俺とつくも神。

三塚 章

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第三章 神様の条件1

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 死んだら、どうなるんだろう。誰もが一度は考えることだろう。和樹も、何回か考えた事があった。
意識を失って、後はまったくの無。ハイそれまでよってのが、一番正しいような気がするが、それではちょっと寂しすぎる。じゃあ、聖書か何かにあるように、本当に天国や地獄があるのだろうか。あったとしたら、自分はどちらへいけるのだろう。地獄へ落とされるほどの悪事をした覚えはないが、天国行きを主張するほどうぬぼれてはいない。
 ただ、できれば、きれいな場所へ行きたいとは思う。真っ青な空が広がるどこかに。そして何人か、死んでよかったと思えるほどの美女がむかえに来てくれれば最高だ。社会に役立つようなことは特に何もしていないが、最後まで人生行き抜いたら、それくらいのご褒美があってもいいと思う。
(だけど、くそ。実際はただの闇かよ)
 和樹は舌打ちをした。
(ごめんな、羽原…… 助けられなくて)
「ボーイ、目をあけてごらん」
 誰かの、ハスキーな声が降ってきた。その声はどこかエコーが掛かっていて、ただの人間の物とは思えなかった。
「起きろって軽く言うけどよ。俺、起きられるのかね。たぶん、死んでると思うんだが」
 どんなに無茶な設定でも夢の中なら飲み込めるように、特に不思議とも思わず和樹は応えた。
「まず、できるかどうかやってごらん」
 言われたとおり、和樹はゆっくりと目を開けた。
 目の前にぽっかり大きな鼻の穴が広がっていた。灰色の鼻の周りにツンツンとひげが生えている。くりんとした目が、二、三回瞬いた。小さな耳が、クルクル回る。むっちりとした胴に、短い足。
そう。それは一匹のカバだった。ばふっと吹き出た鼻息で、和樹の前髪が揺れた。
「ふざけるなぁっ!」
和樹は思い切りカバの鼻面を殴りつけた。
「な、何するんだボーイ! いきなり人の鼻を殴りつけるのが最近の流行なのかい?」
 カバは、前足で殴られた場所を押さえている。つぶらな目が涙でにじんでいた。
「黙れカバ!」
 和樹は、頭を抱えてしゃがみこんだ。
「ちくしょう! 今まで必死に生きてきてこれかよ!」
「『必死に生きてきて』って、まだ十数年しか生きていないだろうに」
「ええい、うるさい! こんなんだったら、五年前死んだ婆ちゃんに三途の川の向こう側から手招きされた方がまだましだ!」
「婆ちゃんに失礼な」
「迎えに来たのが美人どころか、人間ですらないなんてえ! やっぱりこの世には神も仏もいねえのか!」
 カバが、前足で和樹の肩を叩いてきた。
「神様ならいるよ?」
「どこに」
 カバは、自分の顔を前足で指した。
「ここに」
「死ねぃ!」
 殺意を込めて放った拳を、カバは意外と軽やかなステップでかわした。
「ボーイ。君は殴り合わなきゃ人と話ができないのかい? それとも、この私と拳の友情を結ぼうとしてる?」
「黙れ。そんな生臭い神がいてたまるか。いたとしても、そんな神に支配されてる世界なんて断固拒否する」
「何を言う。カバは古代エジプトでは安産の神として崇拝……」
「知りたくねえよ、そんなトリビア」
 カバは、ふうっと溜息をついた。
「しかたないね。せっかくのお客様だ。サービスするか」
カバの足元から、手品のように煙が湧き上がった。煙に浮かぶシルエットが、少しずつ削れて長くスリムになっていく。
現れたのはいたずらっぽい笑顔の少女だった。肌は上質のコーヒー色。肩の辺りまで伸びた白銀の髪は、細かい編みこみがいくつも施されていた。ほっそりとした体の曲線は、風呂上りのバスタオルのように巻かれた赤い布で隠されている。真夏の太陽の下で、南国のフルーツが詰まったカゴを持たせたらそのまま絵になりそうな少女だった。
「これならどうだい、ボーイ」
 まるで子猫のように人懐っこい笑みを浮かべて、自称神はぐいっと顔を近づけてくる。
 和樹は、無言で親指を立ててみせた。
「現金なものだねえ。まあ、それぐらいの奴の方が、これから面白いかも知れないな」
「どういうことだ?」
 和樹はそこで少し冷静になった。良く考えたら、しゃべるカバだけでもありえないのに、それがかわいい女の子になったときたもんだ。神とはいわないが、こいつは間違いなく普通の人間ではないだろう。
「それに…… ここはどこだ?」
 和樹が立っていたのは、いつもの駅前通りだった。ガムの跡がこびり付いたアスファルト。ガードレールに描かれた、何を主張したいのかよくわからない落書き。まだ灯りの灯っていない街灯。
だが、動くものが一つもない。車もなく、歩く者もいない。まるで生き物だけを跡形もなく消し去るウイルスでも撒かれたように。しかも、空気が蒼い。まるで瞳の部分まで色が塗られた不良品のカラーコンタクトでもつけているようだった。
「ここは、現実から少しずれた世界。神様や、精霊の住む世界。まあ、この世とあの世の間の世界ってとこだね」
 自称神様は、ふわふわと宙に浮かび上がる。
「そして私は、このコンガの精霊だ」
