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Part3 The year of 2000
Chapter_12.蜜月の日々(6)多恵子、勉のMDを再生する
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At Los Angeles; December 2, from 9:30AM to 10:40AM PST, 2000.
This time, the narrator changes from Tsutomu Uema into Taeko Kochinda.
多恵子さんのモノローグへ切り替わります。
額に掛かったタオルの冷たさが心地いい。あたしは、しっかりし始めた意識の中で、昨夜のことを思い返していた。
「肝一つ一つだよ、多恵子」
耳の中で、あのとき聞いた彼の声が響く。リアルな感触が体中によみがえり、あたしは真っ赤になった。
勉は、優しかった。
荒っぽいことを想像して体を固くしていたあたしは綿毛の雲に体を包みこまれる感覚を味わい、キャラメルマキャートのようなふわっとした甘さに心を奪われ、完全にメロメロになった。
雰囲気は百点満点だったし、まして、相手は大好きな人なのだ。初体験としてはかなり幸運だったと言い切れる。
あたしにとって二〇〇〇年十二月一日は、長い一日だった。
「もうだめだ。会いたい! 助けて! 助けてくれ多恵子!」
あの朝、悲痛に満ちた勉の声を聞いて、気がつくとあたしはパスポートを片手に無我夢中で沖縄の実家を飛び出していた。彼に会いたかった。彼の喜ぶ顔が見たくて、沖縄の土産を買いまくった。休みを取るために里香やマギーに頭を下げることも、全然苦にならなかった。
とにかく、勉を救うためなら、距離とか、お金とか、モラルとか、そんなことどうでも良かったのだ。最初から勉の部屋に泊まるつもりだった。すべては覚悟の上だった。後悔は全くしていない。
ただ、心の奥底に新たに引っかかるものができた。体の節々の痛みがさらにその存在を認識させた。昨日までは全く気に留めなかった彼が付き合ってきた過去の女性たちに、あたしは激しく嫉妬していた。
軽く伸びをして、ベッドから体を起こす。もう十時か。
あたしは起き上がると、側にあった勉の古いジャケットをパジャマの上から羽織った。手早くトイレを済ませる。あーあ、ちょっと出血してるな。仕方ないや。
頭痛は消えていた。まだすこしふらふらするけど、今朝に比べたら随分マシだ。顔を洗おうと、洗面所の蛇口をひねった。
「うわ、冷たー!」
そうでした、ここはロサンゼルスでしたっけね。
顔をタオルでぬぐって冷蔵庫の前へ。えーっと、オレンジジュースとヨーグルト、あ、あったぞ。よいしょっと。
オレンジをグラスに注ぎ、飲む。ぷはー! 美味しい!
で、あと、スプーン、スプーン、と。食器棚の引き出しを開ける。あ、見っけ! あたしはそのままテーブルの椅子に座った。ヨーグルトのカップを開ける。
「ご馳走さびら」
スプーンですくって口へ運ぶ。なにこれ? 甘っ! うえっぷ! いつも、こんなの、食べてるわけ? そりゃ太るわー。やーめた!
あたしは椅子から立ち上がった。まだ頭がふらつくから本をめくる気はしない。でも、なにかこう、ちょっとしたB.G.M.というか、適度な喧騒がほしい。
目線の先にテレビがある。側へ行った。コンテナの中に無造作に積まれたDVDソフトの山を見つけて、彼の言葉を思い出した。
「そっちのDVDとか、適当に見ていいよ。使い方わかるよな?」
お言葉に甘え、早速、コンテナの中のDVDソフトを物色する。うーん、勉、何持ってるのかな?
お、“ER”だ。さっすがチェックしてるね。
“PATCH ADAMS”、うん、これ良かったよねー。
“AWAKENINGS”、何これ? ああ、『レナードの朝』。はいはい。暗い映画だったなー。
えっと、これは、“Field of Dreams”、ふーん、ケビン=コスナー好きなのかな?
