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契約
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翌日、緊張しながらリュックがノワールの元を尋ねると、ノワールは木綿のワンピースに麦わら帽子という昨日と同じ装いで、庭仕事を終わらせたばかりだった。昨日は舞い上がってそれどころではなかったが、改めてこうしてみると、この素朴な装いはグッとくるほど可憐だ。
「こ、こんにちは、ノワール。えっと、ああ、お土産を持ってきたんだ」
そう言って、リュックが照れ隠しに従者に大小様々の箱を運ばせた。
「え、なんですか、これ?」
次々に運び込まれる土産の数々を見てノワールが目を丸くした。
「あ、えっと、最近流行りのドレスやアクセサリーなんだけど、サイズがわからないので靴は今日はやめにした。あとで教えてくれるかい?」
「リュック様……」
「あとこれを……」
そう言って、リュックが手にしていた花束をノワールに渡した。
「あ、ありがとうございます。でも……」
「お菓子もあるよ。外国の珍しいお茶もあるから勉強会の時に──」
「リュック様」
「ああ、『様』はつけないで、どうかただリュックとだけ……」
「ではリュック、こんなものいただけません」
「え? あ、あぁ、そうか、好みがあるものな。じゃああとで一緒に洋品店に行って──」
「そうじゃなくて、こんな高価なものをいただく理由がありません」
「え、でも、女性はみんな……」
ノワールが盛大にため息をつきながら「顔が同じだとやることも似るのかしら」とぶつぶつ言った。
「え? なに?」
「私はあなたの恋人でも妻でもありません。もし、今後もこのようなことをお続けになるなら、私は他の方に家庭教師を頼まなければなりません」
「え……」
「できれば、これらは全部お店にお返しになってください」
愕然とするリュックを見かねて、侍女のマリアが苦笑しながら口を挟んだ。
「今回だけは許してやってくださいな、ノワール様。せっかく買ってしまったものを返品するのは、お店にも気の毒ですわ。次回からはお菓子ぐらいにするよう、ようく言い聞かせます。だからこれ以上、わたくしの不器用な坊っちゃまを責めないでやってくださいましな」
マリアのその言い方にふっと和まされて矛先を治めたノワールは、しゅんと肩を落としてしまったリュックを見て思わずくすりと笑ってしまった。
「ごめんなさい。きつく言い過ぎました。わかってくださったならいいんです」
「迷惑だとは思わなくて。すまない」
ちなみに、今回、高価な贈り物は必ずしも喜ばれるとは限らないということを学んだリュックは、お菓子はいくら美味しいと言われても大量に買えば傷んでしまうし、毎回同じでは飽きられるのだということを学ぶまでに、その後もう何度かマリアから小言を頂戴することになる。
二人は、天気の良い日はもっぱら庭のガーデンテーブルで勉強した。
だが、アルファベットと単語の表記と発音が違うだけで、ノワールの元の言葉とリュックが使う現代の言葉は、文節や文法はほぼ同じだった。単語もごく似通ったものも多く、何よりもノワールは優秀な生徒だった。リュックはほとんどやることがない。
「ねえウィル、この単語……あ、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺はそんなに君の旦那様に似てるかい?」
ノワールがノートに目を落としながら言った。
「生写しです。あなたがウィルじゃないのが嘘みたい。本当に私を騙しているのじゃない?」
「……だといいなと、俺も思うよ」
「ですよね……。だって私のいた頃とここは全然違う。何もかも便利になって町は大きいし人も多くて暮らしやすい。いろんなお店もあるから、文字を覚えたら、私でも雇ってくれるところがありそうですよね」
「え?」
「だって、いつまでもあなたのご厄介になっているわけにはいかないでしょう?」
「い、いや、俺はなにも……」
「セオドア様の支度だと言いたいなら、無駄ですわ」
そう言って、ノワールが手にしているのは子供向けの絵本だった。この家の書斎にあったものだ。
「字を学ぶなら子供向けの絵本がいいかなと思って探していたら、これを見つけました。他にも何冊かありましたけど、この字、これあなたの名前でしょう?」
絵本の片隅に、拙い子供の字で『リュック・クルーズ』と書かれている。字を覚えたての頃、そう言えばあちこちに自分の名前を落書きしたのを思い出した。ノワールの文字の勉強も最初は名前からだ。
