記憶の中に僕は居ますか

遭綺

文字の大きさ
31 / 42

心のページをめくって

しおりを挟む
「ゆうひ君!」
久し振りに身体を重ねたその日を境に夬皇は、勇緋の事を苗字ではなく名前で呼ぶようになった。
たまに記憶が曖昧になってしまい、言葉が詰まりそうになるが えっと と言う  接続詞を噛ませて、すぐに ゆうひ君 と嬉しそうに話す。
そのあどけなさが何故か可愛らしく思えて、勇緋は人目を憚らず笑みを見せてしまうようになった。

勇緋の一世一代の賭けは思わぬ功を奏したと言える。

次の日、日曜の昼下がり。
部屋に差し込む太陽の光を浴びながら、勇緋はリビングのソファに身体を預けながら、テレビで推しのバンドのライブ映像を流しながら、漫画を読んでいた。
すると、
ガチャリと言う音と共に、夬皇の部屋のドアが開いた。
それを勇緋は耳だけで雰囲気を感じ取りつつ、視線は漫画から動かさなかった。
スリッパが床と擦れる音がだんだんと近づいてくる。
それから彼の隣でバサッと言う音が響くと共にソファが揺れた。
少し視線を横にずらすと、そこには同じく漫画を持った夬皇が居たのだ。

言葉を交わさずとも彼が隣に居るだけで、こんなにも幸せを感じるなんて。

ライブ映像から流れるバンドサウンドとヴォーカルの力強い声、漫画のページを  めくる音だけが部屋に響く。
心に刷り込まれた大好きな曲が終わり、観客の大きな拍手が湧く。
そして、ベースの重低音が響いて次の曲が流れ始める。
ヲタクにとってその曲は外せないアゲソンの一つ。
二人は同じタイミングで視線を漫画からテレビ画面へ移した。
シンクロした動きに二人は顔を合わせると、互いに笑みを見せてから、座る距離を縮める。
夬皇が勇緋に身体を預ける。
背の高い彼の頭が勇緋の顔の少し上辺りに触れる。
それから二人はそのままライブ鑑賞に浸る事になったのだった。
以前のような日常が少しだけ戻って来たような感じがした。

ゴールデンウィークは夬皇の体調を考慮して、遠出をすることはやめる事にした。
その代わり、二人で一緒に優雅な時間を過ごし、時に定食屋・弘原海で大飯を喰らい、時に近くのショッピングモールで買い物に行ったりした。
あっと言う間に長期休暇は終わりを告げると、夬皇は実家へと帰って行った。
(帰りも電車で帰ってみるよと言って、颯爽と帰って行った)
勇緋は内心、ドライブ出来なくて寂しいと思ったが、グッと我慢した。
次の週末まで元気でな。
駅の改札口でその言葉だけを伝えて。

夬皇が書き記したノート。
さあ、やりたい事リストを進めてみよう。

【海が見たい】

4月は色々と大変な事の連続だった。
5月に入っても、前月休んでしまった分、仕事は今まで以上に慌ただしくなった。
彼の先輩である鴻上の力も借りて、ようやく5月中旬ぐらいにはプロジェクトを
平常運行に戻す事が出来た。
その代わり、土日に夬皇と会う約束が1週間反故になってしまった。
土日に部署企画で急遽決まった山登り(泊りがけで)をすると言う、なかなかハードなイベントがあったためだ。
まぁ、山登りの後に温泉に入ったり、宿の飯を食べたりと充実はしていたが。
夬皇と海に行こうと考えていた計画が水泡に帰した事の方が勇緋は辛かった。

夬皇からは
【大丈夫。仕事頑張ってね。会えないのは寂しいけど】
と言うメッセージを貰った。
壊れかけた心をなんとか繋ぎ止める事が出来た。

そんな中、勇緋は平日の夜、一人では少し広いお風呂で疲れを癒していた。
お湯に浸かりながらも、彼にはどうしても気になる事があった。
自分の首元にずっとかかっている彼とお揃いのダブルクロスのネックレス。
この前、彼と性を貪り合った際に彼の首元にこのネックレスがない事に気が付いたのだ。
(多分、あの事故の時に何かあったんだろうな…)
やっぱり見慣れたお揃いのモノがないのは何処か寂しい。
「アイツの記憶が戻ったら、また一緒に買い物に行かないと」
以前は一人の夜は悲観する事しか出来なかった。
でも、今はどうだ?
明るい未来に向けたポジティブな思考で物事を考える事が出来ている。
確かに平日は寂しいけど。

