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七月一日

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七月一日・木曜日。この日、家に来るのは美咲だった。放課後、佐伯を待つことなく、俺は美咲と腕を組んで下校路をたどる。早くも、佐伯のゴツゴツした手が恋しい。
「美咲」
「うん?何湊くん」
銀縁眼鏡の大きな茶褐色の瞳が、にこやかに俺をのぞき込む。だが俺はそんな美咲から目を逸らした。
「あのさ。手、繋いでみないか」
「え?いいよ」
美咲は俺から腕を外すと、俺の手を握った。美咲らしい、冷たい感触。か細い手だった。痩せすぎて手も骨っぽい。これと比べると、佐伯の手のほうがまだ肉感がある。
「そういえば、湊くんと手繋いだことって、あまりないね」
「ああ。いつも腕組んでたからな」
美咲は、恥ずかしげにうつむいた。昨日お風呂で剃ってきたと言っていた、美しい襟足が見える。…が、萌えない。
「…私の手、どう?」
どうと聞かれても困る。しばし答えを選ぶ。
「細いな。身体と一緒で」
「奏ちゃん…、ふっくらしてたから、湊くんもそんな手が好きなのかなって思って」
奏?そんなやつもいたな。
「いや、美咲の手は美咲の手で魅力がある。か細くて、なんか、守ってやりたい気にさせられる手だ」
よくもこんなことを、しゃあしゃあと言えると自分で自分に呆れる。俺の中の手は、佐伯の手だけだ。今美咲と手を繋いでみて、それが一層よくわかった。

途中、スーパーで食材を買い出してから、二人で家に帰ってきた。
「それじゃあ、お夕飯の支度するね」
「ああ、ありがとう。今日のメニューは何だ?」
「豚肉安かったから、生姜焼きにするよ」
美咲は台所仕事に取り掛かった。セーラーブラウスの背に一筋通るファスナー。…しかし萌えない。呼吸を感じたら萌えるだろうか。俺はダイニングのテーブルから立ち上がった。
「美咲」
美咲を後ろ抱っこし、その腹に手を回す。
「うふふ。どうしたの湊くん」
「ちょっと、大きく息してみろ」
「こう?………っ」
切り揃えたサイドの髪越しに、美咲が大きく口を開くのが見て取れる。そして美咲が息を吸い込む。お腹が膨らむ。だが相変わらずブレス音が聞こえない。どうして美咲はこうなんだ。佐伯の「はああっ」が恋しい。
「はーっ」
吸い込んだ息を吐き出す美咲。口元近くまで鼻を寄せてみるが、口臭はしなかった。
「ブレス音、しないな。息も匂わない」
「臭ったら困るよ」
困るよ、じゃないだろ、美咲。
「音…、したほうがいい?」
「いや、別に聞こえるほうがいいってわけじゃない。音しないならしないで、かわいらしいものがある」
と、俺はまた美咲に嘘をつく。それもそれで。しかたない。俺に罪はない。

二人で夕食をとる。終始無言だった。だが美咲が口を開く。
「湊くん…、おいしい?」
「あ、ああ。おいしいぞ」
「そう?よかった。湊くん、何も言ってくれないから、ひょっとして口に合わないんじゃないかって思って」
「ああ、そんなことはない」
正直、料理の味なんてあまり感じていなかった。萌えなさすぎて、感情も感覚も落ちている。一時期、美咲に感じていた恋慕は、佐伯の影になって今はもう無い。俺たちはその後も無言で箸を動かす。美咲の目が、だんだんと心配げな、曇った目になっていくが、俺は構わなかった。

夕食が終わり、美咲が後片付けをすますと、俺と美咲は俺の部屋に入ろうとした。が、そこでふと気づく。
「あ、美咲」
「ん?何湊くん?」
「今夜はさ…、奏のベッドでヤろうぜ」
「ええ?どうして?」
「いや、なんとなく…」
なんとなくなんて嘘だ。美咲の潮で俺のベッドを汚したくないと、強く感じている。今までの新交歓会では、そんなこと思わなかった。美咲の潮でベチョベチョになったベッドで寝るのが嬉しかったものだ。
「わかった。じゃあ奏ちゃんの部屋行こう」
「ああ」
俺たちは奏の部屋に入る。ここに足を踏み入れるのは久しぶりだった。女の子らしい、かわいい部屋だった奏の部屋は、今はもうすっかり片付き、がらんどうになった空間にベッドがぽつねんと置かれている。
「寂しい部屋になっちゃったね」
美咲がぽつりとそう言う。とはいえ今の俺には奏なんていう昔の女など関心がない。ついでに言うなら、美咲にもあまり関心がない。今の俺の心は、それくらい佐伯で溢れている。過去二回、佐伯とともに過ごし、慰められ、温められた。その経験が、今の俺のすべてだった。
「こんな部屋でしても、湊くん寂しすぎて、気持ちよくならないんじゃない?」
「いや、そんなことはない」
寂しいだの何だのというレベルは、とうの昔に佐伯に捨てさせてもらった。今はただ、俺のベッドを美咲の潮で汚したくない気持ちだけだ。
「奏のベッドでヤってやるのも痛快じゃないか。『おい奏、美咲の潮でベッドをびしょびしょにしてやる、俺たちの幸せを受け取るがいい』って感じで」
と、俺のいつもの嘘八百。そんな俺を責めるか。ならば他にどんな言いようがある?俺に罪はない。
「そだね」
しかし美咲は俺の言葉を真に受けて笑った。
「じゃあ湊くん、しちゃおう。奏ちゃんのベッド、びしょびしょにしちゃおう」

奏のベッドでヤろうと言い出したのが美咲には効果的だったか、俺の気持ちが佐伯に向かっているばかりだったのに、美咲は終始大乗り気だった。少しでも膀胱側の急所を突けば、高らかに声を上げて潮を吹く。一通り行為が終わると、奏のベッドには派手に潮溜りができていた。こんなものを俺のベッドに作られてはたまったものじゃない。奏のベッドでヤって正解だ。
「はひっ…はひっ…気持ちよかったねっ」
快さげに息を弾ませながら、美咲が俺に微笑みかける。
「ああ。よかったよかった」
今日の行為でも、俺は美咲をそっと扱った。それは、一時期美咲が俺を支えてくれたからということよりも、今は美咲に自分の性癖を見せることそのものに抵抗があるからというほうが正しい。俺は今、美咲よりも佐伯をいじめたかった。佐伯なら、俺の性癖をも受け入れてくれるような気がした。佐伯となら、俺は愛しあえるような気がした。そんな俺の頭に秀馬の顔が思い浮かぶ。だが、それでも、俺は──。
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