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8話
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「ルカ様、お医者様からお庭のお散歩の許可が出ましたよ!」
朝食の片付けを終えたメイが、明るい声で部屋に入ってきた。
ベッドの上で窓の外を眺めていたルカは、ゆっくりと首を巡らせた。
「……そっか、ありがとうございます。メイさん」
淡々と答えるルカに対し、メイは少しだけ困ったように微笑み、ベッドの傍らに歩み寄った。
「あの、ルカ様。前からお伝えしようと思っていたのですが……私への敬語、やめにしませんか?」
「……?」
「私はこの屋敷のただのメイドですし、ルカ様は旦那様の大切なお客様です。それに……そんな風に他人行儀に話されると、私、少し寂しいですから」
上目遣いで冗談めかして笑うメイを見て、ルカは小さく瞬きをした。
前世の裕太だった頃から、人間関係の波風を立てないよう、誰に対しても当たり障りのない敬語で接するのが染み付いていた。だが、メイの言葉には裏表がなく、ただ純粋に距離を縮めたいという温かな気遣いが滲んでいる。
「……わかった。じゃあ、気をつけるよ。……メイ」
「はい!」
パァッと花が咲いたように笑うメイを見て、ルカの胸の奥がほんの少しだけ温かくなった。
「……外の空気、久しぶりだから。少し、嬉しいかも」
「ふふっ、今日は風が穏やかで、とても暖かいんですよ。お庭には珍しいお花も咲いているので、一緒にお気に入りを見つけましょうね!」
用意された上着を羽織り、ルカは促されるままに部屋を出た。
【メイ視点】
少し前を歩く華奢な背中を見つめながら、メイはふと、彼がこの屋敷に運ばれてきた日のことを思い返していた。
(あんなに虚ろだった瞳に、少しずつ光が戻ってきている……)
メイは元々、裏社会で名を馳せた凄腕の暗殺者だった。
数年前、ラークの命を狙ってこの屋敷に忍び込んだものの、手も足も出ずに返り討ちに遭い、当然殺されると思ったが、ラークは
「お前のその隠密の腕、うちで活かしてみないか」と、あっさりと彼女をメイドとして雇い入れたのだ。
規格外の強さと、底知れない器の大きさを持つ主。そんなラークに絶対の忠誠を誓っているメイが、ルカの世話を命じられた。
『決してあいつの事情を詮索するな。だが、お前にできる限りのことは、全てしてやってくれ』
ラークの命令。
最初はただ仕事として世話をしていただけだったが、ルカの体を拭いた時に見た、裏社会で生きてきたメイでさえ思わず顔をしかめるほどの無惨な虐待の痕。
(あんな酷い状態、同情せずにはいられないわよ……)
ルカはまだ、自分から何かを強く求めることはない。流されるままに生きているように見えるが、それでも今日、彼が「少し嬉しい」と小さく笑ってくれたことが、メイはたまらなく嬉しかった。
(焦らなくていい。この小さな人を、私が絶対に守っていこう)
メイは内心で固く誓う。
そして、あの不器用すぎる主がルカに対して抱き始めているであろう「特別な感情」が、いつか彼をもっと温かい場所へ連れ出してくれたらいいなと、密かに願うのだった。
【ルカ視点】
庭園に出ると、眩しい光にルカは目を細めた。
手入れの行き届いた美しい緑。地下室の冷たい空気や、魔物の森の腐敗臭とは無縁の、穏やかで澄んだ場所。
「おっ、あんたが旦那様が拾ってきたっていう客人か」
後ろから声がして、目を向けるとガサリと植え込みが揺れ、土まみれの大男が顔を出した。
丸太のように太い腕に、無精髭。手には大きな剪定バサミを持っている。
「……っ」
「こら、バルド! 突然出てきてルカ様を驚かせないでちょうだい!」
突然現れた大柄な男に、ルカは反射的にビクッと肩をすくめた。メイがすかさず前に立ち、鋭い声で注意する。どうやらこの屋敷の庭師らしい。
