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1話 from 菜月
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高校二年生。それは、太陽に向かってうんと手を伸ばす若葉のように瑞々しい、人生の中の青い季節。
恋に、部活に、勉強に、目まぐるしく移り変わる毎日は忙しくて大変だったけれど、その忙しさすら楽しかった。
それはまるで原色だけで描かれたかのような鮮やかさで、目に焼き付くように眩しくて、今もまだ色褪せない。
筆圧の強い生物の先生が書いたあとに黒板を消しても残っているチョークの跡。入ってもいないのに覚えてしまったソフトボール部の応援歌。階段の踊り場に飾られた海に沈んだ零戦の絵。一段全部マックスコーヒーが並んでいる自販機。古典の授業で寝ないために抓り続けていた左手。強い風が吹けば飛んでいきそうなトタン屋根のゴミ捨て場。ベランダに巣を作りたい燕と作らせたくない現代文の先生の戦い。一時間に一回は詰まる印刷室のコピー機。昼休みになって十分で売り切れる購買のパン。試験期間になると校門の近くで配られる駅前の塾のパンフレットと消しゴム。
大したことのない一つ一つも、全てが宝石みたいに輝いていた。
「女子高生」という称号を手にしたちっぽけだった私は、涙や笑いの全てを吸い込んで小指の爪くらいは成長できたと思う。
だからきっとあのときの私がいなかったら、今ここでこうして筆を執っている私は存在しなかっただろう。
*****
「じゃあさ、次の火曜日とかどうかな」
私、高田菜月にしてはかなり思い切ったことを言ったと思うが、この流れを逃すわけには行かない。今じゃなくちゃ、「一緒にゲーセンに行こう」なんて話、出てこないと思ったから。
「ああ、構わないよ」
目の前にいる男子生徒、橋本は遠くを見ながらそういった。背はそこまで高くなくて私と十センチくらいしか変わらないと思うのだが、立ち方が綺麗だからか、体が引き締まっているからか、スラッとしているように見える。
遠くを見ているのは顔を合わせづらいから、なんて理由ではないだろう。
だって私達は今、バスを待っているからだ。学校から駅へ向かうバスだ。遠くを見ているのは、バスがまだ来ないかと見ているだけだと思う。
放課後といっても、ホームルームの終わりからはかなり時間が経っていて、部活が終わる時間にはまだなっていない。そんなわけで、バスを待っている生徒は私達二人だけだ。
ひらりひらりと、桜の花びらが舞う。アスファルトで舗装された道路にたくさん落ちたそれは、縁取るように両脇に線を描いている。
少し西に傾いた太陽からの光はあたたかいが、スカートを揺らす風はまだ冷たい。
荷物がパンパンに詰め込まれた買い物袋を持っているおばあさんや、犬を連れた散歩中の親子が信号の色が変わるのを待っている。
肉じゃがを作るときのような、出汁と醤油の混ざった香りがどこかの家から流れてくる。
水彩画のような淡い色をした夕暮れの風景が、今日も止まることなく動き続けている。
「楽しみだな、ゲーセン。最近全然行ってなかったんだもの」
橋本とどこかに出かけるなんて初めてだからというのもあるが、そんなことを口にしたら高校生特有の変な勘違いが生まれてしまいそうなので、心の中にしまっておく。
だって、まだ関わりが深いとは言いにくいような関係だったからだ。
橋本と私の関係を一言で言い表すなら、友達の友達。
橋本は私の親友の岩瀬明日香と一緒に生徒会役員をしている。そこにたまに手伝いをしに行く私は、明日香の友達としてしか橋本のことを知らない。だから、今日「一緒にゲーセンに行こう」なんて話になったのは、本当にたまたまなのだ。顧問が会議で部活が休みにならなければ、塾に行くギリギリの時間まで生徒会の手伝いをしていなければ、明日香が定期を忘れて学校に取りに戻るなんてことがなければ、こんな話は出てこなかったのだ。
そんな偶然の積み重なりが、今はちょっと嬉しい。
「そうだ、連絡先交換しとこうよ」
勢いに任せて聞いてしまう。ここで聞くのを逃しても、橋本の連絡先を持っているだろう友達は何人も思い当たるが、今ここで聞かないと後悔してしまうような気がした。
「じゃ、これで」