「壁紙の目立たない隅っこでもこの落書き見つけました。このお屋敷は、あなたが昔暮らしていたお家?」
「……すまない。子供の頃からよく使っていたセカンドハウスなんだ」
「そんなことだろうと思ってました」
「騙すつもりじゃなかったんだ。君が俺の援助を嫌がるかと思って……」
「わかっています。いずれにせよ、私は誰かの助けがなければ住まいひとつ見つけられなかった。だから、できるだけ負担になりたくないんです」
「負担なんてそんなことは……」
「でも、あなたに助けていただく謂れがありません」
「……」
「私、仕事が見つかって落ち着いたら、夫のウィリアム・ジャスティンを探しに行こうと思うんです」
「え? しかし……」
「だって、だって私が生きていたように、彼だってどこかで生きているかもしれないでしょう?」
「……そう、かな?」
「私、まだ何もかも信じられない。目が覚めたら百年も経っていて、私の知っていたあの世界がもうどこにもないなんて……。大切な人たちがみんないなくなっているなんて……」
「ノワール……」
「彼だって今この時もどこかで私のように眠っているのかもしれない。だって間違いなく、魔力のない私に魔法をかけて守ってくれたのは彼なんだもの。あの人が私独りを置いてけぼりにするなんて絶対に信じない……」
「……あの廃墟で何があったのか、思い出した?」
「……いいえ、まだ何も思い出せませんけど、その可能性もなきにしもあらずでしょう?」
「……」
確かにそうかもしれない。
だが、リュックは魔法使いなのでノワールを守っていた魔法が生半可なものではないことを感覚的にわかっていた。リュックの魔力も相当に大きいが、ノワールが施されていたような魔法をかけられる気がしない。あの魔法が使えたのだとすれば、ウィリアムはバケモノ級だ。だとすれば、本当にどこかでノワールのように今もまだ眠っているのかもしれない。もしそうなら、ノワールが彼の下に帰ってしまうのは見たくない。でも同じ魔法使いとして、そんな彼に会ってみたい気持ちもどこかにある。
「では、君を俺のアシスタントとして雇おう」
「え? でもそこまでお世話になるのは──」
「俺が君を目覚めさせてしまった責任があるし、俺は君に出会う前からずっと、クロネッカーの魔法道具を探してるんだ。君の生家だと言ったね?」
「ああ、はい。元々は武器作りの鍛冶屋だったそうですが、私が生まれてから商売を広げて工房になって、魔法道具全般を作ってました」
「君の髪を素材に混ぜることでクロネッカーの魔法道具は有名になった?」
「そう聞いています」
「俺は少し前まで、MC50年に作られたクロネッカーの魔法剣を持ってたんだ」
「へえ。50年なら……私が十三の時の髪だわ」
「そうか」
十三歳のノワールを想像してふと微笑ましい気持ちになった。MC37年生まれなら今の彼女は百二十歳だ。だがその見た目から百を引くのが自然だろう。十三歳の彼女は、今よりもっとあどけなかったに違いない。
「俺にはジャンク屋というあだ名があるんだ。俺が魔法を使うと壊れた魔法道具のガラクタができるから」
ノワールの脳裏に、初めてウィリアムを見た時、立派なプレートメイルがバキバキと音を立てて割れた時のことが蘇った。
「ああ……」
過去の思い出にふと唇の端を綻ばせるノワールを見て、リュックが言った。
「君のウィリアムも?」
「ええ。ふふ、魔道具クラッシャーだって街の名物になってました」
「でも、クロネッカーの魔剣を手に入れてから、俺は魔法道具を壊さなくなった。まぁ、君に出会う直前に壊してしまったが……」
「そう言えば、彼も私と結婚してすぐ、私の髪で作った魔法剣は壊れなかったわ。というより、巷の噂ではその剣を持って以降の彼は無敵だったと」
「結婚したのは十八歳の55年?」
「ああ、そうです」
「それ以降の君の髪には彼の魔力がこもっていた? 彼との結婚生活はその後二年じゃないか?」
「その通りです。なぜわかるの?」
「君が結婚して以降のクロネッカーの魔法道具は、神憑り的に卓越したものなのだそうだ。コレクターの間でも有名らしい。俺にはその魔法道具が必要だ。だから、それを探すのを君に手伝って欲しい。彼の行方もそこを手がかりにするしかないんじゃないか?」
「………」
ノワールがテーブルの上の自分の手を見つめて黙り込んだ。
そして、ふと立ち上がって剪定バサミを持つと、ヘアスティックでまとめていた髪をパサッと下ろし、ひと房つかむとおもむろにバッサリ切った。
「ノワール!」
リュックが驚いて立ち上がると、ノワールが切った髪をリュックに差し出しながら言った。
「それをお願いするのは私の方です」
「……!!」
「でも、あなたの魔法道具ならこの髪をどこかの工房へ持っていけば作れるわ。報酬はこれでいいですか?」
