戸棚の中の骨 2

三塚 章

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おじぎする男

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 Mとは、週一回塾で会う間柄だった。休み時間には、お互いスマホでSNSやゲームをやりながら、目を見ることもなく、なんとなくぽつぽつと話をするあいだがらだった。
 そのころ、Mはとあるゲームにはまっていて、Kが画面をのぞくと、大抵はかわいい女キャラが魔物相手に杖を振っていた。
 けれどその日、Mは珍しく塾近くのマップを熱心に見つめてた。
「あれ? なんでそんなモン見てるの? どっか行くのか?」
 Mは視線をスマホの画面をむけたまま、「うん、まあちょっと」と気のない返事をした。
 普通だったら「そう」で流すところだ。
 だけど、「ちょっと」の言い方が引っかかった。
 なんだか、悪い事をごまかそうとしているような、それでいて、楽しいことを秘密にしているような。
 気になったKは、「ちょっとってなんだ?」としつこく聞いてみたようだ。すると根負けしたのか、Mはしぶしぶと話し始めた。

 塾から駅に向かう途中に、飲み屋や食堂が並んでいる一角がある。
 帰る時間になると、明りのついた店々から人の話し声と食器の触れ合う音が通りまであふれ、勤め帰りの人が行きかうようになる場所だ。
 Mがそこを通りかかった時、視界の隅に不自然に動く物を見た気がした。。
 ビルとビルの間、ゴミ箱や投げ捨てられた缶やペットボトルがあるだけのスペースに、何かがいる。店の明かりも、行き交うヘッドライトも届かない薄闇の中、灰色の背広をきた男が後ろを向いて立っているのだ。
 髪の毛はバサバサで、体はスーツを着ていてもやせているのが見て取れた。べたべたと得体の知れない汚れがこびりついている地面についた靴はひどく汚れていた。
 うっすらと変な臭いがするが、ビルの間に溜まったゴミの臭いなのか、その男の臭いなのかまでは分からなかった。
(あんな所で何やってるんだ?)
 そう思うより早く、男の腰から上がすうっと消えた。
 Mは思わず悲鳴をあげかけたという。
 理由が分かれば大したことなかった。男は深々と頭を下げたのだ。
 男の正面に誰かいるのかと思ったけれど、ビルの隙間を通して向こうの通りが見えるだけで他に人影はない。
 上体を起こした男は、また頭を下げる。二度、三度、何度も、何度も。
 なんとなく、Mはししおどしを思い出したそうだ。ドラマで高級料亭かなんかのシーンによくある、水で竹筒が上下するあれだ。
 そんな連想をしている間にも、その男は止めることなくお辞儀を繰り返している。
(あの歳で、面接の練習でもしているのか? それとも、何かミスをやらかして、謝るシュミレーションでもしているのか?)
 少し気味の悪く感じながら、Mはその場を後にした。

 それから、次の週もその次の週の帰りも、その男はそこでお辞儀を繰り返していた。ただ、後ろ姿しか見えないけれど、だんだんと背広がよれよれになってきているように見える。
 そしていつごろからか、すすり泣きの声まであげるようになってきた。
(なにか……前よりヤバくなってきてないか)
 そう思ったけれど、気味の悪い虫につい目をやってしまうように、Mは毎週あの男の様子は確認するようになった。
 そのうち、Mはその男が鼻をすする合間に、小さく何か呟いているのに気がついた。
 思わず足を止め、耳を澄ませる。
『ご……め……アキ……コ……ユ……カ……』
 そう言いながら、また何度も頭を下げる。
(女の名前? 二人も? 奥さんと浮気相手にでもあやまる練習かぁ?)
 ひょっとしたら、浮気がバレそうで、その時にそなえ予行練習をしているのだろうか?
 そう思うとなんだかそのおじさんがかわいく思えて、Mはふふっと笑ったそうだ。

「それから、R駅で人身事故があって、電車が遅れたことがあったんだ」
 R駅というのは、Mが通っている塾の近くにある駅だ。
 Kも、その駅は何度か使ったことがあり、どんな感じの所かは知っていた。
 とくに他の線に乗り換えることもできない、小さ目の駅だという。
「人身事故っていうことは、ホームから飛び降りたのか? でも、あそこってホームドアついていたよな」
「ああ、それが、実際に見たわけじゃないから、本当かどうか分からないけどさ」
 そこで、Mはなんとも言えない笑みを浮かべた。
「電車が来るタイミングで、お辞儀をしたらしいんだ。ホームドアにぎりぎりまで近づいて」
 そんなところで、頭を線路側に差し出したら、どうなるか。
「じゃあ、その男がやっていたのって……」
 暗闇のなか、何度も頭を下げる男。
 ためらったりしないように。逃げ出したりしないように。
「そう、自殺の練習だったんだよ」
 ぼくは、ごくりとツバを飲み込んだ。
 では、あの男が呟いていたという女性二人の名前は、遺していく妻と子供の名前だったのかも知れない。
「でも、なんでわざわざその駅で? 飛び降りるなら、まだホームドアがついていない所があるだろうに」
 僕がそういうと、そこのところはあまり興味はないのか、Mは面倒くさそうに首を振った。
「さあ、なにか、その駅にこだわりがあったんだろう」
「あれ、でもさ」
 そこで僕はふと疑問が沸いた。
「なんで、その話が地図と繋がるんだよ?」
 長々とMの話を聞いてきたけれど、そもそもの発端は『なんでMがゲームじゃなくて地図を見ているのか』だったはずだ。
「ああ、それなんだけどさ」
 そういって、またMは画面に視線を戻した。
「この前、そのビルの間に人影があったんだよ。細い体つきの女で、胸に小さな赤ん坊抱えてさ」 
「まさか、またお辞儀をしているのか?」
「ううん。一歩、ピョンと前に跳ぶんだ。そして下がって元の場所に戻る。そしたら、またピョンと一歩前に跳ぶ。また下がって、それを繰り返す。一定の感覚で、ピョン、ピョン、って」
「え……」
 一瞬、頭の中で薄暗い中で、女性の細い背中が上下している光景が浮かんだ。
「多分、飛び降りの練習をしているんだと思うんだよ。だから、この辺りで柵のない屋上とか、それこそホームドアのない駅がないかどうか探しているんだ。まあ、そんな漠然とした場所、知り様がないしどうしようもないけど」
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