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Part4 Starting Over

Chapter_03.苦いバレンタイン・デー(4)攻撃開始

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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; February 15, 2001.
Forthly, the narrator of this story is Kei Shimabukuro.
4番手のモノローグは島袋桂(しまぶくろ・けい)君です。

……さて、と。俺はどこからどう話せばいいのかな?

年末に起きたアメリカの上間の事故のことは聞いていたし、年明けには多恵子と何度かメールのやり取りもした。事故の報を聞いたとき、あいつは随分落ち込んで家に引きこもっていたいたみたいだったが、上間と電話で話ができたことで、かなり落ち着きを取り戻したようだ。
こちらから上間には連絡しなかった。励ましてやりたいという気持ちはあったが、意味のない同情は逆に奴を傷つけるだけだからな。奴が立ち直って、自分で自分についた泥みたいな奴を払えるようになれば、必ず向こうから連絡が来る。そう信じて、ずっと待っていた。

……が、事態は俺が思っていたほど、甘くはなかったみたいだな。
照喜名てるきな先生から電話をもらったときはびっくりした。まさか多恵子が妊娠してたなんて知らなかった。多恵子が流産したこと、サザン・ホスピタルが上間を退職に追い込もうとしていると電話口で聞かされて、俺はもう居ても立ってもいられなくなった。気がつくと、狂ったように車で高速を走っていた。

だって、そうだろ? 俺は中学から上間を知ってる。奴がどれだけ医者になりたいと願い、医者になる唯一の方法だったサザン・ホスピタルの奨学生になる資格を得るために、どれだけ勉強に勉強を重ねてきたか。すっげー貧乏で、成長期だっていうのに食事も満足に取れないで、その上母親にも置いていかれて、電気代を惜しんで家にあるテレビまで売り払ってたんだぜ?
奴が現役で琉海大の医学科に受かったときは、そりゃもう一緒になって喜んださ。一緒の塾でバイトして、俺は自分の車で奴の送迎を買って出た。奴のためにできることは、それくらいだったから。
さすがに医者になってからは、俺も社会人だしなかなか会う機会もなかったが、それでも俺は奴の幸せを心から願っていた。多恵子とうまくいってくれればいい、そうすれば奴も孤独から解放されて、心から笑えるようになるだろう。そんな日が早く来て欲しいと願わない日はなかった。

それなのに、なんだよ! 事故に遭って身体障害者になったら、医者の仕事は続けられないからポイだと?
いい加減にしろ! 元アメリカ第二海軍病院が、鼻先で笑わせるぜ。ハンディキャップがあろうとなかろうと、能力のあるものは登用しその力を生かす、それがアメリカの精神ってもんだろう?
日本の医師法だって医師の欠格事項の見直しを進めている。多分ありゃ今年中に成立するだろうよ。もっとも、上間の障害は現行の法律でもまったく抵触しないし、医師として業務の遂行を妨げるものは、なにもない。あのベストセラー『飛鳥あすかへ、そしてまだ見ぬ子へ』を書いた故・井村和清さんの例を出すまでもなく、周囲の理解と支援さえあれば、上間は医者として十分にやっていけるはずだ。

上間を見殺しになんか、するものか。もしものときは、記事でもなんでも書きたててやる。
運転している間中、俺の中に、そんなどす黒い気持ちが渦巻いていた。

二月十五日、朝八時。
俺は起き上がると、身支度を整え作戦を開始した。職場には取材に行くと言っておいた。出版社というのは結構、自由が利くものだ。
伊東先生の指示にしたがい、中城村の農協近くまで車を走らせる。十時半に到着すると、知念ちねん安達あんたつさんと田本ユミさんが既に待っていらした。
「あんたが島袋さんねー?」
田本ユミさんことユミおばぁは、助手席に乗り込みながら俺に屈託なく話しかけてきた。
「もう花札仲間しんかには連絡回したよ。みんな、お昼には携帯ぐゎー持って病院に来るさー」
「ありがとうございます。助かります」
我達わったーあとぅから、トラクターっし行ちゃびーさ」
知念さんの言葉に俺は頷いた。いいぞ。これで準備は整った。
「島袋さん」
知念さんが話しかけた。
「味方やうふさしぇーマシやあらんがや? あんどぅんやれー、なー一人ちゅい、電話っしんーじゅがやーんでぃまびーしが?」
願ってもないセリフに一も二もなく頷くと、知念さんは笑顔を見せた。

サザン・ホスピタルに到着した。すでに何名かユミおばぁの花札仲間がいらしている。彼らは勝手知ったるリハビリルームになだれ込んで、テレビの前でおしゃべりをはじめていた。年寄りのゆんたくは、果てがない。まだ時間はあるし、放っておきましょう。
伊東先生、照喜名てるきな先生と合流した。手はずをもう一度確認し、俺たちは位置に着いた。

午後一時。
院長室の隣にある会議室に、サザン・ホスピタル上層部のメンバーがずらずらと入っていくのが見えた。いよいよ攻撃開始だ。
今回の定例議題は医療情報の電子カルテ化、ならびにそれに付随する案件として、患者さんの個人情報保護についても話し合われることになっているらしい。運がいいことに、コンピュータに強い照喜名てるきな先生は、院内セキュリティ管轄委員として会議に出席していた。
会議が始まってすぐ、照喜名先生が緊急動議を提案した。
「実は、この会議で早急に解決しなければならない問題があります。この病院の信用に直結する大問題です」
照喜名先生はそう切り出し、メンバーの顔を見回した。動揺の声が走る。
「証人を呼びたいのですが、よろしいですか?」
議長が承認し、照喜名先生の声がした。
「みなさん、どうぞ」

会議室のドアが開いた。まず、俺と伊東先生が並んで入った。伊東先生が単刀直入に切り出した。
「院長代理、整形外科所属の上間勉先生の勧奨退職をお考えとのことですが、本当ですか」
会議室内にどよめきが起こった。俺の目線の先で、男は顔面蒼白になった。
「そ、その件はこの会議とは全く関係ないだろう!」
伊東先生は、手に持っていた署名書類を机の上にどさっと置いた。
「ここに、上間先生の退職に反対する職員の署名があります。すでに四百名を超えました」
さすが組合の書記長。朝っぱらから署名を集めまくったようだ。
「署名が集まった以上、上間先生の件に関して、しかるべき委員会を立ち上げるなり、なんらかの対応が必要と思われますが?」
「だから、それは今回の議題とはかけ離れてるだろうが!」
……いらいらしてきたぞ。第一、俺は、こんな堅苦しい席は大嫌いなんだ。((5)へつづく)
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