エイプリルフールの彼女(連載版)

日本語わかりま銑十郎

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5話「また春がはじまる」

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  1.

「おーいケイ。さっさとしねーと購買売り切れちまうぞー」
「うーい」

 僕は土井に急かされるままに、席を立つ。

 僕は高校生になった。

 土井にいわせれば、市内では一番マシ。偏差値五十なかばの県立高校に進学した僕と土井は、偶然にも八クラスあるうちのおなじクラスに配属され、こうして休み時間は一緒に過ごしている。
 二人とも卓球はやめてしまい、土井はESSとかいうよくわからない部に、僕はどこにも所属せずに帰宅部をしている。

 階段を降り、購買へ。すでに人だかりができていた。

「ほら見ろい、もーメロンパンぐらいしか残っとらんわこりゃ」
「いいじゃん、好きだよ。メロンパン」
「かーつっ! そーゆーこといっとんじゃないわい! お前もノロノロしてたら、競争社会に置いてかれるぞ」
「競争って、いつからそんな性格になったんだ」

 前はもっとのんびりしてたような、

「俺は歯学部はいんなきゃならんしな」
「あー、土井歯科の跡継ぎ」
「しかも国立しか認めてくんねーの。どっこもかしこも偏差値六十越えだぜ、嫌になるわい」
「家業が歯医者だと大変だな」
「ケイんとこは普通のサラリーマンだっけか?」
「うん。じいちゃんは町工場やってるけどたぶん継がない。就活失敗したら考えてもいいかな。でもその頃には廃業してるかも。じいちゃんもぉ年だし」
「お気楽だなー、どーりで購買競争もノロいわけだ」
「関係ないだろ」

 いいつつ、列は進み僕らの順番が来る。

「お、焼きそばパン一個残っとるわ」
「珍し」
「じゃんけんするかい?」
「いや、土井にあげるよ。僕メロンパン好きだし」
「け、競争社会の負け犬め」
「んだよ、それ」

 せっかくひとが譲ってやったのに。

 僕はメロンパンとあんぱんを、土井は焼きそばパンとジャムパンを購入した。
 自販機で八十円のよくわからない二百ミリリットル紙パックの乳酸菌飲料を購入し、中庭のベンチが満員だったのでそばにある花壇の縁石に腰かける。

「でさー、クラスマッチどーするよ」

 土井がいった。

「僕は卓球にするつもりだけど。卓球部が出てこないから、経験者の僕ら有利じゃん」
「でもさー、卓球って女子ウケ悪くないかい?」
「そんなの気にする? だいたい、さんざん競争とかいってたくせに、女にうつつ抜かしていいのかよ」
「バッカ、彼女がいるとなー、励みになんだよ。勉強頑張れんだよ」
「そうかな?」

 むしろ、勉強なんて手につかないと思う。
 ずっと彼女のことばかり考えて……、

 加奈ちゃん、いま頃どうしているだろう。

「お前、加奈さんのこと考えとったろ?」
「なっ」

 図星だった。

「ったく、残念だよなー。お前にはもったいないくらいの彼女だったのに」
「……」
「でもま、そーゆーのが青春だわ、セーシュン。あー、俺も高校生のうちに一度くれー彼女つくりてーわ」

 土井はそういうと、

「てわけで俺はサッカーにするわ。俺、小坊のころちょっとだけやっとったしな。サッカー部おらんならそこそこやれるだろ」
「そうか」

 あいにく僕はサッカーが大の苦手だった。
 野球とかテニスとか、手を使う競技ならまだなんとかなるんだけど、足はどうも。現役のころだってフットワーク苦手だったしな。

「先輩見てくれっかなー」

 土井がぼそりといった。

「ESSの? 好きなの?」
「アホ、ちょっと憧れとるだけだい」
「好きなんじゃん」
「ちゃうわい、だいたいなー、先輩はダメなの」
「なんで?」
「卒業しちゃうだろーが」

 土井がぼんやりと遠くを見つめた。

「先輩が大学生になって一番楽しいときに、俺ってば受験だろ? うまくいくはずねーよ」
「そうかな?」
「ぜってーそーさ。だから、上級生なんてただの飾り、本命は同級生よ」
「いるの?」
「候補は十二人」
「多いね」
「まー、高校の恋愛なんて遊びみてーなもんだし、そこそこかーいくて性格がよけりゃーだれでもなー」
「先輩は?」
「飾り」
「遊びならいいんじゃない」
「遊びやなんて思えんわい」
「……そっか」

 沈黙。

「俺は本気の恋愛がしたいわけじゃーねーんだ。ただ、卒業までの三年間を楽しく消化したいだけや。やけん先輩じゃダメなんじゃい」

 土井のため息が、やたらと耳にのこった。

  2.

 クラスマッチの競技は、サッカー・バスケ・卓球。各部活動に所属している生徒は別の競技を選択しなくてはならない。
 僕は卓球経験者だが、卓球部員ではないので卓球も選択できる。

 卓球は二人から四人までの団体戦で、シングルス二つとダブルス一組で行う。
 会場の武道場には卓球台が四台置かれ、男女それぞれ二台ずつ使うらしい。

 僕のチームは、僕のほかに経験者が一人と、未経験者が一人の計三人。僕のクラスから卓球に出場するのは男女あわせてこの一チームだけで、卓球ってマイナースポーツだったんだなぁと僕は実感した。

「にしても、なんというか」

 僕は顔ぶれを見て苦笑した。

 卓球の会場である武道場にいる男子のはんぶん近くがどこかで見たような顔、つまり中学時代卓球部だったやつらだ。

「おーケイ、北高やったんか」
「あ、先輩」

 僕の一年うえの先輩だ。中学時代はなにかとお世話になった。

「今日は負けんからな」
「お手柔らかにお願いします」

 そうはいったが、負ける気はしなかった。

 僕は一年のブランクだが、先輩は二年だ。
 それに、すこし練習で打ってみた感じ、意外と昔の感覚がのこっていた。角度打ち一辺倒のシンプルな戦型だったのが良かったのかもしれない。