で、ちょっと、なにこれ? なんで“Tom & Jerry”がこんなにあるわけ? うわー、すごい、十本もあるじゃない! へー、勉ってアニメ好きなんだー、意外だー!
“Tom & Jerry”をコンテナに戻したとき、カシャンと軽い音がして、何か落ちた。
拾い上げてみる。あ、MDだ。なんだこれ? ちっこいハートのシール貼ってるだけじゃん。
……聞いてみよう、かなー?
あたしは、ラジカセのスイッチを入れ、そのMDをセットしてみた。カチャン、カチャカチャとラジカセが動いて全体の秒分数を示す。
はあ? 三曲入ってて、たったの一分三十一秒?
あたしは、再生ボタンを押した。だが、聞こえてきたのは、音楽ではなかった。
「上間です。ただいま出かけています。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお願いいたします」
勉の声の後に、ピーという発信音がして、別の声がした。
「こんにちは」
女性だ。誰?
「東風平多恵子です。今日は、いろいろ励ましていただいて、ありがとうございました。さっきマギー師長から連絡が入って、明日から出勤できることになりました。これからもよろしくお願いします。お疲れ様でした。おやすみなさい」
……って、これ、あたしの声?
MDは二曲目に入った。再び、声が流れた。
「東風平多恵子です。今日は、ごめんなさい。あなたが父にお金を借りていて、ちゃんと返済したという事を、母から聞きました。あなたのことを誤解して、本当にすみませんでした。おやすみなさい」
またしても、あたしの声だ。確かに、身に覚えは、ある。
でも、ちょっと、これ、どういうこと?
ガチャガチャ。ドアの鍵が開く音が響いた。
「おーい多恵子、起きてるか? 大丈夫か?」
勉が買い物袋を提げながら、心配そうに入ってきた。
「いやー、突風が吹いて大変だったー! 今日は出なくて正解だぞ」
そのとき、ラジカセがしゃべった。
「勉ー、気をつけてアメリカ行っといでねー。言っとくけど、浮気したら、すぐ殴るよ!」 ((7)へつづく)
This time, the narrator changes from Tsutomu Uema into Taeko Kochinda.
多恵子さんのモノローグへ切り替わります。
額に掛かったタオルの冷たさが心地いい。あたしは、しっかりし始めた意識の中で、昨夜のことを思い返していた。
「肝一つ一つだよ、多恵子」
耳の中で、あのとき聞いた彼の声が響く。リアルな感触が体中によみがえり、あたしは真っ赤になった。
勉は、優しかった。
荒っぽいことを想像して体を固くしていたあたしは綿毛の雲に体を包みこまれる感覚を味わい、キャラメルマキャートのようなふわっとした甘さに心を奪われ、完全にメロメロになった。
雰囲気は百点満点だったし、まして、相手は大好きな人なのだ。初体験としてはかなり幸運だったと言い切れる。
あたしにとって二〇〇〇年十二月一日は、長い一日だった。
「もうだめだ。会いたい! 助けて! 助けてくれ多恵子!」
あの朝、悲痛に満ちた勉の声を聞いて、気がつくとあたしはパスポートを片手に無我夢中で沖縄の実家を飛び出していた。彼に会いたかった。彼の喜ぶ顔が見たくて、沖縄の土産を買いまくった。休みを取るために里香やマギーに頭を下げることも、全然苦にならなかった。
とにかく、勉を救うためなら、距離とか、お金とか、モラルとか、そんなことどうでも良かったのだ。最初から勉の部屋に泊まるつもりだった。すべては覚悟の上だった。後悔は全くしていない。
ただ、心の奥底に新たに引っかかるものができた。体の節々の痛みがさらにその存在を認識させた。昨日までは全く気に留めなかった彼が付き合ってきた過去の女性たちに、あたしは激しく嫉妬していた。
軽く伸びをして、ベッドから体を起こす。もう十時か。
あたしは起き上がると、側にあった勉の古いジャケットをパジャマの上から羽織った。手早くトイレを済ませる。あーあ、ちょっと出血してるな。仕方ないや。
頭痛は消えていた。まだすこしふらふらするけど、今朝に比べたら随分マシだ。顔を洗おうと、洗面所の蛇口をひねった。
「うわ、冷たー!」
そうでした、ここはロサンゼルスでしたっけね。
顔をタオルでぬぐって冷蔵庫の前へ。えーっと、オレンジジュースとヨーグルト、あ、あったぞ。よいしょっと。
オレンジをグラスに注ぎ、飲む。ぷはー! 美味しい!
