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二章

修行中1

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 トトともう二度と会えないと知った後のララの嘆きは激しかった。
 ひと月ほども毎日毎日、城の者たちはみんな、ララの「トトはどこにいるの? いつ帰ってくる?」という質問に悩まされた。
 いくら待ってもトトが来ないことを知ると、顔が変わるほど泣きに泣いた。その激しさは徐々に収まっていったものの、ふいに思い出したように城のあちこちでしくしくと泣き出すと、シンですら泣き止ますことができなかった。
 二人の愛らしい姿に心を癒されていた大人たちはみんな、ララのこの嘆きに胸を痛めた。レイチェルなど、いっそのことトトをもう一度誘拐してこの城で育ててはどうかと言ったほどだ。
 ところが、このままではララを見守る大人たちの間で病人が出るのではないかと気を揉んでいたある日、どういうわけか、ララはトトのことをピタリと言わなくなった。
 何事もなく、トトがやってくる以前のように元気に飛び回るようになったのだ。
 みな戸惑ったが、以前にも同じことがあった。両親を山火事で亡くしてしばらくすると、ララはポッカリとこの時の記憶を失っていたのである。
 解離性健忘症という。心を守るために、人の心が稀に作り上げる防波堤だ。
 その事実がまた、大人たちの哀れを誘うのだが、これ幸いとみんなララとともに、トトの存在をそっと心の奥に閉まったのだった。

 ララはその後順調にカリアの修行に入っていった。
 物覚えのいい幼いころに、一通りの薬と病の知識を詰め込み、その後年齢に合わせてゆっくり実習でその意味を身体に覚え込ませていった。
 ララは実に優秀な子供だった。乾いた砂が水を吸い込むように、知識も技術も吸収していく。特に外科術に才能を発揮し、自分でも様々な治療法や道具を編み出した。大の男すら怯む無残な傷や手術に挑むララに、何故外科がいいのだと聞くと、薬でゆっくり経過を見守る内科治療と違って、手っ取り早く一気に治療に結びつけられるのがいいのだそうだ。

「なるほど」

 どうやらララは、せっかちな性格らしい。


***


「ララ、おまえは好きな男はいないのかい?」

 18になったばかりの頃、ララはカリアにそう聞かれた。
 あまりにも唐突すぎて、一瞬反応できなかった。
 そもそも、日々の生活はあまりにも忙しく、王宮の治療院での仕事の他に薬の研究や勉強で手一杯だ。恋など考えたこともなかった。

「どうしてそんなことを聞くんです、おばあさま? もちろん、そんな人いません」
「ああ、私としたことが、自分が長生きなものだから、つい人の時間の感覚を忘れてしまう……」

 カリアは頭を掻き毟らんばかりにして顔をしかめた。

「ララ、私はおまえに結婚して子供を産んでほしい」
「は……? おばあさま、私はまだ18です」

 実を言えば、ララは男と女の営みに怯んでいた。
 知識はありすぎるほどちゃんとある。王宮の女性陣や往診先の娼館の女たちとの女子語りでは、大胆な話をいくつも聞いた。男の身体の仕組みだって、なんなら自分の身体よりよく知っている。
 シンでは臣下がみな気遣ってくれたので、滅多に若い男を診ることはなかったが、国外へ出てカリアの目の届かない往診ではそうはいかなかったのである。
 乙女の身に、これがいけなかった。医療の英才教育の多大なる弊害だ。
 性行為がもたらすあらゆる暗い側面も知ってしまったのである。
 ララは、軍隊が通り過ぎた村や町で、心無い男たちからひどい暴行に遭う女性たちを何人も診た。ララはそんな治療現場に出くわすたびに、男には決して身をまかせまいと強く決意したのだった。
 カリアが深くため息をつきながら言った。

「ララや、各国の王族に王族病ともいうべき神龍にちなんだ病があるのは知っているね?」
「ええ、まぁ……」

 神龍色を持つ王族は、どの国でもおおむね老けにくく頑健で長命だが、晩年になると特徴のある病を発症して亡くなることが多い。
 例えばゴダールは、血管梗塞を起こしやすいのだ。鉱物由来の黒龍の「精」が王族の血管を固くしてしまうからかもしれない。
 実は薬はある。
 シンではとっくに開発が済んでいる。要所要所にさりげなく使うことで、王家の信頼を勝ち得て来た。
 だが、カリアは決してこれを公表しなかった。この秘薬を外交の目玉として使ったのである。
 その他の王家の特質も、徐々にわかってきている。
 ゴダールが真っ先に研究対象とされたのは、他の国々に脅威を与える好戦的な武闘派国家だからだ。
 王家の弱みはがっちり掴んでおくに限る。そしてそんなしたたかな戦略が、小さな島国を長年守り続けたのだ。

