記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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夜の雨に心を濡らして

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夬皇が職場復帰となったのは、先日の見学会からおよそ二週間後の事だった。
まずはアルバイトと言う形式で、短時間から慣らして行くような勤務形態をとった。
平日の三日間、午後だけ。
まだ運転は危ないからという事で、公共交通機関での通勤を是とした。
だがそのおかげで、二人で一緒に居る時間が長くなったのはとても嬉しかった。
加えて、職場の人達もとても喜んでいる事もありがたい。
また、今までよりも天然+純粋さに拍車がかかった夬皇の人気は職場内で爆発的に広がっており、
本当に恐ろしい奴だなと改めて知らされる事となった。

季節は秋が深まり、秋雨が幻想的な雰囲気を醸し出させる日々が続いていた。

その日はたまたま平日休みとなった勇緋は、夬皇を久し振りに職場へ送り届けた後、一人家の掃除をしていた。
そんな時、リビングに忘れられた夬皇のやりたい事リストが沢山書かれたあのノートが置いてあったのだ。
「そう言えば、しばらくこのノート、読んでなかったな」
だんだんと以前の生活に戻りつつあったり、日常的に一緒にいる時間が取れるようになっていたので、このノートの存在が薄れようとしていたのだ。
パラパラ漫画のようにページを進めて行く。
最初の頃は文字もフラフラとしていたが、だんだんと文字も以前のあの綺麗で美しい筆致へと変わっていた。今となっては良い想い出を振り返る旅の栞のようだ。
夬皇の完全復活まではもしかしたら、もうすぐ傍まで来ているのかも知れない。

途中から空白となったノート。

「まだまだ書き溜めて行かないとな」
そう呟き、そのノートの最後のページに差し掛かろうとした時に、突然文字が目に飛び込んできたのだ。ページの隅にしっかりとした文字で何かが書かれていた。

もし、このページを迎えても、自分の記憶が戻っていない場合は、ゆうひ君と必ず別れる事。
これ以上、迷惑をかけてはダメだから。
大好きだからこそ、重荷になってはいけない。
それだけは忘れちゃダメ。良いな、自分。

衝撃的な文章に、勇緋はしばらく動けなくなってしまった。
それと同時に、自分は絶対に見てはイケないものを見てしまった罪悪感に包まれた。

自分の記憶が無くなっても、最後は勇緋の事を心配する夬皇の想い。
たった数行だけど、横たわる普遍的なスキと言う気持ちに勇緋は目を閉じて天を仰ぐ。
ゆっくりと閉じられたそのノートをそっと元の場所に戻す。

そして彼は何かに導かれるように、夬皇の部屋のドアをゆっくりと開く。
綺麗に片付けられている部屋。空気の中に夬皇の匂いが混じっている気がする。
そのまま勇緋は彼がいつも寝ているベッドに向かうと、そのままそこに腰掛ける。
掛布団が少し雑な状態のままだった。

夬皇と別れると言う選択肢がまだ残っていると思うと不安で堪らなくなる。
「俺、嫌だよ。お前と離れるのは…」
そう静かに呟き、掛布団を抱き締めたままベッドに倒れ込む。

気持ち悪いと罵られても良い。
でも、この不安感を少しでも和らげるためには、こうするしかなかった。
勇緋は夕方になるまで、じっとそこで寂しさと戦っていた。
彼の前で絶対にこんな弱っている姿を見せない為に。

