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Part3 The year of 2000

Chapter_06.エイサーの夜(5)電話ボックス~ファーストキスなんて

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At Nishihara Town, August 12, 2000.
This time, the narrator changes from Tsutomu Uema into Taeko Kochinda.
多恵子さんのモノローグへ切り替わります。

電話ボックスの緑色のランプがあたしたちを煌々と照らす。こんな狭い空間に大人が二人も入ると、奇妙な感じだ。
「間一髪だな。うわ、すごいぜこの雨」
勉があたりを見回しながらつぶやく。雨雲のせいであたりは真っ暗だ。
「エイサーめちゃくちゃだね。かわいそう」
雨音に稲光が混じった。あれ、てことは片降かたぶいじゃないの? ふと、あたしは非常に重要なことを思い出した。
「あー、あたし洗濯物干しっぱなしだった!」
勉がぼそっと答えた。
「だめだ、あきらめれ。もう遅い」
がっくりきちゃった。あーあ、折角二日ぶりに洗濯したのに。これだから沖縄の夏は油断がならないんだよー。
遠くでごろごろ言ってた雷が、近づいてきたみたいだ。
「ちょっと、近いんじゃない?」
「電話ボックスは大丈夫だよ」
そう言われた瞬間、けたたましい音が響いた。ドドーン、ガラガラガラ!
「キャー!」
「げっ! 電気消えた!」
うっそー! こんな時に、なんで消えるのよー!

あたしたちは、抱き合っていた。さっきの雷にびっくりして、思わず勉にしがみついてしまったのだ。辺り一体が停電したらしく、真っ暗。
「ま、まあ、しばらくしたら点くと思うけど」
勉の明るい声がする。相槌をしようと思って口から出たのは、くしゃみだった。
「へーっくしょっん」
「多恵子、大丈夫か?」
あたしは小さな声で
「くすくぇー」
と唱えた。くしゃみのお呪いだ。そのあと、何とはなしにつぶやいた。
「……ちょっと、寒いかな」
「濡れたのか? 待っとけよ」
勉は半袖のシャツを脱いで、あたしに羽織らせた。
「これ着て、こっちおいで」
答える間もなく、固く抱き寄せられた。

……あったかい。

「あのさあ、多恵子」
勉の声が闇に響く。
「何?」
「返事、聞いてもいいかな」
そう、あたしはまだ返事をしていなかった。明確な自信がもてずに、どう答えていいのかわからなかったのだ。
「俺、あと十日で向こう、行かなきゃなんないからさ。返事次第では、いろいろ考え直さんと。それとも、まだ時間欲しい?」
黙って立ち尽くしていると、勉があたしの顔を覗き込むのがわかった。
「黙ってたら、わからんよ。YESかNOか、はっきり言って」

小さく“YES”と答えたつもりだった。
「ごめん、聞こえんかった」
「……嘘でしょ?」
「聞こえん、聞こえんなー、全然聞こえなーい」
こ、この男、でーじむかつく! あたしは勉のわき腹を思いっきり突いた。
「あがが! この乱暴者!」
「もー、人の返事、一回で聞かんからさー」
「ごめん、ごめん、今度はちゃんと聞くから、もっと、はっきり言って」
「えー? だって」
文句を垂れる間もなく、額に彼の額がくっついた。暗闇でも、わかる。こっちをじっと見ている瞳。

“Can you wait for me?”
(私を待ってくれますか?)