橋本のスマホに表示されているQRコードをスマホで読み取る。
この連絡先を管理しているアプリは一年近く使っていて、連絡先の追加をすることなんて慣れているはずなのに、なぜか指先が小さく震える。間違ったところを押さないように慎重に、でも「もたもたしていてダサい」なんて思われないように少しだけ急いでスマホを操作する。
名前の欄には『Y』の一文字だけで、アイコンは長い黒の髪女の子のイラストだ。このキャラクターはパソコンでやるシューティングゲームに出てくるキャラだったと思う。
「名前のところ、『Y』としか書いてないんだけど、これで合ってるよね?」
「うん。いや、コード読み取りだから間違えるわけ無いでしょうが」
なんでそんなことを聞くのか、とでも言いたげな呆れた顔だ。
「なんで『Y』なの?」
「名前の頭文字だよ」
橋本の顔は呆れた顔のままだ。
「私、橋本の下の名前知らないんだけど」
明日香も、他の生徒会のメンバーも、先生も、橋本のことは「橋本」と呼んでいる。名前を聞く機会は、生徒会役員の任命式だとか、選挙だとかそんな時はあったかもしれないが、半年以上前のことだ。特に意識もしていなかったから、もしかしたら聞いていたのかもしれないけれど、覚えていない。
「あれ?そうだっけ?知っていると思っていたから、なんでいちいち聞くのかと思った。ゆきと、幸せな人って書いて幸人だよ」
普段から細い目を更に細くして、橋本が笑う。少し癖の混じった学ランの襟に付くかつかないかくらいの長さまで伸びている黒い髪がふわりと風に揺れる。その笑顔が眩しくて、その目を真っ直ぐ見ることができない。
「幸人って呼んでもいい?」
交換したばかりの連絡先の画面に目を落しながら聞いてみる。
呼び方なんて本当はどうでもいいのかもしれないけれど、名字で呼ぶよりもそのほうが友達らしいような気がしたからだ。それに、私からそう言ったら、私のことも「菜月」って呼んでくれないかな、という期待もある。
「構わんよ。俺も菜月って呼ぶけどね」
「うん、いいよ!」
思わず声が弾んでしまう。
初対面みたいなやり取りだけど、これで私は友達の友達くらいの付き合いから、友達に昇格できたような気がした。
恋に、部活に、勉強に、目まぐるしく移り変わる毎日は忙しくて大変だったけれど、その忙しさすら楽しかった。
それはまるで原色だけで描かれたかのような鮮やかさで、目に焼き付くように眩しくて、今もまだ色褪せない。
筆圧の強い生物の先生が書いたあとに黒板を消しても残っているチョークの跡。入ってもいないのに覚えてしまったソフトボール部の応援歌。階段の踊り場に飾られた海に沈んだ零戦の絵。一段全部マックスコーヒーが並んでいる自販機。古典の授業で寝ないために抓り続けていた左手。強い風が吹けば飛んでいきそうなトタン屋根のゴミ捨て場。ベランダに巣を作りたい燕と作らせたくない現代文の先生の戦い。一時間に一回は詰まる印刷室のコピー機。昼休みになって十分で売り切れる購買のパン。試験期間になると校門の近くで配られる駅前の塾のパンフレットと消しゴム。
大したことのない一つ一つも、全てが宝石みたいに輝いていた。
「女子高生」という称号を手にしたちっぽけだった私は、涙や笑いの全てを吸い込んで小指の爪くらいは成長できたと思う。
だからきっとあのときの私がいなかったら、今ここでこうして筆を執っている私は存在しなかっただろう。
*****
「じゃあさ、次の火曜日とかどうかな」
私、高田菜月にしてはかなり思い切ったことを言ったと思うが、この流れを逃すわけには行かない。今じゃなくちゃ、「一緒にゲーセンに行こう」なんて話、出てこないと思ったから。
「ああ、構わないよ」
目の前にいる男子生徒、橋本は遠くを見ながらそういった。背はそこまで高くなくて私と十センチくらいしか変わらないと思うのだが、立ち方が綺麗だからか、体が引き締まっているからか、スラッとしているように見える。
遠くを見ているのは顔を合わせづらいから、なんて理由ではないだろう。
だって私達は今、バスを待っているからだ。学校から駅へ向かうバスだ。遠くを見ているのは、バスがまだ来ないかと見ているだけだと思う。
放課後といっても、ホームルームの終わりからはかなり時間が経っていて、部活が終わる時間にはまだなっていない。そんなわけで、バスを待っている生徒は私達二人だけだ。
