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Part3 The year of 2000

Chapter_03.知念さんの秘密(3)多恵子、松田房子と出会う~多恵子、松田房子を見舞う

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At Nishihara Town and the Southern Hospital, Nakagusuku Village, May 19 and 20, 2000.
Now, the narrator returns to Taeko Kochinda.
このあとしばらく多恵子さんのモノローグ続きます。

十九日、沖縄はようやく梅雨入りしたみたいだ。いつもだったらゴールデンウィークの真っ最中か直後には梅雨に入ってるから、今年は本当に遅い。ちゃんと雨、降るのかな? 空梅雨は困るよー。

そうそう。あれは小学二年生のときだな。沖縄本島でほとんど一年間給水制限していたことがあった。お風呂もしょぼい水で済ませたりして、あの夏は最悪だった。毎日、学校へ水筒を持ってったっけ。
で、貧乏な勉は水筒持ってなくって、あたしの水筒から水を飲んでいた。……んちゃ(そういえば)、そうだよ。あのときから勉は、あたしのから飲んでるんだ。いつも水筒のコップにちょっとだけ (意外なことに「当時の」彼はなかなか遠慮深かった)麦茶を入れて、喉に流し込んでた。
喉が渇いて困っているクラスメートを助けるのは当然のことだ。そうだよね? 確かにその頃からあたしたちをはやし立てる奴は何名かいたけど、あたしが空手の型を構えて睨んだらみーんな黙り込んだ。
そうかー、だからだ。勉に横からアイス食われようが、ジュース飲まれようが、これじゃー違和感なんてあるはずないわ。最近は遠慮も何もなくなって、「お前のものは俺のもの」って言えばほとんどジャイアンみたいだけど、あまりに当たり前すぎて怒る気にもならない。

その日は、準夜勤だった。夕方開始だから午前中は英会話へ行ってた。サザンの福利厚生制度はなかなかいい。提携している英会話スクールがあって、授業料の割引が利くのだ。
英会話の帰り道、頭をフル回転した後だったし、甘いものが欲しくってスーパーに寄った。ちょうど雨が降りだした。あたしは車を停めて、いそいで店内に駆け込んだ。
どうせだからスタッフへ差し入れもしようかなー、と、柄にもないこと? を考えた。飴玉の袋を二、三パックかごに放り込んで、レジを済ませた。買い物袋にセルフで詰め込む仕組みだったので、買い物かごを持って入り口近くのサッカー台へ移動したときだ。
目の前で袋詰めをしていた女性が、その場にうずくまった。あたしは助け起こした。
「ど、どうしたんですか?」
「お、お腹が、お腹が、いたたた…」
「しっかりしてください。あたし、看護婦です」
看護師というより看護婦といったほうがまだ普通の人には通じやすい。あたしはその女性を支えながら、自分のオプティへと歩いた。雨模様だし、救急車を呼ぶよりあたしがサザン・ホスピタルへ連れて行ったほうが断然、早い。
「いまから、病院行きます。いいですね?」
女性が頷くの確認して、あたしはエンジンキーを差し込んだ。

サザンへは五分でついた。駐車場に素早く車を停め、救急窓口へと女性をいざなった。ロビーに座らせ問診表を構えた。
「お名前、いいですか?」
「松田房子っていいます」
「お年は?」
「今年で六十二になるけど」
腹部を押さえたまま座っているのも辛そうなので、近くにいた救急看護士のナカダさんに事情を話してストレッチャーをもってきてもらう。
「多恵子さん、いくよ。onetwothree!」
カウントととともにナカダさんともう一人と3人で房子さんを横たえた。ナカダさんが房子さんの衣服を緩めてくれる。あたしは彼女の腹部を押さえた。
「はい、落ち着いて息吸って、吐いてー。お腹触りますよ。……ここ痛い?」
「もっと、もっと下……」
突然、叫び声がした。
「痛い! 痛い!」
「今日何か食べましたか?」
「二、三日食べてないよー。痛い!」
食あたりではなさそうだ。部位からすると、腸のあたりでなにか起こっているらしい。痛がる彼女の下腹に、十五センチくらいある大きな傷跡を見つけた。古傷だろうか? かなり痛々しい。
「これ、どうしたんですか?」
「昔、子宮取ったの。二十年以上前なるよ」
あたしはナカダさんと顔を見合わせた。まさか婦人科? それとも消化器?
「すぐ、ドクター呼ぶから。あとは、任せて」
ナカダさんはそういうと、ストレッチャーに乗せた房子さんとともに救急診療室へと消えた。