「わりぃわりぃ。あんまりにも細っこいから、風で飛んでいかねぇか心配になってよぉ」
バルドと呼ばれた庭師は、ガシガシと頭を掻きながら豪快に笑った。
ルカはその男を見て、不思議と恐怖を感じなかった。むしろ、そのぶっきらぼうな声のトーンに、どこか懐かしい安心感を覚えたのだ。
「ちゃんと飯食ってんのか? 旦那様も心配性だからよ、あんたが元気にならねぇと、俺たちまで気が気じゃねぇんだわ。ほら、これでも見て元気出せや」
そう言って、バルドはポンッと不器用に、一輪の綺麗な青い花をルカの手の中に乗せてくれた。
(……ああ。この人、前の会社の先輩にそっくりだ)
前世、理不尽なブラック企業の中で、唯一「おい東堂、ちゃんと休んでるか? 無理すんなよ」と、ぶっきらぼうに缶コーヒーを押し付けてくれた先輩。
彼もまた、口は悪いが根は優しくて、いつも損ばかりしていた裕太のことを気にかけてくれていた。
ルカの中にあった無意識の緊張が、ふっと解ける。
「……ありがとう。ご飯、ちゃんと食べてるよ」
ルカが青い花を見つめ、少しだけはにかむように柔らかい笑顔を向けると、バルドは「おう、そうかそうか!」と照れくさそうに笑った。
「ルカ様、そろそろお体が冷えますから、中に戻りましょうか」
「うん、そうだね」
メイに促され、屋敷へ戻ろうと振り返った、その時だった。
少し離れた渡り廊下の陰から、こちらをじっと見つめている黒い影――ラークの姿を見つけた。
(……あ、ラーク様だ。仕事中なのに、また様子を見に来てくれたんだな)
ルカはもらったばかりの青い花を片手に持ち、彼に向かって、パタパタと小さく手を振った。
「ラーク様」
遠目にもわかるほど、ラークの肩がビクンッ!と大きく跳ねた。
そして、顔を真っ赤にして慌てて回れ右をし、マントをバサリと翻して逃げるように廊下の奥へ消えていってしまった。
(……え? なんで逃げられたんだろう)
ポツンと手を挙げたまま首を傾げるルカの横で、メイは「あらあら」と、生温かい目をして深く頷いていた。
朝食の片付けを終えたメイが、明るい声で部屋に入ってきた。
ベッドの上で窓の外を眺めていたルカは、ゆっくりと首を巡らせた。
「……そっか、ありがとうございます。メイさん」
淡々と答えるルカに対し、メイは少しだけ困ったように微笑み、ベッドの傍らに歩み寄った。
「あの、ルカ様。前からお伝えしようと思っていたのですが……私への敬語、やめにしませんか?」
「……?」
「私はこの屋敷のただのメイドですし、ルカ様は旦那様の大切なお客様です。それに……そんな風に他人行儀に話されると、私、少し寂しいですから」
上目遣いで冗談めかして笑うメイを見て、ルカは小さく瞬きをした。
前世の裕太だった頃から、人間関係の波風を立てないよう、誰に対しても当たり障りのない敬語で接するのが染み付いていた。だが、メイの言葉には裏表がなく、ただ純粋に距離を縮めたいという温かな気遣いが滲んでいる。
「……わかった。じゃあ、気をつけるよ。……メイ」
「はい!」
パァッと花が咲いたように笑うメイを見て、ルカの胸の奥がほんの少しだけ温かくなった。
「……外の空気、久しぶりだから。少し、嬉しいかも」
「ふふっ、今日は風が穏やかで、とても暖かいんですよ。お庭には珍しいお花も咲いているので、一緒にお気に入りを見つけましょうね!」
用意された上着を羽織り、ルカは促されるままに部屋を出た。
【メイ視点】
少し前を歩く華奢な背中を見つめながら、メイはふと、彼がこの屋敷に運ばれてきた日のことを思い返していた。
(あんなに虚ろだった瞳に、少しずつ光が戻ってきている……)
メイは元々、裏社会で名を馳せた凄腕の暗殺者だった。
数年前、ラークの命を狙ってこの屋敷に忍び込んだものの、手も足も出ずに返り討ちに遭い、当然殺されると思ったが、ラークは
「お前のその隠密の腕、うちで活かしてみないか」と、あっさりと彼女をメイドとして雇い入れたのだ。
