記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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明日を思ひわづらふ

とある平日。
勇緋は上司である鴻上を含めた開発部全員で社内会議の真っ最中だった。
「よし。じゃあ、来期の商品コンセプトはこれで行こう。各々納期厳守で、案件を進めてくれ。
以上。皆、お疲れ様」
商品開発部長は書類をまとめながら立ち上がる。
「お疲れ様でしたー」
重苦しい空気が一気に晴れやかになった気がした。
「なんとかまとまって良かったですね、先輩」
「ああ。お前もなかなか鋭い発言をするようになったよな」
びっしりと文字が書かれたホワイトボードを勇緋は綺麗にイレイサーで消して行く。
「鴻上先輩の教えのおかげですよ」
「ホント、お前みたいな部下が一番怖いわ」
鴻上は散らばった会議資料を集めながら、低い声で話す。
「お前の天然さは部署内でも有名だぞ?」
「いやいや。それってただのおっちょこちょいですよね?」
「たまにわざとやってるのかなって思う時あるわ」
「何の為に!?」
そんな彼の視線の先に、同じ職場の女性社員達が映る。
皆、こちらを見て微笑みながら、何も言わずに会議室を後にしていく。
「頼むから、何か言って下さいよ」
どうやらその事は皆、周知の事だったようだ。
「まあ、お前は部署内でも唯一の若手だからな。期待しているぞ」
鴻上はそう言って勇緋の肩を叩いた。
「先輩、フォローになってないです」
そんな話をしながら、二人は会議室をあとにして、自分の事務所へと戻っていく。

(俺が天然って…。アイツじゃあるまいし)

同じ頃。

マネキンに新作の服の飾りつけをしていた夬皇は突然くしゃみを何度かした。
「あれ。わーくん、風邪?」
同じ作業をしているご年配の奥様にそう言われた。
「いや。風邪とかあんまり引かないんですけどね」
「あ、誰かが変な噂をしているんじゃない? よく言うわよね」
「そうなんですか?」
「良くも悪くも、誰かの話の中に登場するって素敵な事じゃない?」
奥様の言葉に、夬皇は一瞬天井を眺める。
「俺の事を考えてくれるのは一人だけで良いですけど」
「あら。わーくんも隅に置けないわねー。声が出てるわよ」
夬皇は少し顔を赤らめた。
「と、とりあえず。早く片付けちゃいますよ!」
すぐに夬皇は作業に戻る。その表情に少し笑みを浮かべながら。

その日のランチタイム。
「先輩。先週新しく出来たお店、行きませんか?」
「お前、また俺に驕らせるつもりかよ。お小遣い制の俺にさ」
「いや、別にそんなつもりはないですよ。ただ気になっただけです」
「一人で行って来いよ。子供じゃあるまいし」
鴻上はそう言いながら、カバンから携帯と何かの箱を取り出す。
「俺は忙しいの。それに俺には嫁さんの特製弁当があるんでね」
嫌味っぽく笑いながら鴻上は立ち上がった。
「珍しいですね。愛妻弁当。いつ振りだろう。えっと、二週間ぶりぐらい?」
「日数を変に暗記するな! 昨日はご機嫌だったから久し振りに…って。何を言わせるんだ!」
「フフッ。仲良しで良いですね」
彼の左手の薬指にある指輪がキラリと光る。
「うるせ」
鴻上は少し照れながら手であっちいけと勇緋を追い払った。
「じゃあ、俺は部長とでもランチ行ってきます」
「は?」
勇緋はデスクでまだ作業している部長の元へ向かった。

「あいつ、部長とランチって。無敵かよ。急過ぎるだろ」
上席に物怖じしない精神力には恐れ入る。
その様子を鴻上はじっと見ていた。
勇緋の急な話に、部長も一瞬驚いた様子を見せている。
だが、
「ハハハ。神塚からのお誘いじゃ、断る訳には行かないか。よしっ、その店行こうじゃないか」
「ありがとうございます。案内は任せて下さい!」
それから二人はそそくさと事務所を後にした。

「ホント。アイツだけは敵にしちゃいけねぇ」
鴻上は一人残されたその場所でボソリとそう呟くのだった。

勇緋と彼の部長と訪れたお店は職場から程近い、パスタ屋であった。
かなりの盛況ぶりであるが、なんとか席を確保する事が出来た。
「こんなお洒落な店が出来ていたのか。知らなかった」
「先週オープンしたみたいですよ」
「流石、若者は情報収集が上手いな。私みたいな年寄りには敵わんよ」
「部長もやりましょうよ、SNS」
「ハハハ。娘に引かれるから止めておく」
そんな話をしていると、二人の前に美味しそうな料理が並ぶ。

料理を口に運びながら話を続ける。
「神塚。仕事は楽しいか?」
「はい。部長をはじめ、皆良くして頂いていますし、やりがいもあるので」
「そうか。ずっと心配していたんだよ。特に半年前辺りは」
「…ええ。色々ありましたから。あの時はご迷惑をおかけしました」
「若いうちに色々と経験したり、落ち込んだり、失敗したりすることは自分の財産になる。
神塚はそれを経験して、今では乗り越え、こうして私をランチに誘う程になった。私はそれだけで嬉しいよ」
「部長…」
「まあ。あとは来期企画のお前の成果物に期待するだけだがね」
そう言いながら、部長は紳士な動きでパスタを口にしていく。
「うぅ。結果で応えられるよう精進します」
「それで良い。んっ、電話か。全く、お昼に電話してくるなよな。失礼」
部長はすぐさま胸ポケットから携帯を取り出すと、話をしながら、店を出て行った。

確かに、半年前の春は人生で一番落ち込んだ。
夬皇があんなことになって狼狽したし、いっぱい泣いたりもした。
でも、今はそこまで悲観していない。
それは自分が成長したためなのかもしれない。
夬皇の記憶も戻りつつあることがわかっているのも大きい。
勇緋はそんな事を思い出しながら、食事を終えた。

しばらくして部長が戻って来た。
「よしっ。そろそろ行こうか」
「はい。あれ、お会計は?」
「もう済ませてある。行くぞ、神塚」
「…えっ、あ、はいッ!」
勇緋はすぐに ご馳走様でした と口にしながらも、スマートな振る舞いに憧れの念を抱いた。
口に出して かっけぇ と言いそうになったが、寸前で抑えた。
これが目指すべき大人像なのだろう。

職場に戻った勇緋は昼休みが終わる直前までSNSを見るのを日課にしていた。
だが、ふと、彼の目に飛び込んで来た記事に言葉を失う。

《大人気〇〇アウトレットの観覧車・撤去予定か》

それに紐づくスレッドにも沢山のコメントが寄せられていた。
【マジで? なんで?】
【撤去しないでよー】
【子供と毎回楽しみにしていたのにー。やだー】

「そんな…」
夬皇へ初めて想いを伝えた想い出の匣。
初めて彼の柔らかな唇に触れたあの瞬間が詰まった場所。
それがもうすぐ、この世から消えてしまう?
二人にとって大切な場所が無くなってしまう。
多分あの場所が無くなってしまったら、夬皇の記憶がずっと戻らない気がする。

勇緋は携帯画面から視線を逸らす。
その目に強い意志を宿して。
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