「ノワール……」
「そうよ、あの剣を追えばきっと、彼がいる」
「……わかった。これで契約成立だ」
「ありがとう、リュック」
「こ、こんにちは、ノワール。えっと、ああ、お土産を持ってきたんだ」
そう言って、リュックが照れ隠しに従者に大小様々の箱を運ばせた。
「え、なんですか、これ?」
次々に運び込まれる土産の数々を見てノワールが目を丸くした。
「あ、えっと、最近流行りのドレスやアクセサリーなんだけど、サイズがわからないので靴は今日はやめにした。あとで教えてくれるかい?」
「リュック様……」
「あとこれを……」
そう言って、リュックが手にしていた花束をノワールに渡した。
「あ、ありがとうございます。でも……」
「お菓子もあるよ。外国の珍しいお茶もあるから勉強会の時に──」
「リュック様」
「ああ、『様』はつけないで、どうかただリュックとだけ……」
「ではリュック、こんなものいただけません」
「え? あ、あぁ、そうか、好みがあるものな。じゃああとで一緒に洋品店に行って──」
「そうじゃなくて、こんな高価なものをいただく理由がありません」
「え、でも、女性はみんな……」
ノワールが盛大にため息をつきながら「顔が同じだとやることも似るのかしら」とぶつぶつ言った。
「え? なに?」
「私はあなたの恋人でも妻でもありません。もし、今後もこのようなことをお続けになるなら、私は他の方に家庭教師を頼まなければなりません」
「え……」
「できれば、これらは全部お店にお返しになってください」
愕然とするリュックを見かねて、侍女のマリアが苦笑しながら口を挟んだ。
「今回だけは許してやってくださいな、ノワール様。せっかく買ってしまったものを返品するのは、お店にも気の毒ですわ。次回からはお菓子ぐらいにするよう、ようく言い聞かせます。だからこれ以上、わたくしの不器用な坊っちゃまを責めないでやってくださいましな」
マリアのその言い方にふっと和まされて矛先を治めたノワールは、しゅんと肩を落としてしまったリュックを見て思わずくすりと笑ってしまった。
「ごめんなさい。きつく言い過ぎました。わかってくださったならいいんです」
「迷惑だとは思わなくて。すまない」
ちなみに、今回、高価な贈り物は必ずしも喜ばれるとは限らないということを学んだリュックは、お菓子はいくら美味しいと言われても大量に買えば傷んでしまうし、毎回同じでは飽きられるのだということを学ぶまでに、その後もう何度かマリアから小言を頂戴することになる。
二人は、天気の良い日はもっぱら庭のガーデンテーブルで勉強した。
だが、アルファベットと単語の表記と発音が違うだけで、ノワールの元の言葉とリュックが使う現代の言葉は、文節や文法はほぼ同じだった。単語もごく似通ったものも多く、何よりもノワールは優秀な生徒だった。リュックはほとんどやることがない。
「ねえウィル、この単語……あ、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。俺はそんなに君の旦那様に似てるかい?」
ノワールがノートに目を落としながら言った。
「生写しです。あなたがウィルじゃないのが嘘みたい。本当に私を騙しているのじゃない?」
「……だといいなと、俺も思うよ」
「ですよね……。だって私のいた頃とここは全然違う。何もかも便利になって町は大きいし人も多くて暮らしやすい。いろんなお店もあるから、文字を覚えたら、私でも雇ってくれるところがありそうですよね」
「え?」
「だって、いつまでもあなたのご厄介になっているわけにはいかないでしょう?」
「い、いや、俺はなにも……」
「セオドア様の支度だと言いたいなら、無駄ですわ」
そう言って、ノワールが手にしているのは子供向けの絵本だった。この家の書斎にあったものだ。
「字を学ぶなら子供向けの絵本がいいかなと思って探していたら、これを見つけました。他にも何冊かありましたけど、この字、これあなたの名前でしょう?」
絵本の片隅に、拙い子供の字で『リュック・クルーズ』と書かれている。字を覚えたての頃、そう言えばあちこちに自分の名前を落書きしたのを思い出した。ノワールの文字の勉強も最初は名前からだ。
「壁紙の目立たない隅っこでもこの落書き見つけました。このお屋敷は、あなたが昔暮らしていたお家?」
「……すまない。子供の頃からよく使っていたセカンドハウスなんだ」
「そんなことだろうと思ってました」
「騙すつもりじゃなかったんだ。君が俺の援助を嫌がるかと思って……」
「わかっています。いずれにせよ、私は誰かの助けがなければ住まいひとつ見つけられなかった。だから、できるだけ負担になりたくないんです」
