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後日談 伊織の幸せなため息
しおりを挟む朝、携帯のアラームが鳴り響く。布団の中でモゾモゾと、何かを探すように動くが、目的のものが見つからない。諦めたようなため息が布団の中から聞こえ、ノアがもぞりと顔を出した。
「また‥‥」
もしかしたらと思い、隣に並べられたもう一組の布団を見るが、やはりいない。
いっそこのまま、もう一度寝てしまおうか。そんな考えがノアの頭をよぎった瞬間、寝室の襖が勢いよく開かれた。
「おい、起きろ。またアラーム止めたのか」
ようやくお目当ての人物が現れ、ノアの顔が緩む。
「おはよ、伊織」
数年ぶりに帰って来たノアは、そのまま伊織の家に住み着いていた。
そもそも、伊織が自分以外を選ぶとは微塵も思っておらず、移住先として勝手に申請も出していた。それを知った伊織にこっぴどく叱られたのだが、仕事や生活面は念入りに準備してきたというノアの言葉を信じ、伊織は許した。
「そのだらしない顔はやめて、さっさと布団から出て来い。仕事遅れるぞ」
「伊織がチューしてくれたら、起きるぅ」
「馬鹿な事言うと、す巻きにして転がすぞ」
「もぉ‥‥伊織は冷たいなぁ。俺はもっと、朝のイチャイチャとかしたいのに、いつも先に起きてるし‥‥」
ノアが目を閉じたまま唇を尖らせていると、伊織が近付いてくる気配がした。これは、もしかして‥‥と期待に胸を躍らせていると、伊織の容赦ない言葉が降ってきた。
「今日の朝飯のおかずを一品増やそう―――エロガキのす巻きなんてどうだ?」
伊織の低い声に、ノアが飛び起きた。
「お、起きたよ!」
「まったく、毎朝‥‥さっさと支度しろ」
ノアに背を向けた伊織の耳が、ほんのり赤くなっていた。それを見逃すノアではなく、ニンマリと口角を上げると、伊織を後ろから抱きしめ、頬にキスをする。
「昨日も可愛かったよ」
「なっ‥‥うるせぇ! さっさと支度しろ! 朝飯が冷める!」
ノアの腕を振り払い、伊織が寝室を出て行った。ドスドスと床を踏み鳴らす音が遠ざかり、ノアが喉の奥で笑った。
身支度を整えたノアが台所に入ると、伊織がその姿を見て一瞬目を細める。先程までの姿とは違い、髪をセットしてスーツを着こなしているノアに、思わず見惚れていた。
「えへへ、似合う?」
中身までは変わらず、伊織は安心したような、残念なような、複雑な顔をした。
「ま、まあ‥‥ちゃんと仕事はしてるようだが。そう言えば、何の仕事なんだ?」
「う~ん‥‥まだ秘密」
ノアが少し考えた後、唇に人差し指を当て、ウインクしながら答えた。何度か同じ質問をしているが、はぐらかされている。危ない事をしている様子ではないので、伊織も深くは聞けずにいた。
「もう少ししたら、言うから」
「‥‥そうか」
始めて聞く進展に、伊織の心臓が跳ねた。とは言え、年上として、顔に出さないように噛みしめる。
朝食を済ませ、玄関までノアを見送る。玄関に増えたノア用の靴箱には、綺麗に磨かれた革靴が入っている。
「いってきます」
軽く伊織の唇にキスをすると、ノアは玄関から出て行った。
「はぁ‥‥これ、いつか慣れるのか?」
頬を染め、額に手を当てる伊織。いってらっしゃいのキスに、未だに慣れない日本男児である。ため息を吐きながら、自分の仕事場へと入って行った。
ノアが家を出て小道を進み、大通りに出ると、黒塗りの高級車の横に運転手が立っていた。
運転手はノアが近付くと、恭しく頭を下げる。
「おはようございます、アッシュフォード社長」
「ああ、おはよう」
運転手が後部座席のドアを開くと、当然のようにノアが乗り込む。その姿は、何処から見ても大企業のやり手実業家だった。
「そろそろ、お披露目できるかな。伊織、ビックリするかな‥‥」
窓の外を見つめ、まるで悪戯を仕掛けるように微笑むノアだった。
数日後、ノアが出かけて一時間後、玄関に大きな封筒が置き忘れられている事に気付いた伊織が、ノアに電話をかけた。会社に持って来てほしいと住所を教えられ、久しぶりに電車に乗る伊織。車窓に映る自分の顔が、不安四割に残りはノアの秘密を知れる期待が混ざっていた。