お風呂上がり、勇緋は夬皇へメッセージを送る。

【夬皇、今週末は海に行くぞ】

もうサプライズにしようとも思わなかった。
勇緋は漢なので、いつも直球勝負を挑む。
すぐに彼から返信が返って来た。

【えっ? 海!? いいの!?】

夬皇からは百点の返答が返って来たので、勇緋は携帯画面を見ながらにやついてしまうのだった。

そして、5月中旬を過ぎた週末。
勇緋は先回りして駅の改札口で、大切なヒトを待っている。
以前、夬皇がコーディネートしてくれた服でお洒落を演出している。
気合十分だ。
すると、

「ゆうひくーん!」

聴きなれた大きな声が駅内に響いた。
周りの人達が一斉に勇緋を眺める。ぶわっと勇緋の顔が真っ赤になった。
彼の先制攻撃だ。
とりあえず よく来たね と軽くハグをし、あやして(?)から、すぐにその場から離れたのだった。

近くのパーキングに停めていた車に乗り込んだ二人。
「今日は海に連れて行ってくれるんだよね?」
「海だけじゃ、ないけどな」
「えっ?」
「とりあえず楽しみにしておいてくれ」
彼の言葉に、夬皇は大きく頷く。

車が目的地に向けて動き出してすぐ。
「夬皇、いつの間にそのハット、買ったんだ?」
「実家にいる時に、ネットで。ゆうひ君と会うからお洒落にしないとって思って。
似合う、かな?」
目で訴えてくるその顔。勇緋は言葉を失う。
何かの雑誌のワンシーンのようにハットを使いこなしていた。
頭の傷を隠すためではあるが、傍から見れば普通のお洒落が好きな青年と認識されるだろう。
「似合ってるよ、凄く。お前は本当にセンスが良いな」
「ホント? 良かったぁ」
夬皇はひとしきり喜んだ後、そのまま上体を運転する勇緋に倒す。
「お、おい。運転中だぞ?」
「こうして居たいんだ、ダメ?」
彼のお洒落なハットが二人の間に落ち、勇緋の肩に夬皇の頭が触れた。
「全く。やっぱりお前には敵わないよ」

バックミラーに映る二人の姿はいつまでも輝いて見えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

若頭と小鳥

真木
BL
極悪人といわれる若頭、けれど義弟にだけは優しい。小さくて弱い義弟を構いたくて仕方ない義兄と、自信がなくて病弱な義弟の甘々な日々。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

仮面の王子と優雅な従者

emanon
BL
国土は小さいながらも豊かな国、ライデン王国。 平和なこの国の第一王子は、人前に出る時は必ず仮面を付けている。 おまけに病弱で無能、醜男と専らの噂だ。 しかしそれは世を忍ぶ仮の姿だった──。 これは仮面の王子とその従者が暗躍する物語。

地味メガネだと思ってた同僚が、眼鏡を外したら国宝級でした~無愛想な美人と、チャラ営業のすれ違い恋愛

中岡 始
BL
誰にも気づかれたくない。 誰の心にも触れたくない。 無表情と無関心を盾に、オフィスの隅で静かに生きる天王寺悠(てんのうじ・ゆう)。 その存在に、誰も興味を持たなかった――彼を除いて。 明るく人懐こい営業マン・梅田隼人(うめだ・はやと)は、 偶然見た「眼鏡を外した天王寺」の姿に、衝撃を受ける。 無機質な顔の奥に隠れていたのは、 誰よりも美しく、誰よりも脆い、ひとりの青年だった。 気づいてしまったから、もう目を逸らせない。 知りたくなったから、もう引き返せない。 すれ違いと無関心、 優しさと孤独、 微かな笑顔と、隠された心。 これは、 触れれば壊れそうな彼に、 それでも手を伸ばしてしまった、 不器用な男たちの恋のはなし。

売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才) ※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!  ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。  無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

処理中です...