「負担なんてそんなことは……」
「でも、あなたに助けていただく謂れがありません」
「……」
「私、仕事が見つかって落ち着いたら、夫のウィリアム・ジャスティンを探しに行こうと思うんです」
「え? しかし……」
「だって、だって私が生きていたように、彼だってどこかで生きているかもしれないでしょう?」
「……そう、かな?」
「私、まだ何もかも信じられない。目が覚めたら百年も経っていて、私の知っていたあの世界がもうどこにもないなんて……。大切な人たちがみんないなくなっているなんて……」
「ノワール……」
「彼だって今この時もどこかで私のように眠っているのかもしれない。だって間違いなく、魔力のない私に魔法をかけて守ってくれたのは彼なんだもの。あの人が私独りを置いてけぼりにするなんて絶対に信じない……」
「……あの廃墟で何があったのか、思い出した?」
「……いいえ、まだ何も思い出せませんけど、その可能性もなきにしもあらずでしょう?」
「……」
確かにそうかもしれない。
だが、リュックは魔法使いなのでノワールを守っていた魔法が生半可なものではないことを感覚的にわかっていた。リュックの魔力も相当に大きいが、ノワールが施されていたような魔法をかけられる気がしない。あの魔法が使えたのだとすれば、ウィリアムはバケモノ級だ。だとすれば、本当にどこかでノワールのように今もまだ眠っているのかもしれない。もしそうなら、ノワールが彼の下に帰ってしまうのは見たくない。でも同じ魔法使いとして、そんな彼に会ってみたい気持ちもどこかにある。
「では、君を俺のアシスタントとして雇おう」
「え? でもそこまでお世話になるのは──」
「俺が君を目覚めさせてしまった責任があるし、俺は君に出会う前からずっと、クロネッカーの魔法道具を探してるんだ。君の生家だと言ったね?」
「ああ、はい。元々は武器作りの鍛冶屋だったそうですが、私が生まれてから商売を広げて工房になって、魔法道具全般を作ってました」
「君の髪を素材に混ぜることでクロネッカーの魔法道具は有名になった?」
「そう聞いています」
「俺は少し前まで、MC50年に作られたクロネッカーの魔法剣を持ってたんだ」
「へえ。50年なら……私が十三の時の髪だわ」
「そうか」
十三歳のノワールを想像してふと微笑ましい気持ちになった。MC37年生まれなら今の彼女は百二十歳だ。だがその見た目から百を引くのが自然だろう。十三歳の彼女は、今よりもっとあどけなかったに違いない。
「俺にはジャンク屋というあだ名があるんだ。俺が魔法を使うと壊れた魔法道具のガラクタができるから」
ノワールの脳裏に、初めてウィリアムを見た時、立派なプレートメイルがバキバキと音を立てて割れた時のことが蘇った。
「ああ……」
過去の思い出にふと唇の端を綻ばせるノワールを見て、リュックが言った。
「君のウィリアムも?」
「ええ。ふふ、魔道具クラッシャーだって街の名物になってました」
「でも、クロネッカーの魔剣を手に入れてから、俺は魔法道具を壊さなくなった。まぁ、君に出会う直前に壊してしまったが……」
「そう言えば、彼も私と結婚してすぐ、私の髪で作った魔法剣は壊れなかったわ。というより、巷の噂ではその剣を持って以降の彼は無敵だったと」
「結婚したのは十八歳の55年?」
「ああ、そうです」
「それ以降の君の髪には彼の魔力がこもっていた? 彼との結婚生活はその後二年じゃないか?」
「その通りです。なぜわかるの?」
「君が結婚して以降のクロネッカーの魔法道具は、神憑り的に卓越したものなのだそうだ。コレクターの間でも有名らしい。俺にはその魔法道具が必要だ。だから、それを探すのを君に手伝って欲しい。彼の行方もそこを手がかりにするしかないんじゃないか?」
「………」
ノワールがテーブルの上の自分の手を見つめて黙り込んだ。
そして、ふと立ち上がって剪定バサミを持つと、ヘアスティックでまとめていた髪をパサッと下ろし、ひと房つかむとおもむろにバッサリ切った。
「ノワール!」
リュックが驚いて立ち上がると、ノワールが切った髪をリュックに差し出しながら言った。
「それをお願いするのは私の方です」
「……!!」
「でも、あなたの魔法道具ならこの髪をどこかの工房へ持っていけば作れるわ。報酬はこれでいいですか?」
「ノワール……」
「そうよ、あの剣を追えばきっと、彼がいる」
「……わかった。これで契約成立だ」
「ありがとう、リュック」
応援ありがとうございます!
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