整形外科で勤務中、ナカダさんから連絡が入った。房子さんは腸にガスがたまってて、腸閉塞へいそくのような症状を起こしていたらしい。特に異常はないが、念のため四、五日間、外科病棟へ入院することになったという。
気になるので勤務終了後、ナカダさんの案内で彼女の病室を覗きに行った。深夜零時を回っている。麻酔が効いているのか、房子さんはすやすやと寝入っていた。
「彼女、ご親族の方に連絡を取りたがらないんですよ」
病室の外で、ナカダさんがあたしに耳打ちした。きっと、なにか深いわけがおありになるのだろう。明日、お見舞いと称して、覗きにこようかな。

昼過ぎ、あたしは花束を持って外科病棟に向かった。といっても職場である整形病棟の隣だから、なんだか変な気分だ。なんと病棟のエレベーターの中で、田本ユミさんとばったり会った。
「あい、東風平こちんださん!」
ユミおばぁほどの常連患者さんになると、看護師の名前まで覚えている。よく見ると左腕に紙袋を提げていらっしゃる。館内歩行が許可されているから、杖をつきながらご自分で一階の売店まで歩く、それがユミおばぁの日課だ。
私服で花束を抱えたあたしの姿が不思議なのだろう。ちらちらこっちを見ている。
「なんで、今日は上間先生とデートねぇ?」
「ち、違います!」
思わず叫んで首を振ってしまった。あのねぇ。今日は勉は平常勤務ですってば、……の前に、あれとは何でもないったら!

あたしたちは三階で降りた。エレベーターホールから正面が産婦人科病棟。右が別館五階にある整形外科への、左が外科への渡り廊下だ。
「あ、あたし、こっちですから」
あたしは左を指差し、ユミおばぁと別れた。

房子さんはおとなしくベッドで横になっていらしたが、あたしが来ると身を起こして恐縮し、
「昨日はいろいろ、お世話になりました」
正座ひさまんちゅーして両手をついてお辞儀をするものだから、あたしはとまどった。
「い、いえいえ。仕事ですから」
あたしは、持ってきた花束を花瓶に生けた。ガーベラにしておいたんだ。あたしが好きな花だ。
「五日ほど入院なさるそうですね」
「ええ。死ぬほど痛かったけど、お陰で、助かりました」
「あそこのスーパーへは、よくいらっしゃるんですか?」
「あそこは惣菜の種類が多くて、おいしいでしょ? 私は一人だから、よく使っているのよ。ここ二日ほど、体の具合が悪くてずっと寝てて、急に島豆腐が食べたくなってねー」
あー、わかりますとも、そのお気持ち! 沖縄の島豆腐は固くて、食べごたえがある。鰹節にしょうゆを掛けるのが一般的だろうが、生でも味くーたーで十分おいしい。海水のにがりを使っているからミネラルも豊富だ。病人向けの食品ともいえる。
「私、西原公民館で琉球舞踊を教えているのよ」
「そうなんですか? うちの母も、琉球舞踊の教師でしたよ!」
「へえ? お名前は何さんとおっしゃるの?」
実は、芸能関連の話題は下手をすると流派同士の言い争いになりかねないところだけど、房子さんは実に穏やかな気性の持ち主だった。おかあの話を房子さんは頷きながら聞いてくれた。
「そうねぇ。つじでお仕事されてたの。私はそのころはコザにいたさー」
復帰前ごろからコザの町は民謡酒場が軒を連ねていたし、琉舞道場も多かった。きっと、はちきれんばかりの若さに溢れた房子さんは、お一人で頑張って道場を経営されていたのだろう。今でも品のよいお顔で当時の話を生き生きとなさっている房子さんを見ていると、若き日のはつらつとしたお姿が目に浮かぶようだ。
 ((4)へつづく)
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