のどがカラカラになった。もう逃げられない。観念して目を閉じ、返事した。

“Yes, ……yes, I can wait for you.”
(ええ、はい、あなたを待ちます)

勉の額があたしから離れ、深く息を吸う音と同時に、今まで以上にきつく抱き寄せられた。
「よかった。これで俺、安心してアメリカ行ける」

パチンと音がして、電気が点いた。あたしたちは、抱き合ったままだ。
「電気、点いたよ?」
「ああ、点いたな」
「でさ、いつまで、こうしてるわけ?」
「だって、お前、寒いんだろ?」
「いや、あの、電気点いたからさ」
「人目が気になる?」
勉は一向に腕の力を緩めようとしない。
「遅かったな。今、そこを中坊が三名通ってる」
……うっそ。最悪!
「あ、こっち向いた。笑ってる」
「あっちゃー」
愕然とした。事がここに至ったからには、まだ抱き合ったままの方がずっといい。なぜなら、背が低いあたしの顔は勉の胸に埋まっているから、まだ表からは見えていないはずだ。とはいえ、このあたりで金髪頭は勉しかいないわけだから、バレバレだけど。
勉はといえば、あたしを抱き締めたまま、中学生を見て一人でわじっている。
汝達いったー指差して笑うことないだろー、くっそー、腹立つー」
そして、おもむろにあたしを見て言った。
「あいつら、追っ払いたい? 俺、いい方法知ってるけど」
「うん、まあ」
よくわからないが、同意する。
「じゃ、目、つぶって」
「へ?」
「目、つぶってってば」

言われるままに目を閉じた。次の瞬間、唇に、熱くて柔らかいものが触れた。

ちょっと、何、これ?
まさかと思って、目を開けた。勉の顔が真正面にあった。
要するに、あたしは、勉にしっかりキスされてたわけだ。
勉と目が合った。彼の眼鏡越しに瞳を見ると、ピントがぼやけて見える。
……気持ち悪い。

唇が、離れた。
「キスの途中で目を開ける奴がいるか? この、おばか」
だって、誰も教えてくれなかったんだもん。目の焦点が合わなくて気持ち悪くなるから閉じたほうがいい、なんてさ。
……と言っている場合じゃないでしょう!
「ちょっとー!」
あたしは真っ赤になりながら抗議した。が、勉はお構いなしといった様子でつぶやく。
「奴ら、いなくなったよ、ほら。効果テキメンだ」
「勉、あんたねー」
「雨、止んだみたいだぞ。出るか? よいしょっと」
そういって彼は電話ボックスの扉を開き、外へ出た。だめだ、この男にもう何を言っても無駄だ。Yesと答えたあたしが馬鹿だった。
あーあ、折角のファーストキスだったのに、もう信じられない!

雨の後の、湿った、独特のよどんだ空気が歩道から立ち上っていた。
「家まで送るよ。危ねぇから」
あたしは、ふてくされて返事をしなかった。ひたすら、黙々と歩く。停電から復旧した街灯が足元を明るく照らす。あちこち水たまりがまだ残っている。
「多恵子、これから夜、一人で出歩くなよ? 俺、心配だから」
「ふーん」
「怒ってるの?」
「別に」
怒ったままそう答えた。勉の声がした。
「いいよ、俺、お前がフグでも。かわいいから」
……え?

間もなく家の明かりが見えた。お母が夕飯の支度をしているはずだ。
「ほら、着いたよ」
「うち、寄ってく?」
「遠慮するよ、あした、朝からオペだから」
「……そっか」
何故だろう。このまま離れるのは惜しい気がする。
「じゃあな」
「あ、勉」
立ち去ろうとする勉をあたしは呼び止めた。
「何?」
やっぱり言わなければいけない。ためらいながらも、口を開いた。
「さっきの、ひどすぎる。謝って」
「ごめん」
頭を下げ、勉がこっちへ近づいてきた。顔を覗き込まれる。
「やり直したい?」
迷ったけど、頷いた。だって彼はアメリカへ行くのだ。すねている時間はない。

勉は、ゆっくりあたしを抱き寄せ、両手であたしのあごを引き寄せた。
「目、つぶって」
遠くで、ゴンゾーの吠える声が聞こえる。黙れ、バカ犬。今、とってもいいところなんだから。

そして、あたしたちは、さっきよりずっと長く、唇を重ねた。
というわけで、次章へTo be continued.

勉ー、気をつけてアメリカ行っといでねー。言っとくけど、浮気したら、すぐ殴るよ!
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