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雨がやむまであと三分
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強化ガラス張りの天井から壁をつたい落ちる雨が、ウロコのような模様を作っている。今日の天気予定だと、この雨はあと六分ほど降り続くはずだ。そう。天気予報ではなくて、天気予定。
(まさか数十年前の人間は、人類が火星に移住して、その星の天気まで操るようになるとは思わなかっただろうな)
超がつく大型ショッピングモールの隅にあるコーヒーショップの、そのまた隅で休憩しながら、ナオキはそんな無駄なことを考えていた。
「あの、すいません!」
声をかけてきたのは、長く茶色の髪を後でキリリと結んだ同い年くらいの少女だった。革風の、テカテカした赤の上着に黄色いミニスカという電気店の制服を着ている。シイナと胸にネームプレートがついているから、そういう名前なのだろう。
「お客様、さきほどコレを落とされませんでしたか」
手渡されたのは小さなミントタブレットのケースだった。どうやらさっきカウンターでサイフを出した時にでも落としたらしい。
「ああ、どうも」とお礼を言うと、シイナは笑顔で立ち去りかけた。
「あ、そうだ。ついでにちょっといいかな」
「はい、なんでしょう?」
「あんた、電気屋の店員さんでしょ? 少し聞きたいんだけどさ」
そういって、ナオキは自分の携帯を彼女に手渡した。
「この機種、地球とでも使える?」
「ええ、契約を変更すれば可能ですが…… お勧めしません」
「なんで?」
「星間通話は一分あたり高いですよ~ そのワリに、しゃべってから相手に声が届くまでタイムラグがあるんです。それに、電磁波の影響で通話不能になることも結構あるし。普通にEメールにしておいた方がいいと思いますよ」
「い、いや、それでも話したい」
シイナはふっと微笑んだ。
「お客さん、近々地球に引っ越すコがいるのね。しかも、そのコのこと好きでしょ」
「お前、エスパーか?!」
「その顔見たら分かるって」
いたずらっぽく笑うシイナは、敬語を使うことも忘れているようだった。
ナオキと幼なじみのキリエは、兄妹のように育った。よくある話だ。一人前に色気づいて、自分がキリエの事を好きになっている事に気づいて。でも、それを告げたらバカ話で頭をどつき合うような関係が壊れてしまいそうで。
で、そうこうしているうちに父親の都合でシイナが地球に行く事になって。本当によくある話だ。
「ねえ、そのコにもう告白したの?」
「いや、まだ」
(一体、なんなんだこの女は。なれなれしいにもほどがある)
そう思いながら、それでも答えてしまう自分は本当にお人好しだなとナオキは考えた。「早くした方がいいわ。そのコが地球に行ったら、もうめったに会えなくなっちゃうし。なおさら言いづらくなると思うの」
「……」
そう。自分の性格上、多分そうだ。
キリエは必死で新しい生活に慣れようとしている所なのに、変な事を言ってジャマをしてはいけないとか何とか、それらしい言い訳を見つけだして、だらだら引き延ばして。そして、地球で他の奴に取られないかハラハラして……
(うう、何だか死にたくなってきた)
「それに人生、何が起こるかわからないっていうでしょ?」
「なんだそりゃ」
「もしかしたら、これから家に帰る途中あなたが車にひかれて死ぬかも知れないわよ。そのコの乗った宇宙船だって、落ちるかも知れないしね」
「あ?」
さすがに最後の不吉な言葉にはムッとして、ナオキはシイナの顔をにらみつけた。
「もしそうなったら死ぬほど後悔しない?」
意地の悪い笑みを浮かべていると思った彼女の顔は、意外にも真顔だった。大きな茶色の瞳は、どこかすがるように揺れている。ピンク色の唇は、キュッときつく閉じられていた。
(ああ、この子も好きな奴がいたんだな)
それこそエスパーではないけれど、それが分かった。
病気か事故か知らないけれど、相手は手の届かない所へ行ってしまったのだろう。地球や金星が近所に思えるぐらい遠くへ。シイナが伝えたい想いを言うより先に。
「ね、わかったでしょ?」とでも言いたそうに、シイナは微笑んだ。目のはしにちょっと涙をためて。
ナオキは携帯画面の隅に浮かんでいるデジタル時計に目をやった。そして、雨が降り続く空を見上げる。
「よし、わかった」
「え?」
ナオキは警察の手帳のように携帯を彼女に突き付けた。
「雨がやむまであと三分! あと三分であいつに告白してみせる。晴れて恋人同士になったとたんに雨があがるんだ。悪くないだろ?」
「え? なんでそんないきなり」
どういうわけか、それがシイナのためにもなる気がして。ナオキはそう宣言すると、震える指で携帯のボタンを押した。
「あ~、キリエ? もう地球行きの準備は終ったか?」
『うん、もうほとんど出来たよ』
聞きなれた、のほほんとした声。
「ホントかよ。忘れ物すんなよ? お前、昔修学旅行に行った時……」
キリエはなんというか相変わらずキリエで。なんというか、話していて心地いい。
(なんか、このままでもいいんじゃないか?)
