6 / 9
忖度(そんたく)という逃げ
しおりを挟む
なぜ宗教絵画では、イチジクの葉が「股と胸」を隠すのか
問いの出発点
創世記には、罪を知ったアダムとイブが
「イチジクの葉をつづり合わせて、腰に巻きつけた」
と記されている(創世記 3章7節)。
にもかかわらず、多くの宗教絵画では
• 男性は股間
• 女性は股と胸
をイチジクの葉で覆って描かれる。
これは単なる読み違いではない。
意図的な改変であり、しかも長い時間をかけて繰り返されてきたものだ。
神学的理由ではなく、社会的理由
この違いは、神学的要請というよりも、
制作側・鑑賞側の社会的感覚への配慮と考えた方が説明しやすい。
ルネサンス期以降、宗教絵画は
• 教会
• 貴族
• 市民
の目にさらされる公共物になった。
そこでは
• 「聖性を保つこと」
• 「不快感を与えないこと」
• 「非難を避けること」
が強く要請される。
結果として、
本文にはない“追加の覆い”
が描き加えられていった。
忖度という免罪符
ここで使える言葉が「忖度」だ。
日本では 森友学園問題 以降、
この言葉が広く知られるようになった。
忖度とは本来、
相手を思いやる行為
のはずだが、実態はこう言い換えられる。
相手を理由にしながら、
最終的には自分を守るための行動
宗教画におけるイチジクの葉の「拡張」も、同じ構造をしている。
• 聖書を尊重しているように見せつつ
• 観る側の反発を避け
• 制作者・発注者・教会が責任を負わない位置に逃げる
これは信仰の表現というより、
批判回避のデザインだ。
なぜ胸まで隠すのか
創世記の記述だけなら、
女性の胸を隠す必要はない。
それでも隠されたのは、
• 女性の身体は誘惑的である
• 見せると秩序が乱れる
という、後世の価値観が上書きされたからだ。
つまり宗教絵画は、
神の視点ではなく
時代の常識の視点で修正されてきた。
結論
イチジクの葉は、
「罪の象徴」ではあるが、
同時にこうした意味も帯びている。
• 価値観の上書き
• 社会への迎合
• 批判回避のための忖度
聖書本文よりも厚く、
本来よりも広く描かれたイチジクの葉は、
信仰そのものではなく、社会が信仰を扱うときの姿勢を映している。
それは2000年前の物語ではない。
今も私たちは、
「相手を思って」と言いながら、
どれだけの葉を自分のために縫い合わせているだろうか。
忖度とは、相手を守る行為ではない
忖度はしばしば、
「相手を思いやる気遣い」
「空気を読む日本的美徳」
として語られる。
だが、構造を分解すると様子が変わる。
忖度が発生する瞬間、
人はほぼ例外なく二つの予測を同時に立てている。
• このまま行動すると、不利益が返ってくるかもしれない
• しかし露骨に自己保身に見えるのは避けたい
この板挟みを解消するために使われるのが、
「相手のためだった」という理由付けだ。
忖度は感情ではなく、判断回避の技法
重要なのは、
忖度が「優しさ」や「共感」よりも、
判断を先送りする技法として機能している点だ。
本来問われるべきは、
• 自分はどうしたいのか
• どこまで責任を負うのか
だがそれを正面から扱うと、
リスクが顕在化する。
そこで人はこう言い換える。
• 「あの人の立場を考えて」
• 「場を荒らさないために」
• 「みんなのためを思って」
この瞬間、
主体は消え、理由だけが残る。
忖度とは、
決断から感情を切り離し、
自分を当事者から降ろすための装置だ。
なぜ忖度は“善意”に見えるのか
忖度が厄介なのは、
ほぼ常に善意の言葉をまとって現れる点にある。
• 思いやり
• 配慮
• 大人の対応
• 波風を立てない態度
これらはすべて、社会的に「正しい」とされやすい。
だが構造的には、
自分が矢面に立たないための防御膜でもある。
だから忖度は否定されにくい。
むしろ評価されることさえある。
結果として、
「相手のため」という名目で、
誰も責任を引き受けない状態が増殖する。
