記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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右利きの神様が左手で書いたお話

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夬皇の誕生日の朝。
二人は夜のパーティに向けて、きっちり仕事を終わらせて帰る事を目標として、それぞれ家を出て行った。

勇緋も月初めでかなり忙しいため、定時上がりは困難を極めていた。
だが、それを乗り越えるくらい、今日のパーティは重要なもの。
いつも以上に仕事に打ち込む。

しかし、その日のお昼休み。
食事を終えて、自分のデスクに戻ろうとした時、彼の携帯が鳴ったのだ。
スマートウォッチの画面に電話の相手の名が映る。

【凜お姉様】 (夬皇のお姉さんから? 俺に?)

珍しい事もあるものだと思い、電話に出た勇緋。
「もしもし、勇緋です」
「あ、ゆうひ君。ごめんね、仕事中に電話をかけて」
いつもの凜とは比べ物にならないくらい、低いテンションの声。
そして、その声に何処か焦りが見えた。
「どうしたんですか。お姉さんから、俺に電話なんて」
「実は、ちょっと前に実家に電話があったみたいで。夬皇の会社から」
「えっ?」
その只ならぬ雰囲気に、勇緋はごくりと息を呑む。
「その電話の内容なんだけど…」
その頃には、凜の声が震えていた。それ以上、彼女の声を聴くのが怖い程に。
「大丈夫です。聞かせて下さい」
勇緋は彼女を落ち着かせるように諭すような口調で話しかける。

「さっき、夬皇が意識のない状態で近くの病院に運ばれたって」

「そ、それって…どういう…事、ですか」
まさかの答えに、勇緋の身体が震え始める。
「詳しい状況は聴けていないのだけど、作業中に高い所から落ちたらしいの。その落ち方も良くなかったみたいで、頭から血が出てたって」
「そんな…事。夬皇は、無事、なんですよね?」
「分からない。電話を受けた母親も気が動転しちゃって。すぐに私に連絡が入ったの。それから、急いでゆうひ君にも伝えてとだけ残して、すぐに病院に向かったらしいの」
そんな話をしている最中、電話の奥から子供の泣き声がこだまする。
「私もすぐに行きたい所ではあるんだけど、この子達を置いてはいけないから。今は母親に任せるしか」
凜も子供と同じように、涙声で話していた。
すぐに駆け付ける事の出来ないもどかしさと悔しさで頭がいっぱいなのだろう。
「俺もすぐに病院に行けるように、上司に話します。お母さんも心配ですし」
「本当にごめんなさい、ゆうひ君」
「お姉さんが謝る事じゃないですよ」
「一応、会社からの連絡は私に来るようにしたから、何かあったらすぐに連絡するわね」
「助かります。よろしくお願いします」

それから電話を切った勇緋。
まるで手に持つ携帯が鉛のように重く感じ、ダラリと力なく手を下ろす。
フラフラと廊下を歩き、窓から地上の風景をぼんやりと見つめた。
「夬皇…。何でだよ。なんで…」
勇緋はずっと抑えていた涙が、堰を切ったかのように溢れてしまった。

【いつも勇緋と一緒だよ♪】
【やっぱり、俺の隣は勇緋じゃないと落ち着かない】
【ユウ、スキ】

夬皇が見せた色々な顔、仕草、声。
それらが走馬灯のように、勇緋の脳裏に映る。

【この写真があれば、魔除けみたいに俺の事、守ってくれそうじゃん!】
以前、彼は勇緋の不細工写真を携帯の待受けにし、魔除けと言っていたのを思い出した。

「全然、魔除けになってねーじゃんかよ」
心の奥から溢れる悔しさ。
それと同時に、あの笑顔が見えなくなると考えただけで、胸が締め付けられる。
「なんで、お前にとって祝いの日に、こんな事になるんだよ」
それから、仕事の時間になったのにも関わらず、彼はその場から動く事が出来なかった。

すると、

「おい、神塚。探したぞ、全然帰って来ないから…って、どうしたんだ!」
先輩社員がどうやらなかなか戻ってこない彼を探しに来たようである。
勇緋がぐしゃぐしゃの顔で、今にも壊れそうな状態であったので、驚きを隠せなかった。
「何かあったのか?」
「ごめんなさい、先輩。ちょっと、お話が」

少しだけ落ち着きを取り戻した勇緋は、先輩に先程の内容を伝えた。

「そうか。そんな事が…」
「仕事を投げ出すつもりはないのですが、今の俺にとって、アイツは何物にも代える事が出来ないんです。傍に居たい。それだけなんです」
「わかった。内容は把握したから、今日は帰ってよし。後は、俺が上手く部長に言っておくから。お前の出世街道に影響が出ないようにな」
先輩はそう言って、勇緋の肩を力強く叩いた。
「すみません。落ち着いたらお昼驕ります」
「ああ。特盛ランチ、期待してるわ」
それから勇緋は、彼に向かって一礼すると、顔つきを変えて荷物をまとめる為、自分のデスクへと
駆けて行った。

目を腫らした勇緋が事務所を颯爽と駆け抜けていくので、周りはざわざわとしていたが、今の彼にとってはそんな事すらどうでもよかった。部長のデスクの前で すみません とだけ呟くと、そのまま彼は事務所を後にしたのだった。

(夬皇…)

心の中で、何度も彼の無事を願う。
会社から駅に向かういつもの道がとても遠く感じた。
走っても走っても辿り着かない感覚が、彼の足に纏わりつくようだった。
早く彼の元に行き、状況を知りたい。
自分が出来る事があれば何でもする。
夬皇が生きる為なら、この命すら差し出す覚悟もある。

駅に辿り着き、新幹線が到着する時間を確認する。
少し遅延が発生しているらしく、30分程かかるようだった。
何で今日に限ってこんな。
全世界の不幸と言う負のオーラが彼に襲い掛かっている気がした。

そんな勇緋が、夬皇が運ばれた病院に辿り着いたのは、夕方頃であった。

自動ドアの開く時間ももどかしく、すり抜ける様に身体を通し、病院に飛び込む勇緋。
診察時間は終わっているのか、人はまばらであった。
スプリングコートをはためかせながら、彼のいる場所を探す。
受付と言う文字が目に入ると、勇緋はそこへ向かい声をかける。
「あの、すみません。今日、柊と言う者がここに運ばれたと思うのですが」
彼に気付いた看護師の女性が落ち着いた口調で答えた。
「柊さん? ああ。午前中の急患の方ですね」
「俺、その…」
「ご友人の方、ですか?」

友人? 確かに世間的に見ればそうかもしれない。でも、俺にとってアイツは。
「俺は柊の恋人です」
少しおこがましくても良い。
アイツがそうは思ってなくても良い。
少し沈黙があって、看護師の女性は続ける。
「わかりました。とりあえず、ご案内します」

彼が案内された場所は手術室の前だった。
「あ、勇ちゃん!」
彼の姿を見つけた、夬皇の母親が駆け寄る。
「お母さん、遅くなってごめんなさい。それで、夬皇の容体は!」
「良いのよ、来てくれただけで嬉しいわ。今も治療が続いていて、まだどうなるかはわからないみたい」
勇緋は そうですか とだけ呟きながら、彼女の近くで俯いたままの人を眺める。
背の高い夬皇の職場で見かける制服を着た男性。
恐らく彼の上司と思われる。

状況は分からない。
だが、皆の気持ちは同じであった。
夬皇が無事である事、ただそれだけなのだ。
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