 神様は、楽器店のショーウィンドウを指差した。まるで黄金で造られているようにピカピカ光るトランペットや、飴色のバイオリンと一緒に、古びた太鼓が飾られていた。バチではなく、手の平で叩くタイプの物だ。黒い胴には飾り紐が巻きつけられている。丁寧に扱われているようで結構きれいだが、古いものだけが持つ独特の凄みがあった。
「げっ! 高え! ウン十万! ここまでくると楽器というより骨董品の価値だな」
「それだけ長い間壊れずにいたから、私が生まれたってわけ。まあ、日本的にいうならつくも神って奴だ」
「つくも神? つくも神ってあの古い道具に命が宿るって奴か」
 一瞬、和樹の頭に草履に一つ目と舌がついた化け物が、筆のタッチで浮かび上がった。でも、なんだか実物はかなり違うようだ。
「なるほど。神様ってのもあながち嘘じゃねえわけだ。それならカバからその姿に変身したのも不思議じゃないぜ。で、その姿とカバ、どっちがお前の正体なんだ?」
「どっちも違うね。私には肉体がないもの。自分の好きなように姿を変えられるし、そのどれが本物ってわけではないさ」
「でも、何故にカバ…… まあ、人の趣味に文句は言うまいよ。それにしても信じられねえ、二十一世紀にもなって神様なんて……」
「そんなことないよ。ほらあそこにもいる」
 つくも神が指差したところは、小さなお稲荷さんだった。商売繁盛に建てた物なのだろう。リカちゃんハウス並みの社が、会社の隅にポツンと立っている。その鳥居に、小さな女の子が腰掛けていた。巫女さんの格好に、キツネの耳と尻尾をつけている。人形にして一体五百円くらいで売ったら人気が出そうなかわいらしさだ。
「神や精霊は、人の心から生まれる。幸せになりたいという欲望からは、あの子みたいなお稲荷様が、長い間使っている物に対する感謝の気持ちや畏怖の気持ちからは私みたいなつくも神が……って感じだね。神が人間を創ったんじゃない。人間が神を創り出すのさ。人間がいるかぎり、神や精霊はいなくならないよ」
 女神がふざけて投げキスを送ると、キツネは袖で口元を押さえて頬を赤くした。そしてぽんっと飛び上がって一回転すると消えてしまった。
「で、その精霊だか、神様だかが俺になんのようだ?」
「ボーイ。君、誰か人を探しているんじゃなかったかい?」
「そうだった! 羽原!」
 和樹は急いでポケットを探り携帯を探し始めた。
「くそ、バカみたいに走ってないで、最初からこうすればよかったんだ! アイツは人殺して逃げるような奴じゃねえ。きっと殺人鬼にさらわれたんだ! 警察、警察、救急車!」
「あー。むりむり。どうせ圏外だから」
 女神は折り畳みの携帯を広げようとする和樹の手を押さえる。
「ボーイ、その羽原とやらを一刻も早く探し出したいんだろ? 私が力を貸そうじゃないか。君は運がいいよ。この私がいる楽器店の前でたまたま倒れるなんて」
「本当か?」
「力を貸す、というよりは取引に近いかな」
女神はふわりと浮かんで、和樹の顔を覗き込んだ。
「知ってるかな。人間は、喜んだり悲しんだりすると、かなりのエネルギーを放出するんだ。私たち神は、そのエネルギーを食べて生きてる。ちょうど、植物が日の光で育つようにね」
 桃色の舌が唇を舐める。
「とくに、自分が力を分けてあげた人間の感情は最高だ。君がお姫様を助けようと必死になればなるほど、私はお腹が膨れるってわけ。神社の神様が人の願いをかなえるのも、欲望やら喜びやらの感情を食べるためさ」
 和樹は、露骨に顔をしかめて見せた。
「なんだか、どんどん神様のイメージが崩れていくみたいだ。まあ、何にせよ、その能力で、羽原をさらった奴をコテンパンにノせばいいんだな。それで、どんな能力をくれるんだ?」
 マンガのワンシーンが頭に浮かぶ。
風が吹き上げる、高層マンションの上。空の半分を覆い尽くしてしまいそうな巨大な満月を背景に、二人の男が向き合っている。片方の男が、舞うようにゆっくりと手を真横に差し出す。指先に宝石のような輝きが生まれ、その光は一振りの刀となった。向かい合う男は、口元を歪めるとコンクリートの屋上に手をつく。広げられた手の平を中心に、赤く輝く魔方陣が展開して……
「私は太鼓の精霊だからね。あげられるのは鼓動を知る能力くらいだよ」
「鼓動を知る?」
「そうだね。例えばその、羽原という子の場所が鼓動で分かるんだ。警察や探偵よりは居場所を早くつきとめられると思うよ」
「へ、なんだって? それだけかよ? えらく地味じゃねえか? なんかもっとこう、達人の剣技とか、札から召喚獣を出したりとか……」
「……ボーイ。君、子供の頃結構ゲーマーだったね? それとも格闘マンガにはまってた?」
「後者」
 律儀に答えながら、和樹は腕を組んで考えた。
たしかにこのうさん臭い女神の言う通り、羽原の居場所が分かる能力は魅力的だ。わざわざ目撃証言を集めたり、ビラを撒いたりする必要がなくなるのだから。和樹は、この事件を警察にまかせきりにする気は毛ほどもなかった。できれば警察が出て来る前に犯人を捕まえて、そいつを日本海溝深く沈めたいくらいだ。
 覚悟を決めた和樹は、ニヤリと笑って見せた。
「いいぜ。お言葉に甘えようじゃねえか」
「ただし、条件があるけどね」
 まるで和樹のマネをしているように、女神も唇の端っこを吊り上げた。
    
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