上 下
40 / 152
Part2 Rasidensy Days of the Southern Hospital

Chapter_07.御曹司登場(1)血液管理部~勉、照喜名(てるきな)裕太と出会う

しおりを挟む
At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; October, 1999.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

今年も残暑が続く。回診を行うサザンの整形外科病棟からは、今日も真っ青な中城なかぐすく湾が見渡せる。
しかし、天気のいいこんな時に限って、長時間のオペが連続するのだ。朝六時から術前処置のため太陽を拝まずに出勤して、そのまま真夜中まで数件連続オペをこなし、手術室から一歩も外に出ない、なんてことも珍しくない。
世界でも指折りといわれている素晴らしい海から、車で二十分足らずの場所にいるにもかかわらず、だ! 僕らは勤務に縛られて全然身動きの取れない身の上を嘆いた。

十月に入ったある日のことだ。午前の回診をすませた直後、僕はサザンの血液管理部から呼び出しを受けた。緊急らしい。午後に数件、僕が受け持つ患者さんの検査が入っていたのだが、すべて指導医の伊東先生に代理をお願いすることにした。
「いいよ、行ってこい。直々に俺から一年生に指導しといてやるよ」
僕は恐縮しながら医局を後にした。一年生諸君、運が良かったかもしれないね。伊東先生の指導はきついぞー。僕は何度大目玉を食らったことか。

「すみませんねー上間先生、突然呼び出して」
血液管理部のアガリエさんが声を掛けた。
「いえ、どうしました?」
「あの、上間先生ってRHマイナスのA型でしたね」
「はい」
そう、僕はRHマイナスなのだ。高校の時、たまたま島ちゃんと那覇の久茂地くもじにある献血ルームに行って、はじめて知った。RHマイナスは珍しいから是非よろしく、と何度も来所を薦められたし、実際に大学へ入ってからも医学書を物色する帰り道にたびたび成分献血に通ったものだ。いろいろな飲み物がタダで飲めるし、ハンバーガーのタダ券や歯磨き粉はもらえたし、当時貧乏だった僕には非常にありがたかい場所だった。
「同じ血液型の患者さんが明朝、オペなんです。新鮮な血液でないと、在庫のではダメらしくて」
新鮮血輸血か。循環器系や脳外科関連の処置で新鮮な血液が必要になることがあるのは、僕も知っている。現在では患者さん自身の血液を前もって蓄えてオペに備える自己血輸血もよく行われるが、当時はまだ検討段階だった。
「わかりました。で、どれくらい取るんですか?」
「本当は5000㏄くらい、欲しいんですが」
「ご、ごせん?」
それって僕の全血液量じゃないですか! あんた、俺を殺す気か? 固まった僕を見てアガリエさんが笑い出した。
「冗談ですよ。とりあえず、上間先生から600㏄いただければ、あとはなんとかなります」
あー、びっくりした。死ぬかと思った。ちなみに、アガリエさんのような方を、沖縄では「冗談者てーふぁー」とか「法螺吹きぱーくー」と言います。

そして僕はベッドへ案内された。
「採血のあと急に動くと危ないですから、そのまま二時間ほど横になっていてください」
それを聞いて僕は心の中で小躍りした。やった! おおっぴらに眠れる! しかも二時間! Lucky!アメリカ&沖縄のご先祖様、僕をRHマイナスにしてくれてありがとう! ……って、こういうときだけ感謝してしまうのは、いけませんかね?
僕は靴を脱ぐと、おとなしくベッドに横になった。これで、担当のナースが可愛い子ちゃんとかだったら、もう最高だなーって考えながら。あ、嫌だよ、多恵子から採血されるのは。採血となると、あいつは目の色が変わる。たしかに腕はいいけど、取れる静脈を見つけたら容赦なくグサッと刺してくる。

そう思いながら待っていると、入り口のドアが開いた。あらまあ、男性ですか。しかも、お、おい、ちょっと待て。こいつ、どこかで見た顔だな。たしか君は、ジュニア研修医?
サザン・ホスピタルでは毎年三十名近くの研修医を受け入れている。一年生はスーパーローテーションで配属されるから、外科に五、六名が二~三ヶ月ずつ在籍していく。そのとき、ちらっとこの顔を見かけた気がする。
「失礼します。じゃあ、はじめます」
僕自身を振り返ってもそうだが、一年生研修医は、たいてい、採血が下手だ。経験を積む段階だから仕方がないんだけどね。
「お手柔らかにね」
僕は観念し、左腕を差し出した。右腕は利き腕だし、なにかあったらいつでも執刀できる状態にしておかなくては。外科医の駆け出しである今の僕にとって、執刀数を稼ぐのはとても大事なことなのだ。いや、執刀でなくても、助手としてでもいい。多くの患者さんの体に触れ、自分の知識と財産にしていくこと。一つでも多くの症例にあたる事が次の患者さんを救うことへと繋がる。

そいつの第一印象は、誠実そうだが変に大人びた奴、だった。背は僕より十センチほど低いが、沖縄の男性としては平均的な身長だろう。太い眉毛に黒い瞳。小さめだが整った鼻筋。全体的に色白だが、かなり顎が張っている。まるで五月人形の若武者みたいだ。
「琉海大学の上間先輩ですよね?」
僕の左腕をつかむ手は、文字通り“白魚のような手”だった。
「そうだけど? あれ、琉海大生?」
照喜名てるきな裕太ゆうたっていいます。先輩、有名人でしたよ」
こういうときいつも思う。金髪で、左頬にでかい赤あざがあるってのが、はたして良いことなのか悪いことなのか。目立ちたくて目立ってるんじゃないんですけど。
「何で有名だったか、聞いてもいい? 医学生で一番貧乏だったとか?」
すると照喜名はニコニコして答えた。
「それもありましたね」
おいおい、少しは否定してくれよー! という僕の心の叫びは、彼に聞こえただろうか。
「でも、サザン・ホスピタル奨学生でしょう?」
「返済は全額免除にしたよ」
問いかけに僕はそっけなく答えた。日本人初の奨学生だけど、名誉ともなんとも思わなかった。金があったらそんなもの、誰がなるもんか。
「ええ、そちらの噂も聞いてますよ。秀才だけど決しておごらない、そして努力家でもあると」
こいつ、妙に人の心をくすぐるのが上手いな。
「持ち上げてもなーんも出ないぞー」
半分照れ隠しを兼ねて、おどけて答えた。逃げを打つつもりだった。
「では、左腕から採血でよろしいですか?」
笑いながらも照喜名てるきなは手際よく採血の準備を進めている。僕は感心しながらその動作を見ていた。こいつ、なかなかやるな。
「じゃ、いきます。チクッとしますよー」
左腕にかすかな痛みを感じた。一年目にしてはなかなかのものだ。
「採血の腕は、まあまあだね」
僕は素直に褒めた。照喜名は20G針から採血器具へ接続しながら言った。
「ありがとうございます。僕、実家が照喜名てるきな内科・小児科医院なんです」
((2)へつづく)
しおりを挟む

処理中です...