規格外の強さと、底知れない器の大きさを持つ主。そんなラークに絶対の忠誠を誓っているメイが、ルカの世話を命じられた。
『決してあいつの事情を詮索するな。だが、お前にできる限りのことは、全てしてやってくれ』
ラークの命令。
最初はただ仕事として世話をしていただけだったが、ルカの体を拭いた時に見た、裏社会で生きてきたメイでさえ思わず顔をしかめるほどの無惨な虐待の痕。
(あんな酷い状態、同情せずにはいられないわよ……)
ルカはまだ、自分から何かを強く求めることはない。流されるままに生きているように見えるが、それでも今日、彼が「少し嬉しい」と小さく笑ってくれたことが、メイはたまらなく嬉しかった。
(焦らなくていい。この小さな人を、私が絶対に守っていこう)
メイは内心で固く誓う。
そして、あの不器用すぎる主がルカに対して抱き始めているであろう「特別な感情」が、いつか彼をもっと温かい場所へ連れ出してくれたらいいなと、密かに願うのだった。
【ルカ視点】
庭園に出ると、眩しい光にルカは目を細めた。
手入れの行き届いた美しい緑。地下室の冷たい空気や、魔物の森の腐敗臭とは無縁の、穏やかで澄んだ場所。
「おっ、あんたが旦那様が拾ってきたっていう客人か」
後ろから声がして、目を向けるとガサリと植え込みが揺れ、土まみれの大男が顔を出した。
丸太のように太い腕に、無精髭。手には大きな剪定バサミを持っている。
「……っ」
「こら、バルド! 突然出てきてルカ様を驚かせないでちょうだい!」
突然現れた大柄な男に、ルカは反射的にビクッと肩をすくめた。メイがすかさず前に立ち、鋭い声で注意する。どうやらこの屋敷の庭師らしい。
「わりぃわりぃ。あんまりにも細っこいから、風で飛んでいかねぇか心配になってよぉ」
バルドと呼ばれた庭師は、ガシガシと頭を掻きながら豪快に笑った。
ルカはその男を見て、不思議と恐怖を感じなかった。むしろ、そのぶっきらぼうな声のトーンに、どこか懐かしい安心感を覚えたのだ。
「ちゃんと飯食ってんのか? 旦那様も心配性だからよ、あんたが元気にならねぇと、俺たちまで気が気じゃねぇんだわ。ほら、これでも見て元気出せや」
そう言って、バルドはポンッと不器用に、一輪の綺麗な青い花をルカの手の中に乗せてくれた。
(……ああ。この人、前の会社の先輩にそっくりだ)
前世、理不尽なブラック企業の中で、唯一「おい東堂、ちゃんと休んでるか? 無理すんなよ」と、ぶっきらぼうに缶コーヒーを押し付けてくれた先輩。
彼もまた、口は悪いが根は優しくて、いつも損ばかりしていた裕太のことを気にかけてくれていた。
ルカの中にあった無意識の緊張が、ふっと解ける。
「……ありがとう。ご飯、ちゃんと食べてるよ」
ルカが青い花を見つめ、少しだけはにかむように柔らかい笑顔を向けると、バルドは「おう、そうかそうか!」と照れくさそうに笑った。
「ルカ様、そろそろお体が冷えますから、中に戻りましょうか」
「うん、そうだね」
メイに促され、屋敷へ戻ろうと振り返った、その時だった。
少し離れた渡り廊下の陰から、こちらをじっと見つめている黒い影――ラークの姿を見つけた。
(……あ、ラーク様だ。仕事中なのに、また様子を見に来てくれたんだな)
ルカはもらったばかりの青い花を片手に持ち、彼に向かって、パタパタと小さく手を振った。
「ラーク様」
遠目にもわかるほど、ラークの肩がビクンッ!と大きく跳ねた。
そして、顔を真っ赤にして慌てて回れ右をし、マントをバサリと翻して逃げるように廊下の奥へ消えていってしまった。
(……え? なんで逃げられたんだろう)
ポツンと手を挙げたまま首を傾げるルカの横で、メイは「あらあら」と、生温かい目をして深く頷いていた。
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