忖度が連鎖すると、何が起きるか
忖度が個人の判断を守る段階に留まっているうちは、
まだ害は小さい。
だがそれが組織や社会に拡張されると、
以下の現象が起きる。
• 誰も決めていないのに、方針だけが存在する
• 発言していないのに、同意したことになる
• 問題は共有されるが、責任は共有されない
これは意思決定の不在ではない。
意思決定の痕跡だけが残っている状態だ。
忖度とは、
行動を止めずに責任だけを薄める、
極めて効率のいい仕組みでもある。
忖度が生まれる本当の場所
忖度は相手の心の中に生まれるのではない。
自分の中にある恐れから生まれる。
• 否定されたくない
• 評価を下げたくない
• 面倒な立場に立ちたくない
これらを正直に認めるのは、
それ自体がリスクになる。
だから人は、
「相手のためだった」と言うことで、
自分の恐れに名前をつけ直す。
忖度とは、
恐れに対する自己正当化だ。
忖度を自覚するということ
忖度そのものが、
常に悪いわけではない。
問題なのは、
忖度していることを自分で自覚していない点にある。
• 本当に相手の利益になっているのか
• それとも、自分の立場保全が主目的なのか
この問いを避けた瞬間、
忖度は思考停止と同義になる。
イチジクの葉は、
身体を覆うためではなく、
視線から逃げるために使われた。
そして忖度もまた、
選択から逃げるための葉として、
今日も静かに縫い合わされている。
問いの出発点
創世記には、罪を知ったアダムとイブが
「イチジクの葉をつづり合わせて、腰に巻きつけた」
と記されている(創世記 3章7節)。
にもかかわらず、多くの宗教絵画では
• 男性は股間
• 女性は股と胸
をイチジクの葉で覆って描かれる。
これは単なる読み違いではない。
意図的な改変であり、しかも長い時間をかけて繰り返されてきたものだ。
神学的理由ではなく、社会的理由
この違いは、神学的要請というよりも、
制作側・鑑賞側の社会的感覚への配慮と考えた方が説明しやすい。
ルネサンス期以降、宗教絵画は
• 教会
• 貴族
• 市民
の目にさらされる公共物になった。
そこでは
• 「聖性を保つこと」
• 「不快感を与えないこと」
• 「非難を避けること」
が強く要請される。
結果として、
本文にはない“追加の覆い”
が描き加えられていった。
忖度という免罪符
ここで使える言葉が「忖度」だ。
日本では 森友学園問題 以降、
この言葉が広く知られるようになった。
忖度とは本来、
相手を思いやる行為
のはずだが、実態はこう言い換えられる。
相手を理由にしながら、
最終的には自分を守るための行動
宗教画におけるイチジクの葉の「拡張」も、同じ構造をしている。
• 聖書を尊重しているように見せつつ
• 観る側の反発を避け
• 制作者・発注者・教会が責任を負わない位置に逃げる
これは信仰の表現というより、
批判回避のデザインだ。
なぜ胸まで隠すのか
創世記の記述だけなら、
女性の胸を隠す必要はない。
それでも隠されたのは、
• 女性の身体は誘惑的である
• 見せると秩序が乱れる
という、後世の価値観が上書きされたからだ。
つまり宗教絵画は、
神の視点ではなく
時代の常識の視点で修正されてきた。
結論
イチジクの葉は、
「罪の象徴」ではあるが、
同時にこうした意味も帯びている。
• 価値観の上書き
• 社会への迎合
• 批判回避のための忖度
聖書本文よりも厚く、
本来よりも広く描かれたイチジクの葉は、
信仰そのものではなく、社会が信仰を扱うときの姿勢を映している。
それは2000年前の物語ではない。
今も私たちは、
「相手を思って」と言いながら、
どれだけの葉を自分のために縫い合わせているだろうか。
忖度とは、相手を守る行為ではない
忖度はしばしば、
「相手を思いやる気遣い」
「空気を読む日本的美徳」
として語られる。
だが、構造を分解すると様子が変わる。
忖度が発生する瞬間、
人はほぼ例外なく二つの予測を同時に立てている。