キリエの話に笑いながら、ナオキはいつの間にかそう考えていた。想いなんて、今急いで伝えなくたって。それに何よりフられたら?
視界の隅で、ちらりと自分の携帯の時間を確認するのが見えた。もう、タイムアウトまで時間がない。
ドキッとナオキの胸が高鳴った。
(そうだ。今言わないと。これをきっかけにしないと、きっといつまでたってもこの想いは――)
「あ、あのさキリエ。いきなりで悪いんだけど、俺、お前の事が……」
雨は、止んだ。わざとらしいくらい、明るい太陽が雲からのぞく。
「何というか、まあ、その、ご愁傷様です」
突っ伏した背中にシイナが声をかけてきた。
「うっせ~」
ナオキはもちろん大好きで大切だけど、好きな人は他にいる。それがキリエの答えだった。
「うっわ~ なんか罪悪感あるなあ。私よけいな事しちゃったかなあ」
「いいや、別にそんな事はねえよ。告白の後押ししてくれた事は感謝してるさ」
その時、急に周りの客がざわめいて、ナオキのため息をかき消した。
「虹だ!」
シイナが指差した方向を見る。ガラスの天井のむこうに横たわる、やわらかな弧。ホログラムよりはかない色の帯が、空を彩っている。
虹だけは、天気予定表にはのらない。いつ出るかわかる虹なんて、おもしろくもなんともないから。
告白の後の、虹。結果が幸せな物なら絵になっただろうに。このタイミングでは何かの嫌がらせとしか思えない。
「あと三十分で仕事終わるけど…… その後何かおごろうか?」
「いや、いい。大体フられた直後にそんな気になれるか」
「ですよね~ でも、ほら、また好みのコが現れるかも知れないし」
まるっきり人事のシイナに、ナオキは冷たい視線をむけた。
今はまだキリエのことしか考えられそうにない。まして奴以外の女の子を好きになるなんて。
(しかし、なんて一日だったんだ。ほんの数分間でシイナと会ってキリエにフられて……)
『人生、何が起こるかわからないっていうでしょ?』
なぜか、シイナの言った言葉が頭に浮かんだ。
「そうそう。言い忘れてたけど、私のフルネームは、シイナ リホ」
「聞いてない」
予定外にかかった空の虹は、まだ消えてはいない。
(まさか数十年前の人間は、人類が火星に移住して、その星の天気まで操るようになるとは思わなかっただろうな)
超がつく大型ショッピングモールの隅にあるコーヒーショップの、そのまた隅で休憩しながら、ナオキはそんな無駄なことを考えていた。
「あの、すいません!」
声をかけてきたのは、長く茶色の髪を後でキリリと結んだ同い年くらいの少女だった。革風の、テカテカした赤の上着に黄色いミニスカという電気店の制服を着ている。シイナと胸にネームプレートがついているから、そういう名前なのだろう。
「お客様、さきほどコレを落とされませんでしたか」
手渡されたのは小さなミントタブレットのケースだった。どうやらさっきカウンターでサイフを出した時にでも落としたらしい。
「ああ、どうも」とお礼を言うと、シイナは笑顔で立ち去りかけた。
「あ、そうだ。ついでにちょっといいかな」
「はい、なんでしょう?」
「あんた、電気屋の店員さんでしょ? 少し聞きたいんだけどさ」
そういって、ナオキは自分の携帯を彼女に手渡した。
「この機種、地球とでも使える?」
「ええ、契約を変更すれば可能ですが…… お勧めしません」
「なんで?」
「星間通話は一分あたり高いですよ~ そのワリに、しゃべってから相手に声が届くまでタイムラグがあるんです。それに、電磁波の影響で通話不能になることも結構あるし。普通にEメールにしておいた方がいいと思いますよ」
「い、いや、それでも話したい」
シイナはふっと微笑んだ。
「お客さん、近々地球に引っ越すコがいるのね。しかも、そのコのこと好きでしょ」
「お前、エスパーか?!」
「その顔見たら分かるって」
いたずらっぽく笑うシイナは、敬語を使うことも忘れているようだった。
ナオキと幼なじみのキリエは、兄妹のように育った。よくある話だ。一人前に色気づいて、自分がキリエの事を好きになっている事に気づいて。でも、それを告げたらバカ話で頭をどつき合うような関係が壊れてしまいそうで。
で、そうこうしているうちに父親の都合でシイナが地球に行く事になって。本当によくある話だ。
「ねえ、そのコにもう告白したの?」
「いや、まだ」
(一体、なんなんだこの女は。なれなれしいにもほどがある)