「確か‥‥この辺か?」
ノアに懇願され、渋々持っている携帯を取り出し、地図アプリを開く。使ってみると意外と便利なのだが、どうにも慣れない。なんとかたどり着いた場所は、高層ビル群の一角だった。
「本当に、ここか?」
ビルを見上げる。看板には、ノアに教えられた社名が入っていた。
恐る恐る入ってみると、落ち着いた雰囲気だが上品な広間になっていた。和服に羽織り姿の自分が、なんとも場違いな気がして落ち着かない。
「すまんが、ノアという社員に届け物があるんだが‥‥」
受付を見つけて声をかけると、女性がにっこりと微笑んだ。
「お話は伺っております。そちらのエレベーター、最上階へお上がりください」
「最上階?」
思わず聞き返すが、女性はにっこりと微笑み、エレベーターまで誘導する。
「どうなってんだ‥‥」
困惑しながら乗り込んだエレベーターの中、一人呟く伊織。少しすると、エレベーターが最上階へとたどり着く。小気味いい音と共に扉が開くと、両手を広げたノアが立っていた。
「伊織!」
勢いよくノアに抱き着かれ、伊織がよろける。だが、何とか持ち直した伊織がノアの顔を鷲掴みする。
「ちょ、伊織」
「説明しろ」
「あ、はい‥‥」
ノアが少し身体を離すと、伊織もため息を吐きながら手を離した。ノアにエスコートされてエレベーターを降りる。かなり広い部屋に品の良い調度品が揃えられ、高そうなソファーや広い机が置いてある。
「ここはね、日本の書籍を翻訳して、海外に出す会社なんだ」
「翻訳?」
「そう! マンガとか、小説とか。あと、アニメの吹き替え用の台詞とかね!」
「へぇ‥‥」
「僕は、日本の言葉も文化も大好きなんだ。だから、ちゃんと伝えたいと思って、この会社を立ち上げたんだ。動画に日本語字幕を入れて欲しいって外国人も増えてきてるんだよ」
ノアは離れている数年で、全ての準備を整えて、日本に来ていた。ノアがいなくなった後、締め切りを落としそうになった事や、ぼんやりと縁側で過ごした日々を思い出し―――微妙に腹が立って来た。
「お前‥‥最初から、帰ってくるつもりだったのか?」
「うん、勿論!」
「この仕事を選んだのは‥‥俺が漫画家だからか?」
「当然! だって、僕の伊織の言葉を、僕以上に理解できる人なんて、この世にいないからね」
キラキラとした目で言われ、思わずため息が出る。ノアは、今も時々「僕」が出る。尻尾があったら全力で振っているだろう。まるで、「褒めて!」と言っている大型犬のようだ。
「それに、伊織の作品に俺以外の手が入るなんて、嫌だったんだ」
「何故、言わなかった?」
「だって、失敗したら恥ずかしいし‥‥」
頬を染め、モジモジと指を合わせる大型犬。
「俺が、心変わりをするとは、考えなかったのか?」
「全然? だって、伊織の心も身体も満せるのは、僕だけだから‥‥」
耳元で囁かれ、ゾワリと背中が泡立つ。
「っ‥‥調子に乗るなよ、エロガキ」
「それに、言ったでしょ? 伊織を養っていけるくらい稼ぐって」
「はぁ?」
伊織が口をポカンと開ける。そんな、朧気にしか思い出せない様な一言を、ノアは覚えていた。しかも、流した言葉を本気で叶えていた。
「ねぇ‥‥僕、頑張ったでしょ?」
「あ、ああ‥‥」
今更ながらに、伊織は自分がどれだけ愛されているのかを実感する。それと同時に、コイツからは逃げられないのだと、諦めのような幸福感に、思わず笑う。
「ご褒美、欲しいな」
ノアの手が、伊織の頬に触れる。一歩後退ると、腰に机が当たった。先程までキラキラとした大型犬が、獲物を前にして舌なめずりをする獣に変わっていた。
「お、おい、まさか‥‥ここでするつもりか⁉」
「俺、「待て」は苦手なんだよね」
ゆっくりと机の上に押し倒され、唇が重なる。
「無駄だと思ったけど‥‥やっぱり大きな机にして良かった」
ノアがニヤリと笑う。
悩んでいた日々が馬鹿らしくなる程のノアからの愛に包まれ、今日も伊織はため息を吐くのだった。
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