で、あと、スプーン、スプーン、と。食器棚の引き出しを開ける。あ、見っけ! あたしはそのままテーブルの椅子に座った。ヨーグルトのカップを開ける。
「ご馳走さびら」
スプーンですくって口へ運ぶ。なにこれ? 甘っ! うえっぷ! いつも、こんなの、食べてるわけ? そりゃ太るわー。やーめた!
あたしは椅子から立ち上がった。まだ頭がふらつくから本をめくる気はしない。でも、なにかこう、ちょっとしたB.G.M.というか、適度な喧騒がほしい。
目線の先にテレビがある。側へ行った。コンテナの中に無造作に積まれたDVDソフトの山を見つけて、彼の言葉を思い出した。
「そっちのDVDとか、適当に見ていいよ。使い方わかるよな?」
お言葉に甘え、早速、コンテナの中のDVDソフトを物色する。うーん、勉、何持ってるのかな?
お、“ER”だ。さっすがチェックしてるね。
“PATCH ADAMS”、うん、これ良かったよねー。
“AWAKENINGS”、何これ? ああ、『レナードの朝』。はいはい。暗い映画だったなー。
えっと、これは、“Field of Dreams”、ふーん、ケビン=コスナー好きなのかな?
で、ちょっと、なにこれ? なんで“Tom & Jerry”がこんなにあるわけ? うわー、すごい、十本もあるじゃない! へー、勉ってアニメ好きなんだー、意外だー!
“Tom & Jerry”をコンテナに戻したとき、カシャンと軽い音がして、何か落ちた。
拾い上げてみる。あ、MDだ。なんだこれ? ちっこいハートのシール貼ってるだけじゃん。
……聞いてみよう、かなー?
あたしは、ラジカセのスイッチを入れ、そのMDをセットしてみた。カチャン、カチャカチャとラジカセが動いて全体の秒分数を示す。
はあ? 三曲入ってて、たったの一分三十一秒?
あたしは、再生ボタンを押した。だが、聞こえてきたのは、音楽ではなかった。
「上間です。ただいま出かけています。ピーという発信音の後に、お名前とご用件をお願いいたします」
勉の声の後に、ピーという発信音がして、別の声がした。
「こんにちは」
女性だ。誰?
「東風平多恵子です。今日は、いろいろ励ましていただいて、ありがとうございました。さっきマギー師長から連絡が入って、明日から出勤できることになりました。これからもよろしくお願いします。お疲れ様でした。おやすみなさい」
……って、これ、あたしの声?
MDは二曲目に入った。再び、声が流れた。
「東風平多恵子です。今日は、ごめんなさい。あなたが父にお金を借りていて、ちゃんと返済したという事を、母から聞きました。あなたのことを誤解して、本当にすみませんでした。おやすみなさい」
またしても、あたしの声だ。確かに、身に覚えは、ある。
でも、ちょっと、これ、どういうこと?
ガチャガチャ。ドアの鍵が開く音が響いた。
「おーい多恵子、起きてるか? 大丈夫か?」
勉が買い物袋を提げながら、心配そうに入ってきた。
「いやー、突風が吹いて大変だったー! 今日は出なくて正解だぞ」
そのとき、ラジカセがしゃべった。
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