そう思いながら、それでも答えてしまう自分は本当にお人好しだなとナオキは考えた。「早くした方がいいわ。そのコが地球に行ったら、もうめったに会えなくなっちゃうし。なおさら言いづらくなると思うの」
「……」
そう。自分の性格上、多分そうだ。
キリエは必死で新しい生活に慣れようとしている所なのに、変な事を言ってジャマをしてはいけないとか何とか、それらしい言い訳を見つけだして、だらだら引き延ばして。そして、地球で他の奴に取られないかハラハラして……
(うう、何だか死にたくなってきた)
「それに人生、何が起こるかわからないっていうでしょ?」
「なんだそりゃ」
「もしかしたら、これから家に帰る途中あなたが車にひかれて死ぬかも知れないわよ。そのコの乗った宇宙船だって、落ちるかも知れないしね」
「あ?」
さすがに最後の不吉な言葉にはムッとして、ナオキはシイナの顔をにらみつけた。
「もしそうなったら死ぬほど後悔しない?」
意地の悪い笑みを浮かべていると思った彼女の顔は、意外にも真顔だった。大きな茶色の瞳は、どこかすがるように揺れている。ピンク色の唇は、キュッときつく閉じられていた。
(ああ、この子も好きな奴がいたんだな)
それこそエスパーではないけれど、それが分かった。
病気か事故か知らないけれど、相手は手の届かない所へ行ってしまったのだろう。地球や金星が近所に思えるぐらい遠くへ。シイナが伝えたい想いを言うより先に。
「ね、わかったでしょ?」とでも言いたそうに、シイナは微笑んだ。目のはしにちょっと涙をためて。
ナオキは携帯画面の隅に浮かんでいるデジタル時計に目をやった。そして、雨が降り続く空を見上げる。
「よし、わかった」
「え?」
ナオキは警察の手帳のように携帯を彼女に突き付けた。
「雨がやむまであと三分! あと三分であいつに告白してみせる。晴れて恋人同士になったとたんに雨があがるんだ。悪くないだろ?」
「え? なんでそんないきなり」
どういうわけか、それがシイナのためにもなる気がして。ナオキはそう宣言すると、震える指で携帯のボタンを押した。
「あ~、キリエ? もう地球行きの準備は終ったか?」
『うん、もうほとんど出来たよ』
聞きなれた、のほほんとした声。
「ホントかよ。忘れ物すんなよ? お前、昔修学旅行に行った時……」
キリエはなんというか相変わらずキリエで。なんというか、話していて心地いい。
(なんか、このままでもいいんじゃないか?)
キリエの話に笑いながら、ナオキはいつの間にかそう考えていた。想いなんて、今急いで伝えなくたって。それに何よりフられたら?
視界の隅で、ちらりと自分の携帯の時間を確認するのが見えた。もう、タイムアウトまで時間がない。
ドキッとナオキの胸が高鳴った。
(そうだ。今言わないと。これをきっかけにしないと、きっといつまでたってもこの想いは――)
「あ、あのさキリエ。いきなりで悪いんだけど、俺、お前の事が……」
雨は、止んだ。わざとらしいくらい、明るい太陽が雲からのぞく。
「何というか、まあ、その、ご愁傷様です」
突っ伏した背中にシイナが声をかけてきた。
「うっせ~」
ナオキはもちろん大好きで大切だけど、好きな人は他にいる。それがキリエの答えだった。
「うっわ~ なんか罪悪感あるなあ。私よけいな事しちゃったかなあ」
「いいや、別にそんな事はねえよ。告白の後押ししてくれた事は感謝してるさ」
その時、急に周りの客がざわめいて、ナオキのため息をかき消した。
「虹だ!」
シイナが指差した方向を見る。ガラスの天井のむこうに横たわる、やわらかな弧。ホログラムよりはかない色の帯が、空を彩っている。
虹だけは、天気予定表にはのらない。いつ出るかわかる虹なんて、おもしろくもなんともないから。
告白の後の、虹。結果が幸せな物なら絵になっただろうに。このタイミングでは何かの嫌がらせとしか思えない。
「あと三十分で仕事終わるけど…… その後何かおごろうか?」
「いや、いい。大体フられた直後にそんな気になれるか」
「ですよね~ でも、ほら、また好みのコが現れるかも知れないし」
まるっきり人事のシイナに、ナオキは冷たい視線をむけた。
今はまだキリエのことしか考えられそうにない。まして奴以外の女の子を好きになるなんて。
(しかし、なんて一日だったんだ。ほんの数分間でシイナと会ってキリエにフられて……)
『人生、何が起こるかわからないっていうでしょ?』
なぜか、シイナの言った言葉が頭に浮かんだ。
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