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Part1 My Boyhood

Chapter_10.年上の女(ひと)(2)勉の地謡バイト

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At Chatan Town, Okinawa; May,1993.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

こんなとき行くのは、北谷ちゃたんのハンビー飛行場跡地や砂辺すなべあたりと相場が決まっていた。

当時僕は長助師匠から、中部にある、とある宴会場でのウェイター兼なまサンシン係ってバイトを斡旋してもらっていて、いつも車にサンシンを積んでいた。
あれは、今振り返っても本当にいいバイトだった。もちろん、余興の音楽をCDやテープで流すケースも多いのだが、沖縄だと生演奏のサンシンにこだわるお年寄りは決して少数派ではない。古典音楽の先生方にお願いする場合のみならず、琉球民謡関係者の場合でも、出演料でかなり出費を強いられる若いカップルは多い。それが、僕の場合はウェイターという身分だったから、かなり安い金額で演奏を請け負っていた。

いくらだったかって? 驚くなかれ、一曲たったの五百円。ワンコインアーティストとでも呼んでくれ。
ここだけの話、当時の僕の腕前だと一曲千円以上は取れたはずだが、僕が高飛車に出なかったのは、このバイトが僕にとってかなり都合が良かったからだ。
宴会場に着くとすぐ楽屋裏でスケジュールチェックに入る。たいていのケースでは、幕開けの「かぎやで風」、フィナーレの「唐船とうしんドーイ」のうちどちらか、あるいは両方のみで良く、その場合は本来のウェイターに戻って、演奏の合間に水を注いでまわったり、空いた皿を下げたりすればよかった。生演奏が必要な余興 (例えば、琉球舞踊など)が追加されるケースの場合、別室での事前リハーサルが必要不可欠だったから、ウェイターの仕事は全くせず演奏に専念できた。
賄いはタダで、しかも、ほとんどハズレはない。その上、持ち帰り用の弁当があり、もれなくウーロン茶の缶がついている。運がよければクンペンやカステラまで貰えたりした。土日祝日限定だったから大学の授業の邪魔にもならず、バイト代も普通のウェイターよりは高めの時給だった。そしてなにより、行く度に幸せな気持ちを味わえた。

僕は海を眺めて佇むフィッシュの横で、練習がわりにいろいろな曲を弾いた。「かぎやで風」「唐船とうしんドーイ」は当たり前、演奏のみの曲目としては「祝節」「繁盛節」、カジマヤー(数え九十七歳のお祝い)だと「花ぬ風車かじまやー」を歌った。(この曲だけは無料奉仕。九十七歳のお年寄りからお金は取れないよ!)
古典音楽だと琉球舞踊がらみで「谷茶前たんちゃめー」「加那かなーヨー天川あまかー」、意外なところでは「黒島くるしま口説くどぅち」も弾いたものだ。若い人向けにはりんけんバンドの「ありがとう」。そういえば、「ハイタイカマド」って曲もあったっけ。琉球民謡の定番は「安里屋あさどぅやユンタ」「ひやみかち節」「いちゅびぐゎー」「海のチンボーラー」「あしなー」ってところかな。ただし、前川ゲンちゃんの「かなさんどー」は、弾くことはあっても絶対に歌わなかった。あれは新郎が歌うものだ。そうだろ?

「トミーがサンシン弾くなんてね」
フィッシュはいつもタバコを吸いながら、僕のサンシンを黙って聞いていた。ちなみに僕は、タバコは一切のまない。少し試したことはあるが、良さがわからなかったし、サンシンちゃーとしてノドは常に最善の状態に保っておきたかったから、すぐ止めた。
「サンシン弾けなきゃ俺は俺じゃないよ。これがなかったら、生きていけない」
そう言うと、彼女は意外そうな顔をした。僕はサンシンを調弦ちんだみしつつ、話し続けた。
「いま俺さ、宴会場でサンシン弾くバイトしてるんだ。幸せの思い出づくりをお手伝いするってのは、いい仕事だね。ゴールインしたカップルとか、米寿とーかち、カジマヤーを迎えたお年寄りの顔を見ていると、こっちまでうれしくなっちゃう」
「ふーん」
「俺のような天涯孤独な身の上の人間でも、人の役に立てるんだなーって。俺がなりたい医者ってのは、実は、こういう笑顔を着実に増やすための仕事なんじゃないか、なーんてね」
照れくさかったので最後の部分は冗談を装ったが、フィッシュは僕の言葉を笑わずに受け止め、こう言ってくれた。
「あんた、いい医者になれるわよ」
「……サンキュ」

うれしかった。それまで僕は、あまり面と向かって人に褒められたことがなかった。
松山時代の人間には、なにかしら後ろ暗さを感じたし、琉海大でも僕はほとんど医学科の同級生と付き合うことをしなかった。ぶっちゃけた話、同級生に僕はモチベーションを感じなかった。傍目から見た限りだが、「医学科へ何しに来たんですか?」と問いかけても、明確な答えを持っていると思える奴が少なかったからだ。特に男性には。女性のほうがその点、しっかり問題意識を持っているものだ。彼女たちとは話したい気はしたけど、コンパと称するものには一切参加しなかった。ただでさえこの外見だ。参加すりゃ目立つのはわかりきっている。
表面的な人付き合いに、僕は飽き飽きしていた。そんなところで金を費やすのが馬鹿馬鹿しかった。でも、松山で唯一出会えたまともな人間であるフィッシュとは、どうしても離れる気にはなれなかったのだ。 ((3)へつづく)
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