 だから、僕の本当の敵は一人だけだ。

 僕の視線の先には、元・開陽中の東がいた。
 総体個人戦、僕の最後の対戦相手。

 これまでの学生生活のなかで彼を目にする機会がたびたびあったので、おなじ学校だということは知っていた。
 でも、卓球をやめているとは思わなかった。

 あれだけ強かったんだから、当然、卓球部にいるはずだと思っていたのだ。だが、こうしてクラスマッチで卓球を選択しているということは、そうではなかったということだ。

 僕はなんともいえない寂しさとともに、ある衝動を感じた。

 東に勝ちたい。
 最後の大会での無念を晴らしたい。

 まもなく、クラスマッチがはじまる。
 僕と東があたるとしたら、決勝戦だ。それまで負けるわけにはいかなかった。

 参加チームは二十六チーム。僕らは抽選の結果たまたまシードにはいったので、三勝すれば決勝まであがれる。
 僕ははやる気持ちをおさえ、武道場のはじっこに座りこんだ。僕の試合はまだだった。

 それにしても、試合展開がはやい。
 サーブもまともに打てない初心者はともかく、経験者だって、昔の感覚で難しい球を打とうとしてミスを連発している。結果、ラリーがほとんどつづかず、スコアボードの数字がめまぐるしく動いていく。

 二十六チームのトーナメントを一日で消化するのなんて無理だと思っていたけど、これならあんがい昼過ぎには終わってしまうかもしれない。

「あ、ケイじゃん?」

 声をかけられた。女子の声だった。
 僕はその方向を見た。

「あ、高橋さん」

 クラスメイトだった。

 高橋さんを一言であらわすなら『イマドキのJK』だ。校則違反ぎりぎり(アウト)のダークブラウンの髪に、天然だといい張るゆるいパーマ。今は体操着だが、普段は制服を軽く着くずし、スカートもひざ上まで折りこんでいる。

 正直、クラスであまり目立たない僕とは対極に位置する存在で、あまり得意ではないタイプだった。しかしたまたま席が近く、休み時間や放課後のふとしたときに話しかけられることがたびたびあった。

 僕のとなりに腰をおろした高橋さんに、僕は問いかける。

「あれ、でも。うちのクラスって、女子、卓球でないんじゃなかったっけ?」
「んー。わたし見学だから」
「具合悪いの?」
「そうゆうわけじゃなくて、わたし、生まれつきからだ弱いからさー、体育とかはいつも見学」
「……ああ」

 知らなかった。
 体育は基本、男女べつなので、そういう事情には疎いのだ。

 僕はどう反応していいかわからず、ただ曖昧な返事をした。
 高橋さんはぎこちなく苦笑する。

「あー、気にしなくていいよ。わたしにとって普通のことだし」
「そ、か」

 気にするなといわれたって、気にしてしまう。だけど僕は努めて気にしないようにした。

 話を変えようと、話題を探る。
 ちょっと考えて、僕はいった。

「でも、どうして卓球? 友達の応援に行ったほうが、楽しいんじゃないの?」
「んー。サッカーとか、バスケとかは、見ているだけで疲れちゃうから、かな? 卓球ってあんまり動かないし、見ていてラクじゃん?」
「うーん、」

 そんなことないんだけどな。

 たしかに、卓球は楽をしようとすればいくらでも楽をできる。卓球台なんてちいさいから、手打ちをすれば一歩も動くことなくほとんどの球を返球できる。浴衣にスリッパでも楽しめるような、非常にお手軽なスポーツなのだ。

 でも、本気でやろうと思ったら、限りなくしんどい。

 サーブを打ってしまえば、あとはどちらかが得点するまでノンストップ。わずか一メートルほどの距離をピン球がはげしく往復し、頭脳と肉体を極限まで活性化させ全力を出しつくす。卓球とは百メートル走をしながらチェスをするようなもの、とはだれの言葉だったか。それほど過酷なスポーツなのだ。

 とはいえ、そんなこと、高橋さんに熱弁したってしかたがない。
 だいたい、目のまえで繰りひろげられている試合があまりにもお粗末すぎて、これじゃあなにをいったって説得力がない。羽子板と同レベルのアクティビティだと思われてもしかたがない。

 それから、僕はしばらく高橋さんとの会話に付きあった。そうしていると、僕のチームの順番がきた。

「じゃあ、僕、試合だから」
「応援してるねー」
「ああ、うん」

 僕は二、三度、首だけでお辞儀してから、逃げるように卓球台へむかった。

 僕たちの相手は三年生だった。
 僕の相手はおそらく経験者。学校の備品ではなく、自前のラケットを持ってきている。遠目にはよく分からないが、おそらくシェイクハンドのラケットに裏ソフトと表ソフトのラバーを貼っている。

「よろしくお願いします」

 相手のサーブ。ひと目見て、経験者だと確信した。フェイクをまじえた巻きこみ系の下回転サービス。だが、あまい。

 僕は相手の浮いたサーブを強打。相手が返せるはずもなく、僕の得点となった。

 その後の展開は一方的だった。
 相手はおそらくドライブを主体に戦う攻撃型。僕は相手の攻撃をすべて台上でこまかく捌き、パワードライブを打たせないようにする。それだけで、あせった相手はミスを連発した。

 その後、ダブルスも勝利して、消化試合のシングルス2も勝利した。完勝だった。

 試合を終えた僕は、ふたたび武道場のはじに座ろうとして、困った。どうするべきかわからなかった。

 さっきまで座っていたあたりには、あいかわらず高橋さんがいる。試合のまえ、僕たちは一緒に雑談していた。だから、彼女のもとに戻るべきかもしれない。

 だが、べつに僕と高橋さんは親しいわけではない。さっきはたまたま、高橋さんの気まぐれで話しかけられただけなのだ。だから、僕が馴れ馴れしく彼女のもとに近づいたら、変に思われるかもしれない。