• このまま行動すると、不利益が返ってくるかもしれない
• しかし露骨に自己保身に見えるのは避けたい
この板挟みを解消するために使われるのが、
「相手のためだった」という理由付けだ。
忖度は感情ではなく、判断回避の技法
重要なのは、
忖度が「優しさ」や「共感」よりも、
判断を先送りする技法として機能している点だ。
本来問われるべきは、
• 自分はどうしたいのか
• どこまで責任を負うのか
だがそれを正面から扱うと、
リスクが顕在化する。
そこで人はこう言い換える。
• 「あの人の立場を考えて」
• 「場を荒らさないために」
• 「みんなのためを思って」
この瞬間、
主体は消え、理由だけが残る。
忖度とは、
決断から感情を切り離し、
自分を当事者から降ろすための装置だ。
なぜ忖度は“善意”に見えるのか
忖度が厄介なのは、
ほぼ常に善意の言葉をまとって現れる点にある。
• 思いやり
• 配慮
• 大人の対応
• 波風を立てない態度
これらはすべて、社会的に「正しい」とされやすい。
だが構造的には、
自分が矢面に立たないための防御膜でもある。
だから忖度は否定されにくい。
むしろ評価されることさえある。
結果として、
「相手のため」という名目で、
誰も責任を引き受けない状態が増殖する。
忖度が連鎖すると、何が起きるか
忖度が個人の判断を守る段階に留まっているうちは、
まだ害は小さい。
だがそれが組織や社会に拡張されると、
以下の現象が起きる。
• 誰も決めていないのに、方針だけが存在する
• 発言していないのに、同意したことになる
• 問題は共有されるが、責任は共有されない
これは意思決定の不在ではない。
意思決定の痕跡だけが残っている状態だ。
忖度とは、
行動を止めずに責任だけを薄める、
極めて効率のいい仕組みでもある。
忖度が生まれる本当の場所
忖度は相手の心の中に生まれるのではない。
自分の中にある恐れから生まれる。
• 否定されたくない
• 評価を下げたくない
• 面倒な立場に立ちたくない
これらを正直に認めるのは、
それ自体がリスクになる。
だから人は、
「相手のためだった」と言うことで、
自分の恐れに名前をつけ直す。
忖度とは、
恐れに対する自己正当化だ。
忖度を自覚するということ
忖度そのものが、
常に悪いわけではない。
問題なのは、
忖度していることを自分で自覚していない点にある。
• 本当に相手の利益になっているのか
• それとも、自分の立場保全が主目的なのか
この問いを避けた瞬間、
忖度は思考停止と同義になる。
イチジクの葉は、
身体を覆うためではなく、
視線から逃げるために使われた。
そして忖度もまた、
選択から逃げるための葉として、
今日も静かに縫い合わされている。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
島猫たちのエピソード2025
BIRD
エッセイ・ノンフィクション
「Cat nursery Larimar 」は、ひとりでは生きられない仔猫を預かり、保護者&お世話ボランティア達が協力して育てて里親の元へ送り出す「仔猫の保育所」です。
石垣島は野良猫がとても多い島。
2021年2月22日に設立した保護団体【Cat nursery Larimar(通称ラリマー)】は、自宅では出来ない保護活動を、施設にスペースを借りて頑張るボランティアの集まりです。
「保護して下さい」と言うだけなら、誰にでも出来ます。
でもそれは丸投げで、猫のために何かした内には入りません。
もっと踏み込んで、その猫の医療費やゴハン代などを負担出来る人、譲渡会を手伝える人からの依頼のみ受け付けています。
本作は、ラリマーの保護活動や、石垣島の猫ボランティアについて書いた作品です。
スコア収益は、保護猫たちのゴハンやオヤツの購入に使っています。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる