志表示かつ愛情と覚悟を示し、周囲を黙らせる方法はないでしょう」なんて、魔王の如き微笑みを浮かべて言い出しかねないけれど。
 そうよ、大体っ!
 人を口車に乗せ、古の慣習に基づく四十日の婚約期間とやらを了承させたり。
 でもって、その婚約期間が終わる前から、財力で服飾職人のナタンさんを唆して勝手に婚礼衣装の手配をすすめたり。
 貴族にだって、形式的でも“布贈り”はあるはずなのに。
 結婚が確定したら、抵抗する間もなくご自分の邸宅に人を拘束して、ひたすら仮縫いやらなんやら、布というより布で作った品物をどさっとご用意しましたからさっさと支度に努めてくださいといった調子で……。
 乙女の結婚への憧れとか、花嫁仕度をしながらその日を指折り数えて楽しみにするとかいった手順をですね……ものの見事に踏みにじってくれたわけなのですけど。
 そもそも結婚に承諾した覚えもないまま、結婚しているし!
 
「どうしました、急に黙り込んで」
「いえ、なんでも。“天上の紡ぎ糸”の話について考えただけで」
「ああ、乙女の結婚の憧れとやらですか。そんな実効力のないものになんの意味があります?」

 ペンを動かす手を止めて、呆れたようにこちらを見たルイの言葉に若干かちんとくる。
 本当に、思った通りじゃない。
 しかもわかってるじゃないっ!

「言い方っ」
「私は魔術師です。神話やお伽話や言い伝えの類については検証には値し、教養の一つとしてそれらにちなむことを口にもしますが、根拠も有効性もない迷信そのままを実生活に持ち込む気にはなれませんね」
 
 とりつくしまがない、とはまさにこのこと。
 そうでした。そういった人でした、と胸の内でぼやく。
 わたしの憤りを受け流すように淡々と言ったルイに、開いていた本の上に顎先を乗せて彼を睨みつければ、そんなに怒ることですかと彼は軽く目を伏せる。

「別に、貴女だってそんなものが絶対といったお嬢さんでもなかったでしょうに」
「そうかもしれなかったかもですけど、多少はありますよ多少はっ」
「どうでしょうね。必要と思えませんでしたけれど」

 憤ったもの、たしかに彼の言う通りではあるので、なんだか語気が弱まり取り繕うような感じになってしまったけれど、ひどい言い草だ。
 必要ならいくらでもやってあげすますよ、必要ならねと言っているようなものではないの。
 まったくもって、心がない――まあこの人のきらきらしい胡散臭さで「貴女に私の糸を捧げます」とか布を贈られても寒気しかしないだろうけど。
 想像した途端、背筋がぞわぞわと薄ら寒くなったのに、思い浮かべたものを振り払おうと小さく首を振ったわたしを胡乱げな眼差しで見て、この件についての議論は終わったと判断したらしく、ルイはわたしから彼の手元の紙の上でペンを動かす作業に再び戻る。

「……貴女のその口先だけの乙女心とやらはともかく」
「口先だけ……」
「恩寵の話に戻りますが。結局のところ、恩寵がどのようなものかある程度はっきりしないことにはすべて推測です。なんの確証もない。魔術的に言えることはなにもないですね」
「そんなものですか」
「そんなものです。さて」
 
 しゅっと、切りがついたというようにペン先の音がして、彼の手元の本からひらりと紙が飛び出したのに、えっ、と紙を目で追って天井を仰ぎ見る。

「どうなるか」

 本とペンをテーブルに置いてルイが呟いたと同時に、天井近くの空中に浮いている紙は薄青い炎となって瞬時に燃え尽きた。
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