「お疲れ様でした!」
快活な声と笑顔で職場を後にした夬皇。
彼が事務所を出ると、駐車場では勇緋が車から降りて待っていた。
「ゆうひ君!」
姿を見つけるや否や、大きく手を振り、背中のリュックを左右に揺らしながらこちらに向かって駆けて来た。
「夬皇、お疲れ。今日はどうだった?」
「うん。ちょっと失敗しちゃったけど、皆に助けて貰えて良かった。次は気を付けないと駄目だな」
「そっか」
勇緋はフッと笑いながら 行こうか と言って、車に乗り込む。
「あのさ、ゆうひ君。今からコレ、観に行かない?」
夬皇は自分の携帯を勇緋の顔の前に差し出す。
丁度先週あたりから上映が始まったであろう邦画で、役者の名前もあまりピンとこなかった。
上映期間も数週間と短い。
タイトルは 空に消えた君 。
題名から恋愛ものと想像できた。
「夬皇って、映画好きだったっけ?」
「いや、あんまり観ないんだけど、なんか惹かれたと言うか」
「わかった。その惹かれた理由を今から暴きに行こう」
勇緋は彼の意見を尊重するかのように、すぐに車を走らせた。
上映開始時間が迫っている。

彼らの住む都市の中でも屈指の広さを誇る映画館に無事辿り着いた二人。
飲み物と安定のポップコーンをしっかりと携えて、指定の座席に座る。
ナイトショーと元々この邦画人気がそこまで高くないせいか、客はまばらであった。
二人は並んで座り、真ん中辺りに陣取った。

上映が始まった。
この邦画は三部構成となっていた。
一部は登場人物である男女二人の恋愛の場面。
二部は女性同士の恋愛を描いていた。
そして三部は男性同士の恋愛。
所謂、全てのジャンルを網羅していた。
どのカップルも皆、お互いを愛し合っていた。美しい恋愛だった。
だが、中盤に差し掛かり、全カップルの片方はとある共通の事故で亡くなっていると言う衝撃の事実を知る。
余りの事に二人は一部と二部の恋愛の事は何処かへ忘れてしまうくらい戸惑いと驚きに包まれていた。
最後だけはしっかり観なければと、二人は集中して鑑賞する。

大好きだった人がもう居ない。
第三部はここから始まった、
その事を知った主人公が暗い部屋で大泣きするシーンはとても感動したし、死んだ彼と似たような人を町で見かける度に振り返り、声を掛け、傷つく様は、見ていて心が締め付けられた。
何故、第三部はこれ程まで、主人公を不幸に陥れるのか。
だんだんと二人はその主人公に感情移入をしていく。

居なくなった愛するヒトの服を抱き締めながら泣き濡れる姿。
そしてその服の匂いに包まれながら一人官能的に自慰行為に耽る様は演者の魂が乗り移り、まるで絵画のように美しかった。
果てた後の退廃的で無機質な彼の表情は生涯忘れる事はない程のシーンであった。
最終的にその彼は眩しい程の青空を見つめながら、愛するヒトを失った悲しみに心が砕けたのか、自ら命を絶つと言うこれでもかと言うバッドエンドで幕を閉じた。

いつしか二人は互いの手を握り合って居た。
いつも以上に強く。
ポップコーンも飲み物も全く口にしないまま、エンドロールを迎えた。
言葉にならないくらいの悲しさが溢れ、二人は静かに涙を見せていた。
互いにこの手を繋ぐ相手が居なくなったら、果たして自分は生きて行けるのだろうか。
それだけは絶対に嫌だ。
あの主人公のような行動を取ってしまうかも知れない。

帰りの車の中でも二人は無言のまま互いの手を握り締めていた。
大好きな音楽すら聴かず、無音の車内。

ふと、勇緋はあのノートの夬皇の覚悟の想いが記されたページを思い出した。
今すぐあのページを破り捨てたい。

「絶対に俺達は一緒に居ような」
勇緋は自然と声に出てしまっていた。
「・・うん」
自ら観たいと懇願した映画で、まさかこんな気持ちになるなんて。

家に帰っても二人はリビングでテレビをぼんやり見ながらも一緒に身体を寄せ合いながら過ごした。
少し湿気たポップコーンを夕飯代わりにしながら。

そんな二人の気持ちを察するように、秋雨は夜になりシトシトと降り始める。
次の晴れの日が待ち遠しくなるくらいの冷たい雨。
それはまるであの映画の主人公の涙のように思えた。
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