「我が国シンのことはまだ教えてなかったね」
「ああ、そういえば……。でも、シンは人の病に効く薬の素材をその身に宿しているぐらいだから、ないと思ってました」
「実はあるんだよ」
「それはどのような……?」
「白龍のシンはいろいろな意味でかなりの変わり者だが、シンが特殊なのはシンの加護が一代限りだからだ」
「へえ、ああ、だからうちはおばあさま以外王族がなかったのですね」
「そうだ。各国の王族が持つ王族病ともいうべき神龍の副作用は、シンの場合、次の世代に強く出てしまう」
「子に…ということですか?」
「そうだ。人の病や怪我は、薬や医療が治してしまうように思うかもしれないが、実は自分自身が持つ自己回復力が一番大きな働きをしていることはもう気づいているね?」

 ララはもちろんと力強く頷いた。
 それは、医療に携わっているものならすぐに気づく人体の驚くべき能力の一つだ。

「次世代のシン王族は、この自己回復力が大きく損なわれてしまうのだ」
「……え」
「病に対抗する力がまるでなくなるということも含め、逆に狂った過剰反応を示すこともあり、その作用は身体にどのような影響を及ぼすのか見当もつかない。極端に病にかかりやすくなることもあれば、正常な骨や皮膚や内臓を、病と勘違いして壊してしまうこともある。症例は様々だ。法則性もよくわからない。必ず皆が死ぬわけではないし、発症しないものもいるが、そのさらに次の世代となると、不治の病でほぼ10割が必ず苦しむことになる」
「それは……」
「そう、だからシンの王は一代限りなのだ。つまり歴代の王はみな初代聖王だ」

 神龍から直接選ばれる最初の王を「聖王」という。その王の子供や孫などの子孫が王族というわけだ。

「聖王だけは、神龍の加護を一身に受けられる。子孫の王族に比べてもうんと長生きだ。そして、シンの王にならなければ作れぬ薬も多くある」
「え……」

 おばあさまだけが知っているシンの秘薬は、あらゆる感染症に劇的に効くのだ。おかげでシンでは流行病で亡くなる者がいない。
 各国の王族病の秘薬もおばあさまにしか作れない。
 シンは王国の生き物の健康を作る特性を持ちながら、王だけはその恩恵に預かれないなんて、皮肉なものだとカリヤは笑った。

「ララ、おまえは次代の王だ」
「でも、まだそうと決まったわけでは……」

 子供のころから言い聞かされてきたので、ある程度覚悟はできている。だが、ハッキリしたことはシンしか知らないのだ。

「シンがなぜ直ちにおまえに代替わりの聖婚をしないのかわからないが、私が死ねば間違いなくシンはおまえを選ぶだろう」
「……私に資質の王器がないから聖婚しないのかもしれません」
「いや、シンはおまえのためだけに小柄に変化へんげし、馬の姿になる」
「は……?」
「私はシンが変化できるなど、おまえが来るまで知らなかった。それにおまえは、時々シンの言葉がわかるね?」
「え、ええ、まぁ……」
「私はいまだにシンと言葉が交わせない。そんな者は、この王宮で、いや、この国でおまえひとりなのだよ、ララ」
「……」
「……すまないね、ララ。おまえにこんな重い選択を迫ることになって」
「私が本当に次の王……?」
「そうだ。だから、おまえが王になる前に、結婚して子供を産んでほしい。庶民の今なら普通の子が産める」
「そんなこと突然言われても……」
「ああ、そうだね。だからこれからすぐに見合いの手配を……」
「ちょ、ちょっと待ってください、おばあさま! 私、結婚なんて嫌です!」
「なぜ? 今の私の話を聞いてたかい?」

 心外だというように、カリアが両手を広げた。

「どうしても欲しくなれば、おばあさまが私を育ててくださったみたいに、もらい子をすればいいわけで」
「……まぁ、いいだろう。今すぐというわけでもないし、考える時間をやろう」
「私の考えは変わりません」

 以来、カリアや臣下たちは、これという若者をちょくちょくララの助手として置くようになった。
 だが、逆にララはこれで完全にへそを曲げた。
 知らない若い男がいると研究室から出てこなくなってしまったのだ。こうなると、ララが一筋縄でいかないことをみなよくわかっていた。
 カリアや臣下たちは頭を抱えたが、

「陛下、人間、一度も恋をしないのも難しいものですわ」

 レイチェルのこの一言で、みな「確かに」と一旦手を緩めることにした。
 が、この見込みは甘かった。
 そのまま気づけば、ララは二十歳をとっくに越していたのだった。



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