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12.射る女/臆病者※

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「……俺は、……この、ま、ま……」

 溶け出したものは、目頭からこぼれそうになる。
 慌てて空を仰ぐと、街灯の白く強すぎる光が目に刺さった。世界のすべてが眩んで見えたその瞬間、

「い、や……だ、っ……!」

 唇の間から、心の底の声がこぼれていった。

「……ん、……な、のっ……や、だ……」

 気づくと地面に膝をつき、嗚咽をあげて泣いていた。
 勝手に歩き出した挙句、迷った。そんな自業自得の子どもみたいに。

「いやだ……、や……だっ!」

 どんなに泣いたところで励ましてくれる人などいない。
 薄汚くベタついた頬を拭ってくれるのは、自分だけ。

 あいつは、ここに来てはくれない。
 あいつはもう、俺のもとには帰ってこない。

 俺が、突き放したから。
 俺が、彼女を叱咤したから。

 ──なぜ、そんなことしてしまったのだろう。

「……っ、俺、だって……っ!」

 ──俺だって、幸せになりたかったのに。

「……ひ……び、きっ……!」

 久しぶりに口にしたその名は、思っていた以上に乾いて聞こえた。

 ずっと、響が幸せになれば自分も幸せになれると信じていた。

 だから、いくら鬱陶しくても、腹が立っても、一緒にいた。
 報われたい、その一心で尽くしてきた。
 いつかこの気持ちに気づいてくれる日を信じて。怖がらずに受け入れてくれると強く信じて。
 どうせ伝わらないと諦め、飲み込んできた言葉の数々──そんなものたちに光が当たる日を待っていた。ずっと、ずっと。

 それなのに──。


「……響っ!」

 まるで羽虫のように、光る画面にすがりついていた。
 通話履歴から彼の名と番号を探す。いつも一番上にあったはずのそれは、随分と下のほうに流れていた。
 目移りしながら、指の震えを抑えながら、なんとか選び出す。
 祈るような気持ちで耳に当てた。

 数秒でいい。
 つながりたい。

 声が、聞きたい。

 呼びたい。
 その名前を呼びたい。

「……っ」

 この空っぽな身体を埋めてほしい。
 少しだけ。
 少しだけでいい。

「……ひ、び……き……」

 一瞬だけで、いい。
 俺にも何かめぐんでほしい。
 これが最後でいいから。

 しかし、いくら待っても呼び出し音は空虚に鳴り続ける。

「……そう、か……」

 腕から力が抜ける。
 彼の名前が消えた画面に映し出されるのは、時間、今日の日付、それから曜日。

「……もう……、いい……」

 二十一時六分、八月五日、火曜日。
 彼までの距離はあまりに遠くなりすぎていた。

 ここからは引き返せないくらいに──。

 
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