 迷ったすえ、僕は彼女から一メートルくらい離れて座ることにした。
 すると、それに気づいた高橋さんがこちらにいざり寄ってきた。

「なんで離れるの?」
「えっと。」

 僕は返答に窮した。

 なんでと訊かれても困る。
 きっと、高橋さんには僕のことなんて理解できない。

「わたし、迷惑だった?」
「そんなこと、」

 ない。とはいい切れなかった。

 正直、高橋さんの相手をするのは疲れる。緊張もするし、気だって遣わなくちゃいけない。話題には困るし、なんというか、おっかなかった。

 だが、そんなことを正直にいえるわけがなかった。いえるなら、そもそもこんなことで悩まない。
 僕が黙っていると、高橋さんはあきれたように、

「ケイって付きあい悪いよね」

 単刀直入だった。

 僕は笑ってごまかそうとするが、高橋さんがじーっとこちらを凝視してくる。目をそらすわけにもいかず、かといって直視することもできず、僕の視界が彼女の周囲を落ち着きなくさ迷っていた。

「でもまー、それぐらいのほうがラクかもね」

 高橋さんはなにか納得したようにつぶやくと、視線を天井を見上げて、僕を困惑から解放した。

 安堵からか、自然に深いため息が漏れる。すると、高橋さんがむっとした表情で、

「そうゆーの、やめたほうがいいよ」
「え?」
「女子の前でつまんなそうにするの。百ポイント減点だから」
「減点?」
「そ。女子の評価は減点方式。マイナスポイントはどんどん加算されて、しかも一生消えないんだからね」
「プラスポイントは?」
「基本なし。親切はされて当たり前だと思ってるもん。だから、減点方式」
「それは、」

 なんとも。

「面倒なのよ、女子って。ホントいうと、わたしが卓球を観にきたのだって、知ってる女子がいないからだもん。女子がいたら、無理やりキャピキャピしなくちゃいけないのがしんどいし、反感買わないよーにするのがメンドイし、だから、こっちに逃げてきたのよ。それで暇だから、ケイに絡んでるの。面倒でしょ、女子って? わたしも含めて、ね」
「高橋さんは。なんていうか、達観している、ね」

 僕がいうと、高橋さんはわざとっぽく笑う。

「それ、わたしが冷めてるっていうこと?」
「そういうわけじゃ、」
「正解」

 高橋さんは顔にべったりと笑みを張りつけたまま、おもむろに武道場の薄汚れた天井を仰ぎ見た。

「え?」
「わたし、昔から体弱くて、入院することも多かったし、体育なんかは隅っこで見学だったからさ。一人でいる時間、長かったのよね。だからか知んないけど、自分を客観的に見てるってゆーか、自分の汚い部分を気にするだけの暇があったってゆーか、まー、そんな感じで。冷めちゃったのよ、まったく」

 自嘲するような笑みだった。
 彼女はたぶん、いつもこういう感情を隠したまま、笑みを浮かべていたんだろう。

 そして、高橋さんはちらりと横目で僕を見ると、

「ケイは、ラクでいいね」
「え?」
「気を遣わなくてもいーじゃん。それに、ウザい絡みもないし。まー、いちいちキョドんのはキモイけど」
「キモ……?」
「冗談。傷ついた?」
「あ、いや。ドキリとはしたけど」

 女子にそんな物いいをされたのは初めてだ。普通、そういうことは思っていても口にしないものだ。

 でも、不思議と悪い気はしなかった。
 もしかして、僕にはMの気があるのだろうか。

 僕がそんなことを思っていると、高橋さんが不意に、

「ねー、ケイ。わたしたち、付き合わない?」
「へ」

 なにをいきなり。
 僕は頭が真っ白になり、高橋さんは楽しそうに笑う。

「冗談。べつにわたし、あんたのこと好きじゃないし」
「ひど」
「でもまー、まるっきり嘘ってわけでもないかな?」
「?」

 意味がわからない。

「好きでもないけど、嫌いでもないって感じ? ケイならべつに付き合ってもいっかなって、そう思っただけ。ケイって軽くはないけど、メンドくもないから。ちょーどいいかなって」
「……」

 ちょうどいい。
 ふと、このまえの土井を思い出した。

 そこそこかーいくて、性格がよければだれでも。
 もしかしたら、高橋さんがいっているのもそんな感じなのかもしれない。

 好きとかそういうのではなく、ただ寂しさとか、退屈さとか、味気なさとか、そういうものを誤魔化したいだけなのかもしれない。

 高橋さんは照れくさそうに笑い、

「ただの冗談なんだから、そんな真剣に考えないでよ。こっちが恥ずかしくなるじゃん」

 僕の沈黙を彼女はそう受け取ったらしい。べつに、高橋さんとの交際について考えていたのではないのだけど。

 でも、否定するとかえって疑われそうなので、僕はおざなりに頷く。
 まもなく、僕たちの試合の順番がまわってきた。

  3.

