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Part3 The year of 2000

Chapter_06.エイサーの夜(4)東風平家、犬を飼う~勉と多恵子、雨にたたられる

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Nishihara Town, Okinawa; from June to August, 2000.
At Nishihara Town, Okinawa; August 12, 2000.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

三日後の夕方、チョコレートを持って東風平こちんだ家を訪れた。
車をガレージに停めると、なんと犬に吠えられた。見ると、ちょっと大き目の茶色と白のぶち犬が、耳を立てて僕をじっと睨んでいる。
「あ、勉、来たんだ」
玄関に多恵子が立っていた。ちょうど犬にエサをやるところだったようだ。犬は多恵子の周りをうろうろしている。
「どうしたの、この犬?」
「一昨日、うちのお父が道で拾ったって。なんかこの暑さで死に掛けていたみたいだよ。今朝登録して、帰りに動物病院行って注射打ってきたら、こんな元気なってるさー」
そう言って、多恵子はエサに食いつく犬の頭を撫でている。

今に至るまで、東風平家には固有のペットはいなかった。沖縄県主催の文化交流活動 (すなわち演奏旅行)へ向かうお弟子さんのペットを預かることが専らで、一時期なんぞ、猫が五匹とハムスターが三匹と亀が二匹とアロワナとオウムがそれぞれ一匹ずつ、同時に住んでいたこともある。本当に不思議な家だ。

「登録したってことは、飼うんだ?」
僕も多恵子の側にしゃがんで、犬の背中を撫でた。おとなしく撫でられたままエサを食っている。まあ、人懐っこいこと。
「そうそう。ゴンゾーって名前にした。権兵衛ごんべえよりましでしょ?」

どこがましなんだ、どこが。ネーミングのセンス悪すぎ。第一、こいつは番犬になるのか?

心配していた通り、ゴンゾーはとんでもないバカ犬だった。僕がサンシンの稽古に来るたびに、僕の靴を自分の犬小屋へ持っていくのだ。そして、なかなか離そうとしない。ほかの客人の靴ではそんなマネはしないらしいが、僕の靴となると革靴だろうが運動靴だろうが、とにかくお気に入りらしい。ちなみにゴンゾーはオスだ。去勢をした今でも、この癖はちっとも治らない。

それから一ヶ月半の間、僕はUCLAへの出発準備に追われた。
まず、CSAの合格通知が届いたあとすぐに、Overseas Residentとして登録を申請。その一週間後には、UCLAから研修の許可を知らせる文書がサザンに届いた。あとは仕事の引継ぎ、英語でのプレゼンテーションの特訓、回診や当直などの仕事をこなしているうちに、あっという間に八月も中盤に差し掛かっていた。

八月十二日。遠くから七月エイサーの音楽が響きわたる集会所の近くを、夕闇ゆまんぐぃにまぎれながら僕は多恵子と二人で歩いていた。
今年の旧盆は日本の旧盆とかなり近い時期だ。こんなに長い付き合いなのに、二人きりで出歩くなんて滅多にあることじゃない。もっと気の利いた場所があれば本当に良かったのだけど、サザンで旧盆の臨時編成を組まれていた僕ら二人に、どこかへ出かける暇なんてなかった。
「今から、この近く来るのかな?」
「そうだな。今度はオオシロ達かな?」
多恵子の問いかけに僕は答えた。もともと、西原町は各集落とも伝統芸能が盛んな土地柄で、綱引きや獅子舞などが相次いで復興されたりしている。ここ数年、エイサーブームに伴って各集落出身の青年団に属するものはほぼ全員がエイサーシンカ(構成メンバー)に加えられ、特訓の毎日を送っているらしい。僕ら二人の小中学校時代の同級生も、何名かはエイサーシンカになっているはずだ。
サンシンと太鼓の音が近づいてきた。かなり近くまでやってきている。
「勉、アメリカ行ったら、エイサー見れるの?」
「ロスの沖縄県人会でやってるらしいけどなー。なんでも二世、三世が多くってアメリカナイズされてるって話だ」
「勉はエイサーの格好似合いそうだけどね」
「どっちみち俺はサンシン弾きだろ。踊るのはごめんだ」
「そうでした、そうでした」
多恵子はそう言って明るく笑い、彼方を指差した。
「あ、来たよ。あれ、オオシロ君たちかな?」

僕らは集会所の近くのベンチに腰を下ろした。
やがて、紫の装束に身を固めたエイサーの一行が二、三十人、威勢良くパーランクーを打ち鳴らしながらやってきた。オオシロをはじめとする中学時代の仲間が五名ほど混じっていた。彼らは「久高万寿主くだかまんじゅーすー節」に乗せて軽快に身を翻し、踊りながら通り過ぎていった。
「すごかったな、今の。カッコよかったなー」
エイサー隊が過ぎ去ったので見物人らもみな次の場所へ移動をはじめているが、僕らはベンチに座り続けた。
「うん。でも、みんな太鼓しか見ないよねー。女の子たちも、あんなに一生懸命踊っているのにさー。去年より人数減ってるし。」
そういえば、多恵子も字の青年団に入ってたんじゃなかったっけ?
「多恵子は踊らんの?」
僕が尋ねると、多恵子は
「べーるひゃー!」
と叫んで舌を出した。母親が琉球舞踊の教師であるにもかかわらず、こいつは踊るのが嫌いらしい。たしかに多恵子が踊る姿なんて思い描けない。描こうとすると、どうしても空手姿になる。
「かわいくねーの」
「いいよ、別に」
「そんなに膨れて、お前、フグになるぞ」
「いいよ、フグで」
「俺、フグはイヤだ」
そう言うと、多恵子はむくれっぱなしの顔をプイと横へ向けた。
「いいよ、一人でアメリカ行っといで」

あのね君、言っていいことと悪いことがあるでしょう?
そう言いかけたときだ。遠くから迫る奇妙な音に気づいた。雨だ。
「……雨? まじ?」
「ど、どうしよう、屋根のあるとこ」
僕はとっさに集会所の電話ボックスめがけて走った。高校のあの事件のとき、警察を呼んだ公衆電話だ。多恵子に呼びかける。
「こっち、こっち、早く!」 
多恵子が電話ボックスに飛び込んだ瞬間、雨がざっと本降りになった。((5)へつづく)
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