ひらりひらりと、桜の花びらが舞う。アスファルトで舗装された道路にたくさん落ちたそれは、縁取るように両脇に線を描いている。
少し西に傾いた太陽からの光はあたたかいが、スカートを揺らす風はまだ冷たい。
荷物がパンパンに詰め込まれた買い物袋を持っているおばあさんや、犬を連れた散歩中の親子が信号の色が変わるのを待っている。
肉じゃがを作るときのような、出汁と醤油の混ざった香りがどこかの家から流れてくる。
水彩画のような淡い色をした夕暮れの風景が、今日も止まることなく動き続けている。
「楽しみだな、ゲーセン。最近全然行ってなかったんだもの」
橋本とどこかに出かけるなんて初めてだからというのもあるが、そんなことを口にしたら高校生特有の変な勘違いが生まれてしまいそうなので、心の中にしまっておく。
だって、まだ関わりが深いとは言いにくいような関係だったからだ。
橋本と私の関係を一言で言い表すなら、友達の友達。
橋本は私の親友の岩瀬明日香と一緒に生徒会役員をしている。そこにたまに手伝いをしに行く私は、明日香の友達としてしか橋本のことを知らない。だから、今日「一緒にゲーセンに行こう」なんて話になったのは、本当にたまたまなのだ。顧問が会議で部活が休みにならなければ、塾に行くギリギリの時間まで生徒会の手伝いをしていなければ、明日香が定期を忘れて学校に取りに戻るなんてことがなければ、こんな話は出てこなかったのだ。
そんな偶然の積み重なりが、今はちょっと嬉しい。
「そうだ、連絡先交換しとこうよ」
勢いに任せて聞いてしまう。ここで聞くのを逃しても、橋本の連絡先を持っているだろう友達は何人も思い当たるが、今ここで聞かないと後悔してしまうような気がした。
「じゃ、これで」
橋本のスマホに表示されているQRコードをスマホで読み取る。
この連絡先を管理しているアプリは一年近く使っていて、連絡先の追加をすることなんて慣れているはずなのに、なぜか指先が小さく震える。間違ったところを押さないように慎重に、でも「もたもたしていてダサい」なんて思われないように少しだけ急いでスマホを操作する。
名前の欄には『Y』の一文字だけで、アイコンは長い黒の髪女の子のイラストだ。このキャラクターはパソコンでやるシューティングゲームに出てくるキャラだったと思う。
「名前のところ、『Y』としか書いてないんだけど、これで合ってるよね?」
「うん。いや、コード読み取りだから間違えるわけ無いでしょうが」
なんでそんなことを聞くのか、とでも言いたげな呆れた顔だ。
「なんで『Y』なの?」
「名前の頭文字だよ」
橋本の顔は呆れた顔のままだ。
「私、橋本の下の名前知らないんだけど」
明日香も、他の生徒会のメンバーも、先生も、橋本のことは「橋本」と呼んでいる。名前を聞く機会は、生徒会役員の任命式だとか、選挙だとかそんな時はあったかもしれないが、半年以上前のことだ。特に意識もしていなかったから、もしかしたら聞いていたのかもしれないけれど、覚えていない。
「あれ?そうだっけ?知っていると思っていたから、なんでいちいち聞くのかと思った。ゆきと、幸せな人って書いて幸人だよ」
普段から細い目を更に細くして、橋本が笑う。少し癖の混じった学ランの襟に付くかつかないかくらいの長さまで伸びている黒い髪がふわりと風に揺れる。その笑顔が眩しくて、その目を真っ直ぐ見ることができない。
「幸人って呼んでもいい?」
交換したばかりの連絡先の画面に目を落しながら聞いてみる。
呼び方なんて本当はどうでもいいのかもしれないけれど、名字で呼ぶよりもそのほうが友達らしいような気がしたからだ。それに、私からそう言ったら、私のことも「菜月」って呼んでくれないかな、という期待もある。
「構わんよ。俺も菜月って呼ぶけどね」
「うん、いいよ!」
思わず声が弾んでしまう。
初対面みたいなやり取りだけど、これで私は友達の友達くらいの付き合いから、友達に昇格できたような気がした。
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他サイトでも掲載中。
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