 僕たちはつづく第三試合をあぶなげなく勝利した。
 そして、第四試合と決勝をのこして昼休憩となった。

「おーう、ケイ。調子どうだ?」

 教室にもどる途中、えらくご機嫌な土井と鉢あわせた。

「土井は? サッカーどう?」
「まだ勝ちのこっとるぞ。おなじクラスの……えーと、長谷川だっけ」
「ああ、バド部の」
「そー。そいつ、中学でサッカーやっとったらしくて、めちゃくちゃスゲーの。七人ぐらいごぼう抜きだぜ?」
「たしかにすごいな、それ」

 長谷川は中性的な顔だちながら身長もそこそこ高く体つきもガッチリしている。さぞ黄色い歓声が沸きあがったことだろう。

 僕がそんなふうに思っていると、土井は嬉しさと恥ずかしさを表情のうえで拮抗させながら、

「俺もな。決めたんだ、ゴール」
「すごいじゃん」
「そんでな、その試合、先輩が見とってさ」

 土井はこれ以上ない笑顔で、

「かっこよかったって、いってくれたんだよ」
「そっか。よかったな」

 僕は土井に微笑みをむける。

 土井は本当に先輩のことが好きなんだと、僕は思い知った。
 それでいて、先輩のことを諦めてしまっている土井の気持ちを考えると、なんだか胸が締めつけられたように、息が苦しくなった。

 僕なら土井のように笑えるだろうか。
 僕なら土井のように諦められるだろうか。

 わからない。

 いや、

 僕はたぶん、いまだに加奈ちゃんのことを諦められていないのだ。
 だから土井にあわせて笑う自分の声が、こんなに空虚に感じられるのだ。

「お、そういや」

 土井がふと真顔にもどった。

「まだお前の結果きいてねーぞ。まさか、負けてねーよな?」
「うん。勝ってるよ」
「そっちはどーだ? 女の子にカッコイイとこ見せられたか?」
「そもそも、参加者以外の観客がほとんどいないよ。みんなサッカーとかバスケとかにいってるんじゃない?」
「あー、やっぱかー。卓球にせんでよかったわ。いっとくけど俺、このクラスマッチで二人の女子と仲良くなっとるからな」
「まじか」

 先輩がどうとかいっておきながら、ちゃんとやることはやってやがるのだ、この男は。

 まったく心配して損した。
 僕があきれてため息をつくと、土井はそれを落胆ととらえたのか、これ見よがしにからかってくる。

「卓球なんか選ぶからだぜ? 俺と一緒にサッカー選んどきゃよかったのに」
「僕がサッカーやったって下手くそをさらすだけだよ」
「下手くそでもいーんだよ。とにかく女子と会話する機会だってあるし、そしたらチャンスだってあるじゃねーか」
「べつに、僕は」

 チャンスなんていらない。
 だって、

「やっぱり、加奈さんのことが忘れられねーのか?」
「っ、」

 僕を見る土井の目は、心配しているようだった。

「そんなことないよ」

 せいいっぱいの強がりだった。

 わかっている。
 加奈ちゃんにはもう会えない。

 どこに引っ越したのかも知らない。連絡先だって知らない。
 だから、僕はいい加減、諦めなくてはならない。

 でも。

 たぶん、そんなに簡単に諦められるなら、はじめっから恋になんて落ちない。
 簡単にはぬけ出せないから、落ちるというのだ。

 ぬけ出そうと思うなら、それこそ、べつの恋にでも落ちるしか。
 そう考えて、僕の脳裏に高橋さんの顔が浮かんだ。

 いや。
 首を振る。

 いってたじゃないか。冗談だって。高橋さんは僕をからかっただけなのだ。

 でも、付きあってもいいともいっていた。
 それが本心なのかはわからないが、もしかしたら、頼めば彼女になってくれるかもしれない。

「なんて、」

 なにを考えているんだ、僕は。

 そんなの、高橋さんに失礼だ。
 加奈ちゃんのことを忘れたいばっかりに、彼女を利用するなんて。

  4.

「ケイってけっこう卓球うまいんだ?」

 僕たちのクラスは第四試合に勝利し、もどってきた僕に高橋さんがそういった。

「うん、まー、中学のころ卓球部だったからね」
「へー、じゃあ、優勝じゃん」

 なんでもないことのように、高橋さんはいう。

「そんな簡単じゃないよ。つぎの相手、強いし」
「でも、まだ試合中だし、どっちが上がってくるかわかんないじゃん」
「決まってるみたいなもんだよ。中学時代、市で三番目くらいに強かった相手だから」
「へー、ケイは?」
「最高でも、ベスト十六」
「じゃー無理じゃん」

 がくっ。
 身もふたもない一言に、僕は肩をおとす。

 いや、それはそうかもしれないけど。でも、

「無理だからこそ、勝ちたい……」

 思わず口から願望が漏れた。

 高橋さんが呆れるような、呆けるような、なんともいえない目で僕を見てくる。
 僕はあわてて、

「ごめん、へんなこといって」
「いいじゃん」

 ぼそり、と高橋さんがつぶやいた。

「え?」
「いいじゃん。無理だからこそ勝ちたい。カッコイイじゃん。なんか漫画のセリフみたい」
「え、あ」

 予想外の反応に、僕は恥ずかしくてたまらなくなる。

 僕はなんてカッコつけたこといってしまったんだ。
 高橋さんのこの反応だって、おもしろがって茶化しているだけに決まってる。

 そう思って、おそるおそる覗きこんだ高橋さんの表情があまりにも真剣だったから、僕は思わず息をのんだ。

 高橋さんは真剣な表情のまま、ぽつり、と。

「なんか、ショックだな、わたし」
「え?」
「ケイって、わたしと同類だと思ってたもん。いつもうわの空で、青春なんてどーでもいーって感じで。もの寂しそうで、ぼーっとしてて。スレてるってゆーの? わかるでしょ?」
「それは、」

 きっと、僕はまだ気持ちの整理ができてないのだ。
 加奈ちゃんのいない高校生活を楽しむ覚悟ができていないのだ。

 だから、高橋さんにそう思われたのだ。

「正直、裏切られたキブン」

 高橋さんは体操ずわりしたひざに、ほほを押しつけながら、ため息まじりにいった。

「……」

 僕がなんて返せばいいのかわからなくて黙りこんでいると、高橋さんは自嘲じみた苦笑をこちらにむけながら、

「ね、メンドくさいでしょ、わたし」

 人なんて、みんなめんどくさい。そう僕は思う。

 僕なんて、もう一年近くも会ってない加奈ちゃんのことをいつまでも忘れられず、こうしてうじうじしているのだ。

 僕だけじゃない。土井は本当は先輩が好きなくせに、その気持ちをごまかそうとしている。
 きっと、みんなキラキラと青春を謳歌しているように見せかけて、実際のところはめんどうなことでいっぱいなのだ。きっとそうだ。

 だから、

「そんなもんだよ、みんな」
「え?」
「みんな、思ってるほど、そんな純粋に青春してないんじゃないかな。みんなめんどうくさいけど、それを隠しているだけだよ。高橋さんは、普通だ……と、思うよ」
「んー。そっか、な」

 高橋さんはすこし考えたあと、

「でも、やっぱりわたしってメンドーだと思うなー」
「たしかに、そのめんどうな女子アピールはめんどうだと思う」
「アピールじゃないしっ」

 高橋さんはいじけたように唇をとがらせ、僕はなんだかおかしくなって笑った。

「もー、笑うな!」
「ごめん、ごめん」

 高橋さんに小突かれ、僕はあやまる。が、どうしても顔がにやけてしまう。

「もー、ケイなんて嫌いっ!」

 高橋さんはぷいっと顔をそむけ、数秒そのまま静止したあと、ゆっくりとこちらにむくと、伏し目がちに僕をちらちらと覗きこみながら、

「でも、ありがとね。ちょっとラクになったかも」

 そう彼女がいうのと同時、目のまえの試合が終わり、そして、つぎはいよいよ決勝だった。
 東への一年ごしのリベンジだった。

  5.

 ふつう、スポーツというのは勝ちすすんでいけばいくほど、それに比例して注目度は高まっていくものだ。

 だが、このクラスマッチ卓球部門だけは別だった。

 そもそも、観客なんて最初っからいない。
 むしろ、試合が進めば進むほど、敗退した選手がほかのクラスメイトのいるサッカーやバスケの応援に行くので、武道場は寂しくなるばかりだった。

 女子の部のトーナメントはいつのまにか終わっていたみたいで、のこすのは男子の部の決勝のみ。

 いまこの武道場にいるのは、僕のチームのメンバーと、東のチームのメンバーと、あとはほかの競技に興味がない卓球選択者が数人。それ以外には高橋さんぐらいのものだ。

 ほとんどの生徒にとって、この試合でどちらが勝とうが些細な問題であり、ぶっちゃけどーでもいいのだ。僕がクラスマッチで優勝したところで、クラスの連中のほとんどは「ふーん、卓球なんてやってたんだ」ぐらいの反応しかしないだろう。ほんとうに、どうでもいい試合なのだ。

 でも、僕にとっては、このうえなく重要な試合だった。

「ケイをシングルス2にしよう」

 だから、チームメイトにそう提案されたとき、僕は唖然とするしかなかった。

「シングルス1をこいつにやらせて、ダブルスとシングルス2で取りにいこう。それが確実だ」

 その作戦は単純だった。チーム唯一の初心者を捨てごまにして、ダブルスとシングルス2を経験者ふたりで取るというものだ。

「でも、」
「ケイだって、卓球やってたなら開陽中の東のことは知ってるだろ? 勝てっこねーって」

 知ってるもなにも。
 僕の因縁の相手だった。

 なんとか反論の言葉を探そうとする僕にむかって、チームメイトはさらに追い打ちをかける。

「俺さ、中学時代は一回戦に勝てたらラッキーみたいな腕でさ、優勝なんて縁がなかったんだよ。だから、いっぺんぐらい優勝してみたいんだよ」

 そういわれると、僕はなにもいい返せなかった。

 団体戦はチームの勝利を目指して、最善のオーダーを組むべきなのだ。そこに、個人のわがままはあってはならないのだ。

 東へのリベンジはあくまで僕の個人的な願望に過ぎない。
 でも、それを押しとおすことは僕の信条に矛盾する。それでは……あいつと変わらない。かつて僕が軽蔑した恩師、飯塚武蔵とおなじだ。自分のわがままを勝利よりも優先させたらだめなのだ。

 だから、

「うん、わかった」

 僕は頷くしかなかった。
 オーダー用紙のシングルス2に自分の名前を書きこみ、審判に提出する。

「オーダーの確認をします。シングルス1、」
 僕たちは相手チームと卓球台をはさんで対面し、審判の数学科教師が淡々とオーダーを告げる。

「え」

 相手チーム僕はあっけに取られる。
 審判の教師が告げた名前は東のものではなかった。

 東は?

 ダブルス。
 そして、

「シングルス2、一年A組東――」

 続いて、僕の名前が呼ばれる。
 卓球台のむこうで東がニイっと笑う。

「なあ、オーダーの相談はもうちょっと小声でやったほうがええで。こっちまでまるぎこえやったわ」

 東は耳もいいみたいだった。
 僕は、

「……」

 だれにも見えないように、ちいさく拳をにぎりしめた。

 喜んじゃいけない。
 喜んじゃいけないのに。

 胸のおくが燃えるように熱かった。

 東と再戦できる。
 それだけがこの上なく嬉しかった。

  6.

 シングルス1は当然のように負けた。ダブルスも、オーダーを外した相方が完全にやる気をうしなってしまっており、勝負にすらならなかった。

 シングルス2。僕が勝とうが負けようが関係ない、ただの消化試合。

「試合のまえに、ラリーしよや」

 東がそう提案した。

 クラスマッチということもあり、試合前のラリーやラケット交換は省略されていた。審判の教師はしぶったが、「時間あるんやし、ちょっとくらいええやん?」という東の言葉に反論できなかった。

 サッカーやバスケに比べて、卓球の進行速度はきわめてはやい。サッカーなんて昼休みの時点でまだ準々決勝すらはじまってなかったのだ。

 カコン、カコン。ピン球を打ちあう音が、静かな武道場にこぎみよく響く。

 遠くからきこえてくるサッカーの応援の音。外でなくセミの声。大気がうごく音。
 ここだけが、別世界だった。

「ラストで」

 東の声に、僕は頷く。
 長い、長いラリーを終え、ラケットを交換する。

 僕も、東も、あのときのままだ。あの総体で戦ったときと、おなじだった。さすがに、ラバーは目に見えて劣化していたが、それでも、あのころと一緒だった。

 じゃんけんをして、サーブ権を獲得。
 そして、試合がはじまる。

 二セット先取の三セットマッチ。
 中学時代、五セットマッチが基本だった僕の感覚からすると、やや物足りない。

 だけど、それで十分だ。
 あの日の雪辱を果たすチャンスがやってきたのだ。

 僕は左手にピン球をのせ、軽くトスをあげる。
 高くあがったピン球がゆっくり落ち、

 試合がはじまった。

 僕の繰り出した下回転サーブを、東がフォア側に強打する。僕は飛びつきぎみに角度打ちで強打。手打ちだったので威力はでなかったが、フォア側に飛び出していた東の逆サイドを突き得点となった。

「あれがはいるか?」

 東があきれたようにいった。

「現役のころより強なっとるんちゃう?」

 そんなわけがなかった。
 もし、東がそう感じたとすれば、それは僕が強くなったんじゃなくて東が弱くなったのだ。

「……」

 僕の胸になんだかよくわからない感情が渦まいた。

 がっかり。失望。
 僕は弱くなった東に勝って、それで満足なのだろうか。

 いや、ちがう。
 僕が勝ちたかったのは、強い東だ。

「……シッ!」

 無回転の高速ロングサーブ。
 東は反応できてなかった。なんとかラケットにあてただけの返球は、あさっての方向に飛んでいった。

 2点連取。
 一年前の東なら、あんなサーブ苦にしなかっただろう。それどころか、強烈な返り討ちを僕にあたえただろう。

 東は弱くなっている。
 当たり前だ。一年のブランクがあるのだ。弱くなって当然なのだ。

 だけど、僕はそれが無性に悲しかった。腹立たしかった。あんなに強かったのに、どうして卓球をやめてしまったんだと問い詰めたかった。

 自分でもうまく説明できない。
 とにかく、むかついた。

 そんな僕の視界のなかで、東はサーブを放つ。東が得意とするYGサーブ。しかし、

 ピン球が消えた。いや、卓球台のしたでピン球が乱反射する音がきこえる。
 サーブミスだ。それも、打球が真下に落ち、卓球台にすら届かない大エラー。

 そもそも、YGサーブというのは難易度が高い。だから、今日のクラスマッチで東はほとんどYGサーブを使わず、オーソドックスな巻き込みサーブを使用していた。

 対戦相手が僕だったから、東は得意だったYGサーブを使ったんだろうが、それがあだとなった。もはやYGサーブは東の得意サーブではなくなっていたのだ。

 東の劣化は決定的だった。

 その後も、東は致命的なミスをくり返した。もちろん、ところどころに過去の輝きの片りんは残っていたが、それ以上にミスが多すぎた。

 結局、一セット目は11‐6で僕がとった。

 そしてむかえた二セット目、東のサーブ。
 東が笑った気がした。

 YGサーブ。
 強烈なスピンをまとった弾丸が僕のフォアサイドに突きささった。僕はフォアでそれを払おうとするが、回転に負けネットに阻まれる。

 このとき、僕ははっとした。
 東の怖さを思い知った。

 東は一セット目を捨てたのだ。
 三セットマッチのこの短期決戦で。

 そして、一セット目を捨てたことで手に入れたのは、かつての輝き。

 ところどころにその片りんはあった。
 だが、それは残っていたのではない。
 取りもどしつつ、あったのだ。

 いま思えば、一セット目の東は無謀だった。高難度の技を使おうとして自滅していた。

 ふつうなら、手堅くいく。僕だって、角度打ちでの強打は控えている。だって、失敗するリスクのほうがおおきいから。全盛期なみに上手くいくはずがないから。

 でも、東は一セットを捨てるリスクを負ってでも、成長する可能性にかけた。
 その結果が、さっきの全盛期なみのYGサーブだ。

 それからは東のペースだった。
 勝てるわけがなかった。

 一年のブランクのまま戦っている僕と、そのブランクを埋めようと成長している東の戦いなのだ。
 もちろん、東だってまだ完璧じゃない。ミスだって多い。だけど、それでも東のペースだった。それぐらいの差があった。

 僕もねばる。ねばらなくちゃいけなかった。
 このセットを落としたら、つぎはさらに調子をあげた東と戦うことになる。そうなれば勝利は絶望的だ。

 一進一退。
 勝負はデュースにもつれ込み、そして。

 15‐17。僕は二セット目をおとした。

「くそっ!」

 僕は思わず、そう吐き捨てる。
 落としたらいけないセットだった。

 もう、勝てない。

 ああ。
 集中力がきれた。周りの雑音がやけにきになった。

 だめだ。
 集中していたら、まわりの音なんてきこえなくなるはずなのに。

 こんなにも、音が――


「がんばって!」


 僕はその声をきいて、うしろを振り返った。
 高橋さんが、真剣な表情で、僕を見ていた。

「がんばって! がんばって!」

 高橋さんはただ声を張ってそう繰り返した。

 僕は驚いた。

 こんな僕を応援してくれるひとがいるのか。

 がんばろう。最後まで必死に立ちむかおう。そう思った。

 でも。
 がんばるっていったって。
 どうやったらいいんだ。

 相手は僕より強い。総体のときみたいな無茶はできない。あんな博打、いまの僕の実力じゃ成功しない。

 一本集中。
 ふと、その言葉が浮かんだ。

 そうだ。集中するしかない。目先の一本にがむしゃらになって、それを積み上げていくしかないのだ。

 僕のサーブ。フェイクもなにもかけない、ただ打っただけの順回転サーブ。ただし、低く、短く。相手に強打されないことだけを意識して。

 東はプッシュで返球。僕はそれをバックサイドに軽く払い、東はブロックする。球が浮いた。でも、僕は全力で強打しない。いまの僕じゃそれは確実ではない。僕は失敗しないように、七割の力で東のバックサイドに打つ。それを東がブロックする。そして返ってきた球を……その繰り返し。粒高の試合によくある展開だった。

 しびれを切らした東がまわり込もうとした。その動きを僕は見逃さなかった。
 フォアサイドに振り、逆をつかれた東は反応できなかった。

 1点目。

 僕は深呼吸したあと、サーブを打つためトスをあげる。
 東は僕のサーブを強打してやろうと前のめりになっている。なら、

 高速ロングナックル。
 僕のサーブは東のバックサイドに勢いよく突き刺さり、東は返球できなかった。

「っしゃあ!」
 僕は吠える。

「くそっ!」
 東も吠える。

 あのときの熱が、中学時代とかわらない熱気が、そこにあった。

 東のサーブ。得意のYGサーブ。
 僕はそれをツッツキで返す。東は待ってたとばかりにフォアで強打。僕はそれに、

 反応した。
 なんとか見えた。

 そもそも、粒高ラバーは強打に向いてないのだ。
 だから、僕でもなんとか返せた。

 ただピン球をラケットに当てただけの威力のない返球。だが、いい場所に飛んだ。東の逆サイドをついた打球は、そのまま僕の得点となった。

 三連取。
 このうえないスタート。

 だが、東だってまだまだこれからだ。
 僕たちは全力でぶつかりながら、一進一退をつづけ、そしてついに。

 10‐9。
 僕のマッチポイントだった。

 東のサーブ。
 東はさすがにここでリスクのあるYGサーブを打つ勇気はないのか、より確実な巻き込みサーブを放つ。横下回転。僕はそれを東のフォアに強打する。東が体勢をくずしながら返球したピン球は、

「あ」

 世界がとまった。
 そう思った。

 東の返球がネットの上側にあたったのだ。そして、それは勢いを殺しながらも僕のコートに転がってくる。

 ネットイン。

 僕は予想外の展開に反応が遅れながらも、とっさに飛びついた。

 だめだ。僕はそう思った。
 なんとか返せはしたが、その返球は高く浮いたロブ。これじゃあただのチャンスボールだ。

 僕はうしろにさがり、強打に備える。東はラケットを反転させ、裏ソフトで全力のスマッシュを打つために構えている。

 東のスマッシュは高速で床にたたきつけられた。

 アウト。
 そう理解するのに数秒かかった。

 僕の勝ちだ。
 そう理解するのにもう数秒かかった。

 理解したときには、僕は両手を頭上に掲げていた。

 相手のミスだ。
 全盛期の東ならこんなことはなかっただろう。

 わかってる。

 でも、うれしかった。
 最高だった。

「うおおおおおおおっ!」

 さけんだ。
 僕はこのとき、これがただのクラスマッチだということも、ただの消化試合だということも、忘れていた。

 ただただ、勝利を喜んでいた。

  7.

 試合後、東が僕に話しかけてきた。

「いい試合やった。久しぶりに熱くなったわ」
「僕も」

 そういって、僕は東にある疑問をぶつけることにした。

「どうして、卓球やめたの?」
「君もやめとるやん」
「でも、あんなに強かったのに」
「一緒やって」

 東はため息をついた。

「俺が市内で三番手だったってゆーても、じゃあ県内じゃ何番? 全国では? 上には上がおる。むしろ、中途半端に強かったぶん、そうゆう相手を目にする機会もおおかったからな。自分の才能にはとっくに見切りつけとるわ」
「そう、か」

 僕はそう頷くしかできなかった。
 それは僕の知らない世界。僕が二年ちょっと卓球をやっていて知ることもできなかった世界。

 すごいな、と思った。
 そんな世界を知っているだけでも、やっぱり違うのだ。

「じゃー、またヒマなときあったら卓球やろーや」
「うん」

 そういって、僕たちは別れた。

 さて、これからどうするか。
 サッカーでも見に行くか。そういえば土井たちはまだ勝ち上がっているんだろうか。

 そう思っていると、うしろから足音がきこえた。
 振りむくと、高橋さんがいた。

「高橋さ、」
「すごかった!」

 高橋さんが興奮ぎみにいった。

「卓球って、こんなに熱いスポーツなんだ! わたし、ずっとドキドキしてて、こんなに手に汗にぎったの、はじめて!」

 僕は面食らった。
 目のまえの高橋さんが、僕が彼女に抱いていた印象のどれとも合致しなかった。
 要するに、意外だった。

「あの、高橋さん」

 僕は高橋さんにいわなくてはならないことがあった。

「なに?」
「ありがとう。たぶん、高橋さんのおかげだ。高橋さんのおかげで、僕は勝てた」
「え?」
「きこえたんだ。もう諦めようかと思ったとき、高橋さんの応援が。それで、もうすこしがんばる気になれたんだ」
「そっか。でも、それこそ、わたしがお礼いわなきゃ」

 高橋さんはそういうと、

「わたし、はじめて心から『がんばれ』っていえた。付きあいじゃなく、本気でケイを応援したかった。そんな気持ちにさせてくれて、ありがと」
「高橋さん、」

 だから、僕の心に響いたのだと、僕は思った。

 高橋さんの応援が本心からのものだったから、僕は全力で東に立ちむかえたのだ。
 応援のちからの大切さを、あらためて感じた。

 去年、僕が上杉に勝ったときには加奈ちゃんの応援があった。総体で東と善戦したときには上杉の言葉があった。
 そして、今日僕が東に勝てたのは、高橋さんの応援のおかげだった。

 僕もなにか与えられたかな。
 ふと、思う。

 加奈ちゃんに、上杉に、高橋さんに。

「ねえ」

 高橋さんがか細く、しかし、はっきりといった。
 高橋さんと目があった。高橋さんは口をぎゅっと閉じながら、僕をじっと見つめていた。
 高橋さんはしばらくそのまま固まって、やがて気まずくなったのか目をそらすと、おびえるように声を震わせた。

「あ、あのさ。昼休みのまえ、わたしがいったこと覚えてる?」
「昼休みのまえ?」

 高橋さんが具体的になにを指していっているのかわからなかった。高橋さんとはいろいろ話したけど、

「えっとさ。わたし、ケイと付きあってもいいっていったじゃん?」
「ああ、うん」

 僕はどう返せばいいのかわからなくて、ただ曖昧に頷いた。
 高橋さんはもう一度、僕を見た。

「あれ、さ。ちょっとだけ、本気かも」
「え」

 高橋さんは伏し目がちになって、

「今日のケイ見ててさ、なんかドキドキしたってゆうかさ、もうちょっと、ケイのこと知りたくなったってゆうかさ。なんてゆうか、五十パーセントくらい、好き? みたいな」
「それって」

 もしかして。

「わたし、この気持ちの理由をもっと知りたいの。だから、付きあってくれない?」

 もしかしなくても、告白だった。

「……」
「……」

 沈黙。

 だれもいない武道場に僕たちはふたり、ただ黙ってむかいあっていた。

 グラウンドからおおきな歓声がきこえた。
 サッカーでだれかがゴールを決めたのかもしれない。

 僕は、

「ちょっと、考えさせて」
「……ん」

 いまだに加奈ちゃんのことが頭から離れなかった。

  8.

 その放課後、僕は全速力で家に帰った。

 知らなくてなならなかった。
 見なくてはならなかった。

 加奈ちゃんの願いを。

 家に帰って、部屋にあがって、勉強机の引き出しのなかを見た。
 その一番下に、あの封筒があった。

 加奈ちゃんとの最後の賭けで交換した、あの封筒だ。

 開けたら負け。
 中身を見たら、そこに書かれてある願いを叶えなくちゃいけない。

 僕はためらうことなく中身を取り出した。

「あ」

 声が漏れた。

 やっぱり、そうだった。
 加奈ちゃんは僕にこの言葉を残すために、あんな賭けを提案したのだ。


『幸せになってください』


 僕が加奈ちゃんに願ったように、加奈ちゃんも僕にそれを望んだのだ。

 予想はしていた。
 でも、僕は。

 涙がこぼれる。

 加奈ちゃんのことが懐かしくて懐かしくてしかたなかった。
 やっぱり、僕は加奈ちゃんのことが好きなのだ。

 幸せになりたい。
 幸せにならなくちゃいけない。

 それなのに、僕のとなりには加奈ちゃんがいないのだ。

『幸せになってください』
 この願いは呪いだと、僕は思った。

 だって、僕はこのうえない幸せを知ってしまっている。
 それ以外の幸せは、もはや幸せではないのだ。

 たぶん、加奈ちゃんはこんなこと望んでいない。
 僕の思い描いた幸せは、加奈ちゃんの願いとはまったくの逆だ。

 それでも。
 僕の幸せはそれしかないと、僕は思った。

  9.

 翌日。
 僕は放課後の屋上で、高橋さんに頭をさげていた。

「ごめん」
「そっか。わたしこそ、ごめん。わたしなんかに告白なんてされても、迷惑だったよね」

 高橋さんは自虐的に笑う。

 ちがう。それだけは、ちがう。

 僕は、

「高橋さんは魅力的な女性だよ。自分が思っているより、ずっと」
「じゃあ、どうしてダメなの?」

 高橋さんは僕に背中をむけた。声が震えていた。

「それは、」
「ゆっとくけど、同情なんてやめてよ。みじめなだけだから」
「うん」

 わかっている。

「僕は好きなひとがいる。いまは遠くにいて、連絡先も知らないような、そんな女の子だけど」

 僕は一拍おいて、

「百パーセントなんだ。僕は彼女のことが、百パーセント好きなんだ」

 いい終えたあとの沈黙。

 しばらくして、高橋さんはこちらを振りむいた。
 彼女の目には涙が浮かんでいた。だが、同時に笑みもこぼれていた。

「そっか」
 高橋さんはしずかに頷いた。

「うん。ケイってそういう感じだよね」
 もう一度、高橋さんが頷いた。

「百パーセントかー。うらやましいな」
 高橋さんが制服の袖で涙をぬぐった。

 そして、しみじみと語りはじめた。

「わたし、本気になったことがないの。諦めぐせってゆーのかな? なにもかも最初っから諦めて、自分の欲求すらさめた目で見てて。だって、好きって気持ちでさえ、五十パーセントしか持てない女なんだよ、わたし」

 高橋さんは自嘲するような笑みをした。

「だからケイに憧れたのかも。百パーセントのケイに」
「高橋さん、」
「気にしないで。どうせ五十パーセントの想いだから」

 高橋さんは寂しそうに、しかし、晴れ晴れとした表情で。

「うーん、どうせ五十パーセントだし、振られたらあっさり諦められると思ってたんだけどなー……」

 高橋さんはぐー、っと両腕を上げ、身体を伸ばすと。

「いまは七十パーセントくらい、ケイのこと好きかも」

 その高橋さんの笑顔は、まぎれもなく百